雨宿りにて
「はぁ~・・・・ツイてない」
出社中、突然雨に降られた。多少のものなら強引に進んでしまえるし、実際その程度の雨では在るのだが。
今日は、何だか足が止まってしまった。
シャッターの閉まった建物の屋根に隠れて、ぼぅっとしている。
「・・・・・・ツイてない」
何度口にしていても、ツキが回ってくることは無いと分かってる。
そしてこれから私は遅刻の言い訳を考えて、出社して、頭を下げるのだ。
そう遅刻の言い訳を考えねば。何と言おう?
雨が降って来てしまった。
何故傘を持っていなかったと言われる。却下。
途中で具合が悪くなってしまって。
体調管理も出来ないのか。来れたんだから大丈夫だろう?そういわれるだろう。ムカつくので却下。
事故に遭ってしまいまして。
・・・・もう会社へ行ってる場合じゃない。そもそも信じてもらえないだろう。却下。
そもそもだ。今からでも濡れるのを厭わず走れば間に合うはずなのに、そうしないのは何故なのだろう。
雨に濡れたくない。
「うん、濡れたくないな。」
走りたくない。
「・・・そうでもない」
頑張りたくない。
「うん、これだな」
頑張りたくない。
だって、辛い。
早起きして。
褒められることの無い化粧をして。
片道二時間かけて。
会社に行っても、辛い事の方が多くて。
一人で黙々と昼食を取って。
帰るころには明かりもまばらに真っ暗で。
帰った所で何をすることも無く。
食べて、シャワー浴びて、寝て。
で、また起きる。
「つまんな」
つまらない。こんなに頑張っているのに、何も楽しくない。その上、今は雨に降られると来た。
これが楽しいと思うなら、その人はきっと特殊な人なのだ。
もっと言えば、私はさらに。
結婚相手を探せ。仕事を覚えろ。残業をするな。愛想よくしろ。気に入らないことはするな。
これだけの事を頑張らねばならないらしい。
「・・・・・・辛」
頑張るのが、生きているのが、当たり前。誰が決めたか知らないが、当たり前なのだ。
「知るかっつの」
何だか考えるのも疲れてきた。どうせ、自分が居なくたって何も変わりはしないのだ。
いっその事と、考えていた時。
「ああどうも。おはようございます」
合羽のフードを少しつまんで、顔を少しのぞかせた、山羊に、声を掛けられた。
「・・・・・・・・え」
被り物?身体は人だ。間違いない。手袋はしているが、五本指だ。人だ。うん。
でも、顔はどう見ても山羊。
え、何。悪魔?
「あの・・・どちら様」
「私はしがない配達員です。お馬さんにお手紙をお届けに来ました」
お馬さん。・・・・私なのか。そりゃ、馬車馬の様とは言えるだろうけど。
「あの、人違いじゃありませんか?」
「おや、そんなはずはございません。確かに、貴方へ、兎さんからのお手紙ですよ」
待って欲しい。また新しい人物が出てきた。兎?は?
つまりは何か。お馬さんである私に、兎さんとやらからの手紙を、この山羊が持ってきたと、そういう訳か。このご時世に、手紙を。
私はついに狂ったのだろうか。
「さぁどうぞ。こちらです」
「・・・はい」
呆気に取られて思わず受け取ってしまった。
どうせ、少し自棄になっていた所だ。私はそのまま受け取った封筒を開ける。この後がどうなろうと知った事か。
そこに書かれていたのは、どこかで見たような字の、感謝の言葉。
そうだ。私には昔、同じ陸上部の優秀な後輩がいた。
その子はとても臆病で、鈍くさくて、あまりにも向いていなかった。
周りにも馴染めず、あまりにも不憫で声を掛けた記憶がある。
雰囲気に反して、彼女はすこし生意気だった。他人との付き合い方を勘違いしていたのだと思う。
同情で声を掛けたのではあるが、反抗してくるその態度に、私は怒鳴った。
彼女に関しての記憶はそれだけだった。でも、その話には続きが在ったようだ。
怒鳴った私に驚いた彼女は、まさに脱兎のごとく逃げ出した。それに当時の部長は目を付けた。
それからは、彼女は短距離走において成績を残し初め、周りに認められ、友人も出来たのだという。
彼女曰く、走る前には必ず私の怒鳴り声を思い出し、駆け出したのだと。
私に怒鳴られてから、自分の生活が一変したのだと。
そもそも元々、私に憧れて陸上部に入ったが、事の後、すぐに辞めてしまって悲しかったのだと。
そう綴られていた。
何という事だろう。
私はそれ以上話したことも無いし、気にかけたつもりも無い。
でも、たったそれだけのことで救われてしまった人間がいたらしい。
こんな何も出来ない。何にもならない自分に。精いっぱいの感謝を込めて。
ありがとうと。伝えて。
「あの、この手紙・・・・」
手紙の真偽を確かめたくて、私は顔を上げる。
しかし、そこにはもう誰もおらず、私と手紙と雨音だけが残されていた。
一体、何だというのだろう。どうしろと言うのだろう。
今、私にこんな手紙を送って。
まるでこの私に、意味があるみたいじゃないか。
気が付けば、雨音が弱くなり。やがて日差しが差してきた。
頑張れと、世界に応援されている気分になる。我ながら単純だと思う。
この手紙が本物かどうかは分からない。届けに来たヤツだって意味不明だ。
私の生活は変わらないだろう。いつも通りの毎日だ。
だが、”それでも”と。前に進む気分には。なってしまった。
何でもない私に。無価値だと自称する私に。貴方のおかげですと。価値をつけられてしまった。
もう少し、あの兎さんに。見栄を張りたいと、思ってしまったのだ。
さて、まずは遅刻の言い訳を考えて。それから業務を取り戻さなければならないだろう。
そう考えて踏み出すと、唐突に、目の前に車が止まった。
「あれぇ、先輩。まぁだこんなとこ居たんすか?遅刻しますよぉ?」
会社の後輩だ。違う部署の筈なのだが、妙に懐いてくる子。
「乗ってきますぅ?いつも馬車馬みたいに働いてるんすから、今日くらい楽しません?」
ニヤニヤとした顔をこちらに向けて、願っても無い事を申し出る。
ありがとうと一言、言って私は車に乗り込み、呟いた。
「・・・・ツイてる」