(2)
「お早い到着で」
わざとらしく相好を崩す羅刹に、友人――御門晴久は冷めた視線を寄越す。
「質問に答えてないぞ」
「質問って?」
「とぼけるなよ。『強くし過ぎた』って何のことだ?強い妖気を感じたから来てみれば、妖魔じゃなくお前がいるのはどうしてだ?」
「それこそどうして訊くんだよ?優秀な晴久君なら、とっくにわかってるんだろ?」
「俺が何をわかってると思うんだ?」
「当ててみろよ」
「…」
「…」
はあ、と腹の底からの溜息を晴久が吐く。
「こういう時、お前には本当に腹が立つよ」
腹が立つ、と言いながらも表情に怒気は見えない。どちらかといえば呆れの色が濃い。
冷徹に見えるが、晴久は滅多なことでは腹を立てない。おまけに、これは親しい者しか知らないだろうが、かなりのお人好しでもあるのだ。
もっとも、本人にその自覚はないと羅刹は踏んでいる。
「俺はこういう時、お前が優しいと思うけどな」
「…頭は大丈夫か?」
「照れるな照れるな」
「いや、俺は困惑してるんだが…って話を逸らすな」
「ちっ」
「舌打ちするな。お前のことを本家に報告するつもりはない。肝心の妖魔は既に逃げたようだしな。一応、一般人のお前のことを巻き込んだなんて叔父に知られたら、面倒なことになりそうだ。これが初めてじゃないから口外する心配はない、なんて言えないしな」
だが、と考え深げに続ける。
「御門本家の結界内に入り込んで、俺にも気づかれなかったなんて相当な位の妖魔だ。妖気を感じ取れたのだって、一瞬だったしな。人に危害を加えるようならば御門家の一員として、排除しなければならない」
「まさか俺に協力しろなんて言わないよな?」
「できればそうして欲しいんだが……その気はないんだろう?」
「当然でしょーが。そんな面倒なこと、御免だね。お前は別として、俺は力のことを他人に知られたくないんだよ」
これは本当だ。
晴久にだって、たまたま知り合ったその時に不可抗力で力のことを知られてしまったから隠していないだけであって、自分から打ち明けたのではない。
「だがお前が手伝ってくれれば、罪の無い人々が妖魔の犠牲になることを防ぐことができる。鬼眼を持つ者は、そう多くはない。それでは宝の持ち腐れだ」
一口に妖魔といっても、様々な種類のものがいる。
位が上のものほど力が強く、人間の目を誤魔化す術にも長けている。だから、位が上の妖魔の正体を見破るためにはより強い力が必要とされる。
「鬼眼」とは最上級の力の持ち主を示す言葉であり、その名の通り鬼を見ることができる人間のことだ。あらゆる妖魔の中で最も位が高いのが鬼であることから、そう綽名されたらしい。
羅刹も晴久も、その「鬼眼」持ちだった。
だが、同い年で同じ力を持ちながら二人のスタンスはまるで違っていた。
羅刹が普通の家庭に、突然変異的に生まれたのに対し、晴久の生家は妖魔退治を生業にする、しかも同業者の中でも頂点に立つ力と権威を持つ御門家だ。
そんな家で幼い頃から育てられた晴久は「鬼眼」という能力を持つ者は妖魔を倒すのが義務と考えており、その立場に誇りを持っているのだろう。
生真面目に正論を唱える友人を見返し、羅刹は皮肉っぽく笑った。
「俺は『宝』だなんて思っちゃいないから。御門家の優秀な方々に混じって正義の味方なんて、畏れ多い」
「茶化すな」
「ああ、悪い。ぶっちゃけて言うとさ、お前の家ってどうも苦手なんだよね。堅苦しいっていうか、まあ伝統あるお家はみんなそうなんだろうけど。お前に迷惑かけるのがおちだと思うし」
「いい。わかった。考えてみれば、俺の家業に無理やりつき合わせて怪我でもさせたら取り返しがつかないからな。忘れてくれ」
その代わり、と目つきに更に真剣味が増す。
「お前が見た妖魔の特徴を教えてくれ。高位の輩なら、蔵を探せば特定できるだろう」
「俺、妖魔見たなんて一言も言ってないんだけど」
「お前は見てないなら見てないと言うだろう」
「言うの忘れてたんだよ」
「もう遅い。言っておくが、見ていないという返事は受け付けないぞ」
晴久は逃げ場を塞ぐように、通路に立ち塞がり、生真面目な笑みを浮かべた。
「俺と一緒に現場に出たくなければ、大人しく吐け」
結局、目撃した妖魔が鬼だということをはじめ、その特徴まで事細かに吐かされた羅刹は精神的な疲労を感じ、まっすぐ自宅へ帰った。ただでさえあの鬼と話して、余計な緊張を感じていた直後に晴久の尋問は辛すぎる。
晴久はけして見た目通りの真面目人間ではないが、見た目通りの部分もある。
