(15)
「俺の親?なんであんたが知ってるんだ」
「知っているというより、ただの仮説だよ――そんなに怖い顔をするもんじゃない。一応、根拠はあるんだから。お前さんだって興味あるだろう?」
忌々しいことに、否定できなかった。肉親という言葉には、羅刹に一口で言い難い感情をもたらす力がある。
常盤はそんな感情も見透かしたかのように、返事も待たずに言葉を続ける。
「これが実に面白い話でね。思いついた時には年甲斐もなく心が浮き立ったよ。これをお前さんに教えた時の反応が楽しみで楽しみで」
「どうでもいいけど、その顔かなり不気味だぞ」
「そんなことを言っていられるのも今のうちだよ。時にお前さん、妖魔はどうやって子を成すか知っているかい?」
「どうって……普通の生き物と、何か違うのか?」
「生殖行為そのものは、人間と違わないはずだよ。ただ妖魔の特殊なところはね、男には子供を成せる時期が生涯に一度しかなくて、しかもその期間が極端に短いってことだ」
そうか、と相槌を打とうとして、意識の片隅に何かが引っかかる。が、それを捕まえる前に常盤の話は先に進んでいく。本当によく喋る女だ。
「これがなかなか深刻な問題でねえ。基本的に同種同士でしか子供はできないのに、男はただでさえ血の気が多くて、子供を作る前にすぐに死んでしまうし……女は女で、なかなか妊娠しないもんだから、妊娠中の女は攻撃しないっていう暗黙の了解もあるよ」
それは暗黙の了解とか言う以前に当然のことではないかと思ったが、妖魔の常識のことはわからないので、別のことについて口を開く。
「それが、あんた達がこっち側に長くいられない理由ってわけか」
「なかなか理解が早いね。そういうことさ。たまに来て気分転換でもする分にはいいけど、全面戦争したり社会丸ごと乗っ取るには、戦力が足りないんだよ私たちは。妖魔一丸となってことにあたるならともかく、さっきも言った通り内輪揉めの好きな連中だからね。空中分解して足の引っ張り合いでも始めるのがおちだよ」
ああくだらない、と溜息をつく。
「最近、思うよ。私たちは強い。自惚れを抜きにしてもね。普通の人間相手なら、まず一対一で負けることはない――だけどその能力に頼りすぎているんじゃないかってね。絶大な力は持っているが、それ以外に何もない。進歩がないんだよ。そして多くの連中はそのことに気づいてすらいないし、たとえ気づいたとしても、なんとも思わないだろうね」
「確かに、あんた達に科学や兵器は必要ないだろうな」
具体的に何ができて何ができないのか、はっきりとわかっているわけではないが、人間ほど科学の発展に力を注ぐ必要はないだろう。少なくとも車などの移動手段は不要だし、人知を超えた力を生まれながらに持っていれば、改めて武器を作り出すという発想もなかなか出てこないのかもしれない。
常盤は苦笑する。
「必要ない、というよりもそれを創造して、発展させていく能力がないんだよ。根本的に、向いていないと言うべきかねえ。例えば子供ができにくい原因を調査して、それを解消させるために人間から優秀な医学者あたりを攫ってきたとする。だけどどんな天才であっても、すぐさま答えを出すことなんてできないだろう?実験を繰り返して、データを取って、それでやっと何かを証明できる。なのにそこまでの過程が、大部分の妖魔にとっちゃ恐ろしく馬鹿馬鹿しくて無意味なものなんだよ。一言で言うなら、即物的、だね。劣等種に自分達の弱味を握られることにも我慢ならない。一回、実験して解決策が出なければ、殺してしまえ、となる」
どこか諦めの滲んだ口調だった。
「そういう意味では、お前さんに少し期待しているんだよ。毛色の変わった者が宗主になれば、何かが変わるんじゃないかってね」
「期待に応えられなくて悪いけど、そこまでチャレンジ精神旺盛じゃない」
「ふふ。そう言うと思ったよ。そこも含めて、今後が楽しみだ――話が逸れたね。それで、お前さんの親のことだけど」
「羅刹に余計なことを言うな、女狐」
割り込んできた声に振り返ると、ベッドで寝ていたはずの白夜がいつの間にか起き上がっていた。まだふらつきながらも、その視線は険しい。
