たった一つの、冴えたやり方
「すまない、すまないミシェル、僕が、僕がついていながら、こんなことにっ」
その夜、もの言わぬ姿となって横たわるミシェルに縋り付きながら、グレアムが涙を零す。
侯爵令息の身でありながら近衛騎士数人を相手に回して踏みとどまって見せたのだ、彼を責めることなど出来はしない。
だがそれでも、彼は己を責める。大事な妹を守れなかった、その悔恨とともに。
パーティで第二王子ミゲルが引き起こした事件の後、ミシェルの遺体はグレアムが何とか確保して、グラナダ侯爵邸に運び込むことが出来た。
涙を溢れさせながら、それでも手を動かしたメイド達によってその身は清められ、今は簡素なドレスを纏い広間の奥に横たえられている。
傍目には眠っているだけにも見えるが……その身体は、微動だにしない。
その傍に立つブライアンは握り拳を固め、ジェニファーは畳んだ白扇を折れそうな程に握りしめていた。
二人とも、溢れ出しそうな激情を、言葉を、必死に飲み込んでいる。
侯爵家の人間として最後までミシェルは気丈に振る舞っていた。
ならばその親である彼らもまた、貴族の模範たる姿を貫かねばなるまい。
「泣くな、グレアム。お前がいたからこそ、ミシェルはこうして帰ってこれた。そして、何があったかも知ることが出来た。
お前が、無事だったからだ」
「と、父さん……」
泣きはらした顔でグレアムが見上げた先にあるブライアンの顔は、落ち着いて居るように見える。
だが、わかる。悲しみと怒りを必死に飲み込み、成すべき事を為さんとしているのだと。
だからグレアムは、ぐい、と乱暴に袖で目元を拭った。
今だ溢れてくるものは止められないが、それでも、目には力が少しばかり戻って来たか。
「もしもお前が無事でなければ、第二王子に都合良くねじ曲げられた話を聞かされ、その裏取りをしてと時間が無駄になるところだった。
だが、こうして話を聞けば、すぐに動くことが出来る。これは、お前のおかげだ」
ブライアンの目は瞬きを忘れたかのように見開かれ、血走っている。
怒りの形で溢れ出てくる何かを理性の鎖で縛りながら、なすべきことを見据えているのだ。
ここまでされては最早、為すべきことは一つ。
「……第二王子殿下と取り巻き連中は、いかが相成りましたか」
傍に控えていたレイモンドが、静かな声を響かせる。
だが、握り込んだ手には爪が食い込み、血が流れていた。彼もまた、激情を堪えているのだ。
「後から陛下の名代としていらしたオスカー殿下が、騎士達に全員を拘束して、王宮へと連行するよう命じたところまでは見ていたけれど……」
「その後は取り調べのため離宮に軟禁されているらしい。今ものうのうと生きているそうだ」
グレアムが現場で見ていたことを話せば、その後調べたのだろうブライアンが続く。
標的の居場所と状況を掴むのは、戦術の基礎である。
今のグラナダ侯爵家一党が取らんとする標的が誰であるかなど、言うまでもない。
後考えるべきはただ一つ。
いかにして奴らに復讐するか。
「……真っ当な手続きだと、伯爵令息はともかく、第二王子やあの女までは届かない?」
「ああ、残念ながら、な。命じたミゲル王子を幽閉に追い込むことは出来るだろうが、命で贖わせるのは難しい。
男爵令嬢にいたっては傍に居ただけだ、狡猾なことに」
恐らく、ミゲルは幽閉後しばらくしてから『病死』することにはなるだろう。
男爵令嬢も、野に放たれたところで密かに始末することは難しくない。
だが、それではだめだ。
だめなのだ。
ミシェルの無念は、彼らの手で晴らされねばならない。それも、誰の目にも明らかな形で。
だが、そうなると手段は限られてくる。
「領軍を呼んだとして、到着には数日かかる、か……陛下がお戻りになる前にとはいかんな……」
国王がいる王宮の傍にある離宮に徒党を組んで攻め込むのと、国王不在の際に攻め込むのでは、僅かばかり意味が違ってくる。
国王、すなわち国家に対して反逆するのではなく、あくまでも第二王子に対してのみ。
その僅かな違いが、兵士達の家族や領民達の命運を左右するかも知れない。
ブライアンは、貴族だった。
父親でもあるが、貴族だった。
一族や領民達に累が及ばぬよう差配をしてから、というのが先に来る。
彼は、侯爵だから。貴族の手本と言っても良い彼を、ミシェルが敬愛していたから。
「それよりも先に、サンフィールド公爵が戻ってきて離宮周りを固めるやも知れません」
「あるいは、密かに始末して事を有耶無耶にするか、だな……」
間の悪い事に、サンフィールド公爵もまた王都を空けていた。
国王と祖父に当たる公爵という煩い二人がいなかったからこその、第二王子ミゲルの暴走。
奇しくも、だからこそ指示を誰も出すことが出来ず、ミゲル達の処遇が宙に浮き、一種の空白状態が出来てしまっているのだが。
恐らくナインルート公爵は、ミゲルが自滅していくのをほくそ笑みながら見物していることだろう。
であれば、今グラナダ侯爵ブライアンがここにいて、能動的に指示を出せるのは大きな強み。
しかしそのアドバンテージは、この一両日程度の間だけである。
その間に、憎き第二王子ミゲルの首を取らねばならない。
だから。
レイモンドは、決意した。
「お館様。どうか私を解雇してくださいませ」
「なっ、何を言うんだレイモンド!?」
まさかの発言に、ブライアンが慌てて振り返るも、レイモンドは落ち着いた顔だった。
