三十章 狙われた宝
※この話中、流血表現を含みます。
午後過ぎにヘイゼルの家を訪ねると、アルモニカはいたがヘイゼルの姿はなかった。
「来たか。出来ているぞ」
玄関口でアルモニカはそう流衣に告げるなり、すたすたと昨日の部屋まで戻っていく。その後を追いかけると、テーブルの上に置かれた円形にカットされた金属板五枚と、錐の先を潰したような金属棒が一本あり、アルモニカはそれを示した。
「カットはしておいたが、残りの作業は自分でしろ。この板自体は柔らかいからの、呪文をその棒で彫れば出来るじゃろ」
「そうだね、ありがとう、アル」
礼を言う流衣をアルモニカはふんと鼻を鳴らして軽く笑い、自分の研究の方に没頭し始めた。
「アルはお祭りに行かないの?」
今日は建国祭の一日目だ。だからここに来るまで、賑やかな通りを通ってきたところだった。帰りに寄り道しようとオルクスと話しながら来たくらい、色んな屋台や飾り付けや賑やかな音楽で楽しそうだった。
心持ちそわそわしながら流衣が問うと、アルモニカは首を振った。
「言ったじゃろ、ワシは外出禁止なんじゃ」
若干、不機嫌そうに返される。もしかすると、アルモニカは本当は外出したいのかもしれない。
「そっかぁ」
流衣は少し残念な気持ちで呟いた。あれだけ楽しそうなのに外に出られないなんて。
母親の言い付けをしっかり守っているアルモニカ。そこまで守るのが流衣には不思議だった。流衣だったら、堂々とは無理でも、こっそりと出かけそうな気がする。
何故そこまで守るのか、理由を一度聞いてみたかったが、アルモニカがふてくされたようにぷいと本へ視線を落としてしまったので、とても聞ける雰囲気ではなかった。
あまり家庭の事情に首を突っ込むのも悪いよね、と流衣は自身に言い聞かせ、とりあえず試作品の作成に取りかかる。
道具まで用意してくれているのだ、ここで作業をしていいってことなんだろうと勝手に結論付けた。
――リンゴーン
一時間ほど作業に没頭していたら、鐘の音が部屋に響いた。
二人揃って驚いて顔を上げる。流衣は板を彫ることに集中しきっていたし、アルモニカも本の文面をじっと見下ろして思索にふけっていたのだ。
「……今日の客はお主くらいじゃがの?」
アルモニカはとても不思議そうに玄関の方に顔を向けた。
「ヘイゼルさんじゃないの?」
「お主は馬鹿か。ここはヘイゼル爺さんの家じゃぞ。普通に入って来るわ」
「……鍵を失くしたとか?」
流衣の言い分に、アルモニカは馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らす。
「どうせレッドか杖連盟の奴らじゃろ。爺が何かしたのかもしれん」
アルモニカは本を机に置き、すっと席を立つ。
――ドォォン!
それとほぼ同時、玄関から物凄い爆発音が鳴り響いた。
「なっ!?」
「ええっ!?」
『何事ですか!?』
テーブルの上でうとうとと居眠りをしていたオルクスが、ぎょっと飛び起きた。
――ドゴォン!!
そこにまた爆発音が響く。
流衣は頬に冷や汗を浮かべ、そろりとアルモニカの方を伺う。
「ええっとぉー、これは一体……? もしかしてここの魔法使いの扉を開ける流儀とか……」
「アホか! これは完全に攻撃魔法じゃ!」
アルモニカは盛大に怒鳴った。
そして慌てた様子で部屋の隅に飛んでいき、頭部に桃灰色の石のはまった短い杖を取った。
それを目にし、流衣も急いで鞄を身に着け、杖を手に取る。オルクスがさっと肩に飛び乗った。
「裏口から逃げるぞ!」
アルモニカはそう言って部屋を出た。流衣も急いで後を追う。が、部屋を出るなりアルモニカが立ち止まったので、勢い余ってぶつかった。
「いたっ! どうし……」
一体どうしたのかとアルモニカの見ている右側を見る。
「げっ!」
流衣は思い切り頬を引きつらせた。
「キシャアッ」
