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 ユーノスの事情を聞いたイオンは、朝食を終えてからセドリックが淹れてくれたお茶を一口啜る――。

 ほんのりと甘いハーブティーは、様々な事実を受け止めて混乱しそうになっている精神を落ち着けてくれる作用がありそうだ。

 イオンは、ほっと一息を吐くと、正面に座っているユーノスが柔らかい微笑を浮かべた。


「セドリックの朝食は、どうだった」

「はい、とても美味しく頂けました。ありがとうございます」

「そうか、流石セドリックの腕は落ちていないらしい。私はもう食事を摂る必要がなくなってしまったからな。セドリックの料理の味も忘れてしまっているのだ」


 イオンが美味しそうに朝食を頬張る姿をまじまじと見つめていたユーノスの言葉に、イオンは少しだけ恥じらう。

 ユーノスはもう食事の必要がない身体をしているため、すっかり味覚が消え失せているのだと言う。


「君が美味しそうに食べる姿を見て、私もセドリックの味を思い出せたよ。ありがとう」

「……お二人はご友人とのことですが……」

「ああ、幼馴染で兄弟のように共に育った仲だ。セドリックは魔術関連に精通していてな。私の為にあのような魔法陣をこしらえてくれた」


 ――幼馴染。外見ではそれをうかがい知れぬユーノスとセドリック。

 セドリックは自分のことを『ただの使用人』と言ったが、ユーノスからすれば唯一心を許せる存在なのだろう。

 二十台前半という姿をしているユーノスは、老いていく友人の姿をどう思っているのだろうか――。

 死人という事は、年も取らぬまま永遠にこの世にとどまり続けることになるだろう。自分の知る人物がどんどん年老いていき、天命を全うする中、英雄と呼ばれた青年は独り残され続けていく――。

 イオンは、ユーノスが抱く孤独感を計り知ることもできなかった。

 祖父が亡くなり天涯孤独の身となったイオンも、祖父が他界した時に、一生分の涙を絞り尽くしたかというほど泣いた。三日三晩泣き続け、そしてイオンは立ち上がったのだ。あの寂しさと悲しみを背負いこみ続けていかなくてはならないユーノスの心境は想像することもできない。


「キザシは、私のことを何も伝えていなかったのか?」

「はい……」

「フッ、キザシらしいな。アイツは昔も無口で不愛想だった」

「そうなのですか?」

「聞きたいか? キザシの話」

「は、はい!」


 自分の祖父であるキザシは武人らしい寡黙な剣客だった。かつて戦争で得た武勲があるとは言っていたが、詳しくは語らない男で、自分の獲得した名声など興味がないと言わんばかりの様子だった。

 純粋に剣の技術を磨くことに専念し、その結果、たまたま栄光ある戦果を挙げただけ。それがキザシの口癖だった。

 イオンはそんな祖父の姿を誇りに思っていた。勝ち取った名声にしがみつくのではなく、人はただ健気に生きるべしという生き様はイオンの人生観に大きな影響を与えたのである。


 ユーノスは、瞳を輝かせキザシの話に興味を示すイオンに、戦時中のキザシの武勇伝を語ってみせた。

 剣の腕だけはユーノスもキザシには敵わなかったと、苦笑いを浮かべたり、女性にも随分とモテていたと茶化すユーノスは、死人と言うには活き活きとした表情で弾む声を紡いでいた。

 イオンも自分の知らない祖父の姿に、笑顔を零し、時には瞳をクリクリと動かして驚いたりした。


「キザシはな、最後の決戦の時には大きな傷を負っていて、邪神討伐には向かえなかったのだ。あの時のキザシの顔といったらなかったぞ」

「もしやあの、腹部の刺し傷ですか?」

「うむ。決戦前に、夜襲を受けてな。キザシは私を庇う為、身を呈して敵の刃を受けたのだ。邪神との戦いは私に任せて休んでいろと言ったのだが、キザシのヤツ、何と言ったと思う?」

