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羅刹の宴  作者: Nimue
第壱話
9/18

(9)

「ねえ先生もうわかんないー」

 間延びした声を上げる教え子に、羅刹はあからさまに溜息をついた。

「ちょっとは考えてくれない?香澄ちゃん」

「考えてもわかんないんだもん」

「まだその問題、始めて一分も経ってないでしょうが」

「だってわかんないんだもん。わかんないのを教えるのが先生の役目でしょ?」

 もっともな話だが、説明している間も羅刹の顔ばかり見ている彼女に学ぶ気があるのかは大いに疑問である。

 香澄は器用にシャープペンシルを指の間で回しながら、空いた手で頬杖をつく。

「そもそもさあ、わかるんだったら家庭教師なんて頼まないって。あたし塾についていけるほどの頭もないし、晴菜の友達だからってそういう先入観で見ないで欲しいなー」

「へえ、あの子頭いいんだ」

「いいんだ、って知り合いなんでしょ。先生も晴菜が紹介してくれたんだし」

「俺が仲良いのは兄貴の方だからね」

「でもでも、晴菜って凄い可愛いじゃん。ヤマトナデシコって感じでさ。クラスの半分の男子は晴菜のこと好きだよ、絶対」

 女子高生の言う「絶対」がどれほど当てになるのかは意見の分かれるところだろうが、果てしなく脱線していく話題を本筋に戻すのがどれほど困難かは羅刹にもわかる。

「羨ましいの?」

「……そりゃあね。晴菜のことは好きだけど、隣にいるのにガン無視で晴菜ばっかちやほやされてたら、惨めじゃん」

「顔が良ければ、好きになってもらいたい人に好きになってもらえるってわけでもないでしょ」

「あ、先生、それ経験論?」

「さあ?」

「でもそうかも。晴菜、好きな人いるらしいけど、片思いっぽいし……ねえ、誰か知りたくない?」

「別に、どうでも」

「つまんなーい。そんなこと言ってて、晴菜に告白されたらやっぱ嬉しいくせに」

「友達の妹なんて嫌だって」

 特にそれが晴久の妹だったら、尚更だ。香澄はどこか不思議そうな顔をしていたが、「そういえばね」と他に話したいことを思いついたらしく、顔を輝かせる。

「この間、同じクラスの海老原君に誘われたんだ。一緒に遊ぼうって。もしかしたら告白されちゃうかも」

「へえ…良かったね」

 海老原君、とは香澄のクラスメイトで、片思いの相手だ。何度か名前を聞いたことがある。

 曰く、「頭もよくて格好良くて何でもできる」、いかにも競争倍率の高そうな人物だ。実際、話を聞く限り香澄は特に仲が良いわけでもないらしく、それどころか海老原君がご執心なのは晴菜の方らしく、彼が晴菜に話しかけたついでに会話を交わすことがある程度、という望み薄な関係に留まっているようだった。

 だが最近になって、晴菜に脈がないことに気づいたのか、香澄の何かに心惹かれたのか、とにかく海老原君は香澄にも良く話しかけてくるようになったらしい。

 まあ、香澄のことだから大袈裟に言っているのだろうが、それでも直接誘われたとあれば進歩には違いない。

「それは良かったから、気持ちよくこの問題解いて欲しいんだけど?」

「えーそれとこれとは別ー」

「別も何もないっての」

 羅刹はやれやれと再び溜息をつく。次に発した言葉は無意識だった。

「――いい加減、”やれ”」

「――――――わかった」

「ん?」

 存外、あっさり頷いた香澄に違和感を覚えて顔を向けるも、彼女は既に問題に取り掛かっており、ちらりともこちらを見ない。

 集中を切らせるのも悪いと思い、羅刹はその違和感を深く追求することはなかった。

 追及するべきだった、と気づいたのはずっと後のことだった。




 やけに素直になった香澄の勉強を見てから家に帰って来るころには、すっかり辺りも暗くなっていた。腕時計を見ると丁度七時だった。家の近くまで来ると、何やら人だかりが出来ている。羅刹のアパートからそう遠くない、こじんまりとした公園の前だ。

