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 また一年が過ぎた。

 イオンは今日、十九になる。ささやかで良いと言うのに、ユーノスは今年もイオンのためにきちんと誕生日を祝ってくれた。

 一年が過ぎていくのが早く感じた。しかし、ユーノスは相変わらず呪いが解けないまま、死人の姿で老いることはない。

 イオンは今日、またひとつ歳を取ったのに、ユーノスは動かない。

 いつか、自分の歳がユーノスを追い越してしまう日が来るかもしれない……。その時も、こんな風にユーノスは誕生日を祝うつもりなのだろうか。

 イオンは、それが、とても怖かった。

 月日が経過することが、とても恐ろしくなっていた。


「イオン、なんて顔をしているんだ。君が生まれた日に」


 ユーノスが静かな優しい声で、イオンを覗き込んでいた。つい、自分の想いが顔に浮かんでいたのかもしれない。


「ユーノス様はおいくつなのですか?」

「私か? もう七十を過ぎている老人だよ」

「違います……。ユーノス様の止まった時の、年齢をお聞きしたいのです」


 その言葉を伝えれば、イオンが何を考えているのかなんてユーノスが推測することは容易いだろう。だが、イオンは聞かずにいられなかった。

 いつ、自分の年齢があなたに追いついてしまうのか。それが怖いのだと、言ったようなものだ。

 呪いを解くと、誓ったのに。ユーノスの飢えはもう満たされているのに、なぜ呪いはいつまでも解けないのだろう。


「私の年齢など、もう覚えていない」


 ユーノスは優しい声で言った。本当なのか、嘘なのか、イオンには見抜けなかった。


「十九にもなれば、女性は結婚を考える年齢だな」

「……私は、ユーノス様と共にいます」

「……ありがとう」


 ユーノスのその言葉だって、イオンには、何を言わんとしているのか伝わるものだ。別の男と共に生きていくほうがいいぞ、と彼は言っているのだ。

 イオンは固い意思で、返事をした。その答えに、ユーノスは何かを言おうとしたが、それを取りやめて、『ありがとう』とだけ呟いた。


「愛してます、ユーノス様」

「私もだ」


 二人は愛し合っている。身体だって何度も重ねた。

 だが、ユーノスとは一つにはなれなかった。血が廻らない彼には、どうしても無理だったのだ。

 ユーノスが哀しみの色を浮かべてしまったイオンをそっと抱きしめた。

 とても柔らかな抱擁は、幸せを与えてくれるのに、ただひとつ、当然なら誰でも与えられる、『体温』だけは伝えてくれない。

 冷えた腕の中、イオンはせめて自分の体温が少しでもユーノスへと伝わるように、彼の胸に身体を預けた。


 暫しの抱擁の後、誕生日だからとユーノスが料理したご馳走を頂くことになった。

 ユーノスは、味覚がないから、上手くできているか判断ができなかったが、イオンのためにできる限りの腕を尽くしたと笑った。

 並んだ料理の数々は、どれもいい香りがしていた。初めてこの屋敷で朝食をふるまわれた日のことを思い出してしまうそれは、セドリック仕込みの腕前なのだとすぐに分かった。


「どうだ? 美味しくできているか?」

「はい。とても美味しいです。ありがとうございます」


 イオンが嬉しそうに笑顔を浮かべたのをみて、ユーノスはやっとほっとした顔を見せた。せっかくの誕生日なのだ。イオンに哀しい顔なんてしてほしくなかったのだろう。

 ユーノスは物を食べる必要のない体をしているから、彼の前には、ティーカップがソーサーの上に置いてあるだけだ。

 ユーノスはそれを掴み、お茶を静かに味わった。飲み物だって、ユーノスには不要ではあるが、ユーノスはイオンとの食事の場で、共に過ごすために、こうしてお茶をするのだ。

 ユーノスの指がちらりと見えた。

 彼の指には、生命の樹を象っている指輪がはめられていた。それをイオンも身に着けている。

 この指輪が家族の証なのだ。


 かちゃり、とソーサーが鳴った。ユーノスのカップが置かれ、カップから指が離れた。

 イオンは、その指を見ていて、気が付いた。


