8
昼食後、お屋敷の外に出たユーノスとイオンは、それぞれに剣を構えて向き合っていた。
イオンは祖父の形見でもある『雷駆』を握り、対するユーノスは単なる模造刀を右手で弄んでいた。
イオンは真剣である雷駆を、手合わせの場で使うことを拒否したが、ユーノスはそれにこんな言葉を返した。
「ここで暮らすとなると、時として実戦が必要になることもある。その時の想定し、武器は雷駆を遣うのが適当だ」
「しかし、ユーノス様に怪我をさせてしまいます!」
「ハハハ。私は死人だ。傷は瞬く間に修復される、気に病む必要はない」
「それでもユーノス様に刃を向けるなんてっ」
「……ハンデだよ。私を誰だと思っている? 邪神を払ったその実力、みせてやろう」
そう言うと、鋭い視線をイオンに向けた。イオンはその目に宿るユーノスの意思を読み取り、思わず一歩後ろに下がった。
――私に一撃をお見舞いできるとでも思っているのか?
そんな目だった。剣気と呼ばれる威圧感が膨れ上がり、イオンを圧し潰そうとしている。イオンはその凄みあるプレッシャーに雷駆を構えるしかなかった。
相手はホンモノだと、イオンは察知した。
キザシは、剣を交えずとも相手の実力がわかるようになれば、剣客としての第一歩を踏み出していると自覚していいと教えてくれたが、最低限のレベルには到達しているということか――。
「どこからでも来なさい」
「……っ」
雷駆を鞘から抜き、イオンはごくりと生唾を呑んだ。ただ、脱力をして右手の剣を弄んでいるように見えるのに、ユーノスにまるで隙が窺がえない。
イオンはじり、と間合いを計りながらにじり寄るも、相手の剣気の大きさに、まるで攻撃範囲に近寄れない。
「私に一太刀でも与えられたら、何でも望みを叶えてやるぞ」
「……く……」
ユーノスの挑発に、イオンは歯噛みした。別に欲しいものなど特にない。だが、ユーノスへと攻撃に移るだけの覚悟がまるで固まらなかった。
それもそのはずだ。イオンは、雷駆の所持者ではある者の、実戦で雷駆を使って戦ったことがなかったのだ。
いつもイオンは稽古のための木刀で剣を振るってきた。一年前に悪漢を退治した時も、木刀で仕留めた。真剣を持ち、戦ったことはなかったのだ。
いくら相手が不死身であるとしても、刃を人に向け、その身を斬ることなど、イオンはできそうになかった。
そんなイオンの心境を見透かしてか、ユーノスは挑発をしてきたのだ。
これから、自分の身を護れるだけの実力を獲得するために、『武器』を用いた実戦を経験させようとしているのかもしれない。
「イオン。来ないのならばこちらからいくぞ」
「……っ!」
ブラブラと右手で剣を振り回していたユーノスが、ピタリとその切っ先をイオンへ向けた。
「ふっ――」
短い気合を吐き出して、ユーノスが踏み込んだ。イオンは、ハっとして雷駆でユーノスの一撃を受ける。
鋭く速いその剣戟は、軽そうに見えたのに、イオンの腕を痺れさせるほど重々しかった。
ガチン、と武器がぶつかり合い、両者はつばぜり合いの形になる。すぐ傍にユーノスの余裕に満ちた顔があり、対するイオンは汗を浮かばせ、歯を食いしばっていた。
「女子の腕力では、到底適うまい。キザシの教えはその程度だったか」
「くっ! まだまだっ」
イオンは細身の体を活かして身を捻り、右手の雷駆を跳ね上げて相手のバランスを崩す。ユーノスはそれで一度距離を置いて、身構えた。
ユーノスの言う通り、腕力では敵わない。だがそんなことはこれまで多くの男性やキザシを相手に剣技の練習を繰り返した時から承知していることだ。
蝶のように舞い、鉢のように刺す。それこそがキザシがイオンに教え込んだ剣技だ。
イオンは持ち前の身軽さを活かして、相手を翻弄し、相手の急所に一撃を当てることに集中する。
イオンの気配が変わったのに気が付き、ユーノスもまた腰を低く落とし、イオンの出方を窺う。
「行きます、ユーノス様」
「挨拶無用」
「やっ!」
イオンは駆け出した。そして姿勢を低くし、猫のように身軽に飛び上がる。ユーノスの攻撃範囲を見極めながら、相手の攻撃後の隙を突く作戦だった。
イオンはユーノスの剣のリーチ、ギリギリで体を開き、攻撃を誘う――そこにユーノスが剣を振り上げた時、イオンは「今だッ」と心の中で吠えていた。
フェイントで誘った攻撃を避け、伸ばされた切っ先を叩き切るつもりで雷駆を横薙ぎにした――。
「えっ」
ひゅう、と目の前から一瞬にしてユーノスが消え失せていた。何が起こったか分からなかったが、ユーノスはイオンの更に上を行くスピードで回り込み、イオンの背後を取っていたのだ。
