6
ミラファルカ島の中央にぽつんと寂しそうに建っている屋敷は、思ったよりは広くなかった。
個人邸宅という具合で、二階建ての造りで、地下室が多い事が少々特別なくらいだろうか。
一階には客間とリビング、キッチンとバスルーム、そしてダイニングがある。二階に上がればそこは寝室が二部屋。そして書庫と娯楽室がある。
地下は下るとすぐに大きな扉があり、その先には小部屋が複数並んでいる。その一室には魔法陣の描かれた秘密の部屋にも通じている。他の部屋は宝物庫や食糧庫、ワインセラーなどだそうだ。
イオンはセドリックから案内されてこれから暮らす屋敷の部屋を頭に入れていた。
「イオン様は二階の奥の寝室をお使いください」
「ありがとうございます。……ところで寝室は二つだけのようでしたが……ユーノス様とセドリックさんはどちらでお休みになるのですか?」
「私はこれまで屋根裏を利用させていただいておりました」
「えっ屋根裏ですか?」
「ごらんになりますか?」
せっかく立派な寝室があるのだから、寝室を利用すればいいのに、とイオンは内心で呟いた。だが、どこか嬉しそうな顔をしているセドリックはその屋根裏部屋を見せたくて表情を明るくしている。
二階の隅に小さな階段があり、そこから上に上がることで屋根裏へと移動できるらしい。
セドリックについて上にあがると、そこはなんとも広い空間が広がっていた。
贅沢にも屋根裏を全て利用した広々とした一室には暖色の絨毯が敷かれ、古いながらも味わいある箪笥。奥には清潔そうなベッドと、小さなストーブ。脇にはサイドテーブルがあり、寛げる空間が出来上がっていた。
「うわあ、素敵です」
イオンは素直な感想を零した。その雰囲気は贅沢さはないものの、どこか落ち着く田舎の自室にも似ていた。
小窓がいくつかあり、外の景色も眺めることができる。傍には双眼鏡が置いてある。
「夜は星が綺麗ですよ。ここから島に侵入してくる輩を見張ったりもできます」
「そんな無礼者がいるのですか?」
「まあ、ここには『お宝』があると噂を聞きつけてくる盗人もおりますので」
イオンはセドリックの言葉に身を引き締めた。確かにここには英雄時代に獲得した数々の名品や宝が保管されている。これを売り払えば一生遊んで暮らしてもあまりある程だろう。
「私、剣術には自信があります。そのような盗人は私にお任せください」
雷駆を握り、イオンは凛々しく胸を張った。幼い頃から剣豪である祖父キザシに手ほどきを受けた実力は、そんじょそこらの男よりは上なのだ。現にイオンは去年、一人の悪漢を剣技で成敗した実績もあった。
「頼もしいですな。しかし、イオン様は可憐な女性です。ご無理はなさらぬよう」
「ありがとうございます。でも、本当に私は剣の腕には自信がありますから!」
老紳士は気遣ってくれたが、イオンはここで雇われる以上、あらゆることに対処できるだけの能力があることを示してやろうと意気込んだ。
「それでは、下へと戻りましょうか」
「はい。……あ、それでは……ユーノス様の寝室はもう一つのお部屋なのですね」
セドリックが屋根裏で生活をしているということは、つまり、隣の部屋の寝室はユーノスが使用しているのだろう。
そう考えると、イオンは少しだけ、先ほどのユーノスの言葉が脳裏に浮かんだ。
――ここで働くという事は――、毎夜私にその蜜を捧げるということになりかねんぞ――。
イオンは少し頬を赤らめてうつむいた。
なんだか、とても破廉恥な意味に捉えられそうだったからだ。
ユーノスが、イオンの愛を欲してしまうのは、邪神の呪いによるものだし、あの行為は、ふしだらな行為ではない。彼の食事方法に過ぎないのだから。
だが、ユーノスが首筋に口づけをして、濡れた音を立てて吸いたててきたあの瞬間のことが頭にこびり付いている。
蕩けてしまいそうな心地よさが全身をゆるりと滑り、吸いだされていくようだった。
(何を不埒なことを考えてるの、私……! し、しっかりしなくては!)