「…………」


 イオンは、思わず食事の手を止めてしまった。

 それに気が付いたユーノスが、不思議そうに首を傾げた。


「どうした? やはり、口に合わなかったのではないか? 無理に食べる必要はないぞ」


 失敗していたか、とユーノスは苦笑いを浮かべた。イオンはそんな彼にすぐに首を横に振った。


「いいえ、本当に美味しくて……。ユーノス様、こんな素敵な誕生日をありがとうございます」

「お前の喜びに満ちた、感情を感じられることが、私にとっても嬉しいのだ。イオン、こちらこそ、ありがとう」


 その食事を残す事もなく、イオンは美味しく平らげて見せた。


「ユーノス様、我儘を聞いてもらっても宜しいですか?」

「勿論だ。なんだって用意して見せる」


 食事の後、リビングで二人、同じソファに身を静めていたイオンは、上目遣いにユーノスにせがんだ。


「愛していると、言ってください」

「……いつも言っているではないか。先ほどだって……」

「聞きたいのです」


 イオンの普段は見せない我儘な言葉は、ユーノスを黙らせて、そして切なそうに表情を動かす。

 ユーノスの愛を疑っているのではない。

 だがイオンは、そのユーノスの反応で、分かってしまうのだ。彼がイオンのために、いつでも身を引けるようにしていることを。

 ユーノスと別れ、ミラファルカ島から出て、他の男性と共に真っ当な生活をしたほうが、イオンのためになるだろう、と、彼が考えていると簡単に汲み取れた。


「愛している」

「一生、傍に居てください」

「お前が死ぬまで離すつもりは、ないよ」


 ……イオンは、これではいけない、と自分でもわかっていた。

 これでは、自分で、ユーノスに『言わせている』だけなのだ。そんなのを求めたわけじゃない。イオンが求める愛は、これじゃないのだ。


「イオン、セドリックが逝った時に、私は思ったのだ。いつか必ず人は死別する。だから、今を大事に生きていくことが、大切なのだと」

「私も……祖父と、セドリックさんがそう伝えてくれたと思っています」

「十九だぞ、イオン。お前ほどの女なら、誰もが惜しみなく愛を注いでくれる」

「私は、ユーノス様の愛だけで十分です」

「私の愛は、吸い上げるばかりだ。お前には、愛を、渡せない男だ」


 ユーノスが、陰を含んだ表情で、きらりと赤い瞳を揺らめかせた。長いまつ毛が一度だけ、ぱちりと動いて、その揺らめきを消す。


「構いません。私の、愛をあなたに渡せるだけで、幸せです」


 孤独を感じて生きてきた者だから分かる。一人ぼっちの寂しさを消す方法なんて、本当はないかもしれないと。

 例え、誰かと一緒に生活をしていても、それはいつか終わりを迎えるのが決定付けられている。必ず、孤独はもう一度顔を出す。

 だから、今、共にいるこの瞬間は、精一杯に相手を想っていたい。それが幸せなのではないかと、イオンは思う。信じていると言っても良かった。

 だから、ユーノスも、今こうして一緒に過ごしている時に寂しそうな顔をさせたくない。いずれ来る終わりのことを考えて、イオンを心配するユーノスに、そんな考えは持たなくていいと言いたかった。


「吸って、ください……」


 イオンは、瞼をそっと閉じて、唇を差し出した。

 恥ずかしくもあったが、彼を感じられる一番の吸愛は、首筋へのキスでも、胸へのベーゼでも、耳への啄みでもなかった。

 唇と唇の、接吻が、イオンがユーノスを感じられるそれだった。


「イオン……愛してる」


 そう小さく囁いて、ユーノスはイオンの柔らかい唇に重なった。

 可憐な花弁にも似たイオンの唇を、ユーノスの白く冷たい唇がなぞるようにして、舐めていく。そして、味見を確認して、慈しむような絡み合いが始まえば、たちまち互いの呼吸が混ざり合っていく。

 キスを繰り返しながら、二人の手が絡み合った。イオンは切なく指を絡めて、ユーノスをしっかりと確かめようとする。ユーノスも強くイオンを抱き寄せて、ソファの上で二人は互いの肉体を出来る限り密着させたくて、磁石のようにくっつきあった。


