20
その島はジャヌルア大陸の傍にぽつんと浮かんでいた。
ユーノシア領にあるその島は国が管理している島であり、渡航するためには厳しい審査を超えて許可が下りた者だけが足を踏み入れることができるのだ。
島の名前をミラファルカと言った。
大きな島ではなく、中央に屋敷がぽつんとあるだけの孤島で、とある重鎮の別荘なのだと噂が流れて久しい。
かつてはそこに財宝をため込んでいると噂が流れたことから賊が目を付け侵入を許すこともあったというが、昨今は違う。
そこの島に住まう人物は、ユーノス教と呼ばれる英雄を神格化して偶像に据えた、地域支援団体の司祭であった。
その名をイオン・コンチネンタルと言った。
イオンは、今年二十歳となる若い女性であったが、アッシュブロンドの髪を美しく流し、星空に負けぬ輝きを持つと言われる瞳に、慈愛を宿し、微笑みを向ける。
まさに、聖女として近隣の港町では話題に上がることが多かった。
あんな孤島に独りきりで暮らしているイオンという女性のため、誰もが手を差し伸べたいと協力を申し出るのだが、イオンはそれを柔らかく断っていた。
ミラファルカ島で女性が独りで生活を続けるのは大変なはずだろうと、領主や国王からも使用人を雇ってはと言われていたが、それさえイオンは断ったのだ。
まるで、その様子は、頑なに独りでいることを貫くようで、その姿がより一層、イオンという女性を神秘的に魅せていた。
国王や、ユーノシア領主は、ミラファルカ島であった一部始終をイオンから聞かされている。
あの島はかつて死人となってしまった英雄ユーノスを軟禁するための島だったが、その彼の呪いは解け、天に召されたのだとイオンから語られた時、領主と国王はイオンにその功績を称えるとし、褒美を取らせ、領内に邸宅を用意させようと申し出た。
イオンはその申し出を断り、変わりに、ミラファルカ島での生活を希望したのだった。
若い女性が一人で島で生活するのは、さぞ大変だと誰もが言ったが、イオンは頑なにその意思を曲げなかった。
そこで領主たちは、ミラファルカの警備を厚くすることを約束し、イオンに穏やかに生活できるように取り計らった。
「ってわけでな、あの島には誰も渡せないんだよ」
渡船場の親父は、ミラファルカ島に行きたいという男に、厳格な表情で伝えてやった。
どういうつもりで島に行きたいのか訊ねても不明瞭な回答しかしないその男に、親父は怪訝な顔を向けていた。
もし、聖女イオンを襲うような無法者なら、問答無用でこの場でしょっ引いてもらうところだ。
男は長身ではあるが、どこかスラリとしたスタイルをしていて、中性的な雰囲気があった。
彼がその長身と、低い声で語りかけてこないなら、ひょっとすると、女性だろうかと見間違ったかもしれない。
それほど、その男の顔は美しかった。細く整った眉に、鼻すじが美しい線を描き、長いまつ毛を蓄えた目元は、知性的な印象がうかがえる。
髪も長く、真っ黒で艶やかに日の光に輝く帯が浮かび上がるほどだ。意志の強そうな髪同様の黒い瞳も、透き通るほどに華麗であった。
俗物には見えない男ではあったが、いかに見栄えがいい男だといえ、ミラファルカ島には行かせるわけにはいかない。
「許可があれば、行けると聞いているが」
静かな口調で、男は短く告げた。
低く、穏やかな声だった。だが、逆に何を考えているかはまったく読み取れない。表情も乏しく、その黒真珠よりも艶やかな瞳が、どんな目的をもっているのかも滲ませない。
「だから、許可なんか絶対に下りないんだよ。帰りな。あんまりしつこいと、衛兵を呼ぶぞ」
親父は今度こそ、その男に不審なヤツだ、と言わんばかりの口調で突っぱねて見せた。
極稀に、こういった輩がやってきて、情報でも聞き出そうというのか、ミラファルカへの渡船方法を探ってこようとする。少し前には、賄賂を手渡そうとしてきた輩もいた。
そんな奴はその場で衛兵に連絡を入れて牢屋へと直行してもらった。
イオンは、今やこの国が誇るユーノス教の聖女なのだ。彼女を護りたいと思う人々は、この街だけに限らず無数にいる。
「この指輪があってもダメなのか?」
男は尚も食い下がって来た。親父はいよいよこいつめは、通報するべきだなと厳しい顔をして、男が見せた指輪を凝視した――。
「……! な、なんだって? そ、そいつぁ……」
男の指輪には『生命の樹』が象られていた。それはミラファルカに渡船を許された者だけが持つ、勲章で間違いない。
だが、そんな許可が出た者が現れたなんて、連絡は受けていない。だとしたら、この指輪はニセモノか、はたまたどこかから盗んで来たか、ではないだろうか。
親父は、指輪を見せてくる男をもう一度だけ確認すると、ちょっと待てと相手に伝え、そのまま衛兵を呼びつけた。
男はたちまち、衛兵に捕まって、牢獄へと連れていかれることになった。
今日も、ミラファルカ島の平和は守られた。聖女イオンの清らかな生活を、オレが守ったのだと、少し誇らしげになる親父であった。
※※※※※
「ハッ! ハッ!」
孤島のミラファルカ。その屋敷の前で、凛とした女性の声が潮騒にも負けずに高らかに響いていた。
気合を込めた声は、素振りと共に吐き出されている。
イオンの日課である剣の素振りだ。最近は少々サボりがちだったから、集中して行おうとイオンは玉の汗を散らして雷駆を振っていた。
