三十六章 狂った歯車 ―side : Rosalie― Ⅱ
ロザリーの予想通り、煙に巻かれ魔物に追われた人々は城に助けを求めて門に押し寄せた。
一大事になる前に兵士達が門を開けた為、更にパニックが起こる懸念はなくなった。王が手を差し伸べた。その事実が恐怖に追われる人々の心に希望を与えたのだ。
王城への唯一の入り口である、堀に落とされた掛け橋のすぐ前にあり、そこは悪意ある者を選別するという魔法がかけられていた。民のほとんどはただの伝説の類だと信じていたが、事実その効果はあり、城に入ろうとした者のうち数名は見えない壁に弾かれた。
その人間は見つけた兵士に捕えられるか、隙を見て逃げ、あるいは兵士に危害を加えようとして逆に命を絶たれた。
民間人はその様子に恐れを抱いたが、同時に悪意ある者が入れないのなら安全だと安堵した。
――が、その騒ぎを尻目に、数人の悪意ある者は中へと入り込んだ。
選別の門の欠点を知る者達だった。何ということはない、これからの目的や悪い考えを抱かず、穏やかなことを考えれば良いだけのことだ。
だが、そういう門があると知れば、人は己の中の真実を意識せずにはいられない。後ろめたいことがあるなら余計にだ。
これから強盗をしようという者が店に入る時、自然と人目を避けてしまうようなものだ。そうすれば怪しいと勘付かれ、注意の対象になる。堂々として客の顔で入れば、誰も不審に思わない。
そういう態度の差を、門の魔法は読み取り、排除対象にするか判別するのだった。
門を通過した反乱軍の者達は、何食わぬ顔で庭へと人の流れに乗って行く。
「――アルスベル様、参りましょう」
フードを目深に被った者が、傍らの者に声をかける。
「ああ、行くとしよう」
その者は静かに口端を上げ、小さく頷く。フードからは深紅の髪が覗き、暗い深い青の目で、姪がいるだろう城の部屋へと顔を向けた。
* * *
「――待っていたよ、叔父上」
執務室で窓辺を背にし、ロザリーは空のような明るい青の目を笑みの形にした。不遜な笑み。そんな単語がよく似合う笑いだ。
「久しぶりだな、可愛い姪よ。いや、今は女王陛下であったな」
ロザリーの叔父であるアルスベルはそう言って、芝居がかった動作で緩やかにお辞儀をする。
「逆徒の臣が、戯言を」
そんなアルスベルを、ロザリーの傍らに立ったマギィは冷えきった視線で見つめる。その凍えるような目に怖気づくこともなく、アルスベルは正面から見返す。
アルスベルは中年という歳にも関わらず、若々しい見た目をしていた。鍛えられた身体はしなやかであるし、歩き方も兵士のようにキビキビとしている。そういったところはロザリーの父である前国王クロディクスと似ていたが、血を分けただけあり似ている容貌には貪欲な野心が潜んでいる。
「逆徒か、それもまた一つの側面。ただし勝った者が正義。それがこの世の理だ」
アルスベルは自論を呟き、ふっと笑みを口端に乗せる。
「それは確かだ、叔父上。ではこの場合、正義がどちらにあるかお分かり頂けると思うが?」
ロザリーもまた、負けず劣らず挑発的に微笑む。
売り言葉に買い言葉。綺麗に言い返されて、アルスベルは僅かに眉を寄せた。
それを認めてロザリーは笑い、腕を組む。
「ふふ、しかし、あなたにここまで乗り込んでくる勇気があるとは思っていなかった。そのことには謝っておこうか」
「後が無いというのに、余裕なことだな」
「そりゃあ余裕だよ、追いつめられているわけではないのだし。むしろわざわざここまで招待してあげたんだ、光栄に思ってくれるとありがたいな」
まるでどこかの悪者みたいに、ロザリーは胡散臭い笑みを浮かべた。
目の前で繰り広げられる狼と狐の戦いを、マギィは内心で呆れつつ見守る。ロザリーは笑っているが、本当はぶち切れているのにマギィは気付いていた。
「王城内は魔法使用が禁止される結界が張られている。ならば私の元を一直線に目指してやってくるのは予想がついていた。まあ、まさか首謀者が先頭に立つとは思ってもいなかったが。彼が来るかと思ってたよ。やれやれ、彼もあなたみたいな父親をもって不憫だね」
ロザリーは大仰に溜息をつく。
アルスベルの一人息子、ラズエルはそれは敏い青年だ。そして同時に情に厚い。父が反旗を翻したのであれば、その父の為になら望まずとも手を貸すだろう。いや、むしろこの場合、父の言葉に逆らえないという方が正しいのか。
ロザリーは手にしていた長剣を鞘からすらりと抜き放つ。横ではマギィも護身用の中剣を抜く。
