三十二章 市街地の攻防 1
※話中、流血表現、戦闘表現、またグロテスクな表現があります。ご注意下さい。
「なんだこりゃあ……」
城下の町から火の手が上がり、黒煙が空に線を引いている。リドが唖然と見ている間にも、更に一つ、また一つと煙の数が増えていく。
客室の窓から、外の光景を唖然と見つめる。
煙が出ている場所が、ラーザイナ魔法使い連盟――通称、杖連盟の敷地であることに気づくのに、そう時間はかからなかった。
ふっと思い浮かべたのは、杖連盟の組合長と弟子と知り合いになり、その組合長の家に行くと出かけて行った友人の姿だ。
「おいおい、これは流石に冗談きついだろ」
呆然自失、というのはこのことか。
リドは小さく舌打ちし、急いで武器を身に着け、貴重品だけ持つ。そのまま部屋を飛び出した所で、ディルに出くわした。
「リド、大変だ! 杖連盟の本部が何者かに襲撃されたらしい。ルイが無事だと良いのだが」
ディルは冷静ではあったが、顔色は若干悪い。
「ああ、窓から見えた。今から向かうが、お前はどうする?」
暗に師匠の手伝いはいいのかというリドの問いに、ディルは即座に答える。
「勿論、私も行くとも。オルクスがついているとはいえ、心配だ。すまん、一分だけ待っててくれ」
ディルはそう言い残し、自分の部屋に入って行った。そして、大剣を背負い、すぐに戻って来る。その肩に、リドの肩に乗っていたノエルが飛び移る。
「ギュピ!」
行くぞと言いたげに、ノエルが強い声で鳴く。
「ああ、行こうノエル。ただし君はこっちだ」
「ブギュ!?」
魔物を連れ込んだと騒ぎになっても困るので、ディルは上着の中に小さな白い竜を突っ込んだ。潰れた声を出して抗議するノエルをさらりと流し、廊下を走りだす。
その隣をリドも走りながら、胸のざわつきを覚え、呟くように言う。
「なあディル。俺、すっげえ嫌な予感がする」
「奇遇だな。私もだ」
それぞれ緊張の面持ちで一瞬顔を見合わせ、すぐさま前を向いて更にスピードを速めた。
城下町に出ると、そこはさながら地獄絵図であった。
建国祭で集まっていた民衆は大通りを逃げ惑っている。どこに逃げればいいのか、彼らには理解できないのだろう。
混乱は混乱を呼び、誰かが躓いて転ぼうものなら、それすら気付かず踏みつけて走る。子供は大声で泣きわめき、大人の怒鳴り声、悲鳴がそこここで聞こえ、それに混じって犬がしきりに吠える声がする。
リドとディルは呆然と阿鼻叫喚の様を見、すぐに彼らが恐怖を顔に張り付かせて逃げているのは火事のせいだけではないことに気付いた。
――グルルルルゥ
黒い毛並みに、赤い目、頭が二つある犬が歯をむき出して唸り声を上げている。右の頭には、誰のともしれない腕がくわえられていた。
「魔物、だと……?」
ありえないことだった。
目の前にそれがいること自体がおかしい。
町や村には魔物が侵入出来ないように結界が張られているのだ。まず、魔物は門に近づくことすら敵わないはずだった。
理解できない現実と、理解したくない現実を前に、リドは吐き気を覚えて胸元の服を握りこむ。
「――地獄の猛犬……っ? 馬鹿な、何故そんな魔物がこんな所に……!」
「ディル、知ってるのか?」
「知ってるも何も! 冷気と暗がりを好み、血肉を喰らう凶暴な魔物で、まずこんな所には出てこない。生息地はラーザイナ・フィールド北部だぞ!?」
リドはふいに、魔物が異常行動をとっていることを思い出した。北の山に魔王が誕生してからというもの、かつてそこでは見かけなかった魔物が出没したり、それほど害にならない魔物が凶暴化しているという。そんな噂を、カザエ村で聞いていた。
リドは込み上げる吐き気をねじ伏せる為、歯を強く食いしばった。血の臭いが鼻をつく。それは意識の外に無理矢理締め出す。
「ちっ、何でそんな奴がここにいるんだか知らねえが、邪魔なのは確かだ」
スラリとダガーを二本、腰の鞘から引き抜く。
それを見たディルもまた、無言で大剣を鞘から抜く。
こちらの戦意に気付いたのか、ヘルハウンドは二人に向き直った。
ほぼ同時。リドの足が地面を蹴る。駆け抜けざまに素早く切りつける。
ヘルハウンドの首から黒い血が噴き出し、周囲に腐臭がただよった。ジュッと音がして、血の落ちた石畳の路面が焦げた。
