二十九章 仕立屋と決まり事
あれこれ悩んだ末、書き直しました。前に二十八章の後半に入れてた分を一部分だけ持ってきました。
「姉上!?」
扉から入ってきた長い銀髪と水色の目をした美しい女性を見て、ディルは手にしていた書類をぶちまけた。
近衛騎士団団長の執務室で書類の仕分けに専念していたら、急に来客がやってきたのである。それが姉だったものだから、ディルは驚いた。
「実の姉がわざわざ会いにきたというのに、その反応は何なの?」
「いっいえっ、ここは兵舎だから驚いたのです。何の御用件です?」
ディルは床に落とした書類を拾い上げ、テーブルに置いて、姉のミリアナに向き直る。ミリアナはますます不機嫌そうに眉を寄せた。
「まあ、なんて他人行儀なの。姉弟なのに、冷たいんじゃなくて?」
ミリアナはそう零してから、口元を覆っていたレース飾りのついた青色の扇子をパチリと閉じた。
「用件というのは、他でもないわ。あなた、夜会に出るそうじゃないの。ちゃんと正装を用意しているのでしょうね?」
「ええ、勿論です。この服が、騎士の正装です」
「……やっぱり。そんなことじゃないかと思ったわ」
ディルが堂々と答えた中身に、ミリアナは深いため息をついた。
「あなた、夜会にそんな格好で出るだなんてやめてちょうだい。公式行事はともかく、夜会なのよ、や・か・い。ダンスパーティーでもあるのに、そんな、無作法だと思わないの? きちんと礼服を着なさい。これだからレヤード家は軍人一家の固物揃いなんて囁かれるのよ。あなたやヴァンはそれで良いかもしれないけれど、お兄様やわたくしまで一括りにされるのは我慢ならないわ」
「し、しかし……。私は修行中の身、そんな物は持ち歩いておりません」
「そういう時は、家族を頼りなさい」
「……うう、申し訳ありません」
ミリアナにぴしゃりと言われ、ディルはうなだれた。
「フィルフお兄様がとても心配していたわよ。あなたったら、修行の旅に出るのは良いけれど、手紙の一つも寄越さないらしいじゃないの。わたくしだって貰ってないわ。旅に出るなら出るで、近況報告をなさい」
「……はい」
ディルが素直に頷くと、言いたいことを言い終えたミリアナは満足げに微笑んだ。
「言いたいことは以上よ。今回は仕方がないから、旦那様のお古をお借りするわ。後で仕立屋を寄越すから、お友達もろとも寸法を合わせて貰うのよ、いいわね」
お友達は貴族ではないのでしょう? 礼服なんて持っていないでしょうに、少しは気にかけてあげなさい。それが友人というものよ。
ミリアナは更にそう付け足した。ぐうの音も出ない。ディルはしおしおと頭を下げる。
「すみません、以後気を付けます」
結局、久しぶりに会えた姉に対し、謝ってばかりだった。
どうして質問しに来ただけなのに、ご飯を作ってるんだろう。それも二度も。
不思議な事態に疑問がつきないが、流衣は日持ちするようにシチューを多めに作り、研究に没頭するアルモニカに一言告げてから〈塔〉を後にした。結局、加工が間に合わなくて、明日取りに来るように言われた。
(外出禁止なんだから仕方がないよね)
そう自分に言い聞かせ、何となく使い走りさせられているような、納得のいかない気分でお城に戻り、夕食の時間なのでディルの部屋の扉を開けたら、またもや不思議な光景が待っていた。
「オリベ様ですね? お待ちしておりました」
巻き尺を首にかけ、シャツを袖まくりにした壮年の男が、にこりと微笑んだ。
部屋を間違えたのかと身を翻しそうになるも、苗字を呼ばれたことに気付いて思いとどまる。
それに、よく見れば、暗い青紫色の上着と黒いズボンを着たリドの姿があった。その前には黒いワンピースに白いエプロン姿というメイドさんみたいな格好の侍女が立っている。
「……これって一体?」
長さを見ているのか、袖を確認しているようだ。侍女はお針子さんなのか、手首に針を刺したクッションみたいなものを巻き付けている。
「夜会で着る衣装の合わせだ。姉上が今日訪ねてこられてな、気を使えと怒られてしまった。礼服は姉上のご夫君のお下がりを頂いてきた」
苦々しい顔で、頬をかくディル。そんな彼の前にも、マネキンにかけられた衣装がある。詰襟の青い色の服だ。ここでの礼服は、タキシードというわけではないようだ。どちらかというと軍服に近いような気がする。肩に短い丈のマントがついていて、左腕の上にかかるようになっていた。
「うへえ、面倒くせえ。ふけちまおうかな」
寸法合わせの段階で嫌になったのか、ぼそりとリドは呟く。
「ふむ。それは構わんが、女王陛下の招待を無視したとあっては、反逆罪になるぞ?」