 それから、ユーノスに抱かれ二階に上がると、ユーノスの寝室に連れ込まれて、ベッドに寝かされた。

 また、あの吸愛をされる――。堪らない快楽を吸い上げるユーノスの食事が。ユーノスの石竹色の髪はやはり淡く輝くように揺れる。

 イオンは、眩い閃光にも似た感覚に視界を照らされて、意識を細切れにされていくようだった。体中に走り抜けるユーノスの繰り出す刺激が、イオンを何度も昂らせた。

 心臓は脈動して、ドキドキと跳ねる。体温が上がり、鋭敏な箇所がぷっくりと膨らむ。そこをユーノスの口がしゃぶりついて、妖しく吸いたててくる。


「ユーノス、さま……」

「果てたか、イオン」


 呼吸が乱れるイオンに、ユーノスがよしよしと落ち着かせるように撫でてくれる。彼の冷えた掌が心地よい。

 それと同時に、ユーノスは、血が廻らないから、自分のように胸を高鳴らせるようなこともないのだと伝えられてもいるようだった。


「ユーノス、様……、私の胸の音を聞いてください……」


 イオンがまだドクドクと鼓動する心音をユーノスに聞かせたくて、彼の頬を撫でた。

 ユーノスはゆっくりとした動作で、イオンの左胸に耳を押し当てた。


 どくんどくんと耳に聞こえてくる命の証明は、ユーノスが五十年以上前に失くしてしまったものだ。


「聞こえるよ、イオン。暖かい、そして強い音だ」

「……ユーノス様は、このように、胸が……鳴ることがないのですね」

「そうだよ、イオン」

「私が、ユーノス様と話す度、目が合う度、抱かれる度……いつも胸が鳴っているのをご存知ですか?」

「ああ……知っている」

「これが恋なのだと、ずいぶん昔に知りました……あなたが、島を離れた時です」


 ユーノスと離れて彼を想う度に、切なさが走り抜ける日々だった。自分がユーノスを男性として意識しているのだと、思い知った。

 そして、またこの島に戻って来たとき、ユーノスはこちらの気も知らないで、驚かせてきたりした。あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。


「ユーノス様は、動かない心臓で、恋心を感じられておりますか?」

「……分からない」

「だから、私のことを離そうとされるのかもしれませんね。今の私は、あなたが傍に居ないと、この鼓動が止まってしまうかもしれないと思うほどなのに」

「……意地の悪いことを言うのだな」


 ユーノスは哀しそうに顔を引いて行った。そんなユーノスに、イオンが今度は絡んでいった。

 彼の左の手を取って、そこにキスをした。


 ユーノスは、はっとしてその手を引いたが……もう遅かった。


「ユーノス様……。もう、呪いが解けていらっしゃったのですね」

「な……なぜ……」


 イオンがユーノスの手から唇を離し、彼の人差指に遺っている傷を見つめていた。今日、料理をする時に、包丁で切ってしまったのだろう。

 そこは皮膚が裂けて、傷跡が覗いていた。


「傷が……治っていないから……」


 イオンは、彼の傷跡を優しく指の腹でなぞりあげた。血が出ていない。まるでぬいぐるみが裂けてしまったところのように、皮だけが裂けていた。

 不死のユーノスなら、その呪いでこれまでならば、傷が直ぐに元通りに癒されていたのに……。今のユーノスは傷が回復していないのだ。


「いつからなのですか?」


 イオンの、静かな問いに、ユーノスは酷く怯えたような顔をしていた。

 どう誤魔化せばいいのか、と視線を少しだけ彷徨わせていたが、イオンの指先が、愛おしそうにつめたい指先を包んだことで、観念した。


「……セドリックが逝って、一週間ほど過ぎた頃だろうか。身体が、妙に重く感じたのだ。そうだな、まるで病気を患ったような感覚だ」

「そんな頃から……」

「最初は、気が付かないフリをしていたが……。髪の色がな……この石竹色の髪が、白くなっていくのに気が付いた。呪いが……解け始めているのだと気が付いたよ」


 喜ぶべき、ことであったはずの、解呪――。だが、それは予想とは違う結末をユーノスに突き付けた。


「私は、呪われた死人。呪いが解ければ、もはやこの身体は……単なる躯になるだけ」

「……そんな……」

「呪いが解ければ、生前の姿に戻るだろうと願っていたが……どうも遅かったようだ。私はもうとっくに死んでいた。ただ、呪いで動ける死体であっただけの存在だったのだ」


 ユーノスの感情が見えない低い声が、ただ静かに響いた。

 潮騒が妙に耳に聞こえてくる。


「私は、自分が近いうちに動けなくなり、死を迎えると分かった。……だが……お前を遺して逝くことだけは、どうしてもつらかった」

「うそ、ですよね……」

「嘘ではないのだ。だから、私は自分の中から消えかけていく邪神の呪いを、必死につかんでいた。皮肉なことに、あれだけ解き放ちたかった呪いに、私は救いを求めていた」


 夜空に浮かぶ、月が儚い明かりを下ろすと、ユーノスの頬を照らした。白く、白く、照らし、その顔が、棺桶で眠る祖父やセドリックと同じ色のものだと、イオンは感じ取った。


「私は呪いを維持するために、邪神の欲望を満たすしかなかった。だから、イオンを執拗に味わうようになった……。私の吸愛が、日に日に激しいものになっていたのは分かっているだろう?」


