四十章 目覚め 3
昏睡から覚めた翌日。
最低でも一週間は安静にというグレッセンの指示通り、流衣はベッドの上にいた。
一年経過したということは、前と同じ初冬の頃だ。エアリーゼのある北部は冬になると雪が積もる程の厳しい環境になるので、窓は小さめに作られ、防寒から壁は分厚い。神殿は特に重厚な造りをしているようで、そのお陰か室内にいる限り余り寒さを感じない。まあその大半は、部屋の端に置かれた魔法の火が灯る魔法道具の為だろうと思う。
(あれ、便利だなあ。もしかしてアルの作品かなあ)
薪ストーブみたいに燃料を燃やす際に煙を出すこともなく、室内を暖める方向にしか作用しないのだ。一酸化炭素中毒になる心配をして、こまめに換気しなくて済む。
魔法道具といえば、アルモニカだ。そして彼女はこの神殿の跡取りらしいし、試作品が置いてあっても何らおかしくない。
流衣はベッドの枕に背中を預けて座り、オルクスが見舞いにとどこからか摘んできた花を手の中でくるくると回しながら魔法のストーブを眺める。
――正直言って、暇だ。
食事を持ってきてくれたり、診察を受けたりと、妙に至れり尽くせりで、なんだか良心の呵責を覚えてくる程。
最初のうちはリドやオルクスとお喋りをしていたが、リドは薬草学の講義を受けに出かけてしまったし、オルクスはずっと一緒にいたわけだからそんなに話すネタもない。自然と何もすることがなくなった。
黄色い花を見ていたら、ふっと女神レシアンテの花園を思い出した。
「オルクス、『神の園』 って知ってる?」
敷布団のシーツの皺を、ぴょんぴょんと踏み潰して消そうと躍起になっていたオルクスは、流衣の問いに跳ねるのをやめた。
別に皺くらいほっとけばいいのにと思うが、あんまり熱心にオルクスが跳ねているので何となく言い出せないでいる流衣である。
『神の園、ですか? さて、わてには分かりませんが、それがどうかしたのですか?』
首を振るオルクス。
神様事情に詳しいのだろうに、オルクスでも知らないのかと内心で驚きつつ、事情を話す。
『「神の庭」なら分かりますが、園は分かりません』
「神の庭?」
『神様がたが唯一地上に降りることの出来る地点のことです。聖地や宗教遺跡の場合が多いですね。坊ちゃんがツィールカ様とお会いした場所も、そういう場所の一つです』
「あ……、『黄昏の遺跡』? ツィールカの溜息は黄昏のように美しいとかいう故事の……」
『そうです。民話や伝承として語り継がれている場所が多いですよ』
民話や伝承か……。
流衣は顎に手を当て、少しうつむき加減に考え込む。
「じゃあ、そういう伝承がある所を見ていったらいいのかな? まさか、伝承探しから始めろなんて言うんじゃ……」
もしそうだとしたら、運命と生命の女神レシアンテもなかなか面倒なヒントをくれたものだと思う。
『まず探す前に、神官の方に話を聞いてみては? わては神様方を褒め称える言葉は幾つも持ち、世界についての知識もありますが、人間達の考える絵空事までは、流石に全て把握しているわけではありません故』
「は、はは……」
流衣は苦笑を漏らす。
伝承や伝説を絵空事で片づけるとは、流石オルクス、レベルが違う。
(気のせいか、この一年の間で毒舌度が上がってるような……)
気のせいということで片付けたい流衣である。
(そんなにストレスたまってるのかな……)
もしストレスがあるとすれば、恐らく自分が眠ったままだったのが原因だと思うので、心が痛む。
ふと、オルクスがハッとしたように顔を流衣へと向けた。
『そういえば、坊ちゃん。忘れていたのですが、あのオニキスという少年から手紙を預かっているのです』
「え? オニキスさん?」
流衣は目を瞬く。
トカゲに飲み込まれる前まで一緒にいたものの、あれっきり別れてしまった同行者。だが、手紙を貰う程親しいわけではないので、どういう用件か推測しようとしたが思い付かない。
『あの方が今代の勇者様でしたよ』
「へー、オニキスさんが勇者………。………ええっ!?」
びっくりした。
思わず耳を疑った。
『そこのサイドテーブルの引き出しに、手紙を入れております。読まれてみて下さい』
「うん、勿論だよ」