「私は此度の一件で心が壊れ気狂いとなりました故、これ以上お勤めすることが出来ませぬ。
よって、解雇していただきたく」
「……レイモンド? お前、まさか!?」
一瞬でレイモンドの考えを見抜いたブライアンが問うも、レイモンドは諾とも否とも答えない。
ただ静かに、そこに佇むのみである。
そんなことをさせるわけにはいかない。
だがブライアンが必死に頭を巡らせるも、妙案は一つも浮かばない。
「お館様。事は急を要します。手をこまねいている間に、ゆっくりと眠らせる茶が差し入れられるかも知れませぬ。
疾く、解雇通知書を。私の署名を残さねばなりませぬ」
「く、ぅ……レイモンド……お前はっ、お前という奴はっ」
泣くまいと堪えていたブライアンの両眼から、涙が溢れ出す。
それを見たジェニファーとグレアムも、レイモンドが何を決意したか、察した。察してしまった。
「レイモンド、何考えてるの!? お前が命を捨てることなんてないんだよ!?」
「そうです、これはグラナダ侯爵家の体面の問題、お前がそこまでする必要はありません!」
一戦交える覚悟はある。
そして、そうなればレイモンドは先陣を切って戦場へと向かうだろうし、その時はきっと頼りにしたことだろう。
だが、これは違う。生き残ることも出来る戦ではなく、その身を捨てさせることになるこれは。
しかし、そんな主家の面々に向かって、レイモンドはゆっくりと首を横に振って見せた。
「いいえ、私はこのグラナダ侯爵家の剣を自負しております。であれば、グラナダ侯爵家の問題だからこそ、この身を使いたく」
静かに、静かに。
全てを覚悟し飲み込んだ男の顔は、凪いだ水面のように静謐だった。
「それに、これはついで、です。
私は、ミシェルお嬢様の旅路に護衛としてお側に参らねばなりませぬ。その行き掛けの駄賃、というやつです」
レイモンドは、微笑んだ。
まるで、それが大したことでもない、当たり前のことであるかのように。
だからグレアムもジェニファーも、何も言えなくなってしまった。
「……馬鹿者。そこは『跪いて愛を請いに行ってくる』くらい言わんか」
ぽつりと、ブライアンの声が響く。
え、と見れば、ブライアンは憤怒の表情で泣いていた。
「お館様……お許しいただけるのですか?」
「こんな形で許したくはなかったぞ、この大馬鹿者が!
だが、最早これくらいしかしてやれんのだ、許すしかあるまいよ!」
ブライアンは泣いた。ひたすらに泣いた。
大馬鹿なのは自分だ、本当の大馬鹿者は自分だと心で詫びながら。
「ありがとうございます、お館様……これでこのレイモンド、何の憂いもなく死地へと向かうことが出来ます」
「そんな礼を言われても、何の慰めにもならぬ!」
溢れ出る涙を止めることも出来ず、しかしブライアンは家令へと指示を出す。
レイモンドへの解雇通知書を作成し、そこに侯爵とレイモンドが署名。
そして、長きにわたり忠勤に励んでくれた彼を領地で療養させるべく馬車を用意した、という形を取った。
これで、為べき準備は出来たことだろう。
翌朝。
目覚めたレイモンドは、自室でいつもの日課を行った。
上半身裸になり、短剣の刃を向ける。
それを今日は、いつもよりも間近に。
その肌に薄く傷を付けるほど近くに寄せて、動かして。
あるいは腕の限りに遠くして。
肌をがすめる刃の恐怖と、遠くにある刃の気配をその身体に刻み込む。
今日は、いつもよりも刃に慣れてから出ねばならぬから。
それから全ての準備を終え、侯爵邸のエントランスを一歩出たレイモンドが振り返れば、ブライアン、ジェニファー、そしてグレアムが見送りに出てきていた。
「それではお館様、奥方様、若様。これにてお暇申し上げまする。
これより先、レイモンド・カークスは気狂いにございます」
「馬鹿者……本当にお前は、大馬鹿者だ!」
微笑みながら別れを告げるレイモンドへと、ブライアン達が語れる言葉など、最早なく。
ボロボロと涙をこぼしながら、彼らはレイモンドの乗る馬車を見送るしか出来なかった。
馬車が侯爵邸を、そして王都を出て、しばし。
「これくらいならば、いいだろうか」
ぽつりと呟いたレイモンドは、馬車の扉を蹴破り、飛び出した。
走る馬車から飛び降りたというのに、くるりと器用に受け身をとってすぐさまその場に立ち上がる。
「レイモンド殿!? な、何をなさいます!?」
護送していた騎士が、御者が驚き慌てる前で、レイモンドはゆっくりと言葉を発した。
「レイモンド・カークスは、気狂いにございます」
は? と騎士や御者が呆気に取られた瞬間。
レイモンドの身体が疾風のごとく動き、瞬く間に彼らを打ち倒してしまった。
「……数分で目覚めるだろうか。すまぬな、これも必要な茶番ゆえ」
同僚であった彼らを道の脇に寄せた後、レイモンドは踵を返した。
目指すは、第二王子ミゲルが押し込められた離宮。
鎧は、身に付けぬ。気狂いならば、装着させられる間に大人しくしてなどいないだろうから。
ただ己の身一つで、第二王子の喉元まで迫る。
覚悟を決めたレイモンドは、疾風のごとく駆け出した。
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続きは本日12時頃に投稿予定でございますので、そちらもお読みいただければ幸いです。
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