三十四章 旅は道連れ 1
その日の昼過ぎ、さんざん森の中の道なき道を歩き、ようやく一番近い集落に辿り着いた。
集落の名前は、ゴト=ハウゼン村というらしい。入口の看板にそう書かれていた。地図を見る限り、王都から大体三日歩く程の距離に位置する村だ。森の中にぽっかり空いた空閑地に、屋根は干し草で壁は煉瓦造りという家がぽつぽつと建っていて、その間には畑や牛小屋が見えた。
「ふう、良かったね、雪が降る前に辿り着いて……」
「そうじゃな」
この辺りは王都に比べて寒冷なようで、流衣達がゴト=ハウゼン村に一軒しかない食堂兼宿屋〈コトコト亭〉に入ってしばらくして雪が降り始めた。食堂の窓際の席につき、窓からその様子を眺めながら流衣が言った言葉に、アルモニカは頷いた。随分旅慣れてきた流衣と違い、外を歩くことに慣れていないアルモニカには厳しい道程だったようで、返事をするのも億劫とばかりにくたびれ果てている。
『坊ちゃん、アルモニカ嬢の疲れ具合は相当です。昨日の転移も負荷がかかっているのでしょう、どうです、今日の所はこの宿に泊まられては』
「うん、そうした方が良いと思う。食糧とか揃えなきゃいけないし、雪が降るなんて思わなかったから、防寒着も揃えないと。あと毛布と……」
流衣は指折り数えて必要な物を挙げていく。今までの荷物を思い出してみるけれど、最低限の物しか思いつかない。
「いらっしゃい、随分小さなお客さんだねえ。ここへは旅行で来たのかね?」
白髪混じりの灰色の髪をした初老の男が、温かい茶の入ったカップを並べながら声をかけてきた。〈コトコト亭〉の店主だ。他には二十代程の男女が一組働いているのが見える。息子夫婦とその父親、といったところか。
「いえ、それがですね……」
流衣は困った顔で、事前に話しあっていた通り、魔法の実験事故で転移してしまったという話をした。ここへはたまたま辿り着いたことにしておいた。妙な奴らから逃げてきたなどと正直に話しては、不気味がられて宿泊や入店を拒否される場合もあるとオルクスが注意してきたのだ。
「そうかい。それはまた難儀な……。疲れているだろう、宿に泊まるのならすぐに部屋を空けるよ?」
「そうして貰っていいですか。あの、二部屋でお願いします」
店主はテーブルに突っ伏しているアルモニカをちらりと見、不思議そうな顔になる。
「女の子同士だし、一部屋の方が浮くんじゃないか?」
ゴーン。流衣は頭を思い切り叩かれたような衝撃を受けた。
「……………僕、男です」
「え!?」
店主は目を丸くして声を上げ、まじまじと流衣を観察する。どうやら本気でそう思っていたみたいで、まだ疑うように眉を寄せていたが、ややあって本人が言っているのだからそうなのだろうとしどろもどろに頷く。
「え、あ、そうなのかい。それはすまないことを言った……。部屋なら他にもまだ空いているから、二部屋用意しておくよ」
「ありがとうございます」
ここでも初対面の人間には性別を間違えられるのかと落ち込んだものの、流衣はしっかりとお礼を口にして、ウィングクロスの窓口の有無や、雑貨屋や食糧を売っていそうな所も尋ねる。幸いにしてウィングクロスの窓口はこの宿屋の受付が兼ねているらしいが、雑貨屋などはないらしかった。
「あいにくと、うちは小さな村だからそういうのはないんだよ。食糧は自給自足か王都から仕入れてくるものでな」
「あら、父さん。それならちょうど行商の方がお出でになってるわよ」
「ハルモニ、それは本当か」
店主の会話を聞きつけて、二十代の女性が口を挟んだ。赤茶色の癖毛が可愛らしい、笑うと笑窪が浮かぶ、陽気な女性だ。店主と同じく緑色の目をしていることと会話といい、どうやら息子夫婦ではなく娘夫婦だったみたいだと気付く。
