三十四章 旅は道連れ 3
「いやあ、びっくりしましたね、スノウギガスが出現するなんて。え、ご存知ない? 降り始めの雪に紛れて生まれる魔物ですよ。雪国では結構多いそうですよ」
声が聞こえるように、口元だけマフラーを押し上げて隙間を作り、ゼノはのんびりとした口調で言った。にこにこという擬音が聞こえてきそうな程、楽しそうな声である。
どうあってもマフラーを外すという選択肢はないらしい。流衣は唖然とゼノを見上げている。
気をのまれていた流衣であるが、二人がいることに疑問を覚える。昨日の話だと、王都には行かないのだと思っていた。もし王都に行くのなら、知人に会ったら声をかけてくれと頼むわけがない。
そう問うと、あっさり答えが帰って来た。
「へえ、じゃあ二人はこのまま王都に行かれるんですか」
「はい。本当はあの村の周辺を探そうと思ったんですが、ちょっと事情が変わりまして」
「大変そうですね」
忙しそうな人達だ。流衣は若干小首を傾げつつ、そう返す。
「ちょっと、ルイ」
「ん?」
横からアルモニカにちょいちょいと腕の部分の服を引っ張られ、流衣は振り返る。何だろうと思ったら、ゼノ達から少し離れた道の端まで引っ張っていかれる。
「お主、何を普通に会話しておるんじゃ。胡散臭すぎじゃろう、こ奴ら」
ひそひそと注意を促すアルモニカ。
「そうかなあ。良い人達だと思うけど」
一方、流衣は呑気に答える。確かに怪しいが――特にゼノは――流衣の警戒センサーにも引っかからないし、悪い人達には思えない。
「それにほら、さっき助けてくれたし」
「そうやって手を貸して、後から攻撃してくる罠じゃったらどうする! 一昨日のことを忘れたのか! あ奴らの仲間がその辺をうろついておるやもしれんのだぞ」
「でも、王都より離れてるし……」
「闇属性の魔法を扱うような奴らじゃ、どこに潜んでおっても不思議はあるまいっ」
小さな声で、けれど力説するアルモニカ。
(確かに、どこに潜んでてもおかしくないと思うけど……)
ちらりとゼノを見る。
「あの人、神官だよ?」
「神官が行商の真似事をしている時点で怪しさ大爆発じゃっ」
そんなものなのか。流衣は首を傾げる。
「あのう」
「ぎゃあ!」
突然声をかけられ、アルモニカは飛び上がった。
話を聞かれたかとドキドキしながら振り返る。が、だいぶ離れた位置から声をかけられたようで、その心配はなさそうだ。
「何じゃ!」
威勢よく返すアルモニカ。毛を逆立てる猫みたいだ。
「いえね、折角目的地が一緒なんですから、同行したいなあと思いまして。ほら、旅は道連れと申しますし、旅は人数が多い方が安全ですから」
確かにゼノの言うことは一理ある。
魔物の多発するこの世界、特に最近では魔物の行動が活発化している為、旅人は団体で行動していることが多い。流衣みたいに同伴者が武術に秀でているのならともかく、そうでない人達は隊商の列や旅の一座にくっついていくこともある。
「む……っ、ぐむむむ」
眉間に皺を刻み、悩みまくってアルモニカは唸りだす。
「?」
不思議そうに首を傾げるゼノ。
何かを察したオニキスの方が溜息をついた。
「ゼノ、あんたの見た目が胡散臭いから、あの子がすっげえ警戒するんだって。無理なら無理で断ってくれたらいいんだ。ただ、子供だけで旅っていうのは危ないだろうっていうこいつのお節介ってだけ」
端的に語るオニキス。アルモニカはオニキスをじっと見つめて考え込んでいたが、やがて頷いた。
「そっちは怪しいが、お主は信用出来そうじゃ。疑って悪かったの。一緒に同行して宜しいか?」
「ああ」
オニキスはこくりと頷き、話が済んだとばかりに街道を歩きだす。
流衣は内心ほっとして、アルモニカとともにその背を追う。
アルモニカは警戒しすぎな気がしたが、もしかして警戒心が足りないのは自分の方だろうか。
前にリドに注意不足だと怒られたことを思い出し、流衣は肝に銘じておくのだった。
ゼノとオニキスと半日も行動していたら、彼らといるととても安全だと嫌でも気付いた。
何せ、近寄って来る魔物のほとんどを二人が撃退してしまうので。
ゼノは水属性の魔法を、オニキスは主にサーベルで戦い、その手並みは鮮やかで無駄がない。旅慣れている感が漂っている。
そうしているうちに昼になり、食事を摂る為、街道脇で焚火を起こして暖をとりながら休憩することになった。
「はい、アル」
「……なんじゃ、これ」
「何って、サンドイッチ」
流衣が手渡した、ハムと野菜を挟んだ丸パンを、アルモニカはきょとんと見下ろす。
