笑みて散りゆく男
やがて日も中天から傾く頃合い。
第二王子達が軟禁されている離宮。
その入り口となる門前に、レイモンドの姿はあった。
「……カークス卿? いかがなされました?」
門番は、レイモンドの顔見知りであった。
ある意味で都合が悪く、ある意味で都合がいい。
ニコリと、レイモンドは穏やかな笑みを浮かべた。
その笑顔に、門番達の気が緩んだのが……良かったのか、悪かったのか。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
唐突に告げられのは、あまりに彼の表情とそぐわないもの。
だからその意味が頭に入ってこなくて困惑する門番達の前で、レイモンドは剣を抜いた。
息を吸うよりも自然に抜かれたため、門番達は気付くことが出来ず。
息を吐くように剣が振られた時に、抜かれたと気付いた。
剣の腹で一撃、二撃。
二人居た門番は、あっさりと意識を飛ばして倒れ臥した。
剣を収めたカークスは、そのままズカズカと離宮の中へ足を進めていく。
第二王子達が押し込められた離宮だ、人の出入りは少なく、その端にある門の近辺では見咎められることはなかった。
だが、奥へ奥へ、王子達が居るであろう区画へと向かえばそうもいかない。
「まて貴様、何用だ! いや、そもそも何奴だ!」
ついに、警備にあたっていた騎士から誰何された。
だがレイモンドは、そちらへと顔を向けることさえせず。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
とだけ答えて……激高しかけた騎士の懐へと飛び込んだ。
拳で顎を下から上へと打ち上げれば、如何に鍛えている騎士と言えども意識を保つことなど出来はしない。
そうすれば騎士は崩れ落ち、当然、ガシャンガシャンと鎧が盛大に金属音を響かせる。
「ろ、狼藉者だ~! 出会え、出会え!!」
近くでそれを呆然と見ていた騎士が我に返って声を上げるも、レイモンドは意に介した様子もなく奥へと進む。
もちろん、その前には幾人もの兵士や騎士が立ち塞がるのだが。
「止まれ! 止まらねば斬るぞ!」
複数人に囲まれ、刃を向けられ、警告の言葉を向けられ。
普通の人間であれば、足がすくむところだろう。
だが、レイモンドの足は止まらない。
彼は毎朝、もっと近くで刃を向けられる感覚を味わっている。届くかどうかが肌でわかる。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
淡々とした言葉と共に、剣が抜かれた。
いつの間にか。
そうとしか言えぬ呼吸で抜かれた剣は、振り抜かれた後で抜かれたと認識された。
兵士や騎士達が、剣の腹で叩かれ倒れた後に。
何が起こったか、わかった者は一握りもいなかった。
「敵襲! 敵襲!」
「かかれ、かかれ! 構わぬ、斬り捨てよ!」
そんな怒号が飛び交う中、レイモンドは粛々と進む。
右から来る。左からも来る。
その刃を最小限の動きでかわして、淡々と剣を振る。
彼の後ろに、幾人もの騎士が倒れ伏していく。
王家の離宮を守るからには精鋭たる近衛騎士のはずだ。
だが、そんな彼らが次から次へと斬りかかっても、レイモンドを止めることが出来ない。
しかも、ここまでレイモンドは一人も斬っていない。殺すことなく、ただ打ちのめし、気絶させている。
どれだけの技量差があれば、そんなことが出来るというのか。
そんなどうしてもレイモンドを止められない状況で、一人の近衛騎士が立ちふさがった。
「なんだ、あの芋臭い田舎女の護衛騎士じゃないか!」
それは、学園内でミシェルの護衛を担当していたはずの、近衛騎士だった。
ミシェルが死んだというのに、何一つ気にしていないような軽薄な表情は、学院で幾度も見せていたもの。
きっと彼からすれば、ミシェルの死など些事なのだろう。彼もまたあの場にいただろうに、その心には何も響かなかったらしい。
身体の内から怒りが溢れてくるも、レイモンドは顔に出さない。
顔にも声にも出してはいけない。全てが無駄になってしまうから。
だから。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
応える言葉は、それだけだった。
ただ一つ違ったのは。
刃を、向けた。
磨き抜かれた技量で振るわれた刃は、上等な近衛騎士の鎧を袈裟懸けに易々と断ち切った。
「は……? え……? な……?」
