005 共感の傘
学校。それは一般社会に出る前の檻だ。誰もが収容されて、逃げ場のない牢獄。共感性、人間性を測られて私を解剖する実験場だ。
その中で、私は落第者なのだろう。誰かが言った、根暗と。誰かが言った、魔女と。果たして、私は悪いのだろうか。私はただ、私として生きているだけなのに。
性格が暗いことも、おどおどした態度を取ることも認める。でも、だからと言って、どうして彼女らは私を疎外して、私を異物扱いするのだろうか。
「ははははは、魔女だ!!」
「ははっ、魔女が来たぞ~!!」
「……。」
いつもの日常。いつもの教室。誰もが私を魔女と呼び、私を蔑む。きっと彼らの中では確かに私は魔女であり、どうしようもない異物なのだろう。
私は彼らに期待しない。共感もしてもらおうとは思ない。もう、随分と昔に諦めている。だから、教室の隅で静かにしておくから、どうか放っておいてください。お願いします。
そんな私の現状に転機が訪れた。
「皆、おはよー。転校生が来たから、紹介するね。入ってきて。」
「初めまして。柊瀬良と言います。よろしくお願いします。」
転校生の彼女ははきはきとした声で挨拶をして、その真っ赤な瞳で教室の一人一人に目を合わせていく。
教室の生徒たちは妙な熱狂を見に包んで、明るそうで、可愛い彼女のことをこれでもかと歓迎しているようだった。
かく言いう私も彼女の存在を心から歓迎していた。太陽がまぶしいほど、影は暗くなる。私の存在を掻き消してくれるだろう彼女の存在は、私の平穏な学園生活には必要不可欠な要素になっていくだろう。
「あ~、雨音の隣でいいか。あの角の方。そっちが席な。よろしく。」
「分かりました。」
「「げぇ~、魔女の隣かよ~。」」
ぎゃはははは。彼らは品のない声で嗤っている。最悪だ。どうしてだろうか、彼らの玩具という役割からは逃れられないのかもしれない。
でも、きっと教室から抜け出せば、彼らは瀬良のことに集中してくれるだろうし、私に目線を投げてくることもないだろう。
そんな企みも数週間もしないうちに瓦解してしまった。どうしてかな、瀬良は私に構ってきて、教室から抜け出す隙を与えてくれない。彼女としては善意なのかもしれないけど、私にとってはいい迷惑だ。
だけど、そんな言葉を言ってしまえば、いよいよ学校という檻では落第を押されてしまい、私の生きる場所がなくなってしまう。
そうならないためにも、彼女にはそれとなく離れてくれるように言ってしまわなければならない。それとなく、なんて私の不得意分野だけど。
「空、話って何?」
「え、えと……。」
空き教室に瀬良を呼び出し、いざ対面したら私は話す言葉を持っていなかった。彼女の明るい雰囲気に私はますます惨めになって、そして、あまりの不甲斐なさに瞳の色が深い青に覆われる。
「ふふっ、落ち着いて。大丈夫だから。ゆっくりでいいよ。」
「あ、うん。ありがとう……。」
彼女の優しさに私は救われる。微笑みを浮かべる彼女は確かに太陽のようで、全てを照らす暖かい光を纏わせている。真っ赤な瞳は私の青い瞳を射抜いて、続く言葉を待っていた。
私は意識して深呼吸する。こうなる前から分かっていたことじゃないか。天性の明るさを持つ彼女と相対すれば、私は惨めになると。想像もつかないほど酷い気持ちになるかもしれないと。
それでも、私は彼女の前に立つと決めたんだ。
「きょ、教室で話しかけるのやめて。」
い、言えた!!ちゃんと言えた!!彼女の真っ赤な瞳は意志が籠っており、彼女自身が絶対なものだと錯覚するくらいだ。だけど、そんな彼女に対して、私は確かに自分の言葉を伝えることが出来たんだ。
最初はそれとなく伝える気で、こんなに直接的に伝えるつもりはなかったけれど、元々不器用な私だ。これでも、大きな進歩と言ってもいいだろう。
ふふふ、ふふふふふ。何故か、心の奥から自信が湧き上がり、今なら何でもできそうな気がしてきた。
「あっ、ごめん。……迷惑だった、よね。」
「……えっ、いや。」
「ごめん、ね。」
私はバカだった。私は彼女が悲しむ可能性なんて考えずに、彼女の明るさに甘えていただけだった。こんなんでは、私も教室の奴らと一緒ではないか。
後悔が胸に飛来する。胸の奥が雲に覆われて、この状況を打破しようと頭を高速回転させるけど、元々錆びついていたギアでは対人関係の諸々を解決する手段なんて、思いつけるはずはない。