「流石は凶悪な魔物。身の内の毒はそこらの魔物よりきついようだ」
ディルは鼻と口を手で覆い、呟く。
「火の終着点」
小さく呪文を呟き、人差指をヘルハウンドの死体に向ける。ボッと深紅の炎が立ち上り、一瞬にして炭に変えた。
「よし、行くぞ」
ディルが始末をしたのを確認し、リドは言って、身を翻した。その後に続き、ディルも白い衣装を翻し、混乱の続く王都を駆けた。
「おい、待てリド。どこに行く? そっちは杖連盟ではないぞ?」
通りを駆けだすや、そのまま手近な建物に向かっていくリドに、ディルは慌てて声をかける。
「お前、馬鹿正直にあんな通りを行くつもりか? すぐに揉みくちゃにされるのがオチだろうが」
呆れた声で返されて、少しムッとするディル。
「だが、そこは他人の家……」
「うるっせえ、非常事態だ!」
三階建ての家の扉を風の刃で切り捨て、おまけに蹴りを入れて扉を破壊するリドを見て、ディルはどうしようと頭を抱えたくなった。しかしあっさり返された返事に、気を取り直す。
「悪いね、邪魔するよ!」
「なっ、なんだ君は!」
「きゃああっ」
「あああ、申し訳ない! 本当に申し訳ない!」
悲鳴や驚いた声を上げる家の住人にディルは必死で謝りながら、何の躊躇もなく階段を駆け上っていくリドの後に続く。
リドは三階まで階段を登りきると、向かいにあった扉を蹴り破る。幸い、その部屋には誰もおらず、悲鳴を上げられるという胸に悪い自体には陥らずに済んだ。
「おし! 行ける!」
部屋の窓を開け放つと、リドは屋根を見上げ、ガッツポーズを決める。そして、ここにきてようやくリドが何がしたいか分かってきたディルは、なるほどと思うと同時に、あまりの破天荒ぶりに溜息を零す。流衣も相当変わっているが、リドもなかなか変わり者だ。いや、貴族の常識が通用しないだけで、もしかしたら平民にはこういう者が多いのかもしれない。
「ディル、ぐずぐずしてんなよ!」
「あっさり言ってくれる」
身軽に屋根に飛び移ったリドを、ディルは恨みがましげに睨む。こっちは大剣を背負っているので、そんな身軽な動きは出来ないのだ。
仕方がないので、まず大剣を屋根に押し上げ、自身はその後に屋根に上がる。
ディルが大剣を背負い直すやいなや、リドはくいっと顎で促す。
「んじゃ、行くぞ。いいか、俺の後についてこい。風で援護するから、多少のことは気にするな」
「……は? ……ああ」
何のことだかよく分からなかったが、ディルは頷いた。
まさかその後、恐怖体験を連続で味わう羽目になるとは思いもせずに。
ぜーっぜーっぜーっ。
青い顔で冷や汗を浮かべ、膝に手を当てぜいぜいと肩で息をしているディルを、リドは涼しい顔で見やる。
「だらしねえなあ、あれくらいで」
「なにがあれくらいだ! なにが! 屋根と屋根を障害物のように飛び越えるなど、正気か貴様!?」
ディルが鬼気迫った顔でリドの襟を掴んで怒鳴る。
「普通だろあれくらい」
あっさりと返すリド。
「それならば、貴様のその基準がおかしいのだ!」
「だあもう、分かったから放せ。暑苦しい奴だなっ」
リドは盛大に顔をしかめ、ディルの手を払いのける。屋根を飛び越えて渡っていくのくらい、リドには何でもないことだ。だから、ここまで怒ることの方が理解しがたい。
「通りを通るよりずっと早いだろ。そもそも、まだ途中だぜ? 〈塔〉はあそこだ」
ちょうど三分の二の距離まで来た所でディルがギブアップしたので、今は休憩中である。見知らぬ誰かの家である三階建ての屋根の上に立ち、リドはすぐそこに見えている背の高い塔を指さす。
「分かっている。分かっているがな……」
ディルは顔を引きつらせ、平民だからどうこうではなく、リド本人が変わっているのだと確信を深めた。
それから、いつまでもこうしていても仕様がないと思い、大きく息を吸って気持ちを落ち着ける。さっきまでは耳の奥で心臓がバクバクと鼓動をたてていて分からなかったが、落ち着いてみると妙なことに気付く。
「……やけに静かだな」
メインストリートの阿鼻叫喚を見てきただけに、この辺りの静けさは不気味に感じる程だ。