「そうなの。それがとっても変わった人で……。真黒いサングラスをかけてて、耳がヒレで、背の高い男の人なのよ! 神官様みたいだけど、旅の資金稼ぎに行商をしているのですって。後でうちに泊まるから宜しくお願いしますって言ってたわ」
「ハルモニ、お客さんのことを茶化すなよ。魚類系の亜人というだけだろ」
調理場らしき部屋の向こうから、暖簾を手で押し上げ、二十代の男性が顔を出して言った。青色がかった黒髪と目をした、行動力のありそうな雰囲気の人だ。黒い前掛けをしているので、恐らく料理人なのだろう。
「でもあなた、ほんっとうに怪しい見た目をしてたんだから!」
一生懸命言い募る女性。
店主はそんな女性に呆れた顔をしたものの、問いかける。
「それでハルモニや、行商の神官様はどちらへ?」
「えーと、シギさんとこの赤ちゃんが熱が出てるって話で、シギさん家のお爺さんに連れてかれたわ。お薬を調合出来る方みたいなの」
店主親子の会話を聞きながら、医者みたいなのに行商をしている神官ってどういう人なんだろうと不思議に思った。
まあどちらにせよ、ここにいればその人も来るみたいだし、訪ねていく手間が省けてちょうどいい。
「アル、ひとまず腹ごなししようよ。で、食べたら部屋に入って休んでて」
「お主はどうするのじゃ?」
「その行商人さんに会ってくるよ」
ちょうど財布にはそこそこお金は入っているし、もし足りなければ宿の受付でウィングクロスの銀行に預けているお金を引き出して貰えばいい。使う都度稼いでおいて良かった。
「オルクスは……」
『わては勿論お伴いたします!』
「あ、うん。分かった。ありがとう」
アルモニカについて貰おうか相談しようと思ったが、それより先に言い切られたので、まあ良しとしておこう。こんな長閑な村だ。王都みたいに危なくなることはないと思う。多分。
* * *
「……あなたが行商人さん? ですか?」
一時間近く経ってようやく食堂に現れた青年は、店主の娘さんの言う通り怪しかった。
藍色を基調とした神官服――紋章入りの帽子とマントみたいな形をしてる服だ――を着ていて、黒いサングラスをしている。髪の色はくすんだ金色とかろうじて分かる。というのも、寒がりなのか顔の大半をマフラーでぐるぐると覆っているせいだ。よく見れば毛糸の手袋をしているし、ブーツも毛皮を使ったごてごてした黒いブーツで、雪が降っているとはいえやりすぎ感が漂っている。
世間一般でいう所の「あの人、ちょっと怪しいよね」レベルの人に申し訳ないと思えるほど、完全に胡散臭かった。
「フグ、ホゴホゴ」
「………」
どうしよう。口元を覆っているマフラーが分厚すぎて、何を言ってるのかさっぱり聞き取れない。
「だから言っただろ。その格好だと怪しすぎるって。それから、言ってること全然伝わってないぞ。とりあえず室内なんだからマフラー外せよ」
青年の後ろにいたらしい、青年の連れらしき少年が、世話が焼けるという様子で言った。
「フグフググ」
「別に謝らなくていい」
何か応答した青年に対し、少年は言う。
すごい。この人、何を言っているか分かるらしい。
恐らく十七か十八歳くらいだろうか。少年は神官ではないらしく、黒と白、ところどころにダークレッドをあしらった旅人向けの服で纏めていた。ダークレッドの革製の鎧以外は防御服らしきものは見当たらず、鎧の上に黒いフード付きのマントをつけていたがフードは被っていない。白いマフラーと、毛皮をあしらった耳当てをしており、手には皮製の手袋を付けてというように防寒対策はしてあるが青年程派手ではない。ズボンは黒く、靴は赤茶の革製ブーツだ。全体的に見ると黒髪黒目というのも手伝って黒の比率が高い。
背は高いが華奢という印象はなく、スポーツマンといったしっかりした体躯をしている。
かと言って爽やかかというとそうではなく、どちらかと言えば物憂げな――悪く言えば面倒臭そうな雰囲気をしていた。
