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(四)

 雫姫が眩さから閉じられていた目をお開きになられると、そこは雫姫の寝所ではございませんでした。

 そこは見知らぬお屋敷の、見知らぬ庭で、雫姫はそこに立っていらしたのでございます。

「ミ~」

「あ、常夜!」

 腕の中から聞こえた鳴き声で、雫姫はようやく常夜を抱きしめていることにお気づきになりました。

「よかった。あなたが一緒にいてくれて」

 突然のことに心細くなっていた雫姫は、たいそうほっとされ、常夜のふわふわとした身体に頬ずりをされたのです。

「それにしても、ここはどこかしら?」

 雫姫はまだお屋敷の外に出たことがございません。ですから、この庭がお屋敷のものでないことはすぐにわかります。

「あら、そこの可愛らしいお嬢さんはどこからいらしたのかしら」

 雫姫が辺りを見回していますと、庭と面した部屋の奥から、女性の声が聞こえてまいりました。

 雫姫がそちらに目を向けますと、どうやら部屋の奥でどなたかが伏せっていらっしゃる様子です。

「私はあまり動けないの。遠慮など不要ですから、どうぞこちらにいらして」

 声は弱弱しいものではありましたが、とても上品な響きがありました。雫姫はしっかりと身を寄せてくる常夜を撫でながら、言葉に従い庭から女性の寝所へとお上がりになります。

「まあ、とても可愛らしいお嬢さんがただこと」

 寝具の上で横になっていらっしゃったのは、年老いた女性でございました。

 おそらく若かりし頃は、美しく気品に満ち溢れていたのだろう雰囲気をお持ちの方でございます。それに、どこかで会ったことがある誰かの面影も、お持ちの方でございました。

 彼女は雫姫に微笑みかけてまいります。

「申し訳ないのだけれど、身体を起こしたいの。手伝ってくれるかしら?」

 老女の言葉に雫姫は頷くと、上体を起こそうとする彼女の隣に座り、背中を支えるようにして起き上がるのを助けられました。

「ありがとう。嫌ね、一人で起き上がるのもままならなくなってしまって。歳はとりたくないわね」

 悲しげに呟く老女に、雫姫はなんだか胸が締め付けられる思いでございました。

「あなた、お名前は?」

 老女の問いに、雫姫は喉まで上がって来た雫という名前を呑み込まれます。理由はわかりませんでしたが、なんだかそのまま名乗ってはいけない気がしたのです。

「……朝露と申します。この子は……星夜(せいや)です」

 常夜が抗議の視線を向けてきますが、目の前の老女に嘘をついたという罪悪感は、共犯者を作りだすことでなんとか薄らぎました。

「そう。朝露さんに星夜さんね。私は雫と言うの。よろしくね」

 雫姫は思わず息を呑まれます。

 自然と思い返される時喰の言葉。

『限られた時間だけ、対象者に時を越えさせることもできます』

 まさか自分は、自分が年老いた未来まで時を越えて来たと言うのだろうか?

 戸惑いながらも、雫と名のった老女をまじまじとご覧になります。

 若かりし頃の美しさを想像させる名残りを残しているとはいえ、所詮は名残り。

 薄くなっている髪の毛は、全て艶のない白。痩せ細った身体は張りがなく皺だらけで、所々シミも見えるのでございます。

 いずれ自分もこうなるのかと思うと、雫姫は自身の心に陰が差してくるのを感じるのでございました。

「今日は暖かいわね。いつもより身体の調子も良いみたい。最近はすっかり身体が冷えやすくなってしまったものだから」

 普段あまり会話をする相手がいないのかもしれませぬ。老女はとりとめのない話を、雫姫に楽しげに語り続けます。

 雫姫はそれをほとんど上の空で聞き流し、老女の会話に「ミ~」と相づちを打つのは常夜のみでありました。

 雫姫が気にかかるのは、老女の醜くなってしまった姿ばかり。それも度々、自身の美しく伸びた艶のある黒髪や、白く透き通るような柔肌と見比べてしまうのでございます。

 どんどん黒く染まっていくご自身の心に耐えきれなくなった雫姫は、なおも話し続けようとする老女を押しとどめ、叫ぶように質問をぶつけられました。

「あなた様は、もし……もしも若い頃のままでいられるとしたら、若いままでいたかったですか?」

 言ってから雫姫は後悔なされました。聞くまでもなかったと思われたのです。

 先程、老女は「歳をとりたくない」と言っていました。それにもし目の前の老女が雫姫の将来の姿であるならば、いま雫姫の心を埋め尽くしている暗い感情を、この老女も持っているはず。

 老女は雫姫の質問に、初めはきょとんとされておりましたが、雰囲気から雫姫の質問が切実なものであると感じとられたのでございましょう。表情を引き締め、真っ直ぐに雫姫を見つめられました。

「いいえ、思いません。私は年老いてきたことを、後悔はしておりませんよ」

 老女は、急に活力を得たように背筋をぴんと伸ばし、はっきりとそう仰ったのです。

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