幸いにして死体がごろごろ転がっているわけではなかった。ただし、誰かがここで戦ったのか、家の壁が黒く煤けていたり、穴が開いていたりと無残な有様である。
「……む?」
ディルは辺りを見回して、瓦礫の隅に目を止めた。何かが動いた気がしたのだ。
「リド、あそこに誰かいるぞ。まだ生きているやもしれん」
「そりゃあいい、何があったか聞こうぜ」
リドはすぐさま頷いた。
「じゃ、降りるぞ」
「ああ。……はっ?」
反射で頷いたディル。が、意味を理解して怪訝に思った瞬間、リドに思い切り背中を突き飛ばされた。
「おわっ、ぬぁ――っ!」
「よいせっと」
屋根から落っこち、ディルは成す術もなく悲鳴を上げる。その後、リドが軽い動作で屋根から降りる。
そのまま風の精霊の力を借りて難なく地面に着地したのだが、ディルは受け身すら取れていなかったので尻餅をついた。腹立たしいことに、リドは足から着地である。
「貴様っ、落とすなら落とすで一言言ってからにしろっ!」
「落とすなんて人聞きの悪い。降りるっつったろーが」
「屁理屈を返すな! あれは“落ちる”というのだ、馬鹿者っ!」
怒ってぎゃんぎゃん騒ぎ立てるディルを、リドは物凄く面倒臭そうな顔で見る。それがますますディルの神経を逆撫でする。
「お前、面倒くせっ」
「何だと――っ!」
ディルは元々色白な肌を真っ赤にし、頭から湯気を出さんばかりに憤慨する。バッと立ち上がり、右手の人差指をビシッとすぐ横の地面に向ける。
「そこに直れ! 常識が何たるか、みっちり説いてやる!」
「落ち着けよ、突き飛ばしたのは悪かったから。ったく、怒ってる場合じゃあねえだろうが」
怒らした本人であるのに、リドはやれやれと嘆息し、ディルがさっき言っていた辺りに歩いていく。瓦礫の陰に灰色のローブが見えた。
「……うう……誰かそこにいるのか……?」
どうやら魔法使いの男のようだ。足音を聞きつけたのか、苦しげに声を漏らしてうめく。
「大丈夫か? 今、それをどけるから、頑張るのだ!」
倒れている男を目にした途端、それまでの怒りが弾け飛んだ。ディルはすぐさま男に駆け寄り、背中に乗っている瓦礫をどけてやる。
すると息が楽になったらしく、ヒュウとかすれた息が細く漏れた。男は三十代程で、あちこちに細かい裂傷を負い、土埃で薄汚れている。うつぶせに倒れたまま、身を起こすことも出来ないで呟く。
「……すまない……ありがとう……」
「構わぬ。それより、いったい何があったのだ? この町の有り様はいったい……?」
「俺も……よく分からな……い。ただ……反乱軍がどう…とかそんなことを……言っていた……」
命に関わるような怪我は見当たらなかったが、男は呼吸がしづらいのか、ゴホゴホと咳き込んだ。
「奴ら……〈塔〉を襲ってきて、それで、俺らは対抗したんだが……。あいつらはおかしい。強すぎる……。お前達は、見つからないうちに逃げろ……」
男はまた咳き込んで、かすれた声で呟く。
「……ああ……ヘイ…ゼルさん……、どうか……ご無事で………」
そこまで呟いて、男の身体から力が抜けた。
「お、おいっ!」
リドが慌てた声を上げ、男の肩を軽く揺さぶる。が、すぐに僅かに漏れる呼気に気付く。
「気を失っただけか……。ふう、焦った」
額に浮かんだ嫌な汗を袖口で拭う。
「なあリド、ヘイゼルというのは杖連盟の組合長の名ではなかったか?」
「え? あ、ああ、そういやそんな名前だったな。ルイが話してた」
リドは僅かに首を傾げ、思い出してみようと思ったがはっきりと思い出せない。
「嫌な予感は当たったな。どうやらルイは渦中にいるらしい」
「……薄々そんな気はしてたが、あいつ、トラブル吸引体質じゃないか?」
「私が思うに、薄々どころか確実だな」
「…………」
リドは黙り込み、ふいに前にリリエラという少女に占いをしてもらったことを思い出す。
「そういや、女難がどうとかって占いで言われてたよな」
「ははは、まさか……なあ」
二人して半笑いを浮かべる。
組合長の弟子が少女だと聞かされていたので、何となく、そう何となく、トラブルの原因がそこにある気がしたのだった。
容赦の無いリド。色々と可哀想なディル。
ディルがだんだん可哀想になってきたけど、「たゆたいの水路」のところからディルの役回りはこんな感じです。