めんつゆ
皆さんは『人に言うほどでもない些細な習慣』はあるだろうか?例えば、靴下は必ず右足から履く、スティックシュガーは真ん中から折る、ハンバーガーは上下逆さまにして食べる等——何でも良い。他人からすれば、『くだらない』一言で片付けられてしまう程度の事だ。そして、その習慣のきっかけになった出来事を覚えているだろうか?
自他共に認めるズボラで大雑把。それが私、泉川葉月である。いつも適当で粗雑な私にも、唯一気をつけていること、ほんの些細な習慣がある。そうする事になった理由を最近まで失念していたのだが、旧友と会って走馬灯の如く記憶が溢れ出した。私の気持ちの整理のため、少しの時間だけお付き合いいただきたく思う。
それは暑い季節、遥か昔の思い出話に纏わる小話。
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小学生の頃、同じクラスにN君という男子からも女子からも人気のある温和な爽やかBOYがいた。
小学生のモテ条件にありがちな運動神経が抜群とか、天才秀才の部類という訳でもない。いつもニコニコ微笑みを絶やさない仏の如き穏やかさで、彼の周囲には自然と人が集まっている。彼のことを悪く言う者は誰もいない。齢一桁にして不思議な魅力を持つ少年だった。
もうすぐ夏休みに入るという暑いある日の事。放課後、N君のお家にみんなで遊びに行こうという話になった。どういう流れでそうなったのかは覚えていない。参加人数は男子四人、女子は私も含めて三人。中々の大所帯だ。当時は小学校低学年。緩い時代背景もあり、あまり深く考えず気軽に約束したのは確かだ。N君もいつものように優しく微笑んで、快諾してくれたのは覚えている。
待ちに待った放課後。N君の家では、N君によく似た眼差しのお母様が優しく迎え入れてくれた。クラスではやんちゃの限りを尽くしている男子たちも、妙に畏まりながら丁寧に挨拶をしている。男子メンバーの普段とは異なる面に驚きつつも、私自身も失礼があってはいけないと、幼いながらに思っていた。
N君の家は本当にごく普通だった。高級そうな置物や絵画が飾ってあるとか、物が少なくて部屋全体が白で統一されているとか、良い香りのするおしゃれなアロマが置かれているとか。そんな事は全くない。
大きな木製ダイニングテーブルの脚はN君の兄弟が貼ったという色の褪せたアニメキャラクターのシールが沢山あったし、壁には小さな落書きもある。広くもなく狭くもない、生活感のある一般的なサラリーマン家庭のごく普通の家。
ただ、家の中の雰囲気がN君の纏う雰囲気そのまま。初めて訪れたのに妙に居心地の良い、自然と穏やかな気持ちになれる、そんな素敵な家だった。
N君を含めて八人の小学生。さすがにN君の自室では狭いとの事だったので、私たちはリビングルームに通された。リビングルームとダイニングは仕切りのないワンフロアだった。女子はダイニングテーブルの椅子に座り、男子勢はダイニングテーブルの真横にあるリビングスペースのローソファーと床に座り込んで、テレビゲームの準備をしていた。
するとN君のお母様が、心安らぐ微笑みを浮かべながらおやつと飲み物を持って来てくれた。山盛りのスナック菓子とコーラ。最高の組み合わせである。その日は七月も中盤に差し掛かった夏の暑い日。室内は涼しいとはいえ、太陽が照りつける外からやって来た私たちは冷たい飲み物を欲していた。口々にお礼を言い、グラスを手に取りコーラをぐいっと飲む。
…麦茶?