 パトカーがとまっており、警官と思われる人間が野次馬に「さがって下さい」というようなことを言いながら、ばたばたと動いている。

 羅刹は眉を顰めた。

 あの、悪趣味な夢が脳裏をよぎった。

 足早に近づいてみると、公園の中を窺うことはできなかったが、群衆の雑多な声は耳にすることができた。

「殺人」「女の子が」「変質者の仕業」……。

 飛び込んできた単語に鼓動が速まる。無意識に足が前に出ていたのか、「それ以上前に出ないでください」と胸を押される。

 警官の肩越しに公園が視界に入る。ここからでは、例の茂みは見えない。

「見たい」と思った。確かめなければならないと思った。瞬間的に羅刹の神経はその一点に集中し、周りの雑音も目の前の警官も完全に意識から閉め出された。

 不思議な現象が起こったのはその時だった。

 カメラでズームアップしたかのように、または望遠鏡を覗いたようにある一点――羅刹が見たいと望んだ茂みの向こう側が「見えた」のだ。

 夢で見た少女はいなかった。その代わりに大量の血液が、これでもかと言わんばかりにぶちまけられていた。

 死体がなくとも、酷い殺され方をしたとわかった。そう、まるで夢の中のように……。

 暗闇の中にうっすらと広がる血の池に、横たわる少女が見えた気すらした。

「おい」

 肩を強く叩かれる感触に、はっとして顔を上げる。

 一瞬にして不自然な視界は元に戻り、怪訝そうな顔の中年男が目に入った。

「――大丈夫か?」

「……大丈夫です」

「ならいいが。酷い顔してるぞ。男前が台無しだ」

「はあ」

「野次馬も結構だが、それで倒れられても警察は面倒見切れねえからな。さっさと帰んな」

「え?」

 羅刹は思わず男を見返した。

「…刑事さんですか?」

「そうだが?」

 不機嫌そうな男は、一般的な警官のイメージである制服でなくスーツ姿だったので、パッと見で会社帰りのサラリーマンに見えた。だが考えてみれば、殺人が起こっているのだから刑事が来ないはずがない。

 羅刹は躊躇しながらも、彼にとって大切なことを訊ねるべく口を開いた。

「あの女の子は――死んだんですか」

「なんでそんなこと知りたがる」

「それは」

「まあ、発見当初からいた連中にはもうわかってるだろうから、隠したって意味はねえんだが――死んだよ。というか、死んでたって言った方が正確か」

「……」

「で?」

「え?」

「俺の質問に答えてねえだろ。なんでそんなことを知りたがる。被害者の知り合いなら、聞きたいことがあるんだが」

「そういうわけじゃ」

「斎賀さん」

 呼びかけられた中年男は、羅刹の背後に知り合いを認めたらしく、「ああ」と気だるげに返事をする。

「お前か、晴久」

「お疲れ様です――って羅刹?」

 現れたのは晴久だった。

「何だ、知り合いか」

「友人ですよ。彼が何か?」

「ちょっとな。まあ、今はいい。後でな」

 と晴久に言い、刑事はあっさりと現場の方に戻っていった。晴久も晴久で、それを気にすることもなく羅刹に向き直る。

「こんなところで何をしてるんだ?」

「たまたま通りかかっただけだって。バイトの帰りでさ。お前こそ、刑事と知り合い?」

 たまたま通りかかっただけで刑事に話しかけられるわけもないが、晴久は生真面目に質問に答える。

「斎賀さんは、俺の伯父だ。父の兄だから、御門家に直接の関係はないんだが、妖魔がらみと思われる事件が起こった時は、いろいろ情報を貰ったり便宜を図ってもらっている」

「…いいのか、そんなことして」

「良いのか悪いのかと言ったら、良くはないんだろうが」

 そう言いつつ、晴久は悪びれない。

「それが御門のやり方だからな。警察の上層部には斎賀さんどころじゃない大物の関係者もいるし、そういう意味では問題ない」

「凄いな、それ」

 御門家が退魔士の頂点に立つ家だということは知っていたが、実社会にそれほど影響力を持っているとは初耳だった。とはいえ晴久にとってはどうということでもないらしく、深刻そうな顔で腕組みをする。

