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無骨な男の一日

 レイモンド・カークスは、無骨な男であった。


 例えば、日もいまだ昇らぬ早朝に起き出して、鍛錬を始めるのが日課だとか。

 それも、ただの鍛練ではない。


 まずは寝間着代わりに着ているシャツを脱ぎ、上半身を水で濡らした手ぬぐいで拭いて身体を清める。

 動きやすいように短く切られた黒髪、精悍な顔立ち。

 鍛え上げられた上半身は筋肉によって刻まれた陰影が濃い。

 彫像のように整ったその身体を、しかし無造作に拭いていく。

 

 それから、彼はおもむろに短剣を取り出し、抜き放つ。

 そしてその切っ先を、彼自身の額へと向ける。

 始めは、皮膚に刺さるか否かの極近い距離。

 ピリピリと刺してくるような感覚を肌で感じながら、その切っ先を少しずつ遠ざけていく。

 刺すような感覚がなくなれば、また極近くへと寄せて。


 幾度か繰り返した後、今度は眉間でも同様に。

 更には眼前、眼球に刺さるような位置にまで近づけて。

 ついで喉、心臓の上、水月、と刃を向ける位置を下げていく。

 

 人体の急所が並ぶ正中線を一通り通った後は、左右の脇腹、肋骨の隙間、首筋、左右の耳の真横。

 刃が視界の外にあって尚、刃を向けられた皮膚にはヒリヒリとした感覚を覚える。

 そうやって、目に頼らず刃を向けられていることを身体で感じられるよう研ぎ澄ませていくのだ。

 騎士たるもの、刃を向けられることに慣れねばならぬ、というのが彼の信条である。 


 この鍛練のおかげかどうか、レイモンド・カークスは特に集団戦、中でも乱戦において存在感を見せていた。

 何しろ不意打ち気味に横合いから斬りかかっても反応される。

 一度、背後からの一撃を見ることもなく避けてしまったことすらあった。

 目で見ることなく敵の攻撃を察知することが出来るなど、尋常なことではない。

 

 だから彼は、若く優秀な騎士として主からも目をかけられていた。


「お、今日も精が出るな、レイモンド」


 早朝の鍛練が、己が身体に刃を向けて感覚を研ぎ澄ませるだけで終わるわけもなく。

 騎士寮のすぐ近くにある広場で素振りをし、足さばきの練習をしてひとしきり汗をかいたレイモンドが井戸の水で汗を流していたところで、壮年の男性から声がかけられる。

 焦げ茶の髪、温和な顔立ちの中で輝く碧い瞳。

 身に纏っている衣服は布や仕立ては上等であるものの、デザイン自体はシンプルなもの。

 彼の名はブライアン・フォン・グラナダ。この国の侯爵であり、彼の私設騎士団にレイモンドは所属していた。

 

「これはお館様、おはようございます。水、使わせていただいております」

「気にするな、自由に使っていいと言っておるだろうに」


 律儀にレイモンドが頭を下げれば、お館様、彼を雇うグラナダ侯爵は朗らかに笑った。

 水が豊富とは言い難いこの辺りで、稽古上がりの騎士が自由に水を使うことを許可している貴族がどれだけいるものか。

 ほとんど社交などしないレイモンドは詳しくないが、決して多くないことだけは間違いないだろう。


「これから朝食か? しっかり食べておくんだぞ」

「はっ、ありがとうございます。いつものことながら、あんなにいただいて良いものなのか、とは思ってしまいますが……」


 快活に笑うブライアンへと、レイモンドは躊躇いがちな顔を見せる。

 彼が住む独身騎士のために用意された寮は、三食きっちり出してくれるのだが、その内容はかなり充実したもの。

 騎士学校に通っていた頃の食事とは雲泥の差があるその待遇に、レイモンドなどは恐縮してしまうのだが。


「何を言っとるのだレイモンド。侯爵家の騎士がみすぼらしければ、私の沽券に関わる。

 つまりお前は、私に格好を付けさせるためにも食わねばならんのだ」


 などと一見利己的とも言えるような言い回しでブライアンはレイモンドを諭す。

 もっとも、その顔を見ればブライアンが己の体裁を考えてなどいないことは明白なのだが。

 そんな主の粋な計らいに、レイモンドは胸が熱くなるような感覚を覚えた。

 

 レイモンドは領地を持たぬ男爵の次男として生まれ、身を立てるために騎士となった直後に両親が、ついで兄が流行病で亡くなり天涯孤独となったという過去を持つ。

 そんな彼にとって、こんな男気を見せるグラナダ侯爵ブライアンは、主であると同時に、もう一人の父とも言えるような存在だった。

 故に彼が見せる忠勤ぶりは比類なきものであり、そんなレイモンドをブライアンが重用するのも無理からぬこと。

 そのためレイモンドはブライアンの出先には必ず帯同するようになっており、持ち回りであるはずの夜番を免除されているほどである。

 

