三十九章 いらない神様
※この回、残酷な表現や流血表現が含まれます。ご注意下さい。
「この辺りだ」
レッドの背に乗って半日経ち、正午を過ぎた。そこでようやく、リドはレッドに声をかけた。
上空は風が強く、雪が降り始めた為に身を切る程に寒いはずだが、レッドが魔法を使ってくれて、風と熱を遮断する結界を張ってくれたので苦にはならなかった。
「高度を下げる。掴まってろよ」
レッドの一言とともに、腹の辺りに感じる違和感とともにぐんと前に傾いた。慌てて背中の角のような突起にしがみつく。
見渡す限りの森が広がる一帯は、雪で薄らと白く染まっている。風の精霊の指摘した場所はその中の空閑地だった。
そこに灰色の塔が立ちそびえている。が、中心から木で貫かれ、青々とした緑が生い茂っている様は違和感があった。何しろ、雪が積もってすらいないのだ。
妙だな。リドはそう思いつつ、高度が落ちるにつれて近づいてくる塔を凝視する。
その中に探し人の姿を見つけ、顔を強張らせた。木の枝の上に倒れている。
だいぶ高度も落ちて、塔のてっぺんの真上辺りを旋回するレッド。リドはその背で立ち上がると、あっさり言う。
「俺、先に行く。ここまでありがとよ」
「え? おいっ、やめろ死ぬぞ!」
レッドの言葉を無視し、タイミングを合わせて塔のあちこちから突き出している枝に向けて飛び降りる。
瞬時に風でスピードを落とし、ふわりと難なく着地する。
「バッキャロー! 心臓止まるかと思ったじゃねえか!」
上からレッドの怒鳴り声がする。それに手をひらひらと振って答えてから、リドはまた枝を蹴る。目的の場所まで飛び降りる。
「ルイ!」
身体を丸めるようにして倒れている流衣の側に歩み寄る。しかし数歩も近づかない所で、流衣の顔の真横に血溜まりがあるのに気付いて顔色を変える。
「おい、どうした!」
よく見れば、口の端に血が伝っているし、青白い顔は苦しげに歪められている。そして、ぴくりとも動かない。
「なんだ、お前は!」
その時、後ろから聞こえた声に、リドは静かに振り返る。
黒いローブの男が、赤毛の少女を小脇に抱えて立っていた。少女はざっと見、怪我はないようだが、力無く手足をぶら下げている様から気を失っているようだ。赤毛なのといい、恐らくこの少女が杖連盟が大事にしているお姫さんで、グレッセンの娘の“アルモニカ”なのだろう。
「…………てめえか?」
リドは恐ろしい程静かに男に問う。
「は? なんだ、お前。そのクソガキの仲間か?」
男は鼻で笑う。
「それなら残念だ。もう生きちゃいねえよ」
リドは両手をきつく握りしめる。怒りでざわざわと血が騒ぐ。
「――てめえが、やったんだな?」
正面から男を睨みつける琥珀色の目は怒りで燃えていた。
森で流衣に会った時のこと、盗賊から助けられたこと、これまでの旅路。そして、よろしくと差しだされた右手。共に過ごした記憶が脳裏をかすめ、糞喰らえだと眉を寄せる。
それではまるで、あいつが死んだみたいじゃないか。
リドの激怒に呼応して、周囲で風がヒュウヒュウと音を立て始める。
「そいつを放せ」
「何故俺がお前の言うことを聞かねばならない」
「――――そうか」
短く呟いて、リドは右手を男に向けた。風の刃が男に襲いかかる。
それはあまりにも一瞬のことで。男は何が起きたのか分からないというように目を瞬いて、それから腕に抱えていた重みがないことに気付く。そして足元を見て、アルモニカとともに己の右腕が転がっていることを知るや、痛みで叫ぶ。
「ぐあああああ!」
左手を切断された部位に当て、ぼたぼたと落ちていく自分の血を止めようと躍起になる。
リドはそれを冷めた目で見、まるで最初から男などいなかったかのように視界から外す。