体長一メートル半はある真黒い大トカゲが、赤い目を光らせて紫色の下をちらつかせていた。これでは前に進めない。
「き、気色悪っ! 趣味悪すぎじゃろ」
思い切り顔をしかめ、アルモニカはぼやく。
「これでは裏口に行けぬ」
「でも表は……」
流衣が後ろを振り向いた瞬間、爆音とともに扉が内側へ弾け飛んだ。黒く焦げた扉が派手な音を立てて床に落ちる。
「ヘイゼル・スペリエンタの弟子だな。ヘイゼルはどこだ?」
真黒いフード付きマントを来た魔法使いが五人、戸口に立ち、そのうち先頭にいた男が口を開いた。
「……クソ爺なら今日は見とらんぞ」
アルモニカは低い声でそう答え、小さな声で「ちっ、やっぱりクソ爺か。あの疫病神」と呟く。隣で聞いてしまった流衣は、あまりの恐ろしさにゾッと背筋を震わせた。どうかヘイゼルに幸あれと思わず祈ってしまったくらいだ。
「そうか、ではお前でもいい。おい、『杖の宝』はどこにある? 寄越してもらおう」
アルモニカは眉を寄せた。
「そんなものは知らん」
ぶっきらぼうに返すアルモニカを、流衣ははらはらと見つめた。
どうやら黒服達は宝が物であると思っているようだが、実際はここにいる発明家本人のことを指すのだ。
「……知らないはずはない。それのお陰で、杖連盟は富み、力をつけたのだからな」
「知らんものは知らん」
じろりと男達をねめつけ、アルモニカはきっぱりと否定する。
男の口が弧をえがく。
流衣はゾクリと寒気を覚え、思わずアルモニカの前に出た。
「うっ!」
瞬間、左腕を何かに貫かれ、その衝撃で床に倒れこんだ。
「ルイ!」
『坊ちゃん!』
アルモニカとオルクスの声が重なる。
しかしそれに返す余裕はなかった。左腕が焼けるように痛み、必死に傷口を押さえこむ。血がじわじわと服にしみてくるのが分かり、出血多量だと死ぬんだよなあと他人事のように意識の隅で考えていた。
「そこの娘を狙ったんだが……。今のを庇うとは、勘がいいな、少年」
男は右手の平の上に黒い炎を浮かべ、薄ら寒い笑みを口元にたたえた。
「なっ、なんなんじゃお主! 一体どういうつもりでこんなことを……っ」
顔色は悪かったが、アルモニカは強い口調で問いを叩きつける。
流衣は右手をついて身を起こし、よろよろと立ち上がる。ハッとなったアルモニカが右腕を掴んで支えてくれた。
「……駄目だよ、刺激しちゃ」
小さい声で言う。こういう人に攻撃的な姿勢でいるのは危ない。かと言って素直に従うのも嫌だ。適当に対応しておいて、隙をついて逃げるのが一番だ。虐めっ子に目を付けられた時はそうやって逃げていたので、流衣はそれが最善だと思っていた。避けられる喧嘩なら避けた方がいい。
「くく、女を庇うとはガキの癖に人が出来てるようだな」
男は楽しげに含み笑いを零す。
「なあ、お嬢ちゃん。痛い目を見たくないだろう? 知っていることを今すぐ話せ」
「知らないことは答えようがあるまい! ワシは外の話など知らんのじゃ。そ、それに、こやつとてただの客じゃから知らん。そんなに知りたいなら、ワシじゃなく爺に聞け!」
流衣の腕に触れているアルモニカの手が小刻みに震えている。
流衣も怖かったけれど、唇を引き結んだ。年下の子供、それも女の子を怖がらせるなんて、この人達は最低だ。
「……客にすまんことをした。ワシがどうにか引きつけるから、お主はそこの部屋に隠れろ」
相当怖いのだろうに、アルモニカはそう言って、すぐ右にある扉を示した。
流衣は首を振る。
「置いてけないよ。――オルクス」
小さな声で、肩に乗るオウム姿の使い魔に声をかける。
『承知しました、坊ちゃん』
オルクスは誇らしげに言葉を返し、更に付け足す。
『目を閉じて!』
オルクスの指示通り流衣が目を閉じた瞬間、眩い閃光がオルクスから放たれた。光は部屋いっぱいに膨張し、そのまま扉や窓から外へと溢れる。
「くっ!」