「げっ、それは勘弁。出るよ、出ます!」
リドは慌てて発言を取り消す。とはいえ、面倒臭いのに変わりはないようで、溜息をついている。
リドが文句を言っている間にも、侍女はあっという間に仕事を終え、ズボンの丈も調整していく。
「オリベ様は、こちらでどうぞ。これを着て下さい」
侍女の手際の良さに見とれていたら、壮年の男――恐らく仕立屋だろう――がにこりと笑って衣装を差し出してきた。
「へっ?」
灰色みがかった青色の衣装を前に、流衣は顔を引きつらせた。
今着ているような服は、シャツやズボンという普段着にマントを付けただけで、防寒の為と思えばそれで納得して着られるが、流石に礼服までくるとファンタジーじみていて、コスプレみたいだ。ここでの普通なのだから、コスプレでもなんでもないのだが。
試しに着てはみたが、着られている感が否めない。
ディルやリドの服と同じく詰襟だが、二人と違って短い丈のマントはついておらず、肩にセーラー服の襟の部分だけを取って付けたみたいな四角い布が乗っている。縫い付けられているわけではないから、走り回ったら落ちそうだ。
それを指先で引っ張っていたら、仕立屋が口を開いた。
「オリベ様は異国の方だそうなのでご存知ないでしょう。そのコルゾは成人前の男性が身に着ける決まりなのです」
コルゾというのが、肩掛け布のことみたいだ。流衣はふんふんと頷いて、そこでふと気付く。
「青系の服が多いんですね」
「はい、それは勿論。男の方の礼服は青から紫と決まっています。公式の場で赤を着ていいのは王族だけですし、白もグレッセン家のみと決まっていますから」
「グレッセン家?」
流衣はきょとんと首を傾げる。
「朝に話した、風の神殿の神殿長の一族のことだ」
ディルが口を出す。
「へえ、そうなんだ」
「ええ、そうでございます。風の神殿の色は白と古来より決まっておりますので」
階級で使える色が決まっているなんて。ますます身分制度を実感する流衣である。
(じゃあ、女の人だと何色なんだろう?)
頭の隅で疑問を覚えながら、はたと気付く。
「僕、貴族じゃないのにこの色でいいんですか?」
「大丈夫ですよ。平民でもそれで統一されているのです」
男はにこにこと説明してくれるが、そもそも服飾の仕事の人ならそれくらい分かっていて服を選ぶだろうと遅れて気付き、流衣は少し顔を赤くする。
「す、すみません……。プロにこんなこと聞いて」
「ぷろ?」
「ああ、ええと、僕の故郷で、ある仕事の専門家ことをプロフェッショナルっていうんです。それで、そういう人のことを尊敬して、プロって呼んだりしてて……」
「左様でございますか。褒め言葉、ありがとうございます」
「いえ……」
うぐぐ、ますますプロだ。というか、うろたえる客に穏やかに返す仕立屋というより、子供をなだめる大人の図だ。
「流石はディル様のご友人ですね、とてもよい方達です。ミリアナ様もお喜びになることでしょう」
「姉上が何か言っていたのか?」
「お友達がどんな方か見てくるように、と。それだけです」
ディルの問いに、仕立屋は好々爺の笑みでにこにこと言う。ディルは呆れ返った顔をして、はあと息をつく。
「全く、あの方は……。見張られているようで、あまり良い気分ではないぞ」
「まあそうおっしゃらず。ディル様には親しい友人が少ないようで、心配されておりました」
「人を選んでいるだけだ」
少ないという単語に反応し、ディルはぶすりと返す。
「おや、機嫌を損なってしまいましたか? それは申し訳ありません。では私は仕事を終えました故、これにて失礼致します」
衣装は夜会当日の朝にお届け致します。
仕立屋はそう言ってさらりと微笑み、素早く部屋を後にした。お針子の侍女も一緒に出ていく。
見事な引き際は風のようだった。
「流石は姉上の御用達の仕立屋。一筋縄ではいかぬな」
むうと唸るディル。感心半分、呆れ半分といったところか。
「仕立屋どうこうっつーよか、あのおっさんがすげえんだろ」
衣装の調整から解放され、せいせいとした顔で口を挟むリド。その肩にノエルがちょこんと乗り、ピギャと鳴いた。食事の催促だ。
「うん、お腹空いたねノエル。僕らもご飯にしようよ」
意味を正しく掴み、流衣も頷いた。
姉はどこに行っても強い。そんな感じで。
(姉が弱い家もあるでしょうが、あまり見たことがないです。周り、姉が強い家ばっか……)
ミリアナは、ディルにしっかりして欲しくて説教しがち。それをフォローするのが一番上の兄のフィルフ(吐血趣味の人)。内心で応援しつつ、無言で見守るのが二番目の兄のヴァン。ディルの家族はそんな感じです。