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羅刹の宴  作者: Nimue
第壱話
17/18

(17)

 

 圭一が屋敷の外に出ると、恋人の花江が待っていた。

 その白い頬を膨らませて「ケイ、遅い!」と飛びついてくる。

「待ちくたびれたわ!」

「えー十分くらいじゃん。お前、短気すぎー」

「私待つの嫌いなの。女を待たせるなんて男の風上にも置けないわよ」

「いーよ俺、風下で」

「あのね…」

 呆れ顔の花江は、圭一より四つ年下の二十歳である。万事においてふらふらした圭一とは違い、ファイナンシャルプランナーを目指して努力を惜しまないしっかり者だ。ロシア人の母を持つ彼女は、その血を受け継いでか彫りの深い、派手な顔立ちの美人だった。周囲では、なぜ圭一と付き合っているのかと疑問の声が絶えない。

「私もケイのお父さんにご挨拶したかったのに」

「何で?」

「だってケイはこんなゆるゆるで、大学もいつ卒業できるかわからないでしょ?絶対、心配してると思うのよね。変な道に踏み込まないように私が見張ってますって、言っておきたいじゃない」

「どんだけ信用ないのさ、俺」

 へらっとする圭一に花江はいらっとするが、惚れた弱味と言うべきか、そんなところにも愛情を感じてしまうから不思議なものである。

 圭一は圭一で、花江を父親に会わせたくない理由があった。実は別れる機会を窺っている、というわけではない。問題は彼の家業だった。

 退魔士、という胡散臭い職業の存在を花江が信じるかはともかくとして、一臣が花江の存在を知ることは彼女にとっても圭一にとっても好ましくないことになるだろう。御門家にはいくつかの不文律があり、そのうちの一つに「一般の人間との結婚を禁止する」というものがあった。ここで言う「一般の人間」とは「力」を持たない人間のことである。

 圭一からすれば馬鹿馬鹿しいことだが、御門家は異能の力を守るために外部の血を入れることを固く禁じているのだ。圭一の母も、御門家の分家である冷泉家に連なる血筋の者である。

 彼が現時点で花江と結婚する気ではないにしても、父に会わせたりすれば当主として何だかんだと口を出してくるだろう。圭一が普段から不真面目で「真剣な交際」に縁がないことと、彼の兄が優秀であるがゆえに今は目を瞑られているに過ぎない。

 もし圭一が全くの無能であったらまた話は違ったのだろうが、不運にも彼は才能だけはしっかりと受け継いでしまっていた。もっとも、全くやる気のないこんな性格のせいで、一臣も息子を持て余しているのが現状だったりするのだが。

「――それはそうと、ケイ」

「何?」

「先に言っておくけど、私のこと置いて一人でふらふらしたり、知らない人についていったりしないでね」

「え?何それ?俺そこまで駄目人間じゃないしィ」

「いっつも待ち合わせに来る途中に違う場所で遊び始めたり、そのままドタキャンしたりするのはケイでしょ!ただでさえ方向音痴なんだから、知らない場所でそういうことはしないで!」

「知らない場所って、俺一応住んでたことあるんだけど」

「何か言った?」

「いえ、何でもありません」

 完全に尻に敷かれている圭一であった。

「もう、本当に真面目に聞いてよ。最近、猟奇殺人みたいな事件があったらしいし――夜にふらふらする癖も、やめた方がいいよ」

「お前、心配しすぎだって。俺だって夜の外気に身を晒したい時があるんですー」

「意味わかんない」

「うん、俺も」

「……」

 本気で眩暈を感じた花江を責められまい。付き合い当初より慣れたとはいえ、未だに圭一が本心から言っているのか、それとも何も考えていないのかわからないことがある。まあ、おそらくは後者なのだろうが。