「あはは、これは申し訳ありません。私、行商をしながら巡礼の旅をしておりますゼノと申します。小さな旅の方、宜しければお名前をお聞かせ願えませんか?」
マフラーを外した青年――ゼノは気さくな口調ながら馬鹿丁寧にそう言った。そうして見ると肌は青白く、ひ弱そうに見えた。……流衣が言える義理ではないが。娘さんの話通り、耳は青みがかった銀色の魚のヒレの形をしている。
「あっ、はいっ。僕は流衣っていいます。で、こっちは友達のオルクス」
『どうも』
いつものように肩に乗っているオルクスも紹介する。オルクスは羽を広げてお辞儀する仕草をした。挨拶する時はいつもこの仕草だ。オルクスなりの礼義作法なんだろう。
「あのう、宿の店主さんから行商人と聞いて、良かったら品物を見せて頂きたいんですが……」
「ええ、勿論構いませんよ。ただ、ここに広げるわけにはいきませんので、宿の部屋まで来て頂いても宜しいですか?」
確かに、食堂の場所を取るわけにはいかない。かと言って、寒がりな亜人には外での作業は苦痛だろうし、それが最善なのだと思う。
流衣が了承すると、二人は宿の受付を済まし、ついて来るように言って階段を上っていく。
ちょうど流衣の部屋の、一つ間を空けて左隣にある部屋だった。音を聞きつけてか、アルモニカが一番右端の部屋から顔を出す。
「ルイ、どうじゃった、行商人の方は」
「今から品物を見せて貰うんだ。アルは大丈夫? 飲み物いるなら貰ってくるよ?」
「平気じゃ。神官殿、ワシもお邪魔してよいだろうか?」
単純に行商に興味を覚えただけらしい。
「ええ、どうぞどうぞ。お客様が増えるのは嬉しいことです」
アルモニカの問いに、ゼノは口元をにっこりと笑みの形にした。
床に敷いた布の上に、ゼノは品物をぽいぽいと並べていった。
「すごい。どこにそんなにしまってたんです?」
荷物の許容量を軽く超えている量に、流衣は思わず尋ねていた。
「ふん、お主は相変わらずとぼけておるの。そこを見ろ、魔法陣が書かれておろう。転移魔法の一種で、離れた所にある物を呼び出す術じゃ」
「そんなのあるの?」
鼻で笑って簡単に説明するアルモニカに、流衣は目を瞬いて問う。その反応にはアルモニカが面くらった顔になる。
「物質転移くらい出来るのじゃろ? そのオウム、使い魔だと言っておったではないか。この魔法、転移魔法ではあるが召喚魔法に近い、使い魔召喚以前の基礎魔法じゃぞ」
「……えーと」
流衣は目を泳がせた。オルクスの方を助けを求めて見る。
『人から譲り受けたと言っておけば宜しいですよ』
「オルクスはそのう、人から譲られた使い魔で、僕が呼んだわけじゃないから」
「ふうむ、そうか。では簡単に説明してやろう。
物質転移というのはの、自分の家などにテリトリーを設定し、そこに記した魔法陣が囲む位置に置かれた物を選択して呼びだすことが出来るのじゃ。逆もまた然り、離れた所からそこへ送り込むことも出来る。が、使用者によって目印となるマークを付ける必要がある。ほれ、そこの魔法陣の右下を見よ、サインが書かれておるじゃろ」
「あ、ほんとだ」
名前のサインとともに魚の絵が描かれている。
「個別識別コード、というわけじゃの。ちなみにウィングクロスの銀行システムの鍵にはこの法則を応用し……」
何やら難しいことを、ああだこうだと話し始めるアルモニカ。延々と繰り出される説明に、始めは真面目に聞いていた流衣だがややあって慌てて止めに入る。
「わあ、アルモニカ。十分よく分かったから。ほら、ゼノさん困ってるし、落ち着いて」
アルモニカは頬を膨らませた。
「む。ここからが面白いというに」
アルモニカの口上にぽかんとしていたゼノであるが、呆れ混じりの感心をする。
「いやあ、驚きました。その年齢で個別識別コードの理論まで理解しているなんて」
