Act.Two 時の流れ それぞれの道へ Vol.10【24歳 父と母のお店の最後の日】
社会人となり、新しい世界に踏み込む。
泣き明かしたあの時の傷は、とうに癒え。
どんな困難にも立ち向かう勇気を、もらった気がします。
新くんの従姉様の、守る人の為に盾に鉾になり、周囲には不安を与えず毅然として、でも情に訴え、傲慢さは微塵も感じず、押し付けがましくなく、さらっとした依頼形のお願いをする。が、
これからの私にとってbusiness-modelとなりました。
新くんは、家の方の顔を立てて、自宅から名古屋市内の勤務先に。
最近は日付けが変わる頃の時間帯に、仕事中の新くんからの「元気?」call。
話す内容はお互いに、とめどなく部内から提出される未決裁書類と悪戦苦闘、内外の要人と折衝にscheduleがびっしり、毎日気が抜けずのぼやき節です。
generalistとして日に日に増える仕事量、それに合わせてのしかかる責任という名の重圧につぶされそう。
そんな過酷の中、私がいつもより業務を早く切り上げる事ができる日は、新くんは勤務先が駅近ということもあり、新幹線で駆けつけ、豊橋で待ち合わせすることも。
2人でおしゃべりしていても、2人ともに多方面から相談やお伺いの連絡が途絶えず苦笑いです。でも会話の一致するところは、
私もそうですが、新くんも過去をひきずらず、今ある時間を充実させ、現在は大勢の仲間に支えられ、度々無理難題の課題を提起してもひたむきに、必死に解決しようとする仲間の姿勢に、ひたすら感謝!
くよくよなんてしていられない。
仲間を不安な思いにさせられない。
私を信じてついて来てくれる仲間の為に、盾となり鉾となり自己犠牲を厭わず先頭を進むんだ!
そんなこんなの日々があっという間に過ぎゆき、
私の24歳の誕生日の前日、自宅で父から私へ申し出がありました。
それは、私が生を授かりし日に父母が立ち上げたお店『雑貨の彩花』を明日で完全に閉めようと。
父母の年齢を考えれば当然の成り行きで、私はもちろん賛成です。永い間お疲れさまでした。
父は肩の荷が下り安堵したと同時に、少し寂しげでした。
父が逝去後、生前に父はよく、本当は私と新くんが改装しながら雑貨店を続けてくれたらなあと、母にこぼしていたそうです。ごめんね。おとうさん。
父の申し出をすぐ、仕事中の新くんに連絡すると、まだbirthday-presentの準備がしていなかったらしく、
「美歩様のhappy-birthday&お父様、お母様、永い間お疲れさま!でいくけれども、いい?」
私「22時はとうに過ぎているのに、明日、間に合う?」
新くん「こういう時のための職権乱用を使わなきゃね」
わぉ!言うね、新くん。明日が楽しみ。
7月6日、仲間に今日は残業ごめんね!定時に退勤、寄り道せず帰宅すると。そこには。
私の両手両腕でかかえきれないdynamicさ。なのにcolorfulでcute、私の好きな色をふんだんに採り入れた
flower-arrangementが目の前に。
message-cardには新くんの予告通り。
HappyBirthday Miho!&Thak you always,Mam and Dad!
さっそくお礼の連絡をすると、お互いさまなんだけれどもあいも変わらず電話の向こうは騒々しい感じが、ひしひしと伝わりがんばってるね。
「ありがとう!もう驚きだよ」
「父が何か言いたそうだから、代わるね」
でも父は照れてしまい、電話口に出れず、離れた所から
「ありがとな」
のちに新くんが言うに、周囲が騒がしくなかなか聞き取りづらい会話だったに、父の「ありがとな」は明瞭に聞こえ、今でも頭に残っているって。
この日が、新くんと父との最後のやりとりとなりました。