「どういうつもりだ、女狐。何故お主が、ここにいる」
「おやおや、私がここに居ちゃいけないって言うのかい?私がどこに居ようと、私の自由だろ?大体、お前さんまだ寝ていた方がいいんじゃないのかい?」
「うるさい、わらわの質問に答えろ。何を企んで、子狐に羅刹を見張らせた?どうせいつものくだらない余興であろう。お主の道楽に羅刹を巻き込むな」
「困ったお嬢ちゃんだねえ。私はただ、老婆心から坊やと話をしていただけだよ。お前さんだって、この坊やが宗主になってくれた方が嬉しいんじゃないのかい?」
「それは…」
一瞬、怯んだように言葉に詰まるが、すぐさま自分を鼓舞するように常盤を睨む。
「確かに……羅刹がわらわを受け入れてくれるなら、刹那と戦って自由を勝ち取ってやろうと、思うこともあった。だが結局、現実味がないからこそ、思っていられたことだったのだ。惚れた男を、みすみす危険な道に引っ張り込みたい女はいないと思うがな」
「――それは、私に対するあてつけのつもりかい?」
常盤の声が一段、低くなる。表面的に変化はないものの、目が笑っていない。正直、何が逆鱗に触れたのか羅刹にはわからなかったが、先程の刹那と白夜の会話中に感じたのと同じような、嫌な予感に襲われて、咄嗟に声を上げる。
「お前ら、当事者を無視して会話するなよ」
「……そうだね。坊やに決めてもらおうじゃないか。私の話を聞くか、聞かないか」
「聞くも聞かないも、聞きたくない話に今まで付き合うほど物好きじゃない」
「ほら、坊やだってこう言っているじゃないか、白炎」
「考え直すのだ、羅刹!親のことなど知って何になる?余計な悩みを増やすだけだぞ!」
「ちょっと待て。その言い方、お前も俺の親を知ってるのか?」
「そ、それは」
「白炎も私と同じ仮説を立てたってことだろう。だけど私はそれを教えたいし、白炎は教えたくない。実に面白いね」
「黙れ、女狐。悪ふざけも大概にしろ」
嫌いだ、と言っていたとおり、白夜の態度に友好的なところは微塵もない。
また険悪な雰囲気になる前にと、羅刹は急いで言葉を継ぐ。
「もういいだろ、白夜。お前が俺の為に言ってくれてるのはわかるけど、俺は知りたいんだよ」
「だが」
「自分のことくらい、自分で決めさせてくれ」
「……」
白夜がもどかしげな顔で沈黙し、常盤はそれに勝ち誇ったような視線を向ける。
「私から言うかい?それともお前さんから?」
「……お主が言うがいい。何と言っても、その仮説を立てるための前提を調査したのはお主だからな」
「それじゃ遠慮なく。お前さん、さっきの私の話を覚えているかい?」
と言って、羅刹の方に向き直る。
「さっき?」
「何だい、もう忘れたのかい?妖魔はごく限定された期間でしか、子供を作れないっていう話だよ」
「ああ…」
「鬼の寿命は大体二百年、そのうち繁殖期は十年程度だ。つまりだね、お前さんの生まれた時期、約二十年前に繁殖期が重なっていた鬼がわかれば、自動的にお前さんの親も割り出せるって寸法さ」
「って言っても、そんな都合よく絞り込めないだろ。それだけの条件なら候補は何人もいるだろうし、第一、俺の体に流れてる鬼の血は、親からじゃなくてもっと前に混ざったものかもしれない」
自分の家庭環境がああなので、つい本当の親が別にいるという考えに流れてしまいそうになるが、両親は人間で、祖父母やもっと以前の祖先が鬼であるという可能性もある。
だが常盤はあっさりとそれを否定した。
「それはないよ」
「……なんで」
「私の知る限り、人と鬼が交わった場合、その子供が鬼の力を発揮できる確率はとても低い。全員を把握しているわけじゃないから何とも言えないが、大体一パーセントってところかねえ。それを更に遡って血を混ぜたとしても、お前さんのように宗主候補と張り合えるような子供なんてできないよ。少なくとも私は、見たことも聞いたこともないね」
「お主が知らないだけ、ということもあるだろう」
皮肉っぽく白夜が言うが、常盤は取り合わない。
「そうかもね。ま、それはそれとしても、もう一つ理由はある――坊や、伊織を『支配』しただろう?」
「支配?」
