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羅刹の宴  作者: Nimue
第壱話
13/18

(13)

「捨てたと言っても、俺とお前が別人というわけじゃない。本来なら、俺とお前は二人で一人だった。だけど俺は、お前が人として生きるにあたって邪魔な部分だった。だからずっと眠っていた。あの鬼に、起こされるまでは」

「――刹那か」

 青年は頷く。

「生命の危機に瀕して、俺は目覚めた。お陰でお前は助かったわけだが、少しずつ俺の影響を受けるようになったはずだ」

「影響?」

「気づいていないのか?お前が、俺の力を使えるようになっていることを。俺とお前は、僅かずつではあるが混ざり始めている」

「……」

「ところで、だ。お前はこの先、生き続けたいと思うか?」

「え?」

 青年は意地の悪い表情で羅刹を見返す。

「お前は、死んだ。普通の人間としては、な――だがお前が望むなら、蘇ることもできる」

「蘇る?……それは」

 まるで人間離れした現象だ。

 羅刹の戸惑いをよそに、青年は淡々と喋り続ける。

「当たり前のことだが、普通の人間は死んだら生き返ったりしない。お前が生を望むなら、俺の存在を受け入れてもらう」

「受け入れる…鬼になれってことか」

「正確には、鬼である一部を、な。蘇った後にお前がどんな姿になるのか、どんな力をどの程度、振るえるようになるのかはわからない。二目と見られない化物になるかもしれないし、性格が豹変するかもしれないし、大した変化はないかもしれない。完全に融合するまでは暫くかかるから、突然、何もかもが変わるってことは無いと思うが……そのリスクを負っても、お前は生きたいか?」

「どうしてわざわざ、そんなことを訊く?お前の言うことが本当なら、お前にも決定権はある筈だろう」

「俺が生きるべきか、俺自身も甚だ疑問だからさ」

 青年が憂鬱そうに言うと同時に、一面真っ暗闇だった視界がぱっと明るくなる。驚いて辺りを見回すと、いつの間にか羅刹は家に――かつて両親と住んでいた家の居間にいた。目の前には、空っぽの食卓がある。

「覚えているか?」

「…何を」

「子供の頃は、いつも一人で食事していたよな。あの女が、お前とテーブルにつくことを嫌がったから。食べさせてやるだけありがたく思えって、残り物だの冷凍食品だのばっかり食わせておいてよく言ったもんだ。それ以外は、部屋から出るなって命令されてたな。ちょっとでも逆らったら、容赦なく殴られた。土下座して許してもらったこともあったっけ。でもあの女がお前の存在を許したことなんて、一度もなかったと思わないか?」

「それが、どうした」

 青年が言ったことは勿論、全て覚えている。覚えているからこそ、思い出したくないし、二度と触れたくもない話だった。

 青年はこちらの心中を見透かしたかのように、可笑しそうに口笛を吹く。

「それがどうした?あの女に好かれたくて必死だったくせに。何だったっけな、あの女のお気に入りの科白は――そうそう、『お前の存在が皆の迷惑』だ。あれは絶対、洗脳しようとして言ってたな。『皆』なんて得体の知れない、漠然とした対象だが、ああもしつこく言われちゃ信じてしまってもおかしくないよな?」

「馬鹿馬鹿しい」

「本当にそう思っているのか?――俺に隠し事をしても無駄だ。何しろ俺は、お前だからな」

「お前が俺だとしたら、自分に嫌な思いをさせるようなことを言うのはおかしいだろ。マゾか?」

「お前はどう思うんだよ」

 その言葉と同時に、周囲の景色が一変する。

 何の変哲もない学校の教室だった。羅刹は丁度教卓の前に立って、無人の教室を眺める形となっており、青年は窓側の後ろから三番目の席に座っている。

「学校でも、居心地は良くなかったよな。何しろ家であれだけ否定されてちゃ、他人に対して臆病になっても仕方ない。見た目だけは良かったが、お前の性格じゃ近寄りがたさを割り増しさせるだけだ。しかも、お前と他の連中には決定的な違いがあった。見えるか、見えないか、だ」

