(一)
今は昔のことにございます。
尊きお方に代わり、政を取り仕切った者達。所謂摂関家と呼ばれる立場を独占する一族がございました。
その一族に、ある日、まさに国の宝と呼んでもさしつかえがないような、珠のような姫様が御産まれになったのです。
母君様が姫をお産みになる朝、雫が落ちる音を聞いたと仰られたところから、『朝露の雫姫』と名づけられたその姫君は、成人を迎えたことを他氏に示す『裳着の式』を迎えるお歳になった頃には、家中はもちろん、姫のお姿を見たことがない市中にまで、いったいどちらの殿方に嫁がれるのだろうという噂が絶えぬほど、お美しく成長なされました。
「まあ、これが全て私への贈り物でございますか?」
雫姫が思わず立ちあがり、目をまるくして目の前に積まれた宝の山をご覧になられると、隣にお座りになられていた父君様が鷹揚に頷かれます。
「ああ。その通りだとも、雫。雫の裳着を祝い、他家がこれほどまでの品を送って寄越したのだ。これがまさに我が家と雫の、この国における力であり価値なのだよ」
「はあ」
父君様は自慢げに仰いますが、この屋敷から外にでたことのない雫姫は、その量と積まれた宝の輝きに、ただただ驚くばかりでございました。
「ミ~」
「あら?」
雫姫が耳ざとく、小さくか細い鳴き声を聞きつけ、その声のした方へと歩み寄ります。
宝の山の端に、小さな竹籠がちょこんと置かれており、なんとその中には、まだ生まれてからそれほど時が経っていないと思われる、全身黒毛の子猫が一匹入れられていたのでした。
「なんと! まさか贈り物の中に、そのような畜生がまぎれこんでおるとは」
父君様が顔をしかめて立ちあがります。
雫姫は父君様の意図をすぐに悟り、竹籠ごと子猫を抱え込み父君からお隠しになりました。
「こ、これ、雫。それをこちらに寄越しなさい」
「いやです。これは私への贈り物だと仰っていたではありませんか。この子は私が育てます」
「いや、しかしだな」
「駄目……でございますか?」
雫姫が、今にも泣き出しそうなお顔で父君様を見上げます。
まさに目にいれても痛くない程に溺愛している姫君に、このような顔をされては胸が痛くなる。宮中で我が物顔をされている父君様といえども、こうなっては降参せざるをえません。
父君様はひとつ大きく息を吐かれると、苦笑しつつ仰いました。
「いたしかあるまい。女房どもには、わしから申しつけておく。ただし、あとで紐ををつけた鈴を持ってこさせるゆえ、どこにいてもわかるように首に巻いておくのだぞ」
「はい。父上様」
雫姫が春の花のような愛らしい笑みを見せると、父君様は満足そうに頷き、宝が積まれた部屋から出ていかれました。
父君様の足音が遠ざかると、雫姫は早速竹籠の蓋を外し、中から子猫を抱き上げます。
雫姫が子猫をご自身のお顔に近づけますと、子猫は嬉しそうに顔を雫姫のほほにこすりつけてまいりました。
「ミ~」
「うふふ。可愛い」
雫姫は、子猫をいったん顔から離すと正面から子猫と向き合い、その澄んだ瞳をじっと見つめます。
「お前は昼でも夜のようね」
子猫を抱き寄せ黒毛を撫でながら雫姫は呟かれ、それから少しばかり考え込まれると、やがてにこりと微笑まれ声をあげられました。
「決めたわ。お前の名前は常夜にいたします」
雫姫は常夜を抱え上げると、その場でくるりくるりとお回りになられる。
「うふふ、常夜、常夜、常夜」
はしゃぐ雫姫の声に合わせるように、常夜もミ~ミ~と明るい声をあげます。
そのときでございました。
カタリ。
一人と一匹の至福の時を遮るように、宝の山からなにかが倒れる様な音が聞こえてきたのでございます。
雫姫は動きを止め、常夜と共に宝の山を凝視なされました。
「フー」
常夜が毛を逆立て身をよじらせ雫姫の手から逃れると、上手に床板に着地し、宝の山の中へと潜り込んでいきます。
「常夜! 危ないわ、戻っていらっしゃい」
雫姫の心配する声に応え、宝の山から飛び出してきたのは常夜ではございませんでした。
赤・青・黄の三色の紐がついた一本の扇子が雫姫の足元に転がったのです。
雫姫が、根元から伸びた紐で、幾重にも巻かれて閉ざされていた扇子を拾い上げられました。
そして、紐を解きほどき扇子を開かれる。
「まぁ、綺麗」
そこに描かれていたのは夜空。一つの月とたくさんの星々が散りばめられた、深い深い夜空。
「ミャ! ミャ! ミャ!」
いつの間にか雫姫の足元にまで戻ってきていた常夜が、扇子から伸びる三色の紐の束を、その小さな前足でぱしりぱしりと叩いていたのでございます。爪もたてているようで、紐が少しばかりほつれておりました。
「あら」
それに気がつかれた雫姫は扇子を閉じ、元のように三色の紐を扇子に巻きつけると、それでもまだ常夜が跳び跳ねれば届く位置でぶらぶらしている紐の束を、ほんの少し引き上げられます。紐に跳びつく常夜の前足が空振る。それでも常夜は諦めず、何度も何度も紐に跳びかかるのです。
「なんて可愛いのかしら」
微笑ましいその様子を堪能していらした雫姫でございましたが、ふと部屋の様子がおかしいことに気づかれました。いつの間にか部屋が薄暗くなっていたのです。
驚かれた雫姫は縁側まで出て外をご覧になりました。なんとすでに陽が傾き、山の向こうに沈もうとしていたのでございます。
「……嘘」
雫姫が父君様に連れられて、贈り物が積まれたこの部屋に入ったのは、陽が最も高い所に到達する少し前。雫姫の感覚では、それから一刻も経っていないはずなのです。
身動きひとつできずに呆然と空を眺める雫姫の足元では、まだ常夜が三色の紐の束に向かって跳びかかっておりました。
そして、扇子から伸びたソレは、今度は器用に常夜の爪をかわしていたのでございます。