「それよりもこの事件だ。どう思う?」

「どうって」

「俺は、犯人は妖魔だと思う」

「……」

「前に、お前から話を聞いたあの鬼が怪しい……斎賀さんに話を聞いてみないと、わからないが」

 あの鬼とは、羅刹を襲ったやたらと短気な、あの鬼のことだろうか。人間を蔑視していたようだし、時間的にも可能と言えば可能だ。まさに相応しい犯人と言えるだろう――羅刹の変化と、あの夢のことがなければ。

「そんな顔をするな」

 険しい顔になっていたのか、晴久が困ったように微笑む。

「お前に手伝わせようとして、こんな話をしたんじゃない。ただ、妖魔の危険性を知っておいて欲しかったんだ。お前ならそう易々とやられることはないだろうが、どうもお前は博愛主義者的なところがあるからな」

「は。それは甘いって言いたいのか」

「心配してるだけだ。素直に受け取れ」

 今度は、羅刹が困る番だった。実際のところ、博愛主義なんて言葉は羅刹から最も縁遠いところにあると言っても過言ではなかったが、妖魔を積極的に排斥しようとしない態度がそう見えていることは自覚していたし、むしろそう思わせようとしていた節もある。

 だから晴久が自分の身を案じてくれるのは嬉しいと思いつつも、どこか他人事のような気がするのだ。晴久が心配しているのが自分とは別人の誰かのような……意図的にそう振舞ってきた分際で、言えた義理ではないが。

「わかった、気をつける。お前も、あんまり無茶するなよ」

 努めて軽薄な笑みを作って、羅刹はそう返した。




「あの美形は帰ったか?」

 いつのまにか近づいてきていた伯父に、晴久は苦笑した。

「その言い方、あいつの前ではやめて下さいよ」

 羅刹は顔のことを言われるとなぜか傷ついたような表情をすることがある。はっきりと不愉快そうになるわけではないのでわかりにくいが、あれだけ容姿がよければ常人にはわからないような嫌なこともあるのだろうと晴久は受け止めている。

 斎賀は煙草をくわえたまま、わかったようなわからないような生返事を呟く。

「奴が法律に触れるようなことさえしなければ、俺と会うこともねえだろうよ」

「それはそうですけど」

「ま、もしかしたら近々会うかもしれねえけどな」

「どういう意味ですか?」

「どういう意味も何も、近所に住んでんなら話を聞く機会もあるかもしれねえってこと」

「そんなわかりきったことをわざわざ口に出して言わないでしょう、斎賀さんは」

「可愛くない奴め」

 表情にも声にも感情を含まずに、淡々と斎賀は言う。

「あの美形は、何か知ってる」

「……それは、俺と同じ力を持ってますから」

「お前のその漫画みたいな家業は俺の専門外だから、お前の領域のことなら俺の勘に引っかかるわけがない」

「つまり、羅刹が殺しに関わってるってことですか?」

 晴久の声に険が混じる。

「ありえないですよ。確かに正義感の強いタイプではありませんが、根は悪い奴じゃないです」

「別に、あの美形が直接手を下したって言ってるんじゃねえよ。ただ、何となく様子がおかしかった気がしてな」

 晴久は沈黙する。

 斎賀の勘は、勘といえどもそう馬鹿にしたものでもないことを彼は知っていたし、初対面の羅刹相手に難癖をつけるような人間でもない。

 だからといって、友人を疑うような言葉は受け入れがたいものであった。

「……斎賀さんの勘が間違っていることは、俺が証明してみせますよ」

「そうか。頑張れよ」

 真剣な面持ちの晴久に、斎賀は興味がなさそうな顔でエールを送った。


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