腹の底が熱く、これが本物の怒りだと理解するが、今は男の戯言になど付き合っている暇はないのだ。
身じろぎ一つしない流衣の側に膝を着くと、流衣の口元に耳を近づける。
弱々しいが、息をしている。
リドは一気に虚脱を覚えた。怒りとも絶望ともつかない妙な感情がごちゃごちゃしていたのが、あっさり霧散する。
「う……っ。え? ひっ、いやあああ!」
枝の上に落ちた衝撃で意識を取り戻したアルモニカは、傍らに転がっている人間の腕を見て悲鳴を上げて跳ね起きて後ずさった。恐怖で顔を青くして、ガタガタと震えだす。
「なに、何で。これ何っ」
半狂乱で呟いていたが、視界の端に流衣を認めて、あっと声を上げる。
「ルイ!」
そして流衣の名を呼ぶと、腰が抜けたせいで上手く立てなかったので、四つん這いになって無理矢理近づいた。
アルモニカは流衣の状態を見るなり、目に涙を浮かべる。
「嘘じゃろ。まさか……まさか……っ」
「まだ息はある。死んでも助けるぞ」
「う、うむっ」
アルモニカにはそう言ったものの、外傷らしい外傷は、腫れた頬や腹部の打ち身と黒いアザといったところか。吐血するような目立った外傷はない。
が、ふいにリドの眉間に深い皺が刻まれた。
「おい、ここは動かすな。骨が折れてる。あと、これは何だ?」
アルモニカに指示を出してから、左手の甲にある赤く爛れた紋様を指す。
「わ、分からぬ……」
ふるふると首を振るアルモニカ。流衣の惨状を見て、ぼろぼろと涙を零しているが泣きわめく真似はしなかった。
「ハハハハハ! 無駄だ。その呪いは誰にも解けない! 死の呪いだからな!」
腕を切り落とされたせいか、男は狂ったように叫んだ。耳障りな笑い声を上げている。
「――うるせえ」
うっとおしい奴だ。眉をひそめ、リドは左腕を軽く振る。
すると風が起き、男は吹き飛ばされ、塔の外壁に叩きつけられた。そして張り出している枝にずるりと倒れ込む。自力で止血はしているようだし、気絶させても死にはしないだろう。
……多分。
心の中で付け加えておく。
「静かになったな」
「……う、うむ」
リドがぼそりと呟くと、アルモニカは顔を引きつらせて頷いた。リドの怒りの片鱗が読み取れるのか、特に口出しはしない。
「で、死の呪いって何だ」
「焼き印の呪いとも言われておる、闇魔法の一種じゃ。外法に分類されている最低最悪の魔法じゃな。呪いの魔法陣を焼き印で対象に刻みつけるんじゃ。対象はじわじわと苦しみながら死ぬと聞いたことがある。……じゃから、ルイは、もう……」
そこでアルモニカは我慢出来なくなったのか、嗚咽混じりに泣きだした。
「ううっく、えぐ。お父様! お母様! ヘイゼル爺さん! 誰でもいいから、助けてよぉ……っ」
「くそ、泣くなよ! 死なねーよっ、死んでたまるかっ、俺の親友だぞ!」
アルモニカにつられて、目元が熱くなってくる。リドはグイと袖口で目元を拭うと、どうにか出来ないかとひとまず無事な流衣の右手を掴んだ。とりあえず、意識を引き戻さなくてはいけない。手を握って名前を呼ぶだけでもだいぶ違うはずだ。
「ん、何だこれ……」
その手を広げたら、ビーズがばらりと音を立てて零れた。どれも黒い色に染まっている。思わずそれを摘まんだ瞬間、バタバタと騒々しい足音がしてディルが現れた。
「リド! うおっ、なんだこの男はっ」
計らずも壁際に倒れていた男を踏みかけて、ディルはぎょっと身を引く。その手にはオルクスを抱えている。そんなディルの横をすり抜けて、グレッセンがアルモニカに近づく。
「アルモニカ! 無事か、怪我は!」
グレッセンは娘の安否を確かめようと、アルモニカの両肩を掴む。
「お父様! ワシは無事じゃっ。でも、でも、ルイが……っ」