「人間には違和感ある言葉かもね。私たちはそう呼んでいるんだけど、炎鬼にだけある力の一つだよ。明確な意思を持って言葉を発すれば、相手を意のままに動かすことができる」
「俺はそんなことした覚えはないけど」
「はあ…『待て』と言っただろう?伊織は止まっただろう?あれは何も、お前さんの剣幕に驚いて止まったわけじゃないよ。伊織は普段から自分より強い奴に凄まれることには慣れてるからね。お前さんが心底から命令して、伊織はその力に屈した。それが支配だよ」
「もう何でもありだな。じゃあ俺が望めば、世界征服も夢じゃないのか」
それは冗談にしても、刹那と戦う必要はなかったかもしれない。命令すればそのとおりにする、と言うなら、一言「二度と近づくな」と命令すればすむことではないか。
常盤は「残念」と嘲笑する。
「夢を壊して悪いけど、支配できるのは伊織みたいな雑魚か、抵抗力のない人間だけだよ。もっとも、支配力の強さにも個人差があるから、坊やがどの程度かは知らないけどね。とにかく私が言いたいのはだね、お前さんの持ってる能力が殆ど純粋な鬼そのものだってことさ。半分でも人間の血が混じっていて、それ程の力を発揮できるなんて奇跡だよ。まあ、お前さんと刹那が兄弟だと考えれば、納得なんだけどね」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「……何だって?」
「だから、兄弟だよ。お前さんと、あっちで伸びてる坊やがね」
羅刹の反応を楽しむように、ゆっくりと常盤が言う。
「今までの条件に全て当て嵌まるのは、脳筋坊やの父親と、もう一人しかいない。その一人は一族を捨てて人間と暮らしている変わり者だけど、妻も子供も大切にしているようだから、お前さんの親である可能性は低いと思うね」
「この女の言うことを真に受けるな、羅刹。お主を動揺させたくて言っているだけだ」
「詭弁だね。お前さんだって、炎鬼の数の少なさは知っているはずだ、白炎。私が把握していない候補がいると言うなら、教えてやるがいいさ」
「……」
「それは、確実な話なのか」
惰性のようにこぼれた言葉は、思ったよりも冷静だった。常盤はそれがつまらなかったのか、僅かに苦笑する。
「言っただろう。ただの仮説だって。私は間違いないと思っているけど、百パーセント間違いない証拠はないよ。お前さんが信じたいなら信じればいいし、あり得ないと思うなら私の話は嘘八百でしかない」
羅刹は沈黙する。意外ではあったし、驚かなかったわけではないが、取り乱すほどの衝撃はなかった。妖魔が子供を作れる期間が限定されている、と聞いた時の違和感は、自分と同じような外見年齢の刹那のことが引っかかったからかもしれない。
それよりも、本当の親がわかってもさして心が動かない、自分の反応の方が驚きだった。
知りたいと思っていたし、この年になればほぼ独立している筈の「親」という存在に、内心で拘っていたのも確かなのに、いざ答えが提示されてみると「会ってみたい」とも「恨み事を言ってやりたい」とも思わない。
見たこともない存在にそんなことを思うのも不自然なのかもしれないが、今、感じるのはぼんやりとした空しさだけだった。
結局のところ、誰が親であろうと自分を必要とすることはないのだと、突きつけられたような気がした。知らない方が夢を見ていられただけ幸せだったかもしれないな、と他人事のように思う。
そんな羅刹を尻目に、「私たちはそろそろ帰るとしようじゃないか、白炎」と常盤が呑気な声を上げる。白夜はあからさまに嫌そうな顔をした。
「帰りたくば、お主が一人で帰るがよい」
「お子様みたいなことを言うんじゃないよ。白炎ともあろうものがあまり長く留守にしちゃ、騒ぎになるだろう?それがわからないほど馬鹿じゃないと思うけどね」
「貴様、偉そうにっ…」
「俺も、そうした方がいいと思う」
羅刹が同意すると思わなかったのか、白夜が「何故だ!?」と悲壮な顔で詰め寄ってくる。
「わらわが邪魔なのか?」
「そういう問題じゃない。お前、顔色悪いんだよ。ここで倒れても俺は何もしてやれないから、帰って休んだ方がいい」