ちょうど暇を持て余していたのもあり、その意見には飛び付く。
流衣はサイドテーブルの引き出しを開け、ごくりと唾を飲み込んだ。白い封筒が一つ入っている。どぎまぎしながら封筒を掴む。
表面の宛先に、懐かしい日本語で『折部へ』と書かれていた。
「日本語だ! 間違いないよ!」
若干興奮しつつ、封を切る。そして便箋を引っ張りだし、日本語で書かれた角ばった文字の羅列を目で追う。
『折部へ
せっかく同郷と分かったが、こんな形で話すことになって悪い。
あと、オニキスなんて偽名名乗って悪かった。本当は川瀬達也っていうんだ。
あんたの事情については、あんたのオウムから聞いた。そっちも色々大変だな。
リンクを助けてくれてありがとう。俺が探してたのは、託宣の巫女のリンキスタ・オーグ・エスニルカって子で、影飼いにさらわれてしまったから探してたんだ。瘴気にやられて衰弱してたが、今はもう元気になったから安心してくれ』
その後、〈悪魔の瞳〉の信者にアジトまで案内して貰い、大木が塔を突き出して生えていて驚いたことや、リンキスタを助けに地下まで下りたこと、アルモニカ達と合流していたことが書き綴られていた。
「そんなこと一言も聞いてないんだけど……」
リドの話した内容には、そんな話は含まれていなかった。
口止めされていたのか、手紙があるから説明がいらないと思ったのか。とにかく読み進める。
『あの女神さんが悪いとはいえ、俺の召喚に巻き込まれたらしくて、実は結構気にしてる。なんか、ごめんな。いや、怒る時はツィールカさんを思い切り責めてくれると嬉しいが……。俺も気が晴れるし』
ちらりと本音が漏れた。流衣は小さく吹き出す。
『それから、俺の召喚に巻き込まれた同卿の人間ってのが、まじで怜治さんの弟とは思わなかった。
俺、あんたの兄さんに、中学の時に一年だけ家庭教師して貰ってたんだ。だから、もしかしたらその繋がりで折部まで引きずられたんじゃないかって気がしてる。
怜治さんは滅茶苦茶格好良くて、男としての憧れなんだ。ここに来るまでは、ときどき連絡とってたんだぜ。あいにく折部の写真は一度しか見たことなかったから、気付くのに時間かかったけど。
そういうわけだから、あんたのことは折部って呼ぶことにする。……折部弟の方がいいか?
ちなみに俺、北条学園高校の二年生なんだ。怜治さんの勤め先の結構近くだ。
もし俺が元の世界に帰って折部も帰ったら、一回会いに来てくれよ。怜治さんが働いてるレストランに冷やかしで食事しに行こうぜ。
あと、もし目が覚めた時にまだ俺がこっちにいるとしたら、多分、まだ聖具を見つけてないんだと思う。それで悪いんだが、聖具の情報があったら教えて欲しい。俺の郵便ポートのアドレス書いとくから。
あ、勿論、折部が帰れるように方法も探すよ。同じ不幸な境遇同士、協力しあって頑張ろうぜ。じゃあな』
あまりにも想像していなかった内容が書かれていて、流衣は手紙を握ったままわなわなと震える。
手紙の一番下には、郵便ポートのアドレスと思われるものと、川瀬達也という名と携帯の電話番号が書かれていた。
(ほ、北条学園高校って、大企業の社長の子供や、実業家や投資家の子供が通うようなお金のかかる私立学校じゃないか)
頬をぴくぴくと引きつらせる。
地元では、入学金が恐ろしく高いことで有名だ。それに、よほど頭が良くないとまず入れない。
しかもだ。流衣の兄がパティシエとして下積みを積んでいるレストランは高級料理店で、気軽に冷やかしで食事に行けるような所ではない。
川瀬達也、恐るべし。
あまりにも常識の違いを見せつけられ、くらくらしてくる。
「……川瀬先輩って呼んでいいかな」
ひとまず、次からはどう呼ぼうかと、流衣はぽつりと呟くのだった。
懐かしい日本語を前に、何度も何度も手紙を読み返して郷愁に浸っていると、俄かに廊下が騒がしくなった。
まるで昨日のリドとオルクスのようだが、言い争う声ではなく廊下を走って来るばたばたという音が響いてきた。その足音は流衣の部屋まで来ると止まり、足音の主と思われる者が扉をノックする。
「は――」
「入るぞ!」
はい、と返事しきる前に、扉が乱暴に開かれる。
