ここが彼の生きる場所
時にこうした形で侯爵家の面々と朝に交流し朝食を摂った後、邸内、特にブライアンの身辺警護に入るのがレイモンドの常の仕事。
非番の時もあるにはあるが、その場合は朝食後も稽古を重ね、昼食を掻き込むようにして口にいれた後もまた稽古、となることが多かった。
もっとも、そのことをブライアンに見咎められて、もう少しゆっくり食べ、少しばかり休憩を取るようにはなったのだが。
また、日中は領内を見回るブライアンに随行することも少なくなかった。
これには、朝にジェニファーが言っていたお勤めも関係する。
「……今年も、実りよく育っているようですね」
ブライアンと馬を並べて進むレイモンドが、安心したような口調で呟く。
冬に蒔いた麦が春になって芽吹き、収穫を待つ初夏。
もう少しすれば黄金色に変わるのだろう麦の海は、この土地が如何に豊かであるかを象徴しているかのよう。
その光景に目を細めたブライアンは、満足そうに頷いて見せた。
「そうだな、今年も大地のご加護は十分にいただけたようだ。ジェニファーとミシェルにはいくら感謝しても足りないな」
「左様でございますね。是非とも土産話に語って差し上げてください」
魔術師や学者が語るに、この世界には様々な精霊がおり、それらを統べる神がいるのだという。
この国では大地の女神に対する信仰が盛んで、彼女に対して日々祈りを捧げ、時に祭礼を行うのは貴族の義務であり責任でもある。
魔力の強い貴族、特に同性であるからか女性の祈りが届きやすいとされ、貴族の夫人、令嬢達は毎朝女神へと祈りを捧げる『お勤め』を行っているのだ。
その祈りが真摯であればあるほど女神は加護をもたらし、大地の力が活性化してこのような実りに繋がっているわけだから、彼女達の貢献度は計り知れないものがある。
「別にお前が語っても構わんのだぞ?」
「お戯れを。私は語りがさして上手くありませんから」
「身内の土産話だ、達者に語る必要などないんだがなぁ」
冗談めかしてブライアンが話を振れば、返ってくるのは真面目一辺倒な答え。
むしろレイモンドが語って褒めた方が、ミシェルなどは喜びそうなものだが……この男は、そういった方面はとんと疎い。
やれやれと軽く呆れた風を装って溜息を吐きながらブライアンは馬を操る。
本来彼ほどの身分であれば、いかに己が領内であり、護衛を多数つけていようとも、安全面のから馬車での移動が望ましいのだが、ブライアンは巡視の際に馬を駆ることが多い。
というのも、畑の隅々や山林など、馬車ではとても乗り込めないようなところまで見て回るからだ。
「あ、これはこれは侯爵様、今年もわざわざこんな田舎に来てくださって……」
「何、丁度いい気分転換にもなるのだよ。それに、少しは運動もしないと腹回りがなぁ……」
「何をおっしゃいますか、相変わらず若々しくていらっしゃいますとも」
そうして回っていれば、辺りの農民を纏める村長と出会って言葉を交わすこともある。
一見ただの社交辞令にしか見えないが、その後の雑談でこの辺りの者達が不満を溜めていないか、何か不安になっていることはないか……そういった情報を、さりげなく集めていくのがブライアンのやり方だ。
もちろん、身近な村長と親しく言葉を交わしてくれる領主様、という姿を周囲に見せることも計算に入れている。
「相変わらず、お見事な情報収集です」
「なに、他のやり方を知らんだけさ。おかげで効率が悪くて領地に籠もりっきりだが……ま、私はこの方が性に合っているというものだからね」
レイモンドの賞賛を、ブライアンは軽く笑っていなす。
実際、大貴族と呼ばれるものの大半は領地を代官や親戚に任せ、王都に居を構え宮廷に入り浸ってその権勢をより強固なものにしようと権謀術数を巡らせているのが常。
広大で肥沃な領地を持ち、十分な財力と影響力を持ちながら欲の皮を突っ張らせないブライアンのような男が珍しいのだろう。
レイモンドから見れば、金と力に振り回されないその姿こそが貴族のあるべき姿に見えるのだが、それを誇るような真似をしないブライアンの振る舞いは何とも粋である。
だからこそ、彼を慕う家臣や領民は多いのだが。
「ですが、そうやってお館様が目を配り、気を配るからこそ、このようにグラナダ領は豊かなのでしょう。
この地は、どこよりも豊かで、愛しい……私ですら守りたいと思ってしまう土地です」
