物置部屋
子どもたちにとって、その日は特別な日だった。ジャグボロウへ浜遊びに連れて行ってもらえるのだ。しかし、ニコラスだけは仲間外れにされていた。それが、ニコラスへのお仕置きだったのだ。
その日の朝、ニコラスは「蛙が入ってる」という一見すると馬鹿げた理由で、朝食の健康的なパン粥に手をつけようともしなかった。分別のある真面な大人たちは「カエルなんて入っているわけないでしょう」「馬鹿なことを言うんじゃありません」と教え諭すのだったが、それでもニコラスは至極馬鹿げたことを言い続け、姿の見えない蛙の色味や模様について事細かに、滔々と語り続けるのだ。ただ一件、少々芝居じみたところもある。なぜならパン粥の皿には蛙が本当に入ってたのだ。結局のところニコラスからすれば、蛙を入れたのは自分の仕業なのだからその姿を詳述できるのも当然という肚だったに違いない。
「パン粥は身体に良いんだから、庭で採った蛙を入れるなんて何てことかしら」と長い長い説教を食らったが、この一件でニコラスの心にはっきりと刻まれたのは、また別の真実だった。分別のある真面な大人たちが声を大にして「正しい」と言っていたことを、大人たち自身が大きな「誤り」であると明言してしまったことである。
「蛙なんて入ってるわけないって言ってたけど、ちゃんといたでしょ、僕のパン粥の中にさ」と、この有利な状況を手放すつもりも無く、老練な策略家のような執念深さでニコラスは繰り返した。
その日の昼下がり、従兄妹たちはジャグボロウへ浜遊びに出かけていった。愚図っていた弟も一緒に連れて行ってもらえたのに、ニコラスだけは留守番を命じられていた。原因は従兄妹たちの叔母にあった。この叔母というのは血縁でも無いのに、自分をのことを「ニコラスの保護者も同然だ」と言い張るような出鱈目に想像力を広げる人間だった。そして今朝のような無作法な振る舞いをすれば、日々の楽しみを没収されてしまうというのをニコラスに分からせるために叔母は急遽ジャグボロウへの遠足を思いついたのである。子供たちの誰かが悪さをすると、即興で何かお祭りのようなことを始めて、悪い子は断じて仲間に入れてやらないというのが叔母のいつものやり方だった。たとえば子供たち皆がまとめて悪さをすると「隣町に曲芸旅団が来ている」と急に知らせるのである。悪いことさえしなければ、無類の魅力と無数の象で溢れかえる曲芸旅団へ連れて行ってもらえたのにねぇ、という具合だ。
小旅行隊の出発が近づけば、あのニコラスも少しくらいは涙を滲ませるだろうと思っていたが、実際のところ泣いていたのは従妹だけで、段差に膝をぶつけてかなり痛そうにしながらも馬車によじ登ろうとしていた。
遊びに連れていってもらえるのに全く気分が乗らないまま馬車を走らせる一行を他所に、ニコラスは「あの娘、よく喚くもんだね」と楽しそうに呟いた。
「機嫌なんてすぐ元通りになるわ」と自称叔母が言う。
「あの綺麗な砂浜で追いかけっこをする。素晴らしい昼下がりだわ。みんな、楽しく過ごせるのよ!」
「でもボビーは楽しく過ごせないだろうね。追いかけっこなんてとても無理だよ」とニヤリと含み笑いを浮かべながらニコラスは言った。
「足が痛いんだって。きつすぎるんだよ、靴が」
「あの子、足が痛いだなんて言わなかったわよ」と叔母はちょっと刺々しい感じに聞いてきた。
「二度も訴えてたのに、聞こうともしなかったのはそっちだよ。こっちが大事なことを伝えようとしても聞いちゃくれないよね」
すると、叔母は話題を変えて「ニコラス、酸塊果の庭に入るのは禁止にします」と命じた。
「どうして?」とニコラスは強く訊ねた。
「どうしてって、あなたが恥晒しだからよ」
叔母は高らかにそう答えた。
そんな理由は道理に合わない、とニコラスは感じた。恥晒しだとしても酸塊果の園に入ることは出来るはずだ。ニコラスの顔つきがかなり頑固なものに変わっていくのを見て叔母は確信した。酸塊果の庭に立ち入ることを決心したのだ、と。「ダメと命じたから、敢えてそういう態度を取っているのね」と内心思っていた。