「ほう、サンドイッチというのか……。って違うわ! いつの間に買ったんじゃ?」
「買ったんじゃなくて、僕が作ったんだよ。朝、厨房を貸して貰って」
ちゃんと材料代も払っているから安心してよ。
呑気に付け足すと、「……もういい」アルモニカは頭が痛そうに首を振る。
「あ、まだあるのでお二人もどうぞ」
「ありがとうございます。おいしそうですね」
「どうも」
ゼノとオニキスにも差しだすと、二人は礼を言って受け取った。
「オルクスも野菜食べる?」
『ええ。ありがとうございます』
オルクスは足元に降り立ち、流衣から菜っ葉を貰ってついばみ始める。
その様子を見ながら食べていると、リドやディルのことを思い出した。嫌なことに気付いて溜息をつく。
「あーあ、どうしよ。またリドに怒られるのかな。何にも言わないで王都の外に来ちゃったし……。ねえオルクスどう思う?」
『あんなクソガキのことなど気にしなくてもいいかと思います。それに今回のことは不可抗力というものです』
オルクスはツンと澄まして断言する。いつものことながら、リドに対しては厳しい。
「そうなんだけどねえ。……ん、ちょっと待て、よ」
流衣はそこで初めて夜会のことを思い出した。
「今日の夜じゃないか! やばい、間に合わない。どうしよう!」
突然慌てだした流衣を、アルモニカは怪訝な目で見てくる。
「食事くらい静かに食えぬのか。騒々しいぞ」
「うう……、そうは言ったってアル。結構切実で……」
額に手を当てて撃沈する。
すっぽかしたりしたら、反逆罪で捕まってもおかしくないとディルが言っていた。あわわわ、どうしよう。
「今日でないと何かまずいのか?」
オニキスの問いに、ぶんぶんと頷く。
「実はそのう、女王様から直々に夜会の招待を貰っていて……。それが今日の夜なんです」
「ああ、夜会か。そういえば忘れておったな。お主も出る予定じゃったのか。それならワシが後で詫びておいてやろう」
「へ!?」
流衣はがばっと顔を上げ、隣のアルモニカを凝視する。
「ワシは後継ぎだと言ったじゃろ。夜会に出るのは義務なんじゃ」
そう言えばアルモニカは祭りが終わってから魔法学校に帰ると言っていた。夜会に出てから帰るということだったのか。
「お二人とも、どこかの貴族の方なんですか?」
ゼノの問いに、二人は首を振る。
「僕は平民ですよ。ここの国の人間でもないし……。アルは……」
「ワシはグレッセン家の者じゃ。そういえば名乗り忘れておったの。アルモニカ・グレッセンじゃ」
「風の神殿の……。王都にいたという話ではありませんでした?」
ゼノは首を傾げて問うてくる。
「王都の知人の元におっての。後は話した通りじゃて。こ奴は偶然巻き込まれたんじゃ」
ちょいっと流衣を示すアルモニカ。隣で流衣は苦笑する。
「それにしても、平民なのに女王様に招待を貰うか。ますます変な奴じゃのう」
「色々あって。話すとキリないからやめておくよ」
本当に色々あったなあ。流衣は肩を竦め、今までの旅を思い返す。色々とトラブルに巻き込まれたけれど、出会った人達は良い人達ばかりで、悪い思い出には思えない。むしろ良い思い出として処理されている。
「恐らく反逆罪になることを心配しておるのだろうが、今回のことはワシから取り成しておいてやろう。巻き込まれたのじゃからな」
「ありがとう、アル。よろしくお願いします」
命の危機なので、しっかり頼んでおく。かなり切実な問題だ。
とりあえずではあったが心配は解消されたので、流衣は食事を再開した。そうしてサンドイッチに齧りついた時、森の奥の暗がりから黒いマントの人間が姿を現した。
「――やっと見つけた」
黒いマントの男は、独り言のように言った。
「思ったより近くて助かった。影を渡るのは疲れるんだ」
気のせいか、どこかで聞いた声のような気もする。
どちらにせよ、危ない匂いがプンプンしている。
男はゆっくりと近づいてきた。その男の隣には、大きな黒いトカゲが静かに鎮座している。
「……まさか追ってきおったのか?」
あり得ない。アルモニカが信じ難そうに、小さな声で呟く。
「どこに逃げようと、俺のトカゲの鼻からは逃げられない。なあ、ヘイゼル・スペリエンタの弟子。あの時は油断したが、もう逃げ場は無いものと思え」
フードの下で、目が暗く光った。
声とともに、トカゲが地を駆けてくる。
オルクスがパッと宙に羽ばたき、魔法で光の壁を出す。トカゲはそれに正面からぶつかり、跳ね飛ばされた。
「また邪魔をするか、少年」
ぎろり。男に睨まれ、流衣は凍りつく。憎悪を含む視線に、身体が委縮する。