そこには、息を切らせたアルモニカが立っていた。余程急いで走って来たのか、腰まであるウェーブをえがいた赤い髪がもつれている。白いブラウスに膝下まであるローズピンクのスカートと、黒いタイツと茶色い革靴という井出達だ。手にはポンチョのような、マントを肘辺りで切ったような黒い物を抱えている。上着、だろうか。どことなく学生服を思い浮かべさせる服装だ。
「ど―――」
「お主の目が覚めたと手紙を貰って、さっき転移魔法で帰って来た所じゃ! ああ、安心せい。今度のはちゃんと魔昌石に魔力を込めておいたからの。ああー、本当にまあ痩せてしまったのう。前から貧相じゃったのが尚更貧相になって……」
どうしたの、と訊きたかったが流衣が何か言う前に怒涛の勢いで言葉を連ねるアルモニカ。一気にそこまで言うと、ふらりとよろめいた。
「おおう。余りの哀れさに胸が痛いぞ」
……余計なお世話です。
流衣はむうと眉を寄せるが、アルモニカが眉を八の字にしてしょんぼりしたので何も言えず口をつぐんだ。
「ワシのことに巻き込んでしまって、しかも危うく死ぬところじゃったし、本当にすまなかった」
「死にかけたのはアルのせいじゃ……」
「巻き込んだのがワシなんじゃから、ワシのせいじゃろうが!」
アルモニカはキッと眉を吊り上げ、ダンと床を踏む。
その剣幕に素直にびびる流衣。
(あ、あれ……? 謝られてるはずなのに、脅されてる気がするのは気のせい……?)
どぎまぎとアルモニカを見ていると、怒ったと思ったアルモニカの緑色の目からぼろりと涙が零れ落ちた。
「………!!?」
な、ななな泣いた――――っ!!?
流衣は青い顔で凍りつく。
「うぇっく、ひっく。ワシが〈杖の宝〉なんぞと呼ばれておるせいで、お主は死にかけるし、〈塔〉の皆もたくさん死んだ……。ワシのせいで……っ。うわぁぁぁん」
「ひぇっ」
両目に手を当てて、大声で泣き出したアルモニカに流衣はびびって逃げ腰になる。
あわあわ、おろおろ。
どうすればいいのかと所在なく手をうろうろさせ、頭を抱える。泣きたいのはこっちの方だ。
(えーと、えーと、どうしよう! 泣いてる子の相手なんてしたことないよ!)
末っ子の流衣には泣いている兄妹を宥めるという経験はない。部活動にも入っていないから後輩の面倒をみたこともない。
ひとしきりうろたえたところで、ふいに兄のことを思い出す。小さい頃、何かあるとしょっちゅう泣いていた流衣を宥めてくれていたではないか。
杖無しで立てる程に回復していないので、ベッドの上を這うようにしてベッドの側に立っているアルモニカの側まで行く。
そして、手を伸ばして、頭を撫でた。
「な、泣かないで。大丈夫だよ、怖いのはもういないよ」
――泣くな流衣。大丈夫、怖いのは兄ちゃんがどっかやったから。
兄の言葉を思い出し、とりあえず真似してみる。これで効果があるのか不明だが。
どっちにしろ、アルモニカは二歳年下なのだしと自分に言い聞かせてみる。
「僕はアルのせいだとは思ってないよ。あの怖い人達が悪いんだってちゃんと分かってるから。だってアルは、物を作るのが好きなだけで、アルが作った物は人の役に立ってるんだし……。それで名前が売れたからって、全部アルのせいになるわけじゃないよ」
色々と考えて、必死に説得する。
「嘘じゃそんなの……! それで何で皆が死ぬんじゃ? 皆、ワシのことだと言えば済んだだけなのに! 誰もワシのことを責めないんじゃ! 代わりに、ワシは悪くないって言うんじゃ!」
両手を顔に押し当て、うつむいて泣きながら、アルモニカは苦しげに吐露する。
もしかして、この一年間、ずっとこうして気持ちを溜めこんでいたのだろうか……。
あまりに悲しそうに泣くので、流衣も泣けてきて、鼻の奥がツンとなった。
「だからさ……本当にそう思ってるんだと思うよ……? アルは納得してないみたいだけど、本当に悪くないって、そう思ってると思う。僕もそう思うから」
小さな身体を震わせて、しゃくりあげながら泣くアルモニカ。
どうしたら泣きやむのか、流衣には分からなくて途方に暮れる。
だから、アルモニカが気が納まって泣きやむまで、ずっとそうして隣に座ったままじっと待っていた。
加筆修正版です。