そして虚しく雷駆の一閃が空を裂いた後、ユーノスの模造刀がイオンの首に音もなくあてがわれていた。
「……ま、参りました」
「残念だったな。イオン」
「い、いえ。実力がまるで違うと、思い知りました」
すう、と静かにユーノスの武器が引かれ、イオンは脱力してくずおれる。
ユーノスは片手を差し出して、イオンを立ち上がらせてくれた。
「イオン。矢張り、君は相手を『攻撃する』という覚悟が足りていないな」
「……それは……相手がユーノス様だからです」
「私が相手だからこそ、お前には武器を振るってもらいたいと思っている」
イオンの手を握っているユーノスの親指が、そっとイオンの細い指を撫でた。
「私の中の邪神が、お前に襲い掛かることがあれば、躊躇いなく斬れるようになってもらいたいからな」
「そんな……私には、できません」
「……そう、なのかもな。キザシからは剣技を学んだようではあるが、戦い方――いや殺し方を学んだわけではない様子だ」
ユーノスは雷駆を見つめながら、キザシを思い出す様に言葉を零した。
殺し方、という言葉に、イオンは少し肝を冷やした。確かにキザシからは剣術を教え込まれたが、相手の息の根を止めるような戦い方を教えてもらったことはない。
平和になったこの時代に、相手を殺める剣術を孫に教えたくはなかったという祖父の思いやりだったのかは分からない。
「汗をかいたな。湯を浴びてくると良い」
「ユーノス様、お手合わせ、ありがとうございます」
ユーノスの戦い方は、戦争中の英雄の剣技だった。つまり、相手のを屠るための剣術。それはイオンにはない鋭い斬りこみを感じさせた。
彼が英雄であったその腕の片りんを見れたイオンは、まだ恐怖に脚がすくむところもあったが、同時にドキドキと胸が高鳴っていた。矢張りこの方は本物の英雄だと、改めて感じられたからだろう。
「ああ、そうだ。イオン」
「はい?」
「私が勝った時の約束をしていなかったな」
「え……?」
にっこりという屈託ない笑顔を浮かべるユーノスに、イオンはきょとんと間抜けな声で返事した。
「少し、味わわせてもらえないか」
「え、え……?」
ユーノスがイオンを捕まえ、首筋に顔を寄せてくる。
「ゆ、ユーノスさまっ……今は汗で汚れていますっ……」
イオンは動転して、そんな言い訳をしてしまったが、汗をかいているから云々ではなく、ユーノスからのいきなりな吸愛に、拒否を示さなくてはならない。
「いいや、とてもいい、『感謝』の香りがしているぞ」
「ん、ユーノス、さまっ……」
「そら……イヤならば、抵抗をしてみるんだ。イオン……」
女性よりも美しい唇が、そっとイオンの首に触れるか触れないかの距離でとまり、形のいい鼻梁をくん、と動かして、イオンの香りを確認するユーノス。
いつの間にか、手首を抑えられていた。抵抗をしてみせろ、というユーノスに、イオンはどうにかその手を振り払おうとするが、男性の力に敵わないと先ほど思い知らされたばかりだ。
首筋を伝う汗を、つぅ――とユーノスが舌で舐めとった。
「ひうっ……」
ぞくりとする感覚に、イオンは変な声を上げてしまい、顔を羞恥に染めてしまう。汗の香りを確かめられたのもそうだが、ユーノスの舌先が首に這ったのが、信じられないくらいに身体を震えさせた。
「気持ちがいいか?」
「そ、そんな、こと……」
「悦びの味が、滲んでいるぞ」
「い、いやです、ユーノス様……」
震える声でなんとか抵抗の意思だけは示すことができたイオンだったが、ユーノスは小さく「クク」と喉を鳴らして笑った。
舌先の動きが、本当に美味しそうに味わっていると伝わってしまう。
「イオン、良いか。きちんと戦えるようにしておけ。私にも剣を向けることができるように――」
「ユーノス、様……」
暫しイオンを味わったユーノスは身を引き、低く咎めるような言い方でイオンに忠告する。
なぜ、ユーノスがこんなことをするのか、イオンには理解ができなかった。
ただ、今も首筋に遺る、忘れられない舌遣いがイオンの意識をゆらゆらと不明瞭にさせる。
「私をいつか、斬ってくれ。イオン――」
もうろうとする意識のなか、力の抜けてしまったイオンに、寂しそうな声が聞こえた。
ユーノスが自分に何を求めているのか、イオンはその言葉に理解を示そうとはせず、弱々しく首を横に振るだけ。
呪いに苦しむユーノスの、呪縛からの解放を望むその憐れな姿にイオンはもっと違うやり方で、ユーノスを喜ばせたいと思うのだった――。




