騎士として。あるいは令嬢として。
その後、レイモンドとミシェルの身辺は一気に騒がしくなった。
ほとんど王都の社交界に顔を出さなかった謎の侯爵令嬢ミシェルが、美しくお淑やかな姿を見せたのだから縁談が次から次へと来るのは当たり前と言えば当たり前であるが。
それに加えて、予想外なことに、レイモンドにも縁談の打診が届くようになったのだ。
何しろ鍛え上げられた立派な体躯に騎士礼装を纏い、無骨ながらも凜々しい顔に少しばかりの憂いを乗せて大人の色気とでも言うべきものを纏ってしまったレイモンドは、物語に出てくる騎士の姿そのもの。
そんな彼を恋に恋するお年頃なデビュタント参加者の令嬢達が見てしまえば、心を射貫かれてしまう者が出てきてしまったのも仕方がない。
おまけに豊かな領地を持つグラナダ侯爵家に仕える騎士であれば、薄いながら人脈も期待できるため男爵令嬢や子爵家の次女三女あたりの嫁入り先としては十分ありな上に、入り婿として迎えるにも魅力的な存在だ。
そして、下位貴族である男爵令嬢や子爵令嬢は、身分が下な分それなりの数がいる上に、政略的なことはあまり考えず気楽に動ける家も少なくない。
結果、レイモンドにも結構な数の釣書が届く羽目になってしまったわけだ。
「これは、参りましたね……」
主であるブライアンの執務室に呼ばれ、山と積まれた……までは行かないが、十を超える数の釣書を前に、レイモンドはそう呟くしかない。
一つ手に取ってみれば、若く麗しい令嬢の絵姿。
年齢はおおよそミシェルと同年代、恐らくあの時デビュタントに参加していた令嬢かその姉なのだろう。
この時代、この国においては、その程度の年齢差は普通によくあることではあるため、若すぎるということはないのだが。
レイモンドとしては、気乗りがするわけもない。
「お前の好きにしていいぞ。特にこれと言って付き合いを大事にしたい家からは来とらんしな」
「はぁ……そういうことでしたら、気が楽ですが。……私でこうなら、お嬢様など大変なことになっているのでは?」
「まあ、なぁ……気を遣わなければならん相手からも来てはいるが」
ほっと肩の力を抜いたレイモンドだったが、すぐにまた思案げな顔になる。
視線を向けられたブライアンとしては、苦笑しながら頷くしかなく。
ちらりと見た先には、豪華な装丁の釣書が詰まれていた。
「……数は、思った程ではないですね」
「元々、うちと釣り合うような家はそう多くもないからな」
「ということは、駄目元で言ってくるような伯爵家や子爵家などはなかった、と。
……野心的な家もいくつかあると思うのですが……ということは?」
「ま、そういうことなんだろうさ」
問いかける、というよりは確認する口調のレイモンドに、ブライアンは小さく頷いて返す。
この国においてもやはり派閥というものはあり、三公爵家をそれぞれ筆頭とする派閥やそれに比肩する侯爵家が率いる派閥もある。
如何に力を付けてきている伯爵家だとかであろうと、派閥の長を無視して縁談を申し込むなど出来るはずもない。
ということは、何某かの統制が掛けられているのだろう。
「そういえば、あの釣書の数は派閥の数に近いものがありますね」
「それだけうちを取り込みたい派閥が多いということなんだろう。全く、放って置いて欲しいんだがなぁ」
派閥に属していない貴族家もあるにはあり、その中で最も力を持っているのがこのグラナダ侯爵家だろう。
侯爵という地位、広く豊かな領土、その経済力を下地とした強力な私設騎士団。
取り込むことが出来れば今のパワーバランスが一気に崩れる可能性があり、だからこそ維持したい家、崩したい家の双方から狙われているところに、ミシェルのデビューだ。
単なる政略にプラスして、彼女を輿入れさせれば後々の社交界で主導権を取ることも十分考えられる。
そう考えた派閥の長が動くのは、ある意味当たり前のことではあった。
「ま、これはこれでいいかも知れんな。あちらはこちらからの返事待ちになったわけだから」
「……もしや、そのまま有耶無耶になさるおつもりで……?」
「ずっと、というわけにもいかんだろうが……利害調整だなんだに手間取っているとでも言えば、しばらくは誤魔化せるだろう。
……例えば、ミシェルが学院を卒業するくらいまでは、な」
デビュタントを終えたミシェルは、貴族学院に三年間通うことになる。
卒業する頃には十八、一昔前であれば侯爵令嬢に婚約者がいないなどとんでもないと言われる年齢だが、今時はそうでもない。
そしてミシェルの気持ちを知るブライアンとしては、貴族の娘としていずれは嫁ぐ必要があるとはいえ、せめて学院に通う間くらいは自由な身を謳歌させたいというのが親心だった。
「だからレイモンド、その間の行き帰りは頼んだぞ」
「はい、身命を賭して、必ずやお嬢様をお守りいたします」
ブライアンの言葉に、レイモンドは力強く頷いて返す。
学院は王都にあるため、ミシェルは親元を離れて王都にある侯爵家のタウンハウスから通うことになる。