アルモニカは緑色の目に涙を浮かべ、父親に訴える。
「お願い! お父様、治癒のエキスパートじゃろ! ルイを助けてっ!」
「ああ、勿論だ。やってみよう」
グレッセンは事態の深刻さを理解すると、すぐさま流衣の傍らに座り込む。そして怪我を治癒していったが、やがて悔しそうに顔を俯かせて首を振る。
「――駄目だ。私でも、この呪いは解けない」
「いえ、大丈夫です」
ふいにオルクスが口を挟んだ。オルクスはやけにぐったりしていて、少し動くのも辛そうによたよたとディルの手の上で身を起こす。
実は、木の枝に外へ突き飛ばされた際、飛ぶ暇もなく地面まで落下してしまったのだ。それで気絶している所を、一階から塔へ入ろうとしていたディルに助けられたのだった。左の羽根が奇妙な方向に曲がっていたが、治癒する元気がなく、こうしてディルに運んで貰った。が、主人の危機を前にしてそんなことを言っている場合ではない。
ディルが気遣って、オルクスを流衣の側にそっと置く。
「大丈夫ってどういうことだよ」
リドが縋りつくような視線をオルクスに向ける。
「そのままです。呪いは解けています。恐らく、その右手の物が原因かと」
「これが?」
皆、一斉に黒く染まっているビーズを見る。
「それはフラム氏に頂いたお守りですヨ。身代わりの守りだそうです。まあ、普通はただの気休めで、呪いを身代わりするような機能はないのでしょうが、なまじ魔力の強い坊ちゃんが常に持ち歩いていた為に強い力が宿ったのだと思いマス」
魔力の強い者が身に付けているアクセサリーやお守りが強い力を持つのはよくあることだ。今回はお守りに身代わりという方向性がついていた為に、そちらの方向で力を持ったのだろう。
「だったら、何でこいつは目が覚めないんだよ!」
声を荒げるリドに、疲れの混じった声で返すオルクス。
「呪いを消すまでに至ったダメージが大きすぎるのデスヨ。目が覚めるまでは、絶対安静です!」
オルクスは精いっぱいの声でそう言うと、よたよたと流衣の傍らに身を寄せ、気力が尽きてカクリと眠りに落ちた。
その様に、全員思わず顔を見合わせる。
そして、ほーっと肩を落とした。
アルモニカなど、安堵した拍子に緊張の糸が切れ、大声で泣きだした。グレッセンはそんな娘をそっと抱きしめて宥める。その親子を、クリスが微笑ましげに笑みを浮かべて見守っていた。
「はあ、良かったな、リド。……リド?」
ディルは友の無事という喜びを分かち合おうとリドを見たが、リドは皆に背を向けて座っていた。その肩が小刻みに震えているのに気付き、ディルはぎょっとする。
「お、おい……、まさか」
「るせえ、泣いてねえ!」
やっぱり泣いてるんじゃないか。
ディルは心の中で突っ込む。とてもじゃないが茶化す空気ではなかったせいだ。
「……何でこんな良い奴が、こんな目に遭わなくちゃいけねえんだろう……。好きで来たわけでもないのに……。俺は、神様なんか大嫌いだ。あいつらは助けを求めてる奴は絶対に救っちゃくれねえんだ」
「リド……」
震えの混じった声で悔しそうに呟くリドの背中を、ディルは途方に暮れた顔で見、やがてゆっくりと目を反らして空を仰いだ。
灰色の空から雪が降ってくる。
彼もまた、神に救いを求めた一人なのだろう。
だからだろうか、異様に胸の奥にずんと響いて、いつまでも消えないで反響を残していた。
蛇足的後書き
リドは元々親しい人間には優しいので、怒らせると半端なく怖いです。冷静に怒っているだけに怖い人。そんな回でした。
流衣とオルクスは身体的に、他の皆は精神的にボロボロ……。
自分で書いててうっかり泣きそうになりました。というか涙ぐんでキーボードを叩いてましたが……。