「……連れていけ、でしょうか?」

「惜しいな。『お前では無理だから、オレに斬らせろ』だ」


 そう言って、ハハハ、と白い歯を見せて快活に笑うユーノス。

 祖父の腹部に大きな傷跡があることを知っていたイオンは、昔訊ねたことがある。その傷はいつ付けられたのかと。

 キザシはその問いには明確に回答せず、『人生で最大の失態』とだけ教えてくれた。

 祖父でもそんなミスをするのだな、と当時のイオンは息を呑んだが、ユーノスを話しを聞くと、どうやら祖父の真意は違うらしい。

 ユーノスを庇わなければ、自分が邪神と戦えたのに、という後悔の念だったのだろう。なんとも武人らしい言葉だと思って、イオンは若かりし祖父の想像以上の無鉄砲な性格に驚かされた。


「邪神との戦いが済んだ後、私は呪いを受けてしまったことから、人前に顔を見せることができなくなってな。キザシともそれっきりだったのだ。まさか、孫がいるとは思わなかった。キザシに似ず、随分と可憐なので、未だに信じられないものもあるが」

「……」

 思いがけずに、可憐だなどと褒められて、くすぐったい気持ちがイオンを赤くさせる。

 ユーノスの声は、非常に優しい色をしていて、人を自然と落ち着かせてくれるような、低く整ったものだった。少しだけ鼻にかかる声ではあるが、それがどこか魅惑的なので、そのかんばせと相まって、イオンは正面の男性を真っすぐに見れなかった。


「……イオン。君はこれからどうするつもりなのだ」

 ふと、その彼の声色が芯を伴ったようにイオンに向けられた。独り身となったイオンに、キザシの戦友であり、先日の無礼を悔やんだ彼の言葉は、心配と同情が混ざって聞こえた。

「私は、港町で働こうかと考えています。幸いにも祖父の蓄えはまだありますし、ご心配には及びません」

「……キザシの孫であると、思わせる言葉だな。キザシもよく言っていた。『心配無用』とな」

 ユーノスは女性ような流れる長髪を揺らし、少しだけ上を見上げた。さらりと零れたひとふさの髪束が、煌めく。


「イオン。……君さえイヤでないのなら……。ここで暮らさないか」

「……そ、それは……」


 ユーノスの誘いは、イオンにとって複雑なものであった。

 とてもすぐに頷くことができない、雑多な感情が渦巻いて、イオンは言葉を詰まらせてしまう。


「キザシの頼みとあっては、私も断れぬし、何よりも君には先日のこともあり、何か力になれればと思っている」

「それは気になさらないでください。こうして食事を頂けただけで、私には十分ですから」

「……そうか。無理にとは言わない。もし君に今後の行く先がないのであればと思ったのだ。……それに、私のような死人の住まう島でなど暮らしたくはないだろうしな」


 クスリ、とユーノスは笑った。自虐の笑みだった。

 イオンはそのユーノスの表情が、どうしようもなく哀しく見えた。

 これが世界を救った英雄の現在だというのだろうか。あまりにも報われないユーノスの現在の姿に、イオンは風に散る花びらみたいに儚い彼の言葉に首を振った。


「ユーノス様を嫌っているのではありません。ただ、私は……自分が何者なのかを試したく思っているのです」

「何者なのかを、試す?」

「はい。祖父もユーノス様も、ご立派です。私はまだ十五の小娘に過ぎませんが……、そんな私も、祖父やユーノス様のような人物に憧れを持ち、立派な人として認められたく考えております」

「……殊勝だな」

「ですから……自分の力でこの世の中でどこまでやれるのかを試してみたいのです」

「だから、私の支援は不要だと言うのだな」


 紅い瞳が、イオンの視線とぶつかって、イオンの内側を見定めるように覗き込んでくる。

 イオンは、小さく頷き返し、表情をキリリと引き締めた。


「フッ、やはり君はキザシの孫だな。分かった。もう引き留めはせぬよ。だが、もしどうしても助けが欲しくなったらここを訪ねなさい」


 そう言うと、ユーノスは椅子から立ち上がり、上着のポケットから小箱を取り出した。

 そしてその箱を開くと、中には小さな指輪が収まっていた。


「これはこの島に渡船するための許可証のようなものだ。困ったらこれをみせれば、船を出してもらえるだろう」

 ユーノスは小箱から指輪を取り出し、イオンの傍までやってくると、手を差し出して来た。イオンの指にはめてあげようと言うのだろう。

 イオンは少しだけおずおずと表情を惑わせたが、そっと右手を差し出すと、ユーノスは小指にその小さなリングをはめ込んだ。不思議な程、イオンの指に綺麗に収まった指輪は銀の輝きを鈍く放つ。表面には生命の木の紋様が刻み込まれていて、神秘的な存在感を見せつけている。