コーラだと思って飲んだその液体は、コーラの如き漆黒の麦茶だった。喉を駆け抜ける爽やかな炭酸もなければ、舌に絡みつく独特の甘さもない。むしろ苦い。完全にコーラだと思い込んでいた私は、口に含んだ味のギャップに些か混乱していた。
グラスから目を離し、隣に座っている友人を見ると、友人はグラスを持って俯いたまま。その表情を窺い知ることが出来ない。床に座っている男子たちに目を向けると、みんな無言で麦茶を飲んでいる。N君はいつものニコニコ顔だ。
当時の麦茶は、やかんで煮出して作る物が主流。煮出す時間で、麦茶自体の味や色が変わる。
私の家の麦茶は、濃くもなく薄くもないごく普通の物だったと思う。口癖が『めんどくさい』だったのに、几帳面で神経質。私と真逆の気質だった祖母が、麦茶のパッケージに描かれてる写真と睨めっこしながら煮出し時間を調整していた。見本に近い色合いの物だったはずだ。
煮出す時間が長過ぎて色が濃くなり過ぎてしまった時、ガラスの容器に移し替えて冷やしていたところ、祖父が冷やし蕎麦の汁と勘違いして食べてしまい、口から蕎麦を噴射しているのを見た。
だから子供ながらにも自分の家の麦茶と他所のお家でいただく麦茶に、色味の差異がある事は理解していた。我が家では濃すぎる麦茶だが、N君の家ではきっと普通なのだろう。しかも一緒にいる友人たちも、誰も何も言わない。無言で麦茶を啜り、ボリボリとポテトチップスを貪り食べている。
——きっとこの真っ黒な麦茶が当たり前なんだ!私の家の麦茶の方が変なのかも知れない——
ある種のカルチャーショックを受けた私に、その後の記憶はない。おそらく夕方までお邪魔になって、皆で帰ったのだと思う。
翌日、いつも遅刻ギリギリの私が学校に滑り込むと、教室の様子がおかしかった。あの優しくて穏やかなN君がシクシクと泣いている。
何があったのかN君の家に同席した友人に聞くと、彼女が気まずそうに答えた。
「N君のあだ名が『めんつゆ』になった」
人格者でみんなの人気者だったN君が、一夜にして色ものキャラクターの地位へ。小学生とは残酷なものだ。N君は全く悪くないし、N君のお母さんも勿論悪くない。『めんつゆ』というあだ名のきっかけになった男子も、N君が泣いてしまうとは思わなかったと言っていた。ただ「N君の家の麦茶、めんつゆみたいな色だね」と言っただけだと。
その日、緊急学級会が開かれた。クラス委員長の女子のゴリ押しで、『めんつゆ』というワードが禁句になった。私はというと、自分の家の麦茶の色がマジョリティであることに安堵した。
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それから年月が流れ、今度は私が麦茶を作る立場になった。煮出して作る手間が面倒で、もっぱら水出しの麦茶しか作らない。冷蔵庫に入っている麦茶の容器は大きいのが一本に、小さいのが一本。元々小さい方しか無かったのだが、麦茶を飲む機会が増えたので、大きめの容器を買い足したのだ。
ズボラな私は小さいガラスの容器に多めの麦茶パックを入れて作る。色が充分に出たら、大きい容器に移し、その際に水を入れてかさ増しと麦茶の色の調整をする。そう、私が唯一こだわっていること。それは麦茶の色の調整——めんつゆ色にならないことである。
マイボトルを持参して外出する機会が増えた昨今、私は百円ショップで購入した水筒を愛用している。保温機能はないが、冷房の効いた職場で飲むのでぬるくなっても気にならないし、何よりパッキンやら何やらの、取り外せねばならない細かいパーツが一切ない。ズボラ界隈にとっては大変有り難い究極のシンプル構造なので、洗う時の気遣いが無用なのだ。
ただ一点、私の過ちはクリアカラーのボトルを選んだ事。麦茶の色が丸見えな透明のボトルなのである。ボトルにカバーをかける事も考えたが、カバーを洗うのが面倒なので断念した。それ以前に、カバーをかける事すら面倒である。
にも関わらず麦茶がめんつゆカラーになるのだけは避けたい私。成人して随分時が経つが、『めんつゆ』というあだ名が付くのはごめん被りたい。誰もそんな事は気にしないと思うし、こんなくだらない事など思い付きもしないであろう良い人達ばかりなのだが。
あの日の地獄の学級会で、誰よりも『めんつゆ』を連呼していた委員長を見つめながら、ハラハラと涙するN君はどんな気持ちだったのだろうか。
麦茶を飲みながら思い出した、私の些細な習慣のきっかけ小話。
数ある作品の中からお読みいただき、そして本当にどうでもよい話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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