酸塊果の庭には門が二つある。今の季節だとニコラスのような小柄な人間がちょっと忍び込んでしまえば、生い茂る薊花や木苺の蔓、果樹の狭間に紛れて上手く視界から消えることができるのだ。その日の昼下がり、叔母には他にやることが沢山あったが、花壇や低い木叢に行っては、取るに足らない園芸作業に一、二時間ほど費やして、そこから禁じられた楽園へと通じる二つの門を注意深く見張っていた。想像力は乏しいものの、叔母の集中力だけは計り知れぬものがあった。
ニコラスは一、二回ほど前庭への突入を試みていた。身を捩り屈めながら、明白な忍び足で門の方へと歩みを進めていたのだが、叔母の鋭い視線からは一瞬たりとも逃れることはできなかった。ただ正直に言うと、ニコラスは酸塊果の庭に入るつもりなど無かったのである。叔母がそう思い込んでくれる方がニコラスとって非常に都合が良かったのだ。端的に言ってしまえば、叔母には午後の時間の大部分を、見張り役として自ら進んで浪費してもらいたかったのだ。叔母が疑っていることをしっかりと見極め、さらにその疑念を徹底的に強固なものに仕立て上げるとニコラスはそっと家の中へと足を戻した。そしてすぐに、以前より脳裏に芽生えていた『ある計画』を実行に移すことにしたのだ。
書斎の椅子の上に昇ると棚に手が届く。その棚には艶々と肉厚で大事そうな鍵が眠っていた。見た目通り、この鍵が重要なのである。『物置部屋』の謎を無法者の侵入から守ってくれる道具であり、叔母やそれに近い特権的な人間たちだけが通れる道を開く道具なのだ。ただ、錠穴にどういう具合に鍵を挿し込み、どんな風に回すのか……そういった技術的なことはニコラスもあまり経験が無いので、学校の教室の扉の鍵で数日前から練習をしていた。運や偶然というものはあまり信じていなかった。そして錠穴の中で動きは重かったが、それでも鍵は回ったのである。扉は開き、ニコラスは未知の世界に立っていた。比べてしまえば、もはや酸塊果の園などは取るに足らない歓びで、ただの物質的な快楽に過ぎなかった。
子供たちの目に触れぬように注意深く秘匿され、何度聞いても教えてくれなかったあの『物置部屋』は一体どんなところなのだろう。ニコラスは何度も何度も『物置部屋』への思いを募らせていた。そして今、その期待に『物置部屋』は応えてくれるのだ。まず、部屋の中は広々としていて暗がりの中に仄かな明かりが差していた。高いところに明り取りの窓が一つだけあって、禁断の庭の方を向いている。次に、この部屋は想像以上に宝物で満ち満ちていた。そう言えば、叔母は「モノは使えばダメになるから保存のためだ」と言い張って埃や湿気に晒してしまう類の人間だったのを思い出す。これまでニコラスがこの家で目にしてきたのは素っ気ないだけで心も躍らない部屋ばかりだったのに、ここにはワクワクとさせる素晴らしいものが幾つもあった。
最初、すぐ目に入ったのは額に入った飾り織の束だ。きっと暖炉の衝立として使っていたのだろう。ニコラスはその飾り織に生き生きと息の通った物語を感じ、丸めて仕舞われていたインド製の壁掛け絨毯に腰を下ろして、飾り織の絵柄の隅から隅まで目を凝らした。腰元の絨毯が積もった埃の下で素晴らしい色彩を放っている。飾り織の中では、少し昔の狩猟衣を着た男がちょうど矢で牡鹿を射抜いているところだった。牡鹿との距離は一、二歩しかなく、おそらく難なく命中させたに違いない。織り描かれた草木の鬱蒼と生い茂る様子を見ても、下草を食む牡鹿に忍び寄るのは造作も無かったことだろう。狩りに加わるために跳び掛かろうとしている二匹の斑犬も、矢が放たれるまでは狩人の後ろに控えていた。そう躾けられているのが手に取るように分かる。面白くはあるが、その辺は単純な絵にすぎない。