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第一話

 病院。

 普通の人間はほぼ足を踏み入れることの無いその部屋の前に、彼は立っていた。

 霊安室、と書かれたプレートが、悪い冗談のように壁に貼り付けてある。

「これって……」

 まわりには誰もいない。院内の静謐な空気が、その空間をどことなく不気味なものに見せていた。

 彼は霊安室の、開いているドアをくぐる。

 そこに一つの遺体が安置されていた。

「……どういうこと?」

 驚きよりも、困惑。悲しみよりもとまどい。そんな感情が、震える声に添えられている。

「なんで……」

 そこに横たわっていたのは、彼自身だったから。


 時間が静かに過ぎていく。

 その中で、彼は考えた。ゆっくりと、じっくりと。

 どうやら自分は、死んでしまったらしいのだ。死因に心当たりは、ある。バイク事故だ。いつものように原付を調子よく転がしていたら、ぽつぽつと雨が降ってきた。濡れる路面を気にしながら、ああいやだなぁとぼんやり考えながら走っていたところ、突然横手から突っ込んできたトラックに衝突。

 記憶にはそこまでしかない。それ以上を思い出したいとも思わないが、きっとそれが原因で自分はここに横たわっているのだろう。

 ならば――これは一体、どういうことだろう?

 彼は右手を上げてみた。両足と左の前足で体重を支え、真っ白なその右の前足を覗き込む。

 立派なピンクの肉球とふわふわの白い毛並み。

 彼は声を出してみた。

「あ。あ。あー。うん。テステス、マイクテス……」

 普通に声は出た。

 もう一度、右の前足を見る。

 尻の辺りから生えた、長い尻尾に目をやる。

 おかしい。

「これは……猫、だよなぁ……?」

 途方にくれるように呟く。

 そう、どうやら自分は、猫になってしまったらしいのだ。

「理解が早くて、助かります」

「!?」

 急に声をかけられて、彼はびくりと身体を震わせた。飛び退いて、低い姿勢で声のしたほうをにらむ。全力で警戒しながら、頭の片隅ではああ、俺ってほんとに猫になったんだ、とか考えていた。

 霊安室のドアが、きいっと音を立てて開いた。そこから姿を現したのは、純白のパンツスーツに身を包んだキャリアウーマン風のお姉さん。美人で、仕事が超出来そうな感じの。

「はじめまして。私は小田原由梨と申します」

「は、はあ……」

 お姉さんはそれ以上の自己紹介をせずに、さっさと話を切り出した。

「この度、あなたは猫になりました」

「う、うん」

 分かっている。言葉にされるともうわけが分からないくらいおかしなことだが、これが夢でないのだとしたら猫になっているのは確かなことだ。

 夢? そうか、これは――

「夢とかではありません。現実です」

 思考を先読みされたかのように、お姉さんが言った。

「あなたは猫になりました」

 とくになんの感情もないような声で小田原さんは繰り返す。

「どこから説明しましょうか。まず、本日午後六時二十三分、あなたは交通事故により命を落としました。そこにある遺体が証拠ですが、これは理解されていますね?」

 あなたは死にました、と告げられるのは初めてのことなので、彼は戸惑っていた。当たり前だが。こちらの反応をちらりと窺って、小田原さんが言う。

「これは事実です。それから、あなたの魂は一度天界へと送られました。この辺りの記憶はおそらくないと思われるので、結論だけをお伝えします。あなたは猫に転生することになり、そして今現在の状況があるのです」

「は、はい」

「ですが、あなたの魂を覚醒させる段になって、問題が発覚しました」

「……」

「人の一生は、私たちが運命表と呼ぶものによって運行されています。人は生まれると同時にそれぞれの運命表を作成され、その魂がどこへ行き着くものかが予め決定されるのです」

「……どういうこと?」

 わからない。さっぱりわからない。そもそもこのお姉さんはなにもの?

「簡単に言えば、人がいつ死ぬかは予め決められているということですね」

「そ、そんな、まさかぁ……」

「信じるか信じないかはお任せしますが、とりあえずそれを前提としてお話をさせていただきます。そうですね、人間はそれぞれ自分の列車に乗っていると考えてください。そしてその終着駅は予め決まっている。それぞれの走っているレールの先です」

「で、でもさ、俺、事故なんだけど。交通事故。それとかほら、自殺とかは?」

「列車から飛び降りることは自由ですから、自らの命をいつどうやって絶つのかも自由です。また、列車は人間の数だけある。レールは果てしなく長い。その路線も数え切れないほどの分岐点やカーブを通り、それぞれのレールが複雑に絡み合うこともあります。あなたは事故というものを偶発的なものだと考えているのかもしれませんが、その本質は偶然などではありません。必然です」

「は、はあ……」

 なんだか、説教されているみたいな気分になってきた。

「なので、あなたの死は予め決められていたことになります」

 そう告げられた瞬間、言い知れない気持ちがこみ上げてくる。

「それって……なんか、勝手な話じゃね?」

「そうです」

 冷徹に、小田原さんは肯定した。

 そんな勝手なことがあるのか。そんな風に、そんな簡単に、人の人生を弄繰り回すなんてことが。整理のつかない怒りが彼の喉を振るわせる前に、小田原さんが言った。

「これは、誰かがそのようにして人の運命を決定しているというわけではないのです。人がそういう風に出来ている、というだけの話。また、人の運命表は秒単位で書き換えが行われています。それを実行するのは、生きている人間の意思と決定。たとえばあなたが原付の免許を取得しようとすら思わなかったのなら、事故は起こりえなかった。あの時違う道を通っていたなら、もしくは、雨が降ってきた時点で雨宿りという選択肢を選んでいたら」

「それだって、誰かが決めたことなんだろ!?」

「違います」

 きっぱりとお姉さんは否定した。これまでと同じように冷たい声で、でもどこかに悲壮感を漂わせるような表情で、続ける。

「それを選択したのはあなた自身です。それによって書き換えられた運命表が、あなたをその時点での死に導いた。言い方は悪いかもしれませんが、あなたの死はあなたの意思と選択の結果です」

「そんな……」

 沈痛な声を漏らす彼を、お姉さんは特に優しい声をかけるでもなく、ただ見ていた。

 死というものがあまりにも唐突だったせいで、死ぬということがどういうことなのか、頭で理解していても心のほうでは理解しきれない。わからない。わからない。

「まあ、そんなことはどうでもいいんですが」

 小田原さんは切って捨てるように言った。

「ど、どうでもいいって……」

 あまりのことに、怒りさえ起こらない。すがるような目で見てくる猫を、彼女は一蹴した。

「私はそれを説明するためだけに来たわけではないので。あなたが納得するのを待っていたら仕事になりません。話を戻します」

 絶句する彼をよそに、小田原さんはこほん、と咳払いを一つ。

「人が死ぬと、魂は一度天界に戻り、新しい運命表を受け取って地上へ戻されます。あなたの場合は猫に転生することとなったのですが、その新しい運命表に不備が見つかりました」

「ふ、不備?」

「はい。それだけではなく、あなた自身の魂の浄化も不完全で、結果あなたはこうして生前の記憶を保ったまま、こうしてここにいるのです」

「そ、それで、不備ってどういうこと?」

「詳しくは話せません。問題な部分だけを簡潔に説明すると、あなたはこのままだと一週間のうちに死んでしまうことになります。それも、魂ごと」

「……どういうこと?」

「魂の循環さえ通ることができなくなる。つまり、消滅するんです」


 

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