 また、それだけではない。


「あ、父上、レイモンド、おはようございます!」

「うん、おはようグレアム。……またレイモンドに稽古を付けて欲しいのか?」


 レイモンドよりいくつか年下であろうブライアンによく似た少年が、朝の挨拶をしながら駆け寄ってきた。

 その手にもつ木剣を見てブライアンが問えば、グレアムと呼ばれた少年がはにかむような笑顔を見せる。


「はい、次期当主として僕は、まだまだ未熟ですから!」


 次期当主、すなわちグラナダ侯爵家の嫡男なのだ、グレアムは。

 才覚だけならばブライアンに優るとも劣らない彼ではあるが、十三歳となればまだまだ少年真っ盛り。

 騎士というものに憧れもあり、彼の中で描かれている『騎士とはこうあるもの』を体現したかのようなレイモンドに懐いてしまうのも仕方のないところなのだろう。


「やれやれ、別に侯爵たるものが己の手で剣を振るう必要はないのだがなぁ……すまんなレイモンド、軽く揉んでやってくれるか?」

「はい、お館様。では若様、あちらで一手ご指南いたしましょう」

「うん! ありがとう、レイモンド!」


 苦笑しながらブライアンが言えば、侯爵とその令息からのお願いなのだ、レイモンドは笑顔で承るのみ。

 それを聞いたグレアムは、嬉しそうに……弟が兄へと向けるように破顔する。


 普段ならばそれから小1時間ばかりグレアムに付き合うのだが、この日はそうはいかなかった。


「あ~! またお兄様ったらレイモンドを独り占めして、ずるいですわ!」


 突如、愛らしい声が響いたと思えば、ぱたぱたと軽快な足音がやってくる。

 見れば、亜麻色の髪を翻しながら一人の少女が駆けてくるところだった。

 朝日を受けてキラキラと輝く青の瞳は、しかし今は少々ご機嫌斜め。

 そのままの勢いで駆け寄ってくれば、グレアムとの間に割って入りレイモンドの腕にしがみつく。


「わたくしだって、レイモンドに遊んで欲しいのに!」

「まってミシェル、僕は別に遊んでもらってるんじゃなくって、稽古を付けてもらっていてだね」

「でも、終わったら嬉しそうに自慢するじゃないですか、レイモンドに構ってもらったって!

 わたくしは女だからって剣を学べないのに、お兄様だけずるいですわ!」

「いや、だって、それは……」


 むくれながら糾弾してくる妹に、グレアムはたじたじとなって反論出来ない。

 決してグレアムも凡庸ではないのだが、一つ下だというのにそれを上回る程頭も口も達者なミシェルを敵に回せば少々分が悪い。

 助けを求めるようにグレアムがレイモンドを見れば、小さな主人の求める助けに、小さく笑って答える。

 それからレイモンドは、己の腕にしがみつくミシェルの小さく白い手にそっと触れた。


「お嬢様、私の手をご覧ください。剣を振り続けた私の手は、このようにゴツゴツと節くれ立っております。

 私は、剣を習うことによってお嬢様のお美しい手がこのようになるのは、もったいないと思ってしまいます。

 ですから、剣を習われることはどうかご自重いただければ……」


 確かにレイモンドの手は、岩を削り出したかのように荒々しかった。

 それでいて、ミシェルの手に触れる手付きは、壊れ物を扱うように、優しい。


「……し、しかたありませんわね、レイモンドがそこまで言うのでしたら、剣を習うのは諦めます。

 ですが! お兄様だけでなく、わたくしも構ってくださいましね!」

「はい、かしこまりました、お嬢様」


 ぷいっと横を向きながら言うミシェルの頬は、ほんのりと赤い。

 そんな愛らしい少女の仕草を微笑ましくみながら、レイモンドは頷いて見せる。

 ……そんな彼の後ろで、ミシェルの父であるブライアンは、複雑な顔で空を仰いでしまったのは、きっと仕方のないこと。


 ブライアンが複雑な父心を噛みしめていると、その背後から声がかかる。


「あらあらミシェルったら、こんなところにいたのね。レイモンドやお兄様の邪魔をしてはいけませんよ。

 それに、朝のお勤めがまだでしょう?」

「お母様! わたくし、邪魔などしてませんもの!」


 やってきたのは、ミシェルをそのまま大人へと成長させたのではと思われる女性。

 聞いての通り、ミシェルやグレアムの母でありブライアンの妻であるジェニファーだ。

 窘められたミシェルは、つん、とお澄まし顔で言い返したと思えば、ちらり、レイモンドの方へ伺うような上目遣いを向ける。


「……わたくし、お邪魔ではないですわよね?」

「はい、お嬢様が邪魔であることなどありえません。

 いつも真面目に朝のお勤めもなさっておられるのも、素晴らしいと思っておりますし、ね」

「……そう? レイモンドはそう思うのですね?

 わかりました、でしたら今日も真面目にお勤めしてまいりますわ!」


 こうして機嫌を直したミシェルは、ジェニファーと共に足取り軽く邸内へと戻っていった。

 

「……レイモンドは、ミシェルのあしらいが上手いよね」

「そうでしょうか。若様に比べれば歳を取っておりますから、そのおかげではないかと」


 などと、兄として負けたような気がしているグレアムに稽古を付けて。


 その後、稽古をつけてもらったグレアムも邸内へと戻った後、ブライアンは気になっていたことをレイモンドに聞いてみた。


「なあレイモンド、ミシェルに言ったあれ、あんな言い回しどこで覚えたんだ?」

「はあ、先輩が女性に向けていっていたことを参考にさせていただいたのですが……もしかして、何かおかしかったでしょうか」


 きょとんとした顔で返されたレイモンドの答えに、ブライアンはまた空を仰ぐ。

 その先輩が、女性に向けてどういう意図で言ったのかをわからずに使ってしまったようだ。

 つまり、ミシェルにどんな効果を与えるかもわからずに。


 レイモンド・カークスは、罪な男でもあったらしい。

※ここまでお読みいただきありがとうございます。

 続きは本日12時頃に投稿予定でございますので、そちらもお読みいただければ幸いです。


 もし『面白い』『続きが気になる』と思っていただけましたら、下にある『いいね』や『☆』でのポイント評価をいただけるととても励みになりますので、よろしければ。

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