「……そうか。レイモンドにそう言ってもらえると、私もやってきた甲斐があるというものだな」
真っ直ぐなレイモンドの言葉に、ブライアンは目を逸らし、少しばかり顔を上に向けた。
レイモンドは騎士資格を取ったころに両親を、そして兄を亡くして身の寄る辺を失い、士官先に苦労して流浪した過去がある。
一般の兵士としてならばともかく、騎士ともなれば兵士の指揮権や犯罪の捜査権、逮捕権など、様々な特権が付与されるため、身元が確かな者でなければ雇われない。
いうなれば後ろ盾が必要であり、逆に高位貴族の後押しがあれば未熟な若造であってもそれなりの地位に就くことが可能だったりするのは、世の常というものであろうか。
とはいえレイモンドは大した地位など望みはせず、普通であれば男爵の父や嫡男の兄から推薦されるだけで十分だったのだが……それが、失われてしまったのである。
結果、成人し立ての十八と年若いレイモンドは王都に本拠を置く王立騎士団はもちろんのこと、貴族の私設騎士団にも仕官することが叶わず、流浪する羽目になった。
もちろんただの兵士として雇用されることは可能だったのだが、それが出来なかったのはカークス男爵家最後の一子である彼の意地だったのだろう。
放浪の果てに流れ着いたグラナダ侯爵領にて巡視中だったブライアンと出会い、一目で気に入ったと迎え入れてくれた彼の度量に感服しレイモンドは心からの敬意と忠誠を向けるようになったわけだが。
そんな彼が、故郷から遠く離れたこのグラナダの地を愛してくれるようになった。
彼の過去を知るブライアンの胸にこみ上げてくるものがあるのも、仕方がないことだろう。
「若様の乗馬の腕がもう少し上達されましたら、一緒に回られるのですよね?
きっと若様も、より一層この地を愛されるのではないでしょうか」
「ああ、その日が今から楽しみでならないよ。もちろん、その時はお前にも随伴してもらうからな?」
「はい、もちろんでございます。お二人のお側を守らせていただけるのは、これ以上ない喜びですから」
心からそう思っている、そんな笑顔でレイモンドが言うのを見れば、ブライアンが一瞬黙る。
はて、何か拙いことを言っただろうか? とレイモンドが小首を傾げれば、ややあって彼の主は口を開いた。
「お前がそんなことを言っていると聞けば、ミシェルも馬を習うと言い出しかねん、と思ってなぁ……」
「ああ、なるほど。お嬢様はお館様や若様から仲間はずれにされることをお嫌いになりますし」
「……ああ、まあ、そうだな」
グラナダ侯爵であるブライアンとその跡取りであるグレアムが共にいる場所には、基本的には大体いつもレイモンドもいる。
だが、種明かしをすれば生真面目なこの男は己の立ち位置に悩んでしまうことだろう、とブライアンは流すことにした。
「とはいえ、巡視では山道などに入ることもございますし、本当に習われたとしても、流石にお嬢様を伴うわけにはいかないかと」
「そうなんだがなぁ……男物の乗馬服を着る、だとか言い出したらどうするか、などと考えてもしまうなぁ」
この国では、女性が馬に乗ることもなくはない。
ただしその場合は、ドレスを着たまま乗れるようサイドサドルと呼ばれる横座り出来る鞍を使うことがほとんど。
男性がするように馬に跨がるのは、女性騎士くらいのものである。
だから、ミシェルが貴族令嬢らしく馬に乗るならばサイドサドルを使うことになるが、その場合、男性陣のような速度では走れないし、アップダウンがあるところも少々きつい。
そのことは当然ミシェルもわかっているから、女性騎士の真似事を始めないかとブライアンは危惧しているわけだ。
兄であるグレアムとレイモンドを取り合っているせいか、ミシェルは侯爵令嬢としてみると少々お転婆に育ってしまったように思えてならない。
それはそれで可愛いのだが、貴族令嬢の親として考えれば、もう少しお淑やかになって欲しいとも思う。
あるいは。
「いっそお前が娶るか? 騎士の妻なら跨がって乗るのもなくはないし」
「お戯れを。お嬢様を娶るなど、とんでもないことです」
冗談めかして話を振れば、真面目一徹な返事が返ってきた。
あまりの即答に、ブライアンは思わず空を仰いでしまう。
父親心とは、何とも複雑なものなのだ。
そして、やはりレイモンド・カークスは、少々罪な男であるようだった。
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