(三)
雫姫は再び灯りをともし、ご自身から少し離れたところへと、扇子を座らせたのでございます。
もっとも、端から見れば、扇子が床板に置かれているようにしか見えないのでございますが。
「さてと」
雫姫は、いまだ扇子に対して敵意を向けている常夜をひざの上でなだめながら、寝所から扇子を見下ろしていらっしゃいます。
その威厳に満ちたお姿は、まだ裳着を迎えたばかりとはいえ、さすがは摂関家の姫君様と呼べるもので、扇子はすっかり萎縮している様子でございました。
「まずは名前から聞きましょうか」
「は、はい! えー、わたくし、名を『時喰』と申しまして、人の老いたくないという想いで産まれた、神と言いますか、魂と言いますか……」
「妖ね」
「……はい。妖です」
時喰は雫姫の結論に、いささか気落ちした声で同意いたします。
「それで、いったいどなたがお前をここへ?」
「まあ、贈り物の目録を確認されれば、すぐにわかることでございますからな。隠してもしかたありますまい」
そう言って時喰は、さる高名な貴族の名前を雫姫に告げました。
「ただ、これだけはしっかりと申し伝えておかねばなりません。あの方は、姫やこちらの家に害意があってわたくしを贈られたのではございませんよ」
時喰は真剣な口調で言葉を続けます。
「毎晩毎晩、霊験あらたかな滝までいらしては、姫様がいつまでも若くお美しくいられるようにと願っておられました。わたくし、その姿に胸打たれまして。それならばわたくしがと、お声がけをした次第でございますよ」
当時は水煙の姿であったが、姫君への贈り物としてふさわしいように、いまの姿を身につけたのだと、時喰は付け加えました。
「確かに『裳着の式』のときに、帳越しにお会いした殿方の中に、その方はいらっしゃったけれど、お会いしたのはそのときが初めてだったわ。お前は『裳着の式』の時に贈られたのでしょう。時があわないのではなくて?」
「いやいや、姫は市中のご自身の噂をまったくご存知ないとみえる。よろしい。わたくしが教えて差し上げよう」
時喰は市中で噂されていた、雫姫の美しさを懇々と説明いたしました。
「それはかなり大げさだと思うのだけれど」
「とんでもない! 姫は鏡もご覧になったことがないのですか。こうして実際にお会いした姫のお美しさは、噂など足元にも及ばぬほどでございますよ。まぁ、ともかく殿方にとっては、懸想するに値する噂が流れていたことは間違いございませんな」
時喰の話を聞き、雫姫は大きく息を吐かれました。『裳着の式』に対面なされた殿方たちが、ご自身の嫁入り先の候補となるのであろうとわかってはおられたのですが、まさか実際に対面する前から、相手に懸想されているなどとは思いもよらなかったのでございます。
「とりあえず、お前がここに贈られてきた経緯はわかりました。でも、なぜお前なのです? お前はどんな力を持っているというの?」
雫姫はその質問に、時喰がにやりと笑ったように感じられました。常夜も先ほどより、身を雫姫に寄せてきたようにございます。
「名前通りでございますよ。わたくし、それほど広い範囲ではございませんが、周囲の時を喰らうことができます。それ以外にも、限られた時間だけ、対象者に時を越えさせることもできます」
「時を喰らう? 時を越える?」
雫姫と常夜が、同時に首を捻りました。
「ええ。すでに姫様は他の方より、三刻ばかり若くなっておりますよ」
「え?」
「正確には、他の方が三刻ぶん歳をとっている間に、半刻程度しか歳をとられていないということですよ。本当はもっとしっかりと喰えたのでございますが、そちらの黒猫さんが、まあ邪魔をする。邪魔をする」
時喰が苦々しげに言いましたが、常夜は知ったことかと欠伸をいたしまする。
「つまり、お前は他の方が歳をとっていく間にも、私が歳をとらないようにできるということなのね」
「ご明察」
時喰が自慢げに返事をいたしましたが、雫姫はゆるゆると首を横にお振りになりました。
「私はそのようなことは望みません」
雫姫の言葉を聞くと、時喰は途端に声を荒げます。
「それは姫様がまだお若いからだ! 老いるということの恐ろしさをご存知ない!」
気持ちは変わらぬと、雫姫は真っ直ぐに時食いを見つめました。
「……ようございます。ならば、わたくしがもう一つの力を使い、姫様に老いるということの恐ろしさを教えて差し上げましょう」
「フー!」
時喰が言い終わるやいなや、常夜が時喰に飛びかからんといたしましたが、時すでに遅く、時喰から発せられた怪しき光が、雫姫と常夜を包み込んだのでございます。