斬られた近衛騎士は、何が起こったのか理解することも出来ぬまま、事切れた。
本当であれば三寸刻みに切り刻みたいところではあるが、今はそんな時間がない。
一瞥すらせずに、レイモンドは奥へ奥へと。
人とは思えぬ武威を振るうレイモンドに対して、それでも何とか止めようと立ちはだかる近衛騎士達。
その動きを見れば、どこを守りたいか、どちらに行かせたくないのかががわかる。
同時に、彼らがどれだけ不本意に守っているかも。
そんな彼らに哀れみを覚えながらも、まっすぐに、正面から、気狂いらしく、踏み越えていく。
流石に、無傷とはいかぬ。
一対一で敵わぬとみれば、騎士の矜持も捨てて二人で、三人で囲い。
その切っ先から迸る殺気に反応して避け、剣で払ってもなお掻い潜ってくる連携は見事の一言。
致命の一撃だけは避けながらも、頬に腕に、脚に、傷は増えていく。
だが、幾度斬られようとも顔には痛みを出さぬ。出してはならぬ。
今のレイモンドは気狂いだ、人のように痛みを感じぬ存在だ。
故に道理はなく、技もなく。無造作に見えるよう剣を振るい、その腹で殴り倒していく。
いや、幾人か、学院内で見た覚えのある顔は斬り捨てて。
レイモンドの武は、今この瞬間、極みに達していた。その意味を失ったばかりの今に。
「槍だ、槍をかき集めろ! 剣では奴に届かん!」
そんな叫びに、良い判断だとレイモンドは内心で感心する。
剣であれば一度に肉薄出来る数が限られる上にレイモンドの刃が届くが、槍であればより多くの人間が、届かぬ間合いから攻撃出来る。
これが弓であれば、今のレイモンドは全て避ける自信があるし、そのことは指示を出した人間もわかっているのだろう。
プライドだとか何もかもを投げ打ってでもレイモンドを仕留めようというのであれば、それが最善手。
つまり、彼らが槍を持って集まってくればレイモンドとて危うい。
ならばと脚を速めて辿り着いた、離宮の奥。
ここか。
見当をつけた部屋の扉を蹴破れば、まさにその通りであった。
「う、うわぁぁぁぁ!!」
騒ぎを聞いていたのだろうか、身構えていた騎士崩れのごとき男が斬りかかってきた。
ああ。
理解したレイモンドは、その剣を手の甲で打ち払った。
遅い。
軽い。
鈍い。
こんな剣で斬りかかったというのか。
無抵抗の者しか斬れぬような、こんな惰弱な剣で。
口を衝きそうな怒りを拳に載せて、男を殴った。
「ばびゅう!?」
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
と、意味不明な悲鳴を上げながら吹き飛び転がった男の頭を、蹴り飛ばした。
グシャリ、ゴキリ。骨が折れる音が、二つ。
頭蓋が砕け首の骨が抜けたか。
どうでもいい。息の根が確かに止まったのであれば。
「フ、フレイムランス!!」
そこに、攻撃魔術が飛んできた。
炎の槍。中級攻撃呪文にあたり、個人を攻撃する魔術としては高威力な部類である。
そのはずなのだが。
全く揺るぐことなく、レイモンドはそこに立っていた。
ゆっくりと、彼に攻撃魔術を放った……確か公爵家令息であるはずの少年へと向かって歩みを進める。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
「は、はぁ!? フ、フレイムランス! フレイムランスゥゥゥゥ!!」
一発、二発。普通ならば致命傷となったであろう炎の槍がレイモンドに当たっても、その歩みは止まらない。
ついに、その眼前へと立って。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
もう一度そう告げれば、令息の喉へと刃を突き入れる。
「フレイムごぼっ!? ご、ばぁ!?」
もう一発、と魔力を練り唱えていた呪文を中断させられ、令息は血を吐き出す。
と、行き場を失った魔力が炎となって令息の全身から噴き上げ、その身を焼き焦がしていく。
だがレイモンドは、焦げるような断末魔を意に介した風もなく、残る二人へと向き直った。
「き、貴様! お、俺をこの国の王子と知っての狼藉か!?」
床にへたり込んだ第二王子ミゲルが、それでも虚勢を張って声を荒げる。
だが、レイモンドの顔には何の変化もない。
変化させてはいけない。
だからこそ、その顔は、言葉にできぬ凄味と恐ろしさがあった。
「ま、まて、止まれ! た、助けてくれ、金ならいくらでも払う!
