第二話
魂が消滅する。
ひとことでそう言われても、それだけでピンと来るものでもない。
まず第一に、普通に死ぬのとの違いがよくわからない。
その疑問を口にすると、小田原さんは少し困ったように答える。
「確かに、あなたからしてみればその二者に違いは無いのでしょうが。転生しても生前の記憶がないのなら、死は消滅と同義ということにもなりますし」
猫になった彼は、くりっと首をかしげる。
「これはあなたの問題と言うよりもむしろ、天界の問題ですね。この世界に存在する魂の数は、常に一定でなければならないという決まりがあるのですが、これを守ることが天界の仕事。そして、一度崩れたバランスを調整するには大変な労力を要するのです」
あなたに説明してもしかたがありませんね、とお姉さんは首を振った。
「運命表の修正は現在、天界が全力を挙げて行っています。これについては心配なさらないで下さい。一週間と言わず、どうせいつかは死ぬんですから」
おおい! と彼は心の中で突っ込んだ。それは安心させようとしているのか。
「とりあえず、あなたに伝えるべきことは一つです。あなたの生前の記憶も、きちんと修正しなければならないのですが――」
そう告げられて、急に恐ろしくなった。
一週間後に死ぬとか言われても、そこには現実味もなにもない。そもそも夢のようなこの状況で、このお姉さんが言うことにリアリティなどあったものではない。
けれど、記憶が消されてしまう、ということは自分が自分でなくなることだ。
このおかしな夢が醒めて、何事もなかったかのようにもとの生活に戻るのだろうか。それとも、消えてなくなってしまうのか。
ところが小田原さんは、意外なことを言い出した。
「これは私たちの不手際です。その補償として――あなたが生前の記憶を持ったまま転生してしまったことに対する処置として、あなたの願いを一つだけ、叶えて差し上げます」
「……はい?」
猫はさらに首をかしげる。すごく自然な動きだな、と彼はなんとなく思う。
「アフターフォローです。わが社は――コホン。ともかく、あなたの記憶を消すことが私どもの仕事だったわけですが、不手際であなたの記憶を消すことが出来なかったばかりか、そのままの状態で転生させてしまいました。お詫びとして、あなたの願いを叶えて差し上げます。ただし、この身体で生き返りたい、ということは不可能ですので、ご了承ください」
ベッドの上に横たわった彼の遺体をちらりと見て、彼女は言った。
「え、えー……っと」
そんなこと、できるの? と彼は目で訴えた。なぜかお姉さんはうっ、と身を引き、それから居住まいを直してはい、と短く答える。
「私どもが想定できる申し出に関して、おそらく不可能はありません。また、記憶を消さないで欲しいというのであれば、それも可能です」
それを聞いて、彼ははっとした。
「できるの?」
「はい。被害者の、あなたの要望であれば、それを押し通すことは規定に触れることにはなりません。もっとも、言葉を話す猫として生きていくのは大変なことだと思いますが」
「猫として……生きていく」
そうか。
何故だか急に、心が落ち着いていく。
いずれにしても、これから自分は猫として生きていかなければならない。
「お願いを今すぐ決めることは出来ないと思いますので、決まるまでは私が地上に留まってお待ちいたします。できれば一週間以内に、決めて頂きたいですが」
「それって……」
不安が顔に出ていたのか、小田原さんはここに来て始めて、労わるような笑みを浮かべて、
「大丈夫です。万一の事態を考えてのことですから。せっかくの権利ですからね、きちんと行使していただきたいんです」
「そっか」
猫がふうう、と息をつく。
「では、行きましょうか」
「どこへ?」
「私の逗留先です。一週間はそこに留まることになっていますので」
その日、深夜の病院の中で不審者が一人見つかった。
白い子猫を小脇に抱えた彼女は警備員に問い詰められ、迷い込んだ猫を探しに来たんです、と必死で説明した。
その際警備員は、くくく、と声を出して笑う猫を目撃する。