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 ユーノスが屋敷に帰って来てから、数日と過ぎたある日のことだ。

 ユーノスは植物園の手入れをしながら、ゆっくりとした時の流れを楽しんでいた。

 イオンとはまだどこかギクシャクとしながらも、徐々に二人の間の距離を縮めつつあった。


 それというのも、ユーノスがイオンの喜ぶ顔が見たいと言って、花飾りを送ったり、ギターを演奏し詩を送ったり、娯楽室で共に踊ったりと、溺愛しているのを隠す事もなくイオンに愛情を注いでくるためだ。

 ……あれから、ユーノスは一度もイオンの寝室には足を運んでいない。

 イオンを思えば思うほど、彼女を大切にしたいと、願うからだ。あのような欲望に流され、イオンの身体を弄ぶのはもう二度としたくないと考えていた。もし、次に彼女を抱く時が来るのなら、それは真実の愛を告げる時だろう。

 今は、まだ自分の中に燻る想いに、はっきりとした自信を持てなかった。

 確かに、イオンのことは、可愛らしい少女だと思っている。好意を抱き、彼女に慕情を持っているのは間違いない。

 しかし、その想いの根っこを作り上げたのは、邪神の呪いのせいだと思い込んでいた。


 乙女の愛を貪ろうとする邪神の呪いが、イオンを襲えと囁いてくる。その欲望が、自分自身の熱情から来るものなのかも不明瞭だったユーノスは、イオンを怯えさせたくなく、不安にさせたくなく、――ただ、彼女の幸せを願い見守るようにしてイオンを喜ばせることを考える。


「イオンを、求めた切っ掛けは、あの飢えに苦しんでいた夜のこと……。あの時は間違いなく邪神の呪いに屈服して、イオンを啜った……」


 しかし、あれが邪神の呪いから始まった感情だとしても、ユーノスはその『感情』を捨てたいなどとは思えなかった。

 イオンへの、恋心を――。


 イオンを意識しはじめたのは、彼女がここで使用人として働きたいと言った最初の日だ。

 ユーノスはそんな彼女に、辞めておけと忠告した。お前を襲うぞと、脅してもみせた。


 だが、それでもイオンは、ユーノスのために、何かしたいと言ってくれた。

 これまでだって真摯に尽くしてくれたセドリックがいたから、自分のために行動を起こしてくれる人間は居たはずだ。

 やはりそれは、イオンが女性だったためなのだろうか。イオンのその言葉と行動は、ユーノスには特別に思えた。


 キザシという最大の戦友の雰囲気があったからだろうか。

 彼の死の報せは、ユーノスを想像以上に揺さぶった。

 キザシとは、若い頃に別れたまま、ついに再会することはなかった。だからユーノスが知っているキザシは、若い頃の姿でしかない。ユーノスよりも強く、熱く、剛毅な男だった。

 そんな彼が、老衰したというのだ。


 ――私は、死なずに、永遠と知り合いが老いて逝くのを見続けなければならないのか。

 それは堪らないほどに、苦しい呪いだった。セドリックを見ていても思ったことだ。いつ、セドリックが動けなくなってしまうのだろうと、ユーノスは怯えて暮らしていたのだから。


 女性とはできる限り接点を持たないように生活をして来た。邪神の