彼女の悲しみを思うと、私の胸が痛んだ。
「もう、話しかけないね。」
「あっ、うっ……。」
「はは、は。でも、二人っきりの時は話してもいいよ、ね?」
彼女が言葉を詰まらせるたび、私はより深い雲で胸を覆われる。後悔、焦燥、悲壮。あらゆる負の感情が私の胸を突き刺さり、そしてすぐに消えていく。何度も、何度も突き刺さる感情に私は彼女の瞳から目を背けてしまった。
あっ、間違えた。間違えた。間違えた。ここで、きっと目を離してはいけなかった。勘違いさせてしまった。話したくないという風に捉えられてしまう。
でも、私はそれを確認することさえ出来ずに、彼女の真っ赤な瞳を想像できず、ただそっと目を伏せているだけだった。
「……そっか。分かったよ。」
「……。」
「ごめんね。……じゃあ、ね。」
しんと静まり返る教室で私は何者にもなれず、暗い闇の中に沈んでいった。深く、暗く。
「……お、おはよう。」
「え……?」
次の日、私は瀬良に挨拶をしていた。いつもより早く登校して、いつもより早足で教室に向かって。私は彼女を悲しませたまま居させるわけにはいかない。
帰宅してから何度も考えた。どうすればいいか、どこがダメだったか。暗い部屋の中、布団で耳を塞ぎ、枕に顔を埋めて、必死に考えた。悲しませたなら、彼女の心を晴らさないといけない。そう思って。
彼女はぽかんと口を開けていた。当然だ。昨日の今日で、挨拶なんてしてきたのだ。そんな異常事態、彼女が理解できないのも仕方がない。
「お、おはよう!!」
「う、うん。おはよう、空。」
「あ、う、うん。」
教室中に響く私の声に生徒たちは何事かとこちらに振り向いた。黒い目が何十も向けられ、私は思わず身体を後ずらせた。怖い、苦しい。私は生徒の目に映る色を確かめることが出来ず、ただ、瀬良の赤い瞳を見つめることしかできない。
そんな私に彼女は微笑みかけた。安心するような笑み。やはり、彼女は太陽なのだろう。こんな私にも明るさを、光を分けてくれる。どこまで優しい人なのだろう。
「よかった。嫌われているのかと思っちゃった。」
「そ、そんな事ないよ。ただ……恥ずかしかった。こんな私が。」
「恥ずかしくなんてないよ。空は可愛いじゃん。ころころと表情が変わるし、きっと人の心が分かるいい子なんだと思ってたよ。」
嗚呼、彼女は太陽だ。私の雲を晴らして、闇を掻き消してくれる光。私という輪郭を鮮明に浮かび上がらせてくれて、そして、私を認めてくれる。
どうしてだろう。彼女はどうして私を認めてくれるのだろう。私は私が禄でもない人間だと知っている。そんな私を何故、彼女は認めてくれるのだろう。
「また、放課後。」
「うん。」
「えへへ、楽しみにしている、ね?」
放課後、あの場所で彼女と語りあう。闇に包まれるあの場所も、きっと今日の彼女が晴らしてくれる。そう確信した。
放課後、生徒たちが下校する中、私は空き教室で瀬良のことを待っていた。誰もいない空間で彼女を待つのは、自分がちっぽけだと思ってしまうけれど、でも今はそれが心地よくもある。
「おっ、魔女じゃねぇか。」
ノイズだ。私の心を雲が多い、雑音が頭を響く。瀬良のことで頭がいっぱいだったのに、今ではくだらない目の前の男に思考が邪魔される。
いつものように下世話な笑みに、下世話な声。どこまでも邪魔をする彼らは何故発生するのだろうか。何故、こうまでして私を邪魔するのだろうか。
「何か用?」
「お、おう。魔女のくせに生意気だな。」
「……。」
思ったよりも冷たい声が出て、私自身もびっくりしている。彼もまた私のいつにない態度に怯んだようだけど、無駄なプライドからより一層私に威圧的に振舞ってくる。
でも、怖くない。瀬良に嫌われるよりも全然怖くない。彼女を悲しませたあの時、その恐怖に比べてみれば、男のプライド、威圧なんてどれほど弱弱しく、くだらないものなんだろうか。
ああ、こんな無駄な時間も、もうすぐに消えて無くしてしまいたい。
「ちっ、聞いてんのか?」
「何をやっているのですか?」
「せ、瀬良?」
瀬良の声がする。私の太陽がやってきてくれた。やっぱり、彼女は私を覆う雲を光で掻き消してしまい、私を救ってくれるんだ。
瀬良。私の太陽。どうして、こうも私を救ってくれるの?