 羅刹は顔を顰める。

 今でこそ、妖魔を見ても何食わぬ顔でやり過ごしているが、それ以前、特に小学校の時は相当に挙動不審だったことは否めない。

 母の反応から、妖魔を見ることができるのは自分だけであること、それを隠さなければならないことは学んでいたものの、実際に至近距離でうろつかれたり飛びつかれたりして平然とできるほど、あの頃の羅刹は妖魔に慣れていなかった。

 殆どの妖魔は、せいぜいがこちらを驚かせたりからかったりが目的の小物で、実害を加えられることは少なかったが、それでもいちいち動揺し、何もないところで声を上げる姿は傍から見ておかしいものだっただろう。

 そして、少ないとはいえ人間に危害を加えようとする妖魔も、一定数は存在していた。

 羅刹だけではなく、時にクラスメイトに手を出そうとする者もいたから、常に気を張っている必要があった。妖魔の気配に敏感なのは、素質以上にこの頃の経験によって鍛えられたからだろう。

「――俺は守ってやったのに、あいつらはわかろうともしない」

 青年が無表情で呟く。

 その言葉に、不意に羅刹は思い出す。クラスメイトの少年が妖魔に襲われそうになっていた時、咄嗟に彼を突き飛ばして怪我をさせたことがあった。そうしなければ妖魔が少年を階段から突き落とそうとしていたためだが、少年は膝をしたたかにぶつけ、更に捻挫までした。

 少年もクラスメイト達も、そして教師も羅刹を激しく責め立てた。

 理由はどうあれ、少年に怪我をさせたのは羅刹だ。その理由も、正直に話すことなどできはしない。彼に出来ることは、大人しく謝り非難を黙って聞くことだけだった。

 悪いことに、この時期の彼の「力」はまだ安定していなかった。咄嗟の場面で、狙いを外したり上手く集中できないことが多々あったため、狙われる対象を物理的にどうにかする必要がどうしてもあったのだ。

 普段は陰気なのに、前触れもなく暴力を振るう羅刹は、同性異性問わず嫌われ気味悪がられた。

 教師すら味方にはなり得なかった。子供ながら、彼らに真実を話すことの無意味さには気づいていたし、機会があるごとに母に羅刹の行動を吹き込む教師は、敵にすら感じられた。

 ――周りが悪いんじゃない。

 帰宅して、激昂した母に折檻された後、羅刹はいつもぼんやりとそう考えたものだ。

 ――じゃあ、俺が悪いのか?

 助けなければいいのか。大怪我をするのがわかっていても、放っておけばいいのか。そもそも、どうして自分は彼らを助けようとしているのだろう。友人でもない、自分を嫌っている人間を助けて何になるというのだろう。

「無意味だろう。俺にも、俺の力にも、俺の行為にも、何も意味なんてない」

「やめろ」

「どうあがいても俺は周囲に溶け込めない。誰にも必要とされない。誰も必要じゃない。それは、俺が『力』を持って生まれたせいなのか、もともと俺に何か欠陥があったからなのか――」

「やめろ!!」

 空しく声が響く。羅刹は自分に瓜二つの青年を、睨みつけた。

「自分を哀れんで何になる。無様なことを言うな」

「そうだな。その自尊心が、お前の拠り所でもある。人と違う自分を恥じる気持ちと、そんな自分でも肯定せざるを得ない自意識が、今のお前を作り上げた」

「……他人が俺を否定するなら、俺自身が俺を肯定してやらなきゃ、救われないだろ」

「だが他人に拒絶され続けた人間が、本心から自分を愛せるもんかね?」

 わからない。が、少なくとも、他人のことは愛せそうもない。中学二、三年の頃には「力」も安定し、他人への恐怖を押し隠す術も身に付けたが、ほぼ同時に人間への慢性的な嫌悪も、羅刹の中に根付いていた。

 人間と妖魔の何が違うのか、わからなくなった。晴久が妖魔を悪と断じ、人間を守ることに血道を上げる理由が、羅刹には見えない。たとえ事細かに説明されたとしても理解できないだろう。晴久が、羅刹の妖魔に対する感情――人に排斥される様が、かつての自分に似ていると思う気持ちに共感できないのと同じように。