 セドリックが亡くなってから、ユーノスは、吸愛を行ってくる回数が増えたとは思っていた。そして、その行為も――。

 首筋からだったのが、胸元へ。胸元から頂点へ……。

 腹部から、臍に……。そして、太ももから、内腿へ――。そしてついに……一番大切な箇所に、舌を差し込まれた。自分の身体で最も敏感な膨らみから、ちゅう、と啜られた。

 それらは、セドリックを亡くした二人の心の隙間を埋めるための、行為の延長だろうと思っていた。

 だが、それはユーノスが必死に消えていく呪いを維持するために、愛を執拗に求めた行動だったのだ。

 時には、朝目を覚ますとともに、身動きを封じられて、激しくしつこく吸い尽くされてしまった日もあった。


 それらは、日に日に弱る自分の身体の維持のため、崩れていく人生を保持するためのものだった。


「イオン……。私は、もう長くない」


 イオンは認められずに首を横に振った。

 もう、聞きたくなかった。


「私は、解呪されたんだよ。イオン……。そうしてくれたのは、君のお陰だ。本当に、それは嬉しいことだ」

「わ、私……こんなつもりじゃ……!」

「誰もが分からなかったさ。イオンを責めているわけじゃない。本当に、感謝している。それは心からそう思っている。……ただ、君を独りにしなくちゃならない事実が私を苦しめた」

「ユーノス様と、共にいます! いたいんです! 私の愛が必要なら、いくらでも啜って構いません! だから……」


 イオンの言葉を、ユーノスはそっと手で制した。


「イオン」


 ユーノスが抱きしめてきた。

 髪の毛が……、月の光に溶けていき、その妖しい色を白く染めていく。


「一度しか言わない」

「……」

「私も……お前と離れたくない……!」

「ユーノス……」

「お前の愛をむさぼり続けて呪いを剥がさぬように暮らしていくことも、できなくはないだろう」


 はらはらと、イオンは両目から涙があふれて止まらなかった。


「愛しているんだ。イオン。だから、私はお前の幸せを願った」

「だったら……」

「お前は、まだ若い。必ず、この世界のどこかにお前を愛する人がいる。そのものに巡り会うことがお前の幸せだ」

「ちがいますっ! 私の幸せはあなたと共に生きることです!」


 なぜ、自分の涙はこんなに熱いのだろう。

 ユーノスはこんなにも冷たいのに。彼と一緒になりたかった。どうして、私の身体はこんなにも暖かいのだ。それがイオンは歯痒かった。


「イオン、お前のお陰で私は神聖化を成すまでに至った。もう、私は立派な神なのだ。その私からの贈り物を渡したい」


 ユーノスが白く、淡く光の欠片を零し始めていた。彼の固い筋肉の身体が、不意におぼろげに感じられた。


「邪神から呪いを受けた私ではあるが、神として、敬愛を注いでくれたお前に、祝福を与えよう。必ず、お前は幸せを手に入れることができる」

「やだ、やだやだ……一人にしないで! 逝かないで、ユーノス!」

「愛は、後悔をしないことだ――」


 まるで、塵のように――。


 一瞬だが、光り輝き、ユーノスは消えた。


 イオンがこれまで見た人の死とはまるで違う最期で、ユーノスは逝った。

 だから、イオンはこのあまりにも現実感のない唐突な終わりに、茫然と、涙を零しているばかりだった。


 これは夢だ。

 明日になればまた、ユーノスに逢える。

 彼は時々悪戯をするから、これもそうなのかもしれない。いつかだって、私を驚かせるために、背後から脅かして来たじゃないか。


 イオンは、ただただ、夜明けをまった。

 こんな悪夢が覚めることを願い続け、瞳を閉じた。


 ――そして。

 翌朝、誰もいないベッドの上でイオンは身を起こし、屋敷から駆け出した。

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