目が眩んで動けない黒服達の前で、流衣はアルモニカの腕を引っ張って右手の扉から中へと滑りこんだ。そのまますぐに閉め、鍵をかける。
「なっなんじゃ今の! ああ、目が見えん!」
アルモニカは驚愕の声を漏らし、それから目に手を当てる。
部屋の中には地下へと続く階段があった。外の光が届かず、暗闇に閉ざされている。今の閃光を見た後では尚のこと見えないのだろう。
「右の部屋に逃げたよ。地下室に行けばいいの?」
「あ、ああ……、階段の部屋か、それなら見えなくても大体分かる」
アルモニカは壁に手を付き、危うげない足取りでトントンと階段を降り始める。手を貸さなくても大丈夫みたいなので、その後に続き、地下室の扉を開けた。この扉は青灰色をした金属で出来ていて、分厚く頑丈だった。
部屋の中はほんのりと明るい。部屋の隅に置かれたランプが発光しているらしかった。
アルモニカが部屋に入ったのを確認すると、流衣は扉を閉め、鍵をかけ、ついでに渡し板をして、更に近くにあった机と椅子を引きずってきてバリケード代わりにする。
「ふう、これで少しの間はもつんじゃないかな。ヘイゼルさんが気付いて助けに来てくれるといいんだけど」
「……いや、爺さんは当てにならん。ワシらはワシらでここを脱出するしかない」
ようやく目が慣れてきたようで、アルモニカは目をぱちぱちと何度か瞬いて、しっかりとこちらに目を向けた。
「脱出って……どうやって?」
流衣はきょとんとする。
そこでバタバタと階段を下りてくる足音がして、部屋の扉をドンドンと叩く音が部屋の中に響き渡った。
「転移魔法陣を利用するのデスネ」
急にオルクスが口を開いたので、アルモニカの肩が目に見えてビクリと震えた。
「な、なんじゃ今の声……っ」
「それについては後で話すよ。陣って何?」
「ああ、それはこいつのことじゃ」
アルモニカは足元の床を指し示す。
「わっ」
流衣は全く気付いていなかったが、床に白いチョークで図形が描いてあった。大きな円の中に複雑な幾何学模様と文字が記され、その円の周りに五つの小円がくっついている。
アルモニカは驚く流衣を無視して、部屋の棚から魔昌石を五つ取りだした。
「足りるか分からんが……。これを使うしかあるまい」
そうぶつぶつと呟いて、小さい円の中に魔昌石を置いていく。
――ドォン! ドォン!
また扉に魔法をぶつけているのか、爆音が響きだした。
アルモニカの顔に目に見えて焦りが浮かぶ。
「急げ! 扉を破られる前に逃げるぞ!」
「う、うん!」
アルモニカに腕を引っ張られ、流衣も魔法陣の中に入る。
アルモニカはすうと大きく息を吸い込むと、キッと眦に力を込めて虚空を睨みつける。右手に持った杖を掲げ、歌うように呪文を唱え始める。
「――我は望む。鍵に刻まれた標の示す扉を、今、開かんことを」
そこまで呟いたところで、アルモニカが首から提げている水晶のネックレスが浮き上がり、淡く青の光を放った。
「風よ、運び手となりて、我らを道の先へ送り届けよ! トランスポート!」
杖の先の玉が光り、魔法陣から白い光が線状に溢れた。
流衣はこれからどうなるのか一抹の不安を覚え、思い切って目を閉じた。
流衣達の姿が掻き消える直前、誰かの怒鳴り声が聞こえた気がした。
気付くと、膝にふわっとした感覚を覚えた。
「……?」
恐る恐る目を開ける。
すると、眼前に広がっていたのは森だった。足に触れているのは下生えの草だ。
どうやらどこかの森の中に転移したようだ。左腕の傷がじくじくと痛み、夢ではないことを告げている。
流衣は何気なく横を見て、目を丸くした。
「アル? 大丈夫?」
「…………平気じゃ。はあ、やっぱり足らんかった」
アルモニカは地面にへたりこんで、ぜいぜいと肩で息をしている。心なしか顔色も悪い。
「……? 何が?」
こうして逃げられたのだから、成功なのではないのだろうか?