その動作を受け、アルスベルも手にしていた抜き身の長剣を構える。その後ろでは、二人の魔法使いがロザリー達の様子をじっと伺っている。
「異を唱えるならば、自身が体現せねば誰もついてこない。基本中の基本だ、ロザリー」
アルスベルは床を蹴る。
「死ね、女王!」
反乱のリーダー自ら剣でもって国王に襲いかかった瞬間、黒い影がアルスベルの前に立ちふさがった。
刃がぶつかる硬質な音が執務室に響いた。
「遅いぞ、カルティエ!」
アルスベルの剣を受け止めたのは、黒いシルクハットとタキシードを着込んだ老人の黒いステッキだった。
その老人――カルティエ・ブラックナーの背中に、ロザリーは盛大に文句を投げつけた。短めに切られた黒髪、褐色の肌、琥珀色の瞳。そして身のこなしの優雅な男前の老人である。
「ほうむ。これでも急いで駆け付けたのです、少しは考慮して貰いたいものですな。跳ねっ返りの女王陛下」
カルティエは右手に持ったステッキを勢いよく払い、剣ごと弾き飛ばす。そして少しずれたシルクハットを左手で直しながら、僅かに後ろを振り向いて返す。まごうことなき嫌味である。
「跳ねっ返りは余計だ!」
裏の手駒――もとい、隠し玉である黒竜の老人に対し、ロザリーは憤然と返す。人より何百年も長生きしている竜なので、一国の女王だろうとその辺の小娘と同じ扱いだ。いや、むしろロザリーが子供の頃からの付き合いなので、余計に子供扱いしてしまうのかもしれない。
カルティエは魔王の右腕とも称される黒竜でありながら、人間派だ。そして黒竜の中でも強さは五本指に入るらしく、敵の立ち位置とはいえ同胞からも尊敬されている。実力社会の竜ならでは、といったところか。
カルティエはロザリーの反論をさらりと笑ってかわし、床に転がしたアルスベルを見やる。
「――さて、エダ公爵殿。少々おいたが過ぎましたな。そもそもこの部屋で女王を抹殺など無意味」
そう言ってカルティエがカツンとステッキで床を叩いた瞬間、執務室の四隅が青く輝き、侵入者の足元に青い光を放つ円形の陣が現れた。
「何、ここでは魔法は使えぬはず!」
すでに立ち上がっていたアルスベルは、信じられなさそうに声を漏らす。
陣からはしゅるりと光で出来た蔓が伸び、侵入者を拘束する。
「本来は、王に危険が近づいた時にのみ発動する仕掛けですがね、私が起動させました」
カルティエは人の悪い笑みを浮かべる。
「それから、他に潜り込んでる方々については、近衛騎士団が討伐しているでしょうから、安心めされると宜しい」
一瞬にして身動きを封じられたアルスベルは、光の縄の拘束を受けたまま、唇を歪ませる。
「く、はははは。まだだ、まだだ! さあ君の出番だ! 約束を果たせ!」
アルスベルは心底おかしそうに笑いだし、自分の左後ろにいる男へ叫ぶ。望みを叶える、そんな狂気に蝕まれた目を血走らせて。
漆黒の衣服に身を包んだその男は、無言で頷いた。
――ガシャン!
その瞬間、光の縄はガラスを叩き割ったような音とともに弾け飛んだ。
光の円陣が浮かんでいた場所が、黒に塗りかえられる。黒い靄がふわりと三人の侵入者の周りを漂った。
「!」
カルティエは驚愕に琥珀色の目を見開く。
常に飄々としているカルティエのここまで驚いた顔を見るのは、ロザリーにとって初めてのことだった。
「これは闇属性の魔法か? おかしいぞ、結界内だ。あの仕掛け以外に動くわけが……っ」
先程のアルスベルではないが、ロザリーは魔法が使用出来ていることに驚いた。
黒いフードの下で、男の口がニィと弧を描く。
「お前のその力……、俺が喰らってやろう」
宣言すると同時に動く男。カルティエはぎょっと目を見張り、男が右手にした黒い剣を見つめた。
副題に「side:Rosalie」と付け足し直しました。
そのまんま、サイド:ロザリーです。
side:rid と、リドサイドのことも書くか迷いつつ、あっちは本編に入るのでまあいっかとやめておきます。
ロザリーサイドとわざわざつけている部分は、本編に関係あるけど、主人公には関係してない時間軸という意味合いです。どっちにしろ、読んでいないとつながってこないので、良ければ読んで頂けるとありがたいです。
ふう。伏線を張り過ぎて、拾いあげるのが大変です。
第一部九章2に登場した、ダンディーな見た目英国紳士のカルティエ老人をやっと出せました。あそこに張った伏線ですが、意外に拾う所が遠くなりました。