ただ、ニコラスが見ているアレに狩人は気づいているのだろうか? 自分の方に向かって森の中を疾走する四匹の狼の姿が見えているのだろうか? 木々の陰には狼がもっと潜んでいるかもしれないし、いずれにしてもこの四匹の狼が襲い掛かってきたときに狩人と犬はうまくやり過ごすことができるのだろうか? 矢筒に残された矢はあと二本だけだ。大きな牡鹿を冗談みたいな至近距離で仕留める程度の腕前ということしか分からないので、矢の一本、いや二本とも射ち損じるかもしれない。狼は四匹以上いて、狩人と犬は既に隘路に追い込まれている……そんな情景に思いを馳せてみる。ニコラスはぐるぐると想像を巡らせながら、長くて短い黄金色の時を過ごしていた。
もちろん他にも、ニコラスの心を一瞬で虜にしてしまうような、面白そうで心惹かれるものが色々とあった。蛇の形の捻じれた蠟燭立ては古めかしくて趣があるし、中国にいる家鴨の姿を模した茶瓶はその開いた嘴からお茶が出るようになっている。これに比べると子供部屋の茶瓶のなんと退屈で味気ないことか! 彫刻が施された白檀の木箱には良い香りのする生綿がぴっちりと敷き詰められている。生綿の間には真鍮で出来た小さな犎牛に孔雀に小鬼の人形が収まっていて、見ても触れても楽しい。
あまり期待のできない見た目をしていたのは、真っ黒で四角い無地の表紙の分厚い本だった。ちらりと中を覗いてみると、なんとそこには、色とりどりの鳥の絵がたくさん描かれているではないか。鳥ってこんなにいるのか! ニコラスが庭や小道を歩いているときに出会うのは二、三種くらいで、たまに見る大きな鵲や杜鳩だけだった。しかしここには、鷺もいる野雁もいる、鳶も大嘴も、頭黒溝五位鷺も藪塚造鳥も朱鷺も金鶏もいる。これは夢の中の想像を超えた生き物たちが詰め込まれた図鑑だったのだ。ニコラスが鴛鴦の羽色に関心を寄せ、その生態と照らし合わせていると、外の酸塊果の庭の方から甲高く喚くような叔母の声が聞こえてきた。どうやら自分の名前を呼んでいるらしい。ニコラスがずっと姿を見せないので叔母の不信感はむくむくと膨れ上がり「きっと紫丁香花の木々の繁みに隠れて裏の壁をよじ登ってしまったのだ」という突飛な結論に達していたのだった。そして今や、力強い足取りで薊花や木苺の蔓の中を突き進み、かなり絶望的な捜索に勤しんでいる。
「ニコラス、ニコラス!」と叔母が金切り声を上げる。
「すぐに出てきなさい。隠れようとしても無駄よ。いつでも見つけられるんですからね」
物置部屋の中で誰かがニコリと微笑んだ。おそらく、ここ二十年で初めてのことだったに違いない。
ニコラスの名を繰り返す不機嫌な声はやがて悲鳴へと変わり、そして誰か早く来てくれという泣き声に変わっていった。ニコラスは本を閉じて部屋の隅の方に丁寧に戻すと、傍に積み上げられていた新聞の埃を本の上に振りかける。それから忍び足で部屋を出て扉に鍵をかけた。鍵は見つけた場所にきちんと戻して、前庭でのんびりと散歩を始める。叔母はまだニコラスの名前を呼んでいた。
「誰か呼んでるの?」とニコラスは尋ねる。
「わたしよ」と壁の向こう側から答えが返ってきた。
「わたしの声が聞こえる? 酸塊果の庭であなたを探してたら、貯水槽に足を滑らせてしまったの。水が入ってなかったのは運が良かったけど、壁がツルツルして出られないの。小さな梯子でいいから持ってきて、桜の木の下にあるから……」
「でも、酸塊果の庭には入ったらダメだって言われたよ」とニコラスは即座に返す。
「さっきはダメって言ったけど、今は良いって言ってるのよ」
少し苛立っているような声が貯水槽の中から返ってきた。
「その声、叔母さんのじゃないみたいだね」と言ってニコラスは反抗してみせる。
「お前、僕が言いつけを破るように唆す悪魔だな。よく叔母さんが言ってるよ。悪魔が僕を唆すから僕はいつもそれに従ってしまうんだ、って。今回ばかりは屈してやらないからな」