「本当は、エアリーゼに転移するつもりだったんじゃ」
「エアリーゼ? ……っていうと、風の神殿!」
「そうじゃ。ワシの実家じゃ」
「そうなの!?」
流衣が目を丸くして驚いていると、アルモニカは呆れた目をした。
「はっ、気付いてなかったのか? グレッセンの姓を名乗れるのは、風の神殿の神殿長一家だけというのに」
「そうなんだ、へえ、教えてくれてありがとう」
「…………」
流衣がにこっと笑って礼を言うと、アルモニカは反応に困った様子で口をパクパクさせた。やがてふいとそっぽを向く。
「ふん。嫌味に礼を言われるとはの」
疲れたように溜息を零し、やがて顔を上げる。
「それで、さっきの声は一体なんじゃったんじゃ? 加え、無詠唱で魔法を使うとは、お主、なかなか高レベルの魔法使いじゃったのか? どこから見てもそうは見えんがのう」
「さっきの声も魔法もオルクスだよ。僕の友達で、使い魔なんだ」
「どうも、ご紹介に預かりました、オルクスにございマス。どうかお見知りおきを、風の血を引くお嬢さん」
オルクスは黄緑色の羽を広げ、恭しく礼をした。
可愛い物好きの女性が見たら、間違いなく黄色い悲鳴を上げるような、可愛らしい仕草である。
が、アルモニカはしかし、頬をひくりと引きつらせた。
「な、なんじゃこのオウム。気色悪っ。お嬢さんじゃと!? ううーっ、気色悪すぎじゃーっ!」
アルモニカは我慢できなかったのか、腕をガシガシさすり始めた。ぶるりと身震いまでしている。
気色悪いと言われたオルクスはがっくりと項垂れてしまった。落ち込む余り、地面に翼で“の”の字をぐるぐると書き始めてしまい、流衣は慌ててなだめる。
「オルクスっ、元気出して。ねっ」
『…………』
黙り込んでいるオルクスを更に励まそうと思ったが、ふいに目の前がくらりと揺れて、倒れるように右手を地面についた。
「……あ、あれ?」
世界が揺れている。ぐらぐらとしていて、気持ち悪い。それに胸焼けにも似た吐き気を感じる。
『坊ちゃん! こんなことをしている場合ではありませんでしたっ、傷の手当てをせねばっ!』
オルクスはさっと流衣の傍らに立つと、聖法の術五・癒しの呪文を唱え、傷を癒す。
腕の痛みはなくなったものの、随分血を失ったのか気持ちが悪いのは変わらない。
「……ありがと、オルクス。ごめん、ちょっと寝る、ね」
身体は休養を欲しているようだ。襲いくる睡魔で目蓋が重く、耐えきれずに流衣はその場に横になる。
「魔力、あげるから。アルを助けてあげて……」
眠る寸前、流衣はそこまで呟くと、あっさりと夢の世界に落ちていった。
* * *
今日は散々だけれど、全部が全部、最悪ではないみたいだ。
森の中をさくさくと草を踏みしめて歩きながら、アルモニカは心の中で呟いた。
容量の足りない魔昌石を利用した、遠距離用の転移魔法陣を無理矢理起動させたせいで疲れていて、若干うつむき加減に歩く。
そのアルモニカの隣を、青年姿になったオルクスが気を失った流衣を背負って歩を進めている。
使い魔が人の姿をとったことには驚いたが、竜が人に化けることもあるのだから、そういうこともあるのかもしれないと思った。
アルモニカにとって幸いだったのは、一人ではなかったことだった。家かヘイゼルの家、もしくは学校にしかおらず、もし一人だったら、外に出たことのないアルモニカにはどうしたらいいのか分からなくて、途方に暮れていたことだろう。
アルモニカはちらりと流衣を見た。
(ワシのせいで怪我をして、それなのに、ワシを助けようとしてくれとる……。変な奴じゃ……)
そう思いながら、目元が熱くなってきた。じんわりと涙が浮かぶ。
(こいつ、絶対に馬鹿じゃ)
自分のことなど、置いて逃げれば良かったのに。怪我して失血がひどくて気絶して、馬鹿みたいだけれど、でも嫌な気分ではなかった。
外出禁止を固く守り、部屋に閉じこもって読書をしているか研究ばかりしているアルモニカは、学校では浮いていたし、ときどき話す程度のクラスメイトはいても、友人はいなかった。だから、こんな風に助けてくれる友人なんていない。
目元を袖口でグシグシと拭いながら、それでも歩いていると、ふいにオルクスが足を止めた。
「……この辺りで野宿にしましょう。坊ちゃんを休ませないといけませんし、貴女も疲れているようです」
「だ、大丈夫じゃっ、これくらいっ」
慌てて反論する。これ以上、客人に迷惑をかけられない。
が、オルクスは小さい子供に接するみたいに、アルモニカの頭を優しく撫でた。
「貴女は子供なんです。無理をしなくてよろしい」
「でも……。ワシのせいじゃないか。あやつらが言っておった宝というのは、ワシのことじゃ。それくらい分かっとるんじゃ」
優しくされて、ますます涙線が緩み、あっさり決壊した。ぼろぼろと涙の粒が落ちる。
「わてだってそれくらい分かってますよ。でも、それとこれとは関係ありません。疲れていると、考えも後ろ向きになるものです。小さき人の身であるのだから、休める時に休んでおかないと、身体を壊しますよ」
「…………」
アルモニカはうつむいた。
「ほら、ちょうど泉がありますし、ここで野宿にしましょう」
オルクスの言う通り、すぐ先に小さな泉が見えた。適当に歩いているのかと思っていたが、ちゃんと行く先を決めていたらしい。
アルモニカは足元の草を見つめたまま、小さくこくりと頷いた。
アルモニカはきつい性格ですが、子供だし女の子なので泣く時は泣きます。
そんな回でした。