四十章 目覚め 2
流衣のいる部屋を出ると、リドは廊下をずんずん歩いていく。
顔は冷静そのものだが、腹の底は煮えくりかえっている。
(あの野郎、息の根止めときゃ良かったか……?)
影の塔でぶっ倒した男のことを思い出し、ますます苛立ってくる。
人様の親友を呪ってくれた挙句、死ななかったものの昏睡状態に陥れ、起きたら起きたで怖がらせるとは。本気で腹が立つ。
リドは建物を出ると、左に折れ、すぐ隣の小さな建物の前に立つ。祈り場だ。
――そしてそれ以上に腹が立つのが、こいつだ。
「おい、クソオウム!」
祈り場の扉を乱暴に開け放ち、中に向けて怒鳴る。
祈り場で祈っている民間人や神官達が何事かと振り返る中、並んだベンチの間を通り抜けてまっすぐに祭壇を目指す。そのすぐ横に、百五十ケルテルくらいの高さの止まり木が置いてあり、そこに黄緑色のオウムが鎮座していたが、リドの暴言に目を吊り上げて振り返る。
「誰がクソオウムですって!」
「いつまでも女々しく引きこもってるような奴は、クソオウムで十分だ!」
中にはオウムが話すことを知らない者がいて驚いたようだったが、そんなことは意識の隅に追いやられていた。
いつになく厳しく言い切るリドを、オルクスは怪訝そうに見る。
「……ルイが起きたぞ」
真正面からオルクスを睨みつけ、唸るような低い声で告げる。
オルクスは息を飲み、危うく止まり木から落っこちかける。が、羽ばたいて元に戻ると、心底ほっとしたように呟く。
「そうですか……それは良かったです……」
その様にまた怒りが跳ね上がる。
「なんで俺がお前に教えてるんだ? てめえはあいつの使い魔だろうが、起きた時に最初に会うぐらいでいるべきだろ!」
ムカツク。何でこんなことをいちいち言わなきゃいけないんだ? 丸焼きにすっぞ、このクソオウム!
「分かってます、それくらい! でも、わては坊ちゃんに顔向け出来ません! わては、主人も守れない役立たずの使い魔ですっ」
リドはハッと鼻で笑う。
「あいつがいつお前に役に立てとか言ったよ? 友達だって言ってたじゃねえか」
「…………」
目に見えて意気消沈するオルクス。
(あーもう、まじで腹立つ! いつもはぎゃあぎゃあうるせえ癖して、一丁前に悩んでんじゃねえよ! うざってぇぇ!)
リドは頭を掻きむしりたい衝動に駆られながら、懸命に気を落ち着けて続ける。
「つーか、あいつ、起きた時に最初に心配したのがアルモニカとお前のことだったんだぜ。使い魔としてどうなんだよ。いつもならぜってぇ側から離れないようなクソオウムが起きた時にいなくて? しかも殺されかけてたんだから、てめえまでどうにかなったんじゃって心配するんだぜ。あーお前はそれで良いかもしれねえよ。だけどなあ、あいつにこれ以上、余計な心労かけさせんじゃねえ。――油で揚げるぞコラ」
最後にはとうとう悪態が飛び出た。
「うう……しかし……しかし………」
ここに来てもまだごねるオルクスに、リドの中で、ぶちっと何かが切れる音がした。問答無用でオウムを鷲掴む。
「ぎゃ! 何すんですか!」
じたばたじたばた。
間抜けに暴れるオウムを、冷やかに見下ろす。
「てめえの都合なんざ知ったこっちゃねえよ。いい加減にしろよ。こっちはてめえなんか簀巻きにして竜の巣穴にでも放り込んでやりてえぐれえの気分だ」
「はっ放しなさいリド! わては行きませんよ! 無理です!」
「あーうるせえうるせえ。何言ってっか全然聞こえねー」
「聞こえてるでしょうが! 棒読みで言ったって説得力ないですからね!」
不穏な言葉を交わしながら、ぎゃあぎゃあと喧しく祈り場を出ていくリド達を、祈り場にいた人々は唖然と見送った。
そして、真っ先に我に返った神官の一人が、笑顔を取り繕って、場を纏めるのだった。
* * *
「どう? 喉の変なの取れたかい?」
「はい……」
一通り診察した後、うがいがしたいと訴えた流衣はグレッセンに水入りグラスと洗面器を渡され、洗面所に行く元気も無かったので部屋でうがいをしたまでは良かったが、洗面器内が赤く染まったので凍りついた。
「痛いところは?」
「いえ、無いです……」
「そう。じゃあ、前に吐血した時のが喉に残ってたんだろうね。心配いらないよ」
「良かったです……」
流衣は肩の力を抜いた。
そして、吐血してたんだ自分、と、内心でびびる。
「うん。他は栄養失調気味で体力が弱ってる以外は健康だね。君が寝てる間は栄養剤を注射させて貰ってたよ。効いていたようで良かった。あとはしばらく――少なくとも一週間は安静にして栄養つけてから、リハビリってところかな。その分だと碌に動けないだろう?」
カルテのような紙にすらすらと文字を書き綴りながら、グレッセンは診断を言い渡す。
「杖があれば何とか動けそうな気がします」
「では後で松葉杖を持ってこさせよう。まあ無理しない方が良いから、人手がいる時はそこの呼び鈴を鳴らしなさい。人が来るようにしておくからね」
「ありがとうございます」
流衣が頭を下げると、グレッセンは微笑ましげにこちらを見てから、洗面器を持って立ち上がる。
「では、ご飯を食べてゆっくりお休み」
「はい。ありがとうございました」
もう一度頭を下げる。
そしてグレッセンが退室すると、リドがサイドテーブルに置いていった盆を引き寄せた。スープ皿に粥が入っている。お腹が空いているので、とてもおいしそうに見えた。
だが、五口目を口に運んだところで廊下が騒がしくなり、思わず扉を見つめる。
「往生際わりいぞ、クソオウム!」
「何と言われようと行きません―――っ!!」
リドとオルクスの言い争う声だ。
流衣はパッと表情を明るくする。
オルクス、あの調子だと元気そうだ。
「だあもう、面倒くせえ!」
そして扉を開けて入って来たリドは、じたばた暴れるオウムを鷲掴みにしており、半切れで怒鳴って思い切り右腕を振りかぶった。
ベシャッ!