「――圭兄?」

 驚いたような声に二人が視線を向けると、制服姿の晴菜だった。

「あれ、晴菜じゃん。久しぶり」

「こんにちわ」

 花江の方は初対面なので、女同士挨拶を交わす。圭一が突然やって来た事情を簡単に話すと、晴菜は小首を傾げた。

「圭兄、兄さんには会って行かないの?雅兄はいないけど」

「あー、いいよ。あいつ小うるさいから、苦手。俺より親父に似てるよな」

「そ、そうかな」

「うん。それより晴菜さー、気をつけろよ」

 と、圭一はいつもの気の抜けた無表情から、珍しく真顔で従妹を見下ろす。

「圭兄?」

「夜は一人で出かけるなよ。つか、家から出ないこと推奨。勝手にふらふらしたり、知らない人についていったりすんなよ」

「って、それ私がさっき言ったことじゃない」

「あ、ばれた?」

 花江のつっこみに、圭一はへらりと笑う。

「だってお前がやたらに心配するから、俺まで心配になっちゃって。俺の可愛い晴菜が変態の餌食になったらたまんないでしょ――晴菜、わかった?」

 晴菜はじっと圭一を見つめ、こくりと頷いた。

「……ケイったら、珍しくまとも」

「これが見納めにならないといいけど」

「それ、自分で言う?」

 花江は恋人の顔を見上げ、何度目かもわからない溜息をついた。 




「――俺を殺してくれ」

 唐突な刹那の言葉に、羅刹はまじまじと相手を見返した。

「どういう意味だ?」

「意味?」

 刹那は苛立ったように目元を険しくする。

「わかんねえのかよ。俺は負けた。人間なんかに……人間なんかに!」

 ごん、と拳で床を叩く。一瞬、床を突き破るのではないかと冷やりとしたが、そんなことはなく、硬い音が響いただけだった。

「落ち着けよ、そんな下らないことで死ぬなんて」

「下らないだと?」

 殺意のこもった目で睨まれ、羅刹は口を閉ざす。

「……俺は、炎鬼だ。一度ならず三度まで同じ相手に負けて、おめおめと生きていられるか。一族の恥さらしになる気はねえ。負けたと知られるくらいなら、死んだ方がましだ」

 随分と、極端な考え方だ。

 刹那が「強さ」というものにこだわっていることは二度目の遭遇から薄々感じていたが、負けたからと言って自ら命を捨てたがる程とは思わなかった。この潔さはある意味、自分と対極にあるな、と羅刹は頭の片隅で考えながら、口の端を吊り上げる。

「負けたって知られたくないなら、黙ってればいいだろ」

 言われた刹那は、ぽかんと口を開け、それから怒りに顔を歪めた。

「てめえ、馬鹿にしてんのか!?」

「何で怒る?お前のプライドを守るために、解決策を教えてやってるのに」

「そういう問題じゃねえよ!」

「じゃあどんな問題だよ?」

「――糞野郎が!いい気になりやがって。お前に何がわかる!?ぬくぬくと生きてる人間風情が!!」

「何とでも言え。大体、何で俺が負け犬の頼みをわざわざ聞いてやらなきゃいけない?死にたいなら勝手に一人で死ね」

 配慮も何もない羅刹の言葉に、流石に刹那は絶句する。何かを言いたげに口を動かすが、言葉が出てこないようだ。

 その様子に、羅刹は失笑する。

「まあ、お前に自殺はできないだろうけどな。知ってたか?自殺するのは弱い人間じゃない。この世に自分が生きる意味は何もないと合理的に判断できる、ある意味で強い人間こそが死ぬんだ。俺の言葉にいちいち腹立てるプライドがあるうちは、諦めて生きるんだな」

「……つまりお前は、俺が死ぬにも値しないほど弱いって言いたいわけか?」

「少なくとも、自分で死ねないからって『人間風情』に殺してもらおうとする奴を強いとは言わないだろ。そんなんだから、俺にも負けるんだよ」

 言い終わるか終わらないかというタイミングで刹那が立ち上がり、羅刹をベッドに押し倒した。馬乗りになり、両手で首を絞めつける。

「なんで俺が――お前なんかに――!」

 意外だったのは、首を絞めつける力が思いのほか弱かったことだ。手加減しているというより、単純に力が入らないように感じられた。そしてもう一つおかしなことは、何かに視界を遮られているわけでもないのに、何故か刹那の姿が人間にしか見えなかったことだ。先程やり合ったことで、かなり消耗しているのかもしれない。

 いずれにしろ黙ってやられてやる義理は無いので、思い切り跳ね飛ばしてやると、刹那は背中から壁にぶつかってそのままずるずると床に崩れ落ちた。

 羅刹が軽く咳き込みながら上体を起こすと、項垂れたまま「俺は負けたらいけないんだよ」と掠れた声で呟くのが耳に入った。今までの態度からは想像もつかないほど、弱々しい声だった。