昨今は賊が島に潜入してくることなど全くなかったものの、それを理由に剣の稽古をサボると、自分の精神の堕落を感じていた。その堕落は、自分の二の腕に現れて、プニプニしてきたから気が付いたのであるが。
これはいけないと、イオンは聖女と呼ばれている女性には似つかわしくない、剣の素振りをしていたのである。
「……ふうっ……」
いい汗を流した。今日も平穏な一日が過ぎていくだろう。
この島で独りで生活をしていくのも随分と慣れた。ユーノス教の司祭になってしまったイオンではあったが、毎日教会に赴くわけではなく、週に一度港に足を運ぶときに、復興支援の業務確認をしに行く程度だ。
信者たちは誰もがイオンに優しくしてくれるから、孤独に心を苛まれるようなことはなかった。
ユーノスが守り抜いた世界を維持するための仕事に携われることが、イオンには嬉しかったし、誇りにも思っていた。各地の復興支援も、随分と落ち着いてきていた。
やがて、この復興支援の教団も、この国だけにのみならず、国際的な活動になっていくだろう。世界にはもっと苦しんでいる人々がいるのだから。
イオンは、汗を拭き、お茶を楽しむと、ユーノスの植物園を手入れしていく。植物園は少々規模が小さくなってしまった。
どうしても独りでは管理がしきれずに、悔やみながらも、世話をする植物の種類を絞り、規模を小さくした。
ユーノスが育て、セドリックが淹れてくれたハーブだけは、一番大切に育てているが。
「よし。ハーブ園のお世話も終わり」
それから、涼しい泉までやってきて、セドリックの墓を手入れすると、屋敷まで戻って、夕食の準備になる。
とは言え、一人で食べる食事だ。そんなに手の込んだものは作らなくなった。
なんだか、ずぼらになってしまっているかもしれない、とイオンはくすりと笑った。
イオンは、もう、孤独に涙を流さない。
自分の孤独感に、きちんと向き合って、今は立派に働いてもいる。
かつて夢見た街での生活は少し違ったが、今自分は立派に独り立ちを果たし、胸をはって日々を送っているのだ。
もう、イオンは、子供でなくなっていた。
「ユーノス様。今日もお守りくださり、ありがとうございます」
夕食の時は、そう言って食事を摂る。
ユーノスが居た時だって、彼は食事を摂らずに、お茶を飲んでいたから、自分の対面にはいつもティーカップを置いていた。
ユーノスは祝福をイオンに授けてくれたのだ。だから、こうして日々、何事もなく生活を出来ているのはユーノスが今も、自分を見守ってくれているからだと分かっていた。
ユーノスが逝って、一年が過ぎたが、今でもあの日にのことはきちんと思い出せる。
声も、表情も、歩き方も、姿勢も……。
香りや彼の冷たい指先、そして――。
夜、イオンは寝室でユーノスのことを想い、彼の吸愛を思い返す。
そして、切なくなった身体を慰めることもあった。
それほどに、彼の舌遣いは――、キスは――、忘れようもないほどに、身体に沁み込んでいたのだ。
物思いに耽っていたイオンは、ベッドの中で体を火照らせていた。
そんな時だ――。
カタン。
「……?」
何か物音がした気がした。
もしやネズミでも出るようになってしまっただろうか? そんな風に考えた。
この島に誰かが踏み入ってくることなど、もうあり得ないことだ。だからイオンは、気のせいだったかもしれない、と油断をしたのだ。
だが。
こつ、こつ、こつ――。
「……!」
明らかに気配を感じた。誰かが屋敷に入り込んでいる。
イオンは思わず緊張の表情と共に息をのんだ。すぐさま雷駆を握り、侵入者への対処ができるように準備を整える。
――何者?
ここ二年間、この島はたとえ深夜であろうと、警備網が厳しく張られていて、絶対と言っていいほどに屋敷どころか、島に入ることもできないはずなのだ。
なのに、今、確かに誰か自分以外の人物が、この屋敷に侵入している。
イオンは、突然に喉の奥がカラカラになって、息苦しさを感じていた。
(……私……怖がってる……)
体が震えているのを自覚していた。
この島には自分を護ってくれる人は誰もいない。ユーノスからの祝福があるとはいえ、屋敷に踏み込んだ賊に対して、対処ができる人間は自分だけなのだ。
剣の稽古をサボっていたのを後悔していた。
(ここは、ユーノス様たちとの思い出の場所……。他の誰にも、土足で入り込ませたくない!)
イオンは覚悟を決めて、寝室のドアから廊下の様子を見た。多くの人々から島を出て生活をしろとか、屋敷に使用人や警備員を雇ってはどうかと言われたが、イオンはそれを嫌ったのだ。
この屋敷に、まだ自分たち以外の人を入れたくなかった。
入れてしまうと、ユーノスの欠片が汚されてしまうように思っていたからだ。
「……」
屋敷の侵入者を倒し、衛兵に突き出す。
それをできるのは、今自分一人だ。やるしかない。
夜の帳が下りて、真っ暗な屋敷の中を進み、侵入者の気配を探って歩いていく。
嫌な汗が伝っていく。
二階の、ユーノスの寝室に、気配があると察知した。
イオンの寝室の隣だ。
イオンは自分の足音を殺し、ユーノスの寝室の扉の前で呼吸を浅くした。
油断をするな、イオン。場合によっては、相手の命を奪うかもしれない――そういう覚悟で飛び込むのだ、と自分の心に言いつけた。
(みんな、私を護って……!)
イオンは意を決して扉を開いた――。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回最終話です。