「わけの分からないこと言わないで。向こうに行って梯子を取ってきなさい」と貯水槽の囚人が声を上げる。
「じゃあ、お茶のとき苺のジャム出してくれる?」と無邪気に尋ねるニコラス。
「出すわ、ちゃんと出してあげるから」と叔母は言ったが、そんなもの出してやるものかと心に決めていた。
「ああ分かったぞ。お前は悪魔だ、叔母さんじゃない」
ニコラスは嬉しそうに大声を上げた。
「昨日、叔母さんにジャムのことを聞いたら一つも無いって言ってたもの。でも僕は知ってるんだ、戸棚に苺ジャムの壜が四つあるのをね。だってこの目で見たんだから。そうなんだよ、お前もジャムがあるのを知っていた。でも叔母さんは一つも無いって言ってたんだから苺ジャムなんて知らないはずだ。さあ悪魔め、自分で自分を売ってしまったようだね!」
叔母と話すのに、まるで悪魔と対峙しているように振舞えて、ニコラスは非日常的な贅沢感に浸っていた。ただニコラスにも子供なりの良識はあって、そんな贅沢を甘受しすぎるのは良くないというのを知っていた。そして大声で騒ぎ立てながらその場から立ち去ることにした。結局、貯水槽から叔母を救い出してくれたのは、旱芹菜を探していた料理番の女中だった。
その晩のお茶の時間は恐ろしいまでに静かなものであった。子供たちがジャグボロウの入り江に着いた頃には潮が一番満ちていて、遊ぶことのできる砂浜など見当たらなかった。……ニコラスへの罰として計画した遠足だったが、急いでいたあまり叔母はこうなることを見落としていたのだ。そして靴がきつかったせいで、ボビーの機嫌は午後の間ずっと惨憺たるものだったし、他の子供たちも誰一人として「楽しかった」と口にする者はいなかった。叔母はというと、まるで三十五分も貯水槽に閉じ込められ、分不相応な拘留で威厳を奪われた人間のように凍てついた沈黙を守っていた。一方、ニコラスもまた、考え事の多い人が思索に耽溺するように静寂を守っていた。
そう、これはただの可能性の話だ。ニコラスは思いを巡らせる。狼たちが、討たれた牡鹿に舌鼓を打っている間に、狩人が猟犬を連れて逃げるという可能性の話だ。
原著:「Beasts and Super-Beasts」(1914) 所収「The Lumber Room」
原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)
(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏
底本:「Beasts and Super-Beasts」(Project Gutenberg) 所収「The Lumber Room」
初訳公開:2023年10月28日
【訳註もといメモ】
1.『ジャグボロウ』(Jagborough)
英国の古地図などを参照したわけではないので断言は憚られるが、どうも架空の土地であるようだ。直訳すれば「ギザギザ町(jag + borough)」なので、複雑に入り組んだリアス式海岸を持つような海沿いの土地といったイメージだろうか。
2.『中国にいる家鴨』(a china duck)
この「China duck」が指すものが何の鳥なのか結局分からなかった。Google画像検索などしてみると鴛鴦の画像ばかりが出てくるが、当の動物は「Mandarin duck」として後ろの方で登場してしまう。白水Uブックスの「納戸部屋」(和爾桃子 訳、「けだものと超けだもの」所収)でも「中国あひる」と直訳しているので今回はそれに倣った。もちろんこの物語で「China duck」が登場した時点ではニコラスはまだ鳥類図鑑を読んでいないので、色彩豊かな「Mandarin duck」を「中国にいそうな家鴨」と認識していた可能性もある(そういう点でSakiも言葉を変えているのかもしれない)。