そしてベッドの布団に突っ込むオルクス。
流衣は慌てて盆をサイドテーブルに乗せると、足元に潰れているオルクスを両手で抱え上げる。
「リド、投げたりしちゃ可哀想だよ」
「そいつが悪い」
ぶすっとした声が返ってくる。
どうして喧嘩しているのか分からないので、流衣は苦笑を浮かべる。
「大丈夫、オルクス?」
すると手の中のオウムがびくりと身じろぎした。
かと思えば、物凄い勢いで飛びあがり、部屋の隅の箪笥の上に行き、背中を向けてしまう。それを見て、部屋の壁に背中を預けて立ったリドが、まじで竜の巣穴に放り込むぞクソオウムと物騒な声音でぼそりと呟いた。が、オルクスは意に介さず叫ぶように謝る。
「申し訳ありません、坊ちゃん! わてはあなたに顔向け出来ません!」
小さな体がふるふる震える。
「わては……わては、主人を守ることも出来ない役立たずの使い魔です! わてなど、使い魔として存在価値などありません!」
あまりにも悲壮感たっぷりに言うので、流衣もつられて泣きそうになる。
「そんな寂しいこと言わないでよ。それにオルクスは使い魔じゃなくて、友達でしょ?」
オルクスの体が、今度はぶるぶると震えだした。
「あなたは死にかけていたのです! あんな、あんな様を目にして、のこのこと舞い戻れましょうか! しかも一年も昏睡状態で……っ、ああ、おいたわしいっ」
それを言われてしまうと、反論のしようもない。けれど流衣もねばる。
「僕さ、寝てる間、レシアンテっていう女神様と話してたんだ。花畑があってね、すごく綺麗だったよ」
「女神様の花園に招かれたのですか!」
ぎょっとしたのか、思わずといった調子でこちらを振り向くオルクス。何で死んでいないのかといわんばかりの態度だ。これにはリドも目を剥いて壁から背中を浮かした。
「僕は異世界の人間だから、夢を通して引きこんだらしいよ。助けてくれたのも女神様だった」
「そ、そうなのですか……」
「それでね。女神様が言ったんだ。『どんな命にも価値はある。あなたはあなたの出来ることをしなさい』って。だからさ、オルクスはいつもそうして手を貸してくれてるし、役立たずなんかじゃないよ。今回のことは、僕の運が悪かっただけだ」
「ですが……っ、ですが……っ!」
再びぶるぶると震えだすオルクス。葛藤しているのが分かるので、畳みかける。
「僕は、オルクスがいてくれた方がいいな。君がいるだけで心強いし、安心する」
「………!」
瞬間、オルクスの黒い目からぶわっと涙が零れ落ちた。
「いいのですか? わてが戻っても……。またお助け出来ないかもしれない」
「いいよ、それで。僕は一人でいるのが嫌なんだ」
そう答えたのと同時に、オルクスは箪笥の上から飛び立った。びゅん!と宙を駆けてくるや、物凄い勢いで飛び付いてくるので、慌てて受け止める。
「坊っぢゃぁぁん!!」
おーいおいと盛大に泣き始めたオルクスの小さな背中を、流衣は苦笑で見下ろして、そっとなでる。
こんなに思いつめさせてしまうなんて、悪いことをしてしまった。だがここまで真剣に悩んでくれること自体は何となく嬉しかった。オルクスは使い魔だからと無条件に親身になってくれるのだ。流衣は随分オルクスに甘えていると自覚している。というよりは頼りきり、が正しい。
「ルイ、そんなアホオウムほっといて、飯を食っちまいな。付き合ってたらキリねえよ」
いつになく冷たいリドを、流衣をきょとんと見る。
「二人とも喧嘩中なの?」
「いや。そいつが余りに腑抜けてるから、竜の巣穴に放り込みたいのを我慢してるだけだ。……丸焼きでもいいが」
「そ、そうなんだ……?」
流衣はひくりと頬を引きつらせる。
そして、このままにしてるとオルクスの運命が決まってしまいそうな気がしたので、オルクスを傍らにずらして、食事を再開する。相変わらずオルクスはむせび泣いている。
「ところでさ。リドはどうしてそんな格好してるの? 神官に転職したとか?」
気になっていたことを訊いてみると、リドは詰襟の襟元を指で引っ張りつつ、自身の格好を一瞥する。