「――それで、結局お前は何が言いたいんだ」

 再び暗闇に戻った空間で、どこか所在なさげに佇む青年に、羅刹は問う。青年は目を伏せた。

「俺の言いたいこと……いや、訊きたいことは一つだ。化け物となるリスクを負っても、お前は生きたいか?そうまでして生きる意味が、あると思うか?」

「わからない」

 ただ、と羅刹は続ける。

「このまま終わるのは悔しいだろ。ここで黙って死んだら、俺が何の意味もない存在だってことを、自分で認めることになる」

 あるかどうかもわからない来世とやらに賭けてみるのも一つの選択肢かもしれないが、今までの自分から逃げ出すようにして生を諦めるのは、そこに執着するだけのものがないとわかっていても、容易には受け入れがたかった。

 それは羅刹の中で、母や同級生達に対する敗北と同義であったからだ。

 そんなことが認められるものか。

 誰が認めなくても、自分だけは自己を尊重したいし、生にしがみつきたいのだ。たとえ蘇って、醜悪な怪物になり果て、晴久に殺される結末しか待っていなかったとしても、自ら終止符を打つほど潔くはなれない。

 それが羅刹の、譲れない意地のようなものであった。

「――わかった」

 目の前の青年の姿が、ぐにゃりと歪む――いや、歪んだのは、羅刹の視界だった。懸命に目を見張っても、最早青年の顔はまともに視認できなかったが、その声は変わらず明瞭に、耳に届いた。

「お前が俺を受け入れるなら、俺はお前の力になろう――後悔するなよ」

「……しない。絶対に」

「どうだか」

 せせら笑うような青年の声を最後に、羅刹には何も見えなくなった。




 唐突に、意識は再浮上した。ばちりと目を開くと同時に、堅いコンクリートの感触を全身に感じる。彼の体は死んだ時と同じ場所に、うつ伏せで倒れていたようだ。そっと腕を動かしてみる。違和感はない。ゆっくりと地面に手をつき身を起こすと、白夜の体が飛び込んできたので、咄嗟に受け止める。ぐったりとした白夜は、重い瞼を持ちあげ、不思議そうに羅刹を見上げてきた。

「…羅刹…お主、なぜ…」

「なんでお前が生きてる!?」

 白夜を遮るように、刹那が荒々しく言葉を被せる。   

「殺したはずだろうが!普通の人間が生きてるわけ――」

 そこで、何かに思い当たったかのように口を噤む。

「そう言えば、お前は普通の人間じゃなかったな。いいぜ、今度こそ止めを刺してやるよ」

 刹那の姿が瞬時に掻き消える。が、今度は羅刹の目は、鬼が十メートルもの距離を一瞬にして詰め、目の前で腕を振り上げるその動きを、全て捉えていた。不思議な感覚だった。刹那の動作が人の限界を超えたスピードであることに変わりはないはずなのに、それに対する自分の感覚は一変していた。まるで別物だ。人間が殴りかかってくるのと変わらないように感じる。

 目の前に突き出された拳を、一歩横にずれることでかわす。刹那が動揺したように一瞬、躊躇した隙を逃さず、顔面を思い切り殴ると同時に、「力」で後方に弾き飛ばす。

「いてえ」

 普段、人を殴ることなどないので、殴った拳が痛い。というか、本当に殴る必要などなかったのだが、そうしなければ気が済まなかったのだ。

 刹那は数メートル押されるようにして後ずさるが、踏み止まった。羅刹の攻撃を予想していたのだろうか。脆弱な妖魔なら、あれで消滅することもあるのだが。つくづく、最初の邂逅では運が良かったのだと思い知る。

 刹那がぎろりと羅刹を睨む。羅刹の本能が警鐘を鳴らした。

 次の瞬間、二人の炎がぶつかり合っていた。武器のように一点でぶつかり合った炎は、相手を呑みこもうと燃え盛り、火の粉を撒き散らすがその力は拮抗し、二人の中間で停滞する。

 ――本当に使えたな。

 一週間前のあの時は、一度きりの奇跡だった。あれ以降、炎の残滓すら自分の内には感じられなかったし、どうやってあれを使ったのかも思い出せなかったと言うのに、今はとても自然に扱えている。まるで生まれた時から自分の一部であったかのようだ。どうして忘れていたのだろう。外でぶつけ合う炎の熱さはまるで感じないのに、自分の内部で生き物のように脈動する炎のそれはこれ以上なく感じられる。気が狂いそうなほど熱いのに、同時にそれが快感でもある。中から焼き尽くされても構わないという気さえした。