まあ、御門家の当主に近い血筋の者として幼い頃から期待され、躾けられればそういうふうに振舞うのが当然なのかもしれない。だからこそ羅刹は、妖魔に対する自分の本当の見方について素直に話せないのだ。今もそうだ。あのどこかガキっぽい鬼の容姿や印象については話したが、羅刹が「他の人間を喰え」と唆したことや、妖魔を殺したくないと思っていることは口にしなかった。
言えるわけがないのだ。
まだ「妖魔が同じ生き物だから殺すのは哀れだ」という理由ならいいが、羅刹が妖魔殺しを忌避するのはそういう優しい理由からではないのだから。
晴久は、きっと理解できないだろう。
彼はそれこそ、妖魔は殺すべき悪として遺伝子レベルで刷り込まれている。羅刹が本当は妖魔をわざと逃がしていると知ったら、軽蔑と嫌悪しか感じないだろう。
そういう男なのだ、あいつは。
生真面目で、冷たく見えるのに羅刹が巻き込まれないように心を砕くようなお人好しで、そのくせ時代遅れなくらい正義感が強い。
そういう男だから、言えない。
絶対に言えない。
何となく落ち込んで、溜息を吐く。
このことは考えても仕方がない。今まで通りやっていくしかないのだ。晴久の信用を利用してダブルスタンダードという今の立場が気に入っているわけではないが、他にやりようもない。
とりあえずは早く自分の部屋に帰って、ベッドに入りたい。
思いっきり眠ってしまえばすっきりするだろう。
そう決めて、羅刹は足早に自分のマンションがある方へと向かった。
一方、羅刹に吹き飛ばされた鬼――刹那は怒り心頭だった。
たかが人間ごときにいいようにやられた屈辱を笑って忘れられるほど、彼は温厚な性格ではないのだ。
刹那は弱くない。むしろ鬼の中でも五本の指に入る強さであると自負している。
自分よりも強いと素直に認められるのは、父親ぐらいだとすら思っている。もっとも、これには異論が出る余地はあって、たとえばすぐ熱くなるところは欠点だとか幼馴染によく指摘される。実際、単純な力比べならまず負けないはずのその幼馴染に、よくそこを利用されて負かされている。
だからあの人間の挑発に引っかかって隙を突かれたことは、よりいっそうの屈辱だった。
幼馴染は、刹那より弱いと言っても鬼である。
それにやられるのはまだしも、自分より遥かに劣る人間に盛大に弾き飛ばされるなど、断じて許してはおけない。
人間など虫けらだ。
弱いくせに繁殖力には優れているようで、数だけは圧倒的だがそんなものが何の役に立つというのか。
せっかく餌として役立ててやっているのに、喰い過ぎれば退魔士とかいう連中がしゃしゃりでてきてこちらを攻撃してくる。鬱陶しいことこの上ない。
力で劣る連中に配慮してやる必要が、どこにある?
刹那は今まで好きに人間を喰ってきたし、それを邪魔する連中は人間だろうと妖魔だろうと皆殺しにしてきた。
人間の中には、刹那の姿を見たり、攻撃する術を持っている者もいたが、所詮刹那の敵ではなかった。
だからあの人間にも思い知らせてやらなければならない。
かなりの距離を吹き飛ばされた時は驚いたが、鬼の肉体はちょっとやそっとでどうにかなる代物ではない。おまけに、吹き飛ばされたおかげで退魔士の索敵範囲から逃れられたらしく、あの人間を心おきなく見張ることができた。
どうやら刹那の気配を察知して現れた退魔士は、あの憎き御門家の一員らしい。
例の人間は退魔士に勧誘されていたが、断っていた。そこだけは褒めてやってもいい。
だが刹那の特徴を洗いざらい喋っていたのは許しがたい。今後の狩りが厄介になりかねないからだ。
その場に乱入して自分に言って来たことをぶちまけてやろうかと思ったが、思いとどまった。それでは後々あの退魔士に邪魔されるかもしれないし、あの人間に近づきづらくなる。
人間は会話中はへらへらしていたくせに、あの退魔士と別れるとやけに深刻な顔で何か考え込んでいた。
まあ、そのおかげで刹那が後をつけているのもわからなかったようなので、よしとしよう。人間が何を考えていようが、興味はない。
隙だらけの人間を襲うつもりはなかった。
背後から襲わなければ人間一匹も仕留められないと知られたら、いい笑いものだ。
人間の住処は突き止められたので、おりを見て訪ねればいい。もっとも、あれほどの強い気配を放っていれば、どこにいてもすぐわかりそうなものだ。
他の奴らにやられないうちにきっちりかたをつけなければならないだろう。
自分が訪ねて行ったら、どんな顔をするだろう。
怖れるだろうか。泣くだろうか。命乞いをするだろうか。逃げだすだろうか。
なぜかどれもありそうになかった。
ならばなぜ自分はこれほど高揚しているのだろうとふと疑問に思ったが、考えても仕方がないのですぐに考えるのを止めた。
久しぶりに楽しみなことができたのだ。それで十分ではないか。