雷駆の柄を握り、コンチネンタルの名に恥じぬ清らかな精神でいようとイオンは少しだけ奥歯を噛みしめた。
なにより、ユーノスという英雄を信じているからこそ、そのような考えを持つこと自体が、彼への冒涜のように思える。今日から彼は自分の主となるのだから、敬愛の念をもって仕事に当たるべきなのだ。
「さて、ではそろそろお昼と致しましょうか」
「あ、お手伝いします!」
「ありがたいことです。今日からは食卓もにぎやかになりますね」
これまで食事はセドリックが一人でしていたのだろう。ユーノスは食事の必要がないから、昼食も不要だろう。
そう考えて、ユーノスは普段どのような暮らしをしているのかが気になって来た。
キッチンに二人で並び、昼食の準備をしながら、イオンはユーノスの普段の暮らしぶりを訊ねた。
「ユーノス様は、毎日どのように生活されていらっしゃるのですか? 先ほどは書庫で読書を楽しんでいらっしゃったようですが」
「ああ――。そうですね、ユーノス様は基本的に、午前中は読書を楽しみ、昼からは散歩を楽しまれます。今頃は島を見て回っていることでしょう。釣りをしたりも致しますなぁ。他にはユーノス様の植物園がございますので、そういった世話をして毎日を過ごされております」
「お一人で外出されて大丈夫なのですか?」
「ユーノス様は、邪神を打ち払った英雄ですので、むしろ私が外に出る時に心配をするほどですよ。何よりユーノス様は『不死身』でも御座いますゆえ……」
そう言うと、セドリックは悲しげな瞳をしながら、鍋に火をかけた。
イオンは、不老不死の身体で過ごす、孤独な英雄の一日を想像し、セドリック同様に、寂しい気持ちを表情に浮かべてしまった。
「ですから、イオン様がこちらにいらっしゃって私は嬉しく思っているのです。ひょっとすると、ユーノス様の孤独を癒して差し上げることができるのではと」
「私が、ですか?」
「はい。私も過去はユーノス様と共に島の散策や釣りなどをして過ごしました。……しかし、ある日私はこの老体から腰を痛めましてな。その時に、ユーノス様はおっしゃったのです。無理に付き合う必要はない。自分の身体を優先しろ、と」
「……」
ユーノスとセドリックは、幼い頃から兄弟のように過ごしてきた仲だと聞いた。
その友人が、日に日に老いていき、自分はまったく歳を取らない。その取り残されていく感覚は、想像するだけでも物悲しい――。それをユーノスは日々感じているのかもしれない。よく知る知人が老衰し、ひとり、また一人と天寿を全うする。
なのに、ユーノスは、いつまでもこの島で独り暮らしていかなくてはならない。残酷な呪いだと、イオンは邪神を恨めしく思った。
「私も恐らく、キザシ殿と同様に、そう長くないと思います。だから、イオン様、どうか、どうかあの方の傍に居てあげてはもらえませんか」
「そんな! セドリックさんはまだまだお元気です。弱気なことをおっしゃらないでください」
「どうか、約束を、していただけませんか。イオン様……このセドリック、それだけが気がかりで、毎夜心を痛めておりました」
セドリックはイオンに向き合い、少し頭を下げた。
イオンはそんなセドリックのお願いに、胸が切なくなるばかりだった。おじいちゃん子として育ったイオンには、老人のお願い程、胸に来るものはない。
それにセドリックのことをおいて考えたとしても、ユーノスの現状は見過ごせるような状態ではない。
どうにかして、彼の呪いを解き放つ手段があればと願わずにはいられなかった。
「私にできることなら、何でもしますよ。だから、セドリックさん、元気をだしてください。いつまでも、健やかでいてください」
セドリックへの言葉は、後半が少し涙に濡れてしまっていた。亡き祖父を思い出してしまったのだ。
今際の際にキザシへ抱きつき、イオンは同じ言葉を繰り返した。
元気をだして、健やかでいて――。独りに、しないで、と。
ユーノスはセドリックを喪えば、完全に独りになるのだ。だから、今のユーノスの気持ちはイオンに重なるかもしれないと、イオンは想像していた。
不死の呪いの苦しみまでは理解できなくても、独りになる不安と寂しさは分かるから。
「お優しいですな、イオン様。ありがとうございます」
「これからは、どんどん私に頼ってくださいね、セドリックさん」
にっこりと笑顔になったセドリックに、イオンは輝く笑顔を返した。
お昼は、静かながらも穏やかな時間が過ぎていき、イオンは一緒に食事を摂る老紳士に、自分の祖父の面影を重ねる。久しぶりに談笑を交えて食事するその時に、幸福を感じるのだった。
食後に淹れてくれたハーブティーは、朝味わったものと同じで、あっという間に虜になった。
そのハーブはユーノスが植物園で育てたものだと聞いて、イオンはユーノスに逢いに行こうと、屋敷から出て、島を見て回ることにしたのである。
セドリックが島の地図を渡してくれた。それで植物園の場所は分かったので、そこにユーノスがいるだろうと、ミラファルカ島の観察を交えて散歩を開始した。
「泉なんてあるんだ。ええと、あっちが植物園かな?」
地図と見比べて、イオンは島を見物しながら歩いていく。心地よい潮風がアッシュブロンドの髪をくすぐって、海の香りを運んでくる。