 半ば恍惚とする羅刹の左手を、白夜が掴んだ。途端に、何か別の新しい力が流れ込んでくる。羅刹の熱は冷まされ、それでいて力が増すのがわかった。思わず見下ろすと、「集中しろ」としっかりとした声が返ってくる。

「自分の炎に呑まれては恰好がつかないぞ。仕方がないからわらわが手伝ってやろう」

「お前…」

「これでも『白炎』だ。心配するな――まあ、お主を助けることが『白炎』として正しいのかは、わからぬが」

 自嘲気味に言い、迷いを断ち切るようにきっぱりと「目を閉じろ」と宣告する。

「わらわの力を感じるであろう……流れに逆らうな。そして恐れるな。わらわを信じて、お主のやるべきことをするのだ」

 ぎゅ、と白夜が羅刹の手を握る。繋いだ所から、脈々と力が供給されてくる。全知全能の存在になったような感覚だ。今だけなら何ものにも負けない気がする。勿論、目の前の相手にも。

 激流の如く、炎が迸る。

 刹那の炎を呑みこみ、その身に纏わりつき、食らいつく。視覚だけでも、その凶暴性は余すところなく伝わった。自分でやっておきながら、その勢いの凄まじさに軽く身震いする。と、繋がれていた手が離される。一拍置いて、腰に重みを感じたので見ると、白夜がしがみついていた。かなり疲労困憊といった様子で、全身で息をしている。

「大丈夫か?」

「これくらい…平気だ」

 本人は強がっているつもりだろうが、そのままずるずるとしゃがみ込んでしまった。白夜は悔しそうに唇を噛み、羅刹を見上げる。

「今のわらわではこれが限界か……だが、まさかお主がわらわの…」

 言いかけて、そのまま倒れこむ。気絶したようだ。ほぼ同時に、刹那に襲いかかっていた炎も、嘘のように霧散する。解放された刹那が反撃してくるかと思い身構えるが、その心配は杞憂だった。刹那の方も、解放されるなり糸が切れた人形のように倒れてしまったからだ。

 その場に立っているのは、羅刹だけだった。

 辺りを見渡し、刹那がぴくりとも動く気配のないことを確認して、ようやくほっと息を吐く。

「勝ったのか…?」

「そのようだねえ」

 聞き覚えのない女の声に、羅刹の全身が緊張する。周囲に視線を走らせるが、声の主と思われる女の姿はない。

「探しても無駄だよ。私はお前さんの近くにはいないからね」

「誰だ、お前は」

 感覚を尖らせながら、羅刹は訊ねる。答えは存外、素直に返ってきた。

「名乗るほどのものじゃないが、私は常盤というものさ。なかなか楽しませて貰ったよ、鬼の隠し子」

「…お前が、俺を監視するように命令した奴か?」

「ご名答。悪く思わないでおくれよ。こっちにもこっちの事情があるんでね」

「俺に接触してくるのも『事情』のせいか?」

「おや、話がわかるじゃないか。そこで伸びてる単細胞とは違うようだね。少し、二人で話がしたいんだよ。お前さんだって、私に聞きたいことがいろいろあるだろう?」

「答えてくれるのか?」

 警戒心も露わに問えば、軽やかな笑い声が、やはり姿のないまま響く。

「でなければ、わざわざこうして私の存在を知らせたりしないよ。まあ、信じないならそれでもいいけどね」

「……わかった」

「ふふ。交渉成立だね。じゃあ、お前さんの部屋で待っているよ」

「最初から拒否権ないんだろうが」

 思わず苦い笑みが浮かぶ。考えてみれば、伊織が羅刹の部屋を知っているのだから、その黒幕の常盤が知らない方がおかしい。

「それに意識不明者が二人もいるのに、どうやってそっちまで帰れって言うんだよ」

「妖魔には便利な技があるんだよ。今のお前さんなら、簡単に帰ってこれるさ――ま、その辺はそこの新米狐にでも聞くんだね。そのくらいの役には立つだろうさ。あまり私を待たせるんじゃないよ」

 勝手なことばかり言って、声は聞こえなくなった。

 羅刹は溜息を吐いて、妙に不安そうな顔をしている伊織を見やる。完全に、おかしな道に踏み込んだな、と思いながら。


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