「――どうしてそこまで、勝ち負けに拘る?」

 単なる負けず嫌いとも思えずそう訊ねると、刹那は「それしかないからだよ」と吐き捨てた。

「勝ち続けることが、俺の存在意義だ。人間如きに負けるような奴は、お呼びじゃない。親父の息子である資格も……生きてる資格なんかないだろっ」

「じゃあお前が死んだら、お前の父親はお前を誇りに思うのか?むしろ失望するだろ。『こんな貧弱な精神しか持ってなかったのか』って」

「うるせえ!知った口利いてるんじゃねえよ!お前にわかるのか?一番大切にしてたものを、それを屁とも思ってない奴にへし折られる気持ちが、お前にわかるのかよ!?」

「――大切なら、そんなに簡単に捨てるな!!」

 怒鳴り返されるとは思っていなかったのか、一瞬、刹那の口が止まる。何を熱くなっているのか、と冷静な自分が考えるのを感じながら、羅刹はたたみかけるように言葉をぶつけた。

「お前がそれを捨てたら、誰かが拾ってくれるのか?代わりに大切にしてくれるのか?へし折られようがばらばらにされようが、それを元に戻すのはお前にしかできないことじゃないのか?」

 ……わかっている。

 こんなことを言えるほど、羅刹は大層な人間ではない。昔の不愉快な記憶を忘れられる強さも、自分を傷つけた相手を許す強さもない、脆弱な人間だ。だからこそ、言わずにはいられなかった。

 刹那が肉親かもしれない、ということは関係なく、誰かが内面の弱さに負けて崩壊する様など見たくなかった。一歩間違えば自分もそうなるかもしれない、そんな事態を目の当たりにすることに、恐怖を感じた。だからこれは、刹那を自分に置き換えて、抗っているにすぎないのだ。

 刹那の方は、何とも言い難い奇妙な表情を浮かべて、押し黙った。

 不自然な沈黙の後、口籠るようにして「変な奴だな、お前」と反応に困ることを言う。

「……お前は、本当にそう思うか?俺にしかできないことがあるって」

 妙に縋る様な口調だった。言ってから、苛立ったように舌打ちし、羅刹の返事を待たずに立ち上がる。

「俺としたことが、つまんねえことを……おい、てめえ、俺ともう一度戦え」

「はあ?」

「何だその顔は!勝ち逃げしようったってそうはいかねえんだよ!」

「勝つまでやるって、子供かお前は。しかも今やってもまた負けると思うぞ」

「ふん、そこまで俺も馬鹿じゃねえよ。今はやらねえ。力を取り戻して、俺が納得できる強さを手に入れたら、改めてお前をぶっ殺す」

 非常に迷惑な宣言である。結局、刹那に付き纏われることからは逃れられそうもない。

 げんなりしていると、何やら不満げな顔で、

「代わりと言っちゃなんだけどよ、俺にして欲しいことが何かあったらしてやるぞ」

「……急にどうした?」

「うるせえな!負けた以上、一つくらいは言うこと聞いてやるって言ってんだよ!鈍い野郎だな!」

 余程、「負けた」という単語を口にしたくないのか、苦々しげな口調である。不覚にも、羅刹はその顔に噴き出した。

「お前って、結構可愛い奴だな」

 笑いを噛み殺しながら言うと、憤怒の形相で睨まれた。

「てめえ、こっちが下手に出てりゃあつけあがりやがって」

「待て、いつお前が下手に出た」

「うるせえ!いいから何か考えろ。これじゃ俺だけが必死になってるみたいじゃねえか」

 そのとおりだろ、と口に出すとまた暴れだしそうなので、何がいいかと思いを巡らせる。

「もう俺に絡まないってのは」

「あぁ!?」

「…無理だな」

 わかっていたことだが、そこまで力強く反応されると若干脱力する。

「お前にして欲しいことなんて、特にないんだけどな」

 第一、頼んだら頼んだでまた何か面倒なことが起きそうな予感がする。刹那は苦虫を噛み潰した様な顔で何事か考えていたが、やがて「わかった」と言った。

「今すぐ考えつかないって言うなら、時間をやる。一週間以内に決めろ。俺がここに居るうちにな」

「いや、帰れよ。ここに居るとか、勝手に決めるな」

「俺だって居たくて居るんじゃねえよ!お前のせいで妖気を使い果たしちまったから、回復するまでは帰れねえんだよ。責任とれ」

「知るか。何で俺がお前を住まわせてやらなきゃいけないんだよ。図々しいにも程があるだろ」

「あーうざってえ!とにかく俺はもう決めたんだよ!てめえが何と言おうと、絶対帰らねえからな……もし力尽くで追い出そうとしやがったら、てめえの正体、あの退魔士にばらしてやるからな」

 あの退魔士、というのは晴久のことだろうか。そうこられるとは思っていなかったため、少しばかり動揺して言葉に詰まる。

 刹那はしてやったり、という風に笑って見せた。

「決まりだな。精々じっくり考えろよ、人間」


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