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羅刹の宴  作者: Nimue
第壱話
6/18

(6)

 その攻撃に気づいたのは偶然だった。

 背筋にぞわりと悪寒が走ると同時に、身を捻っていた。頬を熱いものが掠めた。避けられたのは運が良かったと言えるだろう。無理に身体を動かしたせいでバランスを崩して、たたらを踏む。何かが掠ったところから血が一筋、流れた。

「鈍いなあ、人間」

 現れたのは、あの鬼だった。真っ赤な髪に、同じく燃えるような赤い瞳。一目で人でないとわかる爪と牙。

 羅刹は咄嗟に、辺りに目を走らせた。他の人間がいたら、いろいろと面倒なことになる。

 鬼は、そんな羅刹を鼻で笑った。

「助けを求めようったって無駄だぜ。お前が一人になるのを待ってたんだからな。ま、他に邪魔が入ったらぶっ殺すけど」

 鬼の言う通り、周囲には猫の子一匹見当たらない。閑静な住宅地は、ところどころに空地が目立ち普段から人通りは少ない方だが、羅刹と鬼以外に人がいないのは幸運としか言いようがないだろう。

 他人に助けを求めるつもりなど、さらさらなかった。目の前の鬼は、半端な強さではない。それは晴久の講義を聞くまでもなくわかっていた。こうして向き合っていても、その身に潜む強大な妖力に押し潰されそうだというのに、通りすがりの一般人が対抗できるとは思えない。

 逃げられるか?

 羅刹の背後には十分に逃げる余地がある。袋小路に追い詰められたわけではない。だが、背を向けた瞬間に殺されるような気がした。

 それでもじりじりと後ずさる羅刹を嘲笑うかのように、鬼はゆっくりと歩み寄ってくる。

「逃げようなんて考えるなよ。せっかくこの俺から出向いてきてやったんだから、がっかりさせるな。どっちにしろ、死ぬことに変わりはないけどな」

「何が目的だ」

 鬼は、怪訝そうに眉を歪めた。

「目的ぃ?んなもん知ってどうするんだよ?まさか平和的に話し合いで解決しましょう、なあんて言わねえよなあ?俺はべらべら喋る野郎は好かねえんだよ」

「お前に狙われる覚えはないし、だったら俺がお前と戦う理由もないだろ――まさか、俺を喰いたいのか?」

 それぐらいしか思いつかない。

 だが、鬼は何が気に障ったのか、忌々しげに舌打ちする。

「理由がないって?お前になくてもこっちには大ありなんだよ。俺は炎鬼だ。ただの人間に吹っ飛ばされて黙ってられるか。てめえの命でも貰わなきゃ、俺の気が済まねえんだよ」

「どんな理由だ」

 確かに先日、この鬼を派手に吹き飛ばしたのは事実だが、見たところ怪我もしていないし、それで命を取ろうという発想は理解不能だった。それとも、鬼としては普通の感覚なのだろうか。

 思わず呆れ顔になったのが気に入らなかったのか、鬼は威嚇するように牙を剥き出した。

「馬鹿にしてんのか?」

「馬鹿にはしてないけど、意味がわからない」

「ちっ、低脳が。これだから餌と口なんて利きたくねえんだよ」

「その餌にやられたくらいで本気で腹を立ててるお前は何なんだ」

「ああ!?」

 しまった。

 別に喧嘩を売るつもりはなかったが、売り言葉に買い言葉とはこのことか。単なる減らず口とも言うが。

 鬼は、傍目にもはっきりとわかるほどに怒りを露わにしていた。風もないのに赤い髪が靡き、圧倒的な妖力が辺りに充満するのを嫌でも感じる。そして、その爬虫類のような目を何の感情も浮かべないままに細めた。獲物に狙いを定める目だ。

 本能的に嫌な予感を覚えるのとほぼ同時に、胸に衝撃を感じ、羅刹の身体は宙を舞っていた。

 なぜか鬼の背丈よりも高く舞い上がり、綺麗な放物線を描いて十メートルほど後ろに落下する。地面に背中をぶつけるよりも早く、壁のようなものにぶつかって前のめりに倒れる。