「ああ、これか? 簡単に言えば、居候してるからだな」
「居候?」
「そ。お前が起きるまで待ってようと思ってさ。働かざる者食うべからずって言うし、何より聖法を身に着けたくてな。見習い神官として働いているんだ。一年で治癒は大体使えるようになったし、薬の調合も覚えたかな。解毒は微妙だが……」
難しい顔で眉を寄せるリドをちらりと見、流衣はまた首を傾げる。
「リド、医者を目指してるの?」
訊いた瞬間、何でそうなるんだという顔をリドはする。
「別にそんなんじゃねえよ。目の前で怪我してる奴くらい、助けられるようになりたいと思っただけ」
「ふぅん、立派だなあ。頑張ってね」
「………ああ」
どうしてそんな複雑そうな顔をしてるんだろう。
流衣の脳裏に疑問符がポンポンと浮かぶ。
それからリドは流衣が塔で倒れていてそれを助けた経緯を話し、その後のことを話しだす。
「実はあの日の前日、王都で反乱が起きて女王が排斥されたんだ。今、ルマルディー王国を仕切ってんのは、アルスベルって名前の、女王の叔父にあたる人らしい」
その王が恐怖政治を敷き始めた為、元々は王都に救援を求めにきていたグレッセンは王都に戻るのをやめ、エアリーゼに帰ることにした。彼は自分の娘に巻き込まれたせいで重症を負った流衣のことに責任を感じていて、流衣の容態が落ち着くまで近くの町で滞在した後、一緒にエアリーゼに来て欲しいと言い出したとのことだ。目が覚めるまで責任持って面倒をみるからと。
「で、レッドの背中に乗っけて貰ってエアリーゼに行って、レッドは〈塔〉の連中を助けに戻った。ネルソフのせいで壊滅的だったけど、生き残った連中はここか他の場所に逃げたよ。ヘイゼルとかいうウサギもここにいる。あと、レッドもな」
「そうなんだ……。じゃあ、ディルは?」
リドは腕を組んで、深いため息をつく。流衣はディルに何かあったのかと不安になる。
「あいつもルイが目を覚ますまでここにいるって残ってたけど、一週間もしないうちに、リリエノーラさんがヴィンセント様を連れて逃げたという噂が届いてさ。助けるって飛び出してっちまったっきり、音沙汰無しだ」
流衣は不謹慎にも吹き出した。
「なんか、笑っちゃいけないとは思うんだけど、ディルらしいね」
「ああ、そうだな。あいつは正真正銘の馬鹿さ。一応、止めたんだけどな。人の話を聞きゃしねえ」
ますます笑う流衣。冷静に止めるリドに対し、憤然と言い返すディルの姿が思い浮かんだ。
「でもま、心配いらねえだろ。殺しても死ななさそうな奴だし」
「そうだね。ぶくくくく」
流衣はひとしきり笑うと、再びお粥を口に運ぶ。温かいご飯が胃に沁み渡るようでおいしい。
お腹も満たされ、皆の安否も知り、ほっとしたせいだろうか。笑っているうちにだんだん泣けてきて、目の前が滲む。
「ふふ……うぅ、おかしいなあ。気が抜けたら……何か………」
右の袖口を目元に押し当てて、止まらなくなった涙を懸命に拭う。
「生きてて良かったなぁ………また話せて良かったよ………あはは」
これは悲しいというより、嬉しいという気持ちだ。
流衣は笑いながら泣き、泣きながら笑う。
そんな流衣を、リドは言葉を失くして見ていたが、ややあってぽつりと呟く。
「……俺も。また話せて良かったよ。あの時は流石にもう無理だって思っちまったから」
オルクスもまた言う。
「わても、生きてお会い出来て良かったです……」
そしてちょこんと流衣の傍らに身を寄せる。
あったかいな。
そう思ったら、また目から雫が一つ落ち、盆の上に小さな水溜りを作った。
流衣にはたった数分の出来ごとだったけど、他のメンバーは精神をすり減らして一年経過……みたいな。
※ケルテル:センチと同じくらいの長さの単位。
忘れてると思うので書いておきます。
*8/12 大幅に書き直し。
脇役を減らし、流衣達の心情中心に書き直しました。
こっちの方が彼ららしいかなと思うので、書き直して良かったです。