「……だが……だがお主は大丈夫なのか?」
その「大丈夫か」が何にかかっているのかは判然としないが、本気で心配そうな目で見上げてくる少女に、つい苦笑が漏れる。
「お前って、本当に俺のこと好きだよな」
「っ…からかっているのか!?」
「いや、真面目にさ。お前、わざと刹那のこと怒らせて自分に攻撃させただろ?恨まれてるのは俺なのに、悪かったな。怪我させて」
「そ、そのようなことをした覚えはない!わらわはあの男が嫌いだっただけだ!」
噛みながら言われても説得力がない。本人もそれに気づいたのか、何とも言い難い表情で何度か口を開閉し、
「とにかく!わらわはお主を死なせてしまったのだから、お主に謝られる資格などない――お主が何者だろうと、生きていてくれて良かった」
と呟いた。
その言葉に、咄嗟に返事ができなかった。それが本心から言っているとわかったからこそ、何も言えなかったのだ。
そしてタイミング良く、常盤が「はいはい」と手を叩く。
「盛り上がってるところ悪いけど、もう行くよ。坊やは兄弟水入らずでゆっくりおし」
「は!?」
思わず声が裏返る。
「あいつも連れて帰るんじゃないのか?」
「誰がだい?私が?それとも白炎かい?どっちにしても、あの状態の坊やを何て説明しろって言うんだよ。白炎に比べれば、坊やは自由だからね。暫くここに置いておいても、大丈夫だよ」
「俺が大丈夫じゃない」
「お前さんのことなんて知ったことじゃないよ。この程度のことに対処できないようじゃ、先が思いやられるね。精々頑張りな」
「やはりわらわも」
残る、と言い終わる前に、常盤が白夜の腕をしっかりと掴む。
「逃がさないよ、お嬢ちゃん」
「は、離せ!」
「それじゃあ坊や、また会おう」
引き止める間もなく、二人の姿は蜃気楼のように掻き消えた。残された羅刹は、暫く立ち尽くしていたが、溜息を吐き、刹那の倒れている部屋に向かう。
刹那はまだ意識のないまま、床に倒れていた。いつの間にいなくなったのか、伊織の姿もない。
更に深い溜息を吐き、ベッドに勢いよく腰を下ろす。
こいつが目を覚ましたら何と言おうか。
実は俺とお前は兄弟かもしれない……?馬鹿馬鹿しい。怒り狂って襲ってくるのが関の山だ。いや、言わなくてもそうなるのだから、同じことか。血が繋がっていようが、刹那が自分を殺したことも、自分が刹那のプライドを著しく傷つけたことも、なかったことにはならない。もっとも、死んだ時に苦痛を感じなかったせいか、何事もなく復活したせいか、刹那を恨む気持ちは無いのだが。
死んだと言えば、あの深層意識で「もう一人の自分」が言っていたことも気にかかる。
混ざり始めている、とはどういう意味なのだろうか。常盤の言っていた「支配」する力が使えるようになったことを言うのだろうか。
こうして蘇った今も、以前と何かが変わったような気はしない。内面は相変わらずだし、肉体的にも変化は無い――無いように、感じる。
そう言えば、顔だけはまだ確認していなかった。
刹那が目を覚ます前に見てこよう、と立ち上がった瞬間、頭に激痛が走った。
一週間前と同じ、凄まじい痛みだ。崩れ落ちるようにベッドに倒れこみ、ただ呻きながら頭を抱えることしかできない。
痛みが長く続かないことも、前回と同じだった。意識が遠のくことに、羅刹は安堵さえ感じていた。
意識を取り戻した時には、部屋は真っ暗になっていた。時計を見る。八時半だった。四時間も意識を失っていたことになる。しかも、少なく見積もっても、だ。
あの頭痛は、一体何を意味しているのだろうか。これが習慣になることを考えるとあまり楽しくないな、と考えながら何気なく横を見て、思わずびくりと肩を震わせる。
刹那が、こちらを見ていた。
壁にもたれかかり、片膝を立てて、物も言わずにじっと羅刹を眺めている。
いきなり襲われるに違いないと予想していたので、思いのほか大人しい相手に虚を突かれ、何となく男同士で見つめ合うという非生産的な時間が流れる。
沈黙を破ったのは、刹那の方だった。
「――お前に頼みがある」
気味が悪いほど静かな口調で、もう一度、頼みがある、と繰り返す。
「頼みがある――俺を殺してくれ」