談笑のひととき
確かに人間離れしていると言われたことはあるけれど、まさか本当に人間でない可能性があったとは思いもしなかった。
私は人間じゃない?
その可能性が今まであった少しの確固たる事実を消し去っていくようで唇が僅かに震えた。しかし怪異である彼女たちの前でそんな反応をするのはあまりにも無礼ではないかと気づき慌てて弁解する。
「申し訳ございません!あなたたちの前で失礼な態度をとってしまいました。怪異が嫌だとか、そういうわけではないんです。ただ、ずっと人間として生きてきたから驚いてしまって。わたし養子だし、幼少の記憶が曖昧で自分が何者なのか自分でもわからなくて。」
笑いながら早口に訂正するが、自我を持ってから考えてはずっと見ないフリをしていた問題を吐露するごとに自分に突き刺さってじんわりと涙が滲む。
最低だわ、私。唐突にこんなこと言って。困らせてしまうじゃない。
「それじゃあ、僕が見てあげようか。」
涙を見られたくなくて俯きがちになっているとメイリーン様が唐突に声をあげる。
「お嬢、そんなことできたんすか。」
「うーん…怪異には怪異っぽい血があるし血を吸えば判別くらいはなんとかできる、と思う。多分。気休め程度にしかならないけど。」
「でも、人間の血は吸わないのでは…?」
「本来は吸わないし、吸っちゃダメ。だから一滴だけ。」
秘密だよ、とウインクをしながら口に手を当てるメイリーン様。胸がきゅうっと締め付けられる。
会ったばかりの私にそこまでしてくれるなんてこの方は、本当に優しいのね。
「それじゃあ…すみません、お願いします。」
太ももに隠していたナイフを素早く取り出して切っ先で指を軽く刺しメイリーン様の前に差し出す。
「抵抗とか、ないんすか…。」
どこからかアルコール、ピン、消毒セットを取り出してきたオニキスさんが信じられないものを見るような目で私を見る。心なしかぴょんとはねた髪がしぼんでいるような気さえする。
「少し痛むよ。」
メイリーン様がそっと私の手を取って指の血を舐める。
どうしましょう、涙は引っ込んだのだけれどなんだかドキドキしてしまうわ。
味わうようにぺろりと舌なめずりをする動作ですら艶めかしい。
「うん……ほんの少し苦いのが気がかりだけど…君は人間で間違いないだろう。すまない、痛かったね。」
「怪異じゃないのかぁ。そりゃ吸血鬼ジョークも効かないわけっすよねぇ。」
オニキスさんが私の指にくるくると包帯を巻きながら言う。
ほんの少し刺しただけなのにそれは流石に厳重すぎじゃないかしら。
「君のジョークは趣味が悪いんだ、オニキス。それに、人間でも入れないわけじゃない。
とはいえ、怪異であっても見つけにくい僕の小径を開けるのは、十二聖騎士くらいだろうけれど。」
「十二聖騎士?」
聞きなれない言葉だ。聖騎士という存在も、伝承でたまに登場するものの実在しないものとして捉えられがちである。
「ああ、君たちがいうところの神の託宣で選ばれる聖騎士たちのことだよ。何百年も前には公に活動していたのだけど、近頃めっぽう姿を見せなくなったね。僕も今代が誰かは知らないんだ。」
「怪異をえらそーに取り締まるいけ好かない人間っすよ。つまり敵っす。」
オニキスさんは苦い思い出でもあったのだろうか、眉をしかめている。メイリーン様はというと、
「ん…っ、ふふ、」
びっくりするくらい笑いをこらえていた。
とても聞きたいけれどオニキスさんが嫌そうだし、またの機会にしておきましょう。
紅茶を飲みながら落ち着きを取り戻していると、ふと机の向こう側に見たことのある封筒があることに気が付いた。
「あのお手紙って…。」
「ふふ…あ、ああ、セイレン号10周年記念航海の招待状。幸運なことに入手することができたんだ。」
ようやく笑いに一区切りついたのかメイリーン様はオニキスさんがお茶と一緒に持ってきていたクッキーをつまむ。
「俺たちその船に乗るためにクトールにきたんすよ。」
「なるほど。そうだったのですね。そういえば、お二方はどうやってクトールに?それにこのお屋敷はいつからあるのですか?」
「薔薇の小径を通ってきただろう。あれは特別な径でね。彼方と此方を繋ぐ役割を果たしている。」
「というと…。」
「説明がちょっと難しいっすけど…。」
オニキスさんによるとこの世にはまず私が暮らす人間の住む世界が存在していて、ふつうの怪異たちは人間に紛れるようにして暮らしているらしい。しかし力の強い怪異であれば人間が住む世界の空間を捻じ曲げて怪異の世界を作り出すことができるそうだ。
「人間の世界と怪異の世界、そして怪異の世界と怪異の世界さえも繋ぐことのできる移動手段の一つが、お嬢が持つ薔薇の小径っす。」
「つまり今いる世界はメイリーン様が作った世界ということでしょうか」
「正確には違うけれど、そう考えてくれてかまわないよ。」
メイリーン様は肯定とも否定とも捉えられる答えを返す。
なるほど、一見はぐらかしているように感じるがきっとメイリーン様なりの答えに違いは無いのだろう。
「お紅茶にお菓子まで、いろいろとお世話になりました。そろそろお暇しようかと思います。」
膝の上でうとうとしていたふやちゃんを起こし、椅子から立ち上がって持ってきていた袋を背負う。
「それじゃあ、獣狩りの森の入り口まで送っていこう。径を繋げば森もすぐ抜けられる。」
「それでしたら、迷い森の注意書きが書かれた看板が立った入り口に繋げていただけませんか。私、何かあった時のために髪飾りを刺しっぱなしにしてきてしまって。」
「うん、わかった。」
メイリーン様が壁の方へ歩き、なにもない空間に触れると私が来た時のように茨が現れ螺旋を描いて穴を作る。
メイリーン様が先に穴に入ると「おいで」と手招きをされたため次に私とふやちゃん、そして最後にオニキスさんがつづいた。歩きながら、今更な質問をぶつけてみる。
「そういえばオニキスさんも吸血鬼なのでしょうか?」
「いーや、俺はただの使い魔っすよ。」
「一体何の怪異なんです?」
「はは、なんだと思います?」
それから何度かあてずっぽうで答えをあてにいったものの、結局全て当たることなく穴の終わりに到着してしまった。穴から出るともう夕陽が傾きかけている。急いで幹に縛りつけていたロープを巻きながら回収していく。
オニキスさんは
「なっっっが!」
と戦慄し、
メイリーン様は
「随分と重装備のチャレンジだね。」
と笑っていた。
「径がない私は迷い森を彷徨う事にも命がけですもの。」
私がむくれていると、メイリーン様は「確かにそうだ」と笑う。
「獣狩りの森の入り口にも繋げようか?」
「いいえ、獣狩りの森は迷うこともないですし、ここで結構です。」
結んでいた髪をほどき、髪飾りを付けなおす。ぱちり。その様子をメイリーン様とオニキスさんは静かに眺めていた。
「もう会うことは無いだろうけれど…。」
「いいえ、きっとすぐに。」
私の言葉にメイリーン様は苦笑いする。スッと私の目を覆い隠すように片手をあて、耳元に小声でなにやらぽそぽそ呟いている。「忘れなさい」と聞こえたような気がした。しばらくそうしているとやがて手が離れていく。
「それじゃあ、またね。」
そう言った彼女は寂しそうな顔をしていた。