それとも官位がいいか、俺ならいくらでも出世させてやれるぞ!」
その言葉と同時に、レイモンドの足が止まった。
それを見て、ミゲルは思わずほっと息を吐く。
だが、彼は勘違いをしていた。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
レイモンドが足を止めたのは、単に彼がミゲルを間合いに捉えたから。
淡々とした言葉、いつの間にか振り下ろされていた刃。
愚かな第二王子は、唐竹割りに両断されたこともわからぬまま、恐怖のうちにその生涯を終えた。
「こ、来ないで、来ないで!」
最後に残った一人、ミゲルの恋人だった男爵令嬢コニーがへたり込んだまま後退る。
僅かに湿る絨毯、かすかなアンモニア臭。
そんなものは、レイモンドにとってどうでも良かった。
一歩、また一歩、レイモンドは歩みを進め。
急に、男爵令嬢の顔が、勝利を確信したかのように歪んだ。
激しく響く複数人の足音。
レイモンドへと押し寄せる騎士達の気配。
どうやら、間に合って『くれた』らしい。
「討ち取れ! この狼藉者を討ち取れ!!」
指示の声が飛び、レイモンド目掛けて槍が繰り出され。
その腹部へと、背中へと、何本もの穂先が刺さった。
「あ、あははははははは!! ざ、ざまぁ! あたしにこんなことするから!!!」
真っ青な顔のまま、勝ち誇る男爵令嬢の前で。
背や腹を刺されて致命傷を負ったはずのレイモンドが。
ニヤリと、笑った。
これならば、この小娘を斬った後の時間を持て余さずに済む。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
「……は?」
それが、男爵令嬢の最期の言葉だった。
致命傷であるはずなのに。
動くことなど出来ぬはずなのに。
レイモンドは、一歩だけ前へと進んで。
この場に居合わせた多数の近衛騎士が誰一人として反応出来ぬ速さで振られた剣が、令嬢の頭をカチ割った。
誰も、何も言えぬ数秒。
レイモンドが数歩足を進めれば、突き立てられていた槍の穂先が抜けていく。
見上げれば、屋根近くにある飾り窓から差し込む夕日が、天国へと至る階段かのよう。
迎え入れてもらうなど望むべくもないが、せめて入り口前までは許してもらえぬだろうか。
愛する女性を、そこまで送り届けねばならぬのだから。
ふと、エスコート役を待っているミシェルの顔が見えた気がして、レイモンドの口の端が微かに上がる。
ああ、どうやら送り届けることは許してもらえるらしい。跪いて愛を請えば、どんな顔をされるかわからないが……もう、それで十分だ。
そうして、呆然とした顔でいまだ彼に槍を向けている近衛騎士達へとゆっくりした動きで振り返り。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
神職者のごとき荘厳さで告げた彼は。
糸が切れた人形のように、その場へと崩れ落ちて……息絶えた。
※ここまでお読みいただきありがとうございます。
本日19時頃に最終話を投稿予定でございますので、そちらもお読みいただければ幸いです。
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※こちらの作品は、30年程前に某少年誌の読み切りで掲載された鶴岡伸寿先生作の『士魂 鉄忠左衛門の最期』に触発されて書いたものとなります。
そんなにも前の作品だというのに、短編版では多くの反応をいただき、本当に凄い作品だったのだと改めて実感いたしました。
覚えてらっしゃる方であれば、このシーンにて思い出される方が多いのではと思い、後書きにてお伝えさせていただきました。
もしこの作品をお読みになった方で、ご存じであり、かつご不快になられた方がいらしたら、申し訳ありません。