「お知り合いですか?」
すっと杖を持ち立ち上がるゼノ。流衣はその動きにつられ、自身も立つ。
「会いたくなかったけど……知り合いといえば知り合いです」
そう答え、杖を両手で握りしめる。
その横で、アルモニカがキッと眦を吊り上げて立ち、男を真正面から睨みつける。
「ワシは知らんと言っておるじゃろう! 爺に用があるのなら、爺に問えば良い!」
「それがなあ、仲間が馬鹿やって、あの爺さん、口が利けない状態になってしまったんだ。他の〈塔〉の人間も皆吐かないし、それなら弟子しかいないだろう?」
「え……?」
アルモニカの虚ろな声が場に落ちる。
「なに、今、何と言った。お主、今何をっ」
「爺さんが口が利けないってことか? それとも、〈塔〉の人間はってところか?」
「まさか、〈塔〉を襲ったのか? 否、そんなことは不可能じゃ。門は悪意ある者を選別する。邪な考えを持つ者は、まず敷地内には入れまい」
「門を壊せばいいだけのこと。選別の術の欠点など、我らも知っている。――お前の問いなどどうでもいい。今一度問う、〈杖の宝〉はどこにある?」
噛み砕くように、ゆっくりと質問する男。
アルモニカは愕然と目を見開いて地面を見つめていたが、やがてゆるりと面を上げた。
「もう一度返そう。ワシは知らぬ。知らぬ物を答えることは不可能」
男は面倒そうに溜息をつく。
「――あい分かった。ならば、我が家でゆっくり訊くとしよう」
男の声とともに、黒トカゲは音もなく姿を崩し、黒い影の水溜りのようになる。それが地を疾走し、アルモニカの方へ再度突撃してくる。
オルクスが再び光の壁を張ったが、影は突然宙へと飛び、空でトカゲの形を形成しなおした。
「なっ」
唖然とそれを見るアルモニカ。トカゲは口を開き、そのまま落下してくる。
「アル!」
流衣は思わずアルモニカの腕を掴んでいた。そのまま引っ張り寄せようとしたが、助けるどころかむしろ巻き添えをくらう。
「うわっ」
そして、流衣達は黒トカゲに呑み込まれた。
黒トカゲは地面にぶつかるとまた水溜りのようになった。とぷんと音を立てて、影になって揺れる。やがて何事もなかったかのように、男の元へと戻っていった。
「お前、影飼いだな。ネルソフ……ってとこか」
男は興味もなさそうに、ちらりとオニキスを見た。
「……あの二人の仲間か?」
「いいや、偶然同伴していただけだ」
「ならば余計な首を突っ込むな」
吐き捨てるように、短く返す男。
「悪いがそうもいかない。彼らの本当の事情は知らないが、俺らにも事情がある。――仲間をさらっていっただろう?」
「……何を言っている」
男は怪訝そうに眉を寄せる。
「リンキスタ・オーグ・エスニルカ」
ゼノが静かに名を述べる。
すると、男の目が僅かに見開かれた。
「ご存知のようですね」
「リンクはどこだ? お前達のアジトか?」
「残念だが、その問いには答えられない。俺には権限がないのでな」
男はにやりと口の端を引き上げる。
「――さらばだ。勇者とその仲間」
そして、その言葉を残し、男は影へと姿を消す。
「ちっ、逃がしたか」
オニキス――本当の名は川瀬達也は、小さく舌打ちした。
「リンク、どこに連れてかれたんだろうな。早く助けてやらねえと……」
「ええ、巫女は瘴気に弱い体質な上、温室育ちで耐性がありませんから。ネルソフのアジトなど、体力が持ちますまい」
ゼノの表情に陰が差す。
「しかもあの二人まで。風の神殿長の娘とその友達ってとこか? 何で狙われてるんだろうな」
「反乱が起きるというきな臭い噂もありますし、お嬢さんの方なら狙われる理由も分かりますが」
「ああ、そっか。ここの王国の王族の分家だっけ。親戚を盾に取るってことか、汚い手だな」
「それにしては、〈杖の宝〉という単語が気になりますけれどね。さて、どうしましょうか、タツヤ様? 折角偽名まで使って情報収集をしてましたのに、これで探していることがばれましたよ」
達也は無言で考え込む。
「ゴト=ハウゼン村の人達の噂だと、この辺が怪しいんだがな……。影飼いの奴らの逃走方法だと追跡出来ないのが厄介だ」
忌々しいことである。
そして苛立っていたら、ふいに乾いた羽の音が頭上から聞こえた。顔を上げると、いつしか会った〈悪魔の瞳〉のカラス族の少年が木の枝に座っていた。
「――どうやらお困りみたいだね、勇者。手を貸してあげようか?」
金色の目を笑みの形にして、少年――サイモンはうっそりと笑った。
〈悪魔の瞳〉のサイモン君、久しぶりに登場です。
悪役が二ついるから、絡めて書くのがややこしいですぜ;