 思い切り胸を打って咳きこんだ。すぐに態勢を整えられるほど、運動神経はよくない。

「弱いな」

 いつの間にか目の前に来ていた鬼が、どこか失望したように言う。

「防御も出来ねえのかよ。札とか聖水とか持ってねえのか?別に使ってもいいぞ、ハンデだ」

「俺は退魔士じゃない」

 退魔士は、肉体の不利を補うために呪力を込めた札や聖水を持ち歩いている。最高に近い能力を持つ晴久でも使っている所を見たことがあるくらいだ。ただし、その札や聖水を作るにはそれなりの鍛錬が必要らしく、羅刹には出来ない。

 たまに絡んでくる妖魔をあしらう程度には必要ないものだったので、今まで特に気にしたこともなかったが、その怠慢のつけをこんなところで払わされるとは思ってもみなかった。羅刹は、慢心していた。晴久に比べれば経験値は少ないとはいえ、妖魔と闘った経験はある。その時の感触から、何となく自分の力が強いことはわかっていたのだ。それこそ、本気になれば小指の先で鬼も片づけられるほど、羅刹の攻撃力は高い。

 だがそれはあくまでも攻撃力のみの話だ。

 防御やその他の面では、羅刹は下級の退魔士にも劣る。先手を取って一撃与えられるならともかく、そうでない相手に攻撃されたら非常に脆い。今がいい例である。わかっていて対策を講じていなかったのだから、まさに慢心としか言いようがない。

 鬼は、顎を反らせてふん、と笑った。

「退魔士でもないのにこの俺に指図するなんて、やっぱり低脳だな。ま、その度胸だけは褒めてやるよ」

「それは光栄だな」

「余裕ぶりやがって。やっぱりてめえは癇に障る奴だな」

 喉を掴まれて、無理やり顔を上げさせられる。上半身が反って苦しい。

 当然、鬼はそんなことに頓着しない。むしろ楽しそうな顔で手に力を込めてくる。呼吸が苦しい。頭に血が昇る。

 鬼の声が、どこか遠くから聞こえてくるような気がする。

「楽しませてもらえると思ったのに、がっかりだ。お前もただの人間か。弱いくせにきゃんきゃん吠えるだけの犬が」

 更に力が加わる。視界が霞む。

「どうせ死ぬだろうから教えてやるけどなあ、俺は結構期待してたんだぜ。親父以外からまともに一撃くらったのは久しぶりだ。てめえとやり合えば俺はもっと強くなれるんじゃないかって思ってたんだよ。その上で俺が勝ってお前を喰う。わかるか?この完璧な流れが。実際はこのざまだけどな。ほんと、期待はずれもいいとこだ――ま、もうどうでもいいけど」

 ぎりぎりと手加減なしで締めつけられる。本気で殺すつもりだ。頭ではなく、本能で察した。意識が朦朧とする。苦しさを通り越したのか、夢見心地の時のようにふわふわとして、気持ち良くすらある。目の前が真っ白になる。

 ――俺は死ぬのか?

 握り潰されそうな意識の片隅で浮かんだその思考に、否、と答える声があった。

 自分の声なのに、自分のものではないような声だ。耳を澄ませると、声は、もう一度はっきり、否、と答えた。

 ――俺は死なない。

 次の瞬間、羅刹の身体に爆発的な力が湧き上がった。鬼が、物凄い勢いで吹き飛ばされる。羅刹は咳きこみもせずに、ゆっくりと立ち上がった。自分の体も、自分の精神も、今までの自分ではないようだった。戸惑うほどに力が溢れてくる。

 鬼が身を起こすのが目に入り、何かを考える前に右手を突き出していた。それで何が起こるかわかっていたわけではない。ただの反射だった。

 だが羅刹の動きと連動するように、鬼の体が炎に包まれた。焼き尽くす、などという生易しいものではない。鬼の右半身は、文字通り、炎に食い破られていた。右半身を消失した鬼は、残った左の膝を地面について体を支える。どういう生命力をしているのか、まだ生きているようだが、さすがにすぐに反撃できるような状態ではないようだ。

 羅刹は思わず自分の手をまじまじと眺める。何の変哲もない、いつもの自分の手だ。釈然としないものを感じるも、鬼が身動きし始めたので身を翻してその場から逃げ出す。一歩、踏み出すと同時に壁のようなものにぶつかったが、抵抗は一瞬で、透明な膜を突き破るような感触と共に壁は消えた。

 その不可思議な現象について何か考える余裕もなく、羅刹は前に向かって走り続けた。行先はどこでもよかった。ただこの場から逃れたかった。今の出来事も、自分に起こった変化も、全てなかったことにしたかった。


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