ざぁざぁと波の音色も染み入るように響くのが、気持ちを落ち着かせてくれそうだ。
とても良い雰囲気の島であることを実感しながら、雑木林を進み行き、緑の天蓋から差し込む水色の空と、柔らかい木漏れ日を受けて、イオンは鼻歌を歌いそうになる。
暫く行くと、空が開けて砂利道にたどり着いた。その先には、綺麗に咲く花畑が広がっていた。恐らくここがユーノスの植物園で間違いないだろう。
「凄い……色々な草花が育ってる……」
砂利道を進み、花畑の中を歩くイオンは妖精のような蝶々がひらひらと舞い、鼻孔の香りが潮風からやんわりとした花のそれに切り替わるのを楽しんだ。
やがて、奥に進むと、小さな椅子とテーブルを発見した。そしてそこで転寝をしている石竹色の髪をした青年がいることも――。
「ユーノス様……」
椅子に腰かけたまま、こっくりと船を漕ぐユーノスに、イオンはそっと近づいた。
そして、思わず見惚れてしまった。その、眠る英雄の横顔は、一枚の絵画かと思えるほどで、ぬくもりの陽ざしを受ける髪は艶やかに光を透かし、血の通わぬ白い肌は御伽噺に聞いた妖精王のように美しい。整った鼻すじと、形のいい唇が「すうすう」と音を立てている。
「き、綺麗……」
周りに咲くどんな花より、目の前の青年が何よりも美しかった。
女性である自分よりも圧倒的な美しさを誇っていると言って間違いないだろう。ユーノスは、常人離れしている美貌を、その寝顔に魅せている。
イオンは、魅惑的な英雄の横顔にかかる一房の髪を指で払おうとした。もっと彼の寝顔をしっかり見たいと思ってしまったのだ。それほどに彼は美しかった。
と、安らかな寝息を立てていた男の呼吸がピタリと止まり、その瞳を開いた。
イオンはハッとして、思わず手を引っ込めた。
「イオンか」
「す、すみません。起こしてしまって!」
紅の瞳がゆるりとイオンを確認して細まった。眠気を払うように、一度きゅっとつむられた瞼に、イオンは目上の相手に対して無礼ではあるが、可愛らしいと思ってしまった。
ユーノスはそのまま「ウーン」と一度伸びをすると、椅子から立ち上がって笑顔を見せてくれた。
「いや、いい。ちょっとした休憩でしかなかったからな。ここにはセドリックから聞いて来たのか?」
「はい。あっ、ハーブティー。この植物園で、ユーノス様が栽培されたのだと聞きました。美味しく頂きました。ありがとうございます」
「フフ、口に合ったか。時間は無限にあるからな、私の植物園は暇つぶしで始めたものだが、これがなかなか面白い」
ユーノスが無邪気そうな笑顔を見せたのが印象的だった。本当に、この植物園が気に入っているのだろうと思えた。
「イオンは草花は好きか?」
「はい。ですがユーノス様のように、お世話をしたことはありません」
「そうか。庭いじりというのは、存外面白いものだぞ。草花は人の言葉を理解するのではないかと私は思っているのだ」
「草花が、言葉を、ですか?」
「うむ。私はここ数十年、ここでよく草花と語らいでいる。……珍妙な男だと思うだろ?」
「いいえ」
「まぁいいさ。本当にな、植物は人の言葉を聞いてくれるのだ。孤独に飢えた……戯言とは思わないで欲しいのだ」
ユーノスは穏やかな声で微笑を浮かべていた。手近な花を愛でて、優しく指先で葉をなでる。
イオンはそんな彼の言葉を真面目に聞き、頷いた。
ユーノスの言う植物との会話はピンとはこなかったが、ユーノスがそう言うのならば間違いない事実なのだろうと思っただけだ。
こんなに素敵な植物園を作ったのだから、ユーノスの植物の知識は間違っていないと断言もできる。
「イオン。少し、話さないか」
「喜んで、ユーノス様」
ユーノスがそう言って小さな椅子を引く。
イオンに座るように促した。イオンは導かれて椅子に腰を落とすと、ユーノスは手前のテーブルに腰を下ろした。
「キザシのことは、もう振り切れたのか?」
「……どうでしょうか。私はもう、涙が枯れるまで泣きました。それでも、ふとした時に、おじいちゃ……祖父のことを思い出すと、視界が濡れてしまいます」
「そうか。――私も、そうなのかもしれぬ」
「ユーノス様……」
「イオン。少しだけ、キザシを想い、涙を零してもいいか」
「雷駆を、お預けします」
「すまない。……」
イオンは腰に差していた雷駆を脱ぎ、ユーノスへと手渡した。
ユーノスは首の座っていない赤子を抱き留めるように、そっとその剣を受け取った。そして両手で抱くように包むと、ユーノスは声もなく瞼を閉じ、光る雫を零した。
「キザシよ……、安らかに眠れ。イオンの心配は無用だぞ……キザシ……!」
ユーノスは体温のない冷えた肉体から、温かみある雫を零し、雷駆を固く抱きしめて、小さく震えた。
戦友であった、好敵手に向け、血の通わぬ死人英雄は、涙を零す。
陽光が、その雫を反射させ、散った。
イオンは、口元を抑え、こみ上げる嗚咽を我慢した。
今は、自分は泣きたくない。この時間は、祖父とユーノスの時間だと、そんな風に思えたからだ――。
潮風がふわりと花畑を揺らした。
舞い上がる蝶々は、祖父が笑ったみたいにも見えた。