「あ、ありがとうございます……」

「こちらこそ、今日は楽しかった。君の成功を祈っている。船はセドリックに出させるよ。暫く寝室で待っていたまえ」

 ぺこりと頭を下げるイオンに、ユーノスは穏やかな笑顔を向けていた。白く血の通わない肌が、ほんの少し色づいて見えた気もしたが、死人の彼の血色が良くなるわけがない。イオンの気のせいだろう。


 こうして、イオンは指輪をユーノスから受け取り、寝室に戻ったのだった。

 暫く待っていると、セドリックがやってきて、イオンに頭を下げてきた。


「お帰りの準備が整いました」

「ありがとうございます」

 イオンは雷駆を手に取って、出立の準備は万端であることを示すと、セドリックにも改めてお辞儀をした。


「朝食、おいしかったです」

「光栄です」

「……この屋敷は、ユーノス様とセドリックさんだけで暮らしているのですか?」

「はい。昨今は私も年老いてきてしまい、船を出すのが困難で。買い出しの回数を減らそうと、随分物資を買い込んではいるのですが、余らせてしまいがちなのです」


 初老の男性と、物を喰わぬ死人英雄の住まうお屋敷。セドリックは老体に鞭を打つようにこの屋敷に努めている――。

 もし、セドリックがユーノスの世話を出来なくなるほどに老衰したら、どうなってしまうのだろう。

 そもそもセドリックももうかなり高齢に見える。逞しかった祖父ですら、寄る年波に勝てはしなかった。彼もあとどのくらいこの仕事を続けていられるのだろうか。

 イオンは、後継人や今後のユーノスのことが気になってしまい、セドリックに静かに訊ねた。


「あの……こんなことを言うのは無礼かもしれませんが……今後、このお屋敷での生活をどうお考えなのですか?」

 ユーノスはイオンのことを心配してくれたが、イオンはむしろ、この屋敷に住まう英雄と使用人が心配だった。


「私もできる限り、ユーノス様にお仕えしたく考えておりますが……。それもあと何年もつかどうか。後継人になる人物を探そうとした事もあったのですが、ユーノス様の事を考えますと、おいそれと人をこの島に入れるわけにはいかないのです」

「…………私を島に誘ったのは、ユーノス様への生贄として、でしたよね」

「……申し訳ございません……。私も、もうどうしていいのか途方に暮れておりました……キザシ様のご令孫であればもしや、と、私はあなた様に甘えたのです」


 セドリックの赤裸々な告白に、イオンは口を噤み、暫し瞼を閉じた――。

 この現状、英雄と呼ばれた残酷な呪いに苦しむ青年。

 その親友であった年老いた老人。

 あまりにも展望が霧に覆われている――。報われなくてはならない英雄がこんな孤島で、どうして飢えに苦しんでいるのか。

 その彼は、祖父の友人でもある――。


 イオンは考えた。


 ユーノスは人々からの感謝の念があれば生きていける。苦しまなくていいのだ。ならば、ユーノスへの感謝の念を高めてあげることができれば、彼を少しは癒せるのかもしれない。

 セドリックは皴がれた顔を崩し、哀しげな瞳を伏せる。その老人の顔は、祖父の最期を思い出させる。


 何か――自分にできることがあるのではないか。

 イオンは、これから自分に何かできることがあるかもしれないと、社会に出て生きていくつもりだった。

 だから、ユーノスからの支援を断ったが、むしろ逆なのではないだろうか。

 彼らは救いを求めていたのかもしれない。


 イオンは瞼を開き、雷駆を少しだけ、握った。祖父に、確認をするように。


 ――もしかしたら――。

 祖父がここを訪ねるように遺言を残した本当の理由は、イオンの為だけではなく、死人の呪いに苦しむ友人の事を知ってのことではなかったのだろうか。

 イオンは何か、自分の『使命』のようなものを発見したようだった。


「セドリックさん。私――、ここで働かせていただきたく思います」


 イオンの、運命が動き出した。

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