「当たり前じゃ、ワシは天才じゃからな」
一切の照れもなく、アルモニカはすっぱり言いきった。
隣で流衣は軽く頭痛を覚える。
……すみません、この子の暴走を止められそうにないです。
アルモニカは世間知らずだけあって怖い物知らずだ。が、ふと不思議に思う。
「ん? じゃあアルって家の物を転移出来ないの?」
「実家の物なら、本棚と衣装箪笥には魔法をかけてあるな。どうした、金でも足りぬのか?」
「え、その、着替えとかってどうするのかなって思っただけ。それなら大丈夫そうだね」
「あーそういえばそうじゃの。あんまり疲れておったので思い至らなんだ」
疑問は解決したので、流衣は品物から必要そうな物を選んでいく。
「ええと、毛布と、干し肉と干し芋と、救急用品に……あと何がいるっけ」
流衣はぶつぶつと呟きながら、時折オルクスにアドバイスを貰って取捨選択していく。荷物を入れる用のリュックもあったので、それも購入した。大きな荷物自体は城の客室に置いてきたので、これがないと困る。持って出ていたのは貴重品と杖と簡易結界の魔法道具の試作品くらいだ。
荷を揃えてしまうと、代金を払い、ゼノに礼を言う。
「品物を見せて頂いてありがとうございました。本当に助かりました」
「いえいえ、私も儲けさせて頂いたので。こちらこそ、ありがとうございます。――ところで、お二人は何やら事情がおありのご様子。もし差し支えないようでしたら、話してみませんか? こんな私で良ければ、何かアドバイスくらいは出来るかもしれません」
流衣はゼノをまじまじと見た。
見た目は怪しいが、この人、根っからの善人みたいだ。
が、そう思ったのは流衣だけのようで、アルモニカはあからさまに顔をしかめた。
「言っては悪いが、お主、怪しすぎるぞ。人の無償の好意は疑ってかかれとクソ爺が言っておった」
「はは、そう思っても仕方ない。ゼノはどう見てもインチキ占い師だからな。ただ、サングラスをしているのは視力が弱いから、保護してるだけだ。旅の仲間である俺が言うのもなんだが、こいつは度のつくお人好しだから心配ない」
今まで黙って事の成り行きを見ていた少年が口を挟んだ。
感情があまり表に出ないタイプのようで、笑っても口の端が少し持ちあがる程度という些細な変化しか見当たらない。
「オニキス様……」
ゼノは情けない顔で、窓際のベッドに腰掛けている少年を見やる。
「まあ、実を言うと人様の相談に乗っている場合ではないんだ。俺らは人探しをしているんだが、リンクと名乗る、狼に乗った白いワンピースの女の子を見なかったか?」
流衣とアルモニカは顔を見合わせた。そんな動物に乗った女の子など見た覚えはない。というか、そもそも狼って乗れるものなんだろうか。
二人が首を振ると、オニキスと呼ばれた少年は少し落胆した様子を見せた。
「その女の子がどうかしたんですか?」
「ん、いや、知らないならいい」
オニキスは首を振り、話を打ち切る。
「で、あんた達の事情は?」
魔法事故云々の話をすると、オニキスは不憫そうに眉尻を下げる。
「それは災難だったな。だが村に着いて良かった。森で迷子なんて洒落にならないからな」
「はい、そうなんです。魔物には追いかけられるし、藪は多いしで散々でしたから」
蛇の魔物に出くわして、アルモニカと二人揃って悲鳴を上げてトンズラしたのを思い出し、流衣は憂鬱な気分になった。それがアマゾンの奥にいそうな長さの大きな蛇で、気持ち悪いことこの上無かったのだ。獲物を呑みこんだ後だったのか、腹に丸い膨らみがあったのが余計に。
「ま、頑張って王都まで帰ってくれ。それで、もしリンクを見つけたら、俺らが探していたとちょっと声をかけておいてくれると助かる」
「分かりました……」
流衣はそう頷いて、荷物を纏めて持って席を立ち、アルモニカと共にゼノ達の部屋を後にした。