「私の空に手を出したら、赦しませんよ。」
「くっ……!!瀬良、どうして魔女なんか……。」
「あなたに名前を呼ばれる筋合いはありません。早くここから立ち去ってください。」
私の空。その甘美な響きに私の脳はとろけてしまう。彼女が私を求めてくれる。太陽が私を求めてくれている!!
空。空。この名前が今ほど愛おしいことはない。私の太陽。私は彼女に照らされることで、ようやく私として一緒にいられるんだ。
「大丈夫?」
「ありがとう。」
「ふふふ、よかった。空が無事なら、何でもいいんだよ。」
嬉しい。瀬良が私の無事を祈ってくれている。私の存在を求めてくれている。確かに、そこに居てほしいと、そう私に言ってくれる。
雲は掻き消え、私の心を太陽が直接照らした。今日という日は私にとって最高の日になる。
はずだった。
「くくく、あはははは。」
「え?」
「もう、我慢できない。瀬良、あんた役者ねぇ。」
なんだこのノイズ。何だこの下品な声は。誰がその薄汚れた声で瀬良の、太陽の名前を汚す?それに、役者?意味が分からない。
彼女は、本心から私を願ってくれている、はずで。私を求めてくれている、はずだ。
恐る恐る顔をあげると、そこには無機質な赤に私の青が映っていた。彼女は、何も思ってはいない。ただの独り相撲。
「あ~あ、ばらしちゃった。これからが面白いのに。」
「ごめんごめん。瀬良があまりにも可笑しくて。」
「あはははは、私も演技上手いでしょ?」
無機質な声に、無機質な顔。あまりにも何もない瀬良は私のことなんてこれっぽっちも見てはいない。これが、現実だ。
私を救ってくれる人なんていない。王子様なんて存在しない。誰も私を理解してくれない。
「お~い、大丈夫?」
その言葉はさっきとは全然違う色を孕んでいる。面白がるノイズ。黒点。彼女は黒点だったのだ。太陽に寄生する黒い黒い闇。あぁ、どうして私は勘違いしてしまった?
私は分かっていたのに。理解していたのに。私は彼らに期待しない。共感もしてもらおうとは思ない。もう、随分と昔に諦めている。だから、教室の隅で静かにしておくから、どうか放っておいてください。お願いします。
そうやって、分かっていたのに……。
「はぁ、反応がないと詰まんないね。」
「そうだねぇ、もう飽きちゃった。帰ろ。」
「だね~。帰ろ帰ろ。」
軽やかに繋がる彼女たちのラリー。その中心にいるはずなのに、私はラリーに加わることも許されない。行き来するボールは私を掠り通り抜け、ぶつかっても彼女たちは新しいボールでラリーを再開する。
決して届かない。分かってくれない。
「どうして……。」
ぽつりと漏れた言葉。でも、彼女たちの耳には響かない。届かない。断絶した空気がそこには横たわっている。
「どうして、どうして……。」
分からない。分からない。私はただ、私を分かって欲しいだけなのに。私は言葉を交わしたいだけなのに。ノイズが多すぎる。
「どうして、どうして、どうして……。」
もう、いっそのこと私のこの感情に染まってしまえ。世界よ。全て私の青で沈んでしまえ。心に降る雨で浸食してしまえ。
そうでもないと、私たちは、人間は分かり合うことなんて出来ないんだ。
「“共感の傘”。」
染まって、沈んで、浸食する。分かり合えないなら仕方ない。強制的に分かってもらうしかない。私を分かって?私を認めて?私を救って?ね、太陽を模すあなたなら出来るでしょ?
「「きゃっ……ああああああああ」」
嗚呼、ノイズが消える。深く染まっていく。世界は青く閉じられた。
――――ザーザー。太陽は雲で遮ってしまい、雨は地面を浸食する。ここになった。彼女の狂器の形が。彼女の青い瞳が深く、暗く黒に染まっていく。