領地から離れられないブライアンの代理として嫡男であり学院卒業間近であるグレアムが取り仕切ってはいるが、ミシェルを取り巻く情勢を考えれば、最も頼りになる騎士を護衛として派遣するのは当然のこと。
そしてもちろんレイモンドも、一も二もなく主命に頷いている。
彼の個人的な願望を置いておいても、彼が行くべきなのは間違いないからだ。
「であればお館様、いただいた縁談は全てお断りしたく思います」
「そうか。使いようによっては向こうでも役に立つことはあろうが……」
「いえ、我が身はどうとでもなりますし、お嬢様にちょっかいを出してくるような手合いに対して使うには役者が足りますまい。
であれば、お嬢様がご卒業なさるまでは縁を結ばずにいて自由の利く身でありたいと」
卒業するまでの三年間。
レイモンドとミシェルが近くにあることが出来るのは、それが限りであろう。
侯爵であるブライアンであろうとも、それ以上はどうにも出来ない。
彼は娘思いの親ではあるが、同時に貴族でもあるのだから。
「……律儀なことだ。だが、今ばかりはそれがありがたい。すまんが、頼む」
忸怩たる思いを飲み込んだ顔でブライアンが言えば、レイモンドは恭しく頭を下げるのだった。
こうしてレイモンドとミシェルは王都へと移り、ミシェルの学院生活が始まった。
ブライアンが上手く立ち回って互いに牽制し合うような状況を作ったのか、それとも行き帰りの護衛に立つレイモンドの睨みが利いたか、その生活の始まりは思ったよりも平穏なもの。
朝はミシェルの乗る馬車にレイモンドが馬で併走。
校門から入ってすぐのところにある馬車溜まりに馬車を止める間に馬を近くに待機している学院の馬丁に預け、すぐさま馬車へととって返す。
馬車の扉を開ければミシェルの手を取り、降りるのをサポート。
それから、王族以外は護衛を付けることが許されていないため、学院の入り口までという僅かな距離をエスコートするのが朝の日課だ。
「それではいってきます、レイモンド」
「はい、お嬢様。本日も勉学に励まれますことを」
名残惜しげに手を離しながら、視線を交えてほんの少しばかりの会話。
今の二人の年齢と立場であれば、たったそれだけが、主従の交流として許される限度。
それは、二人が二人ともよくわかっていた。
そうしてミシェルを送り届けた後、レイモンドはすぐ隣に併設された彼の母校でもある騎士訓練校に設置された待機施設へと足を運ぶ。
学院内に侯爵家の騎士であるレイモンドは中に入ることが出来ない。
かと言って侯爵邸に戻れば、万が一の際にミシェルの元へ駆けつけることが出来ない。
ということでレイモンドを始めとする各貴族家の護衛騎士達は、騎士訓練校にある待機施設で時間を潰すなり、後輩達の訓練に参加したりと思い思いの過ごし方をしていた。
多くの護衛騎士達がそれなりに寛いでいる中、レイモンドは一人研鑽に励む。
流石に体力を使い果たすような訓練をしていては、いざという時にミシェルの元へと駆けつけられない。
だからレイモンドは、この待機時間を使って技を磨くことに専念していた。
それだけの時間を一心不乱に励めば、技の冴えは余人の追いつけるところではなくなっていく。
まして今の彼には、技を練り上げる大きな動機があるのだから。
「きっとレイモンドは、この国一番の騎士になれますわね」
そんなレイモンドの様子を聞いたミシェルに褒められてしまえば、一層励んでしまうのも仕方のないところ。
そして、以前と変わらず鍛練に励み剣に専心する忠義者へと安心したような微笑みを向けてくるミシェルにますます惹かれてしまうのも、仕方のないことなのだろう。
やがて学院の授業も終わりミシェルが帰る時間となれば、簡単に身繕いをして校舎入り口近くへと出迎えに戻る。
馬車の近くまで並んで歩き、ミシェルが馬車に乗り込む際に手を貸して、それからすぐに預けていた馬を返してもらい騎乗して、馬車と並んでグラナダ侯爵家のタウンハウスへと帰宅。
やはり馬車から降りる際にはミシェルに手を貸してサポートし、エントランスまで。
それが、それだけの時間が、二人の日常だった。
レイモンドは騎士であり、ミシェルは侯爵令嬢である。
二人が二人とも、己の立場が意味するところをよく理解し、弁えていた。
傍で見ている兄のグレアムの方がやきもきする程に。
「レイモンドはそれでいいの?」
「はて、なんのことでしょう」
問われて、レイモンドはわからぬ振りで己の心を押し込める。
いかにかつては兄弟の様に親しんだグレアムと言えども、侯爵家の嫡男で未来の主。
であれば、己の私心を漏らすわけにはいかないと考えるのが、レイモンドという男だ。
何が起こるでもなく、何を起こすでもなく。
ただただ、ささやかな時間だけが刻まれていった。
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続きは本日12時頃に投稿予定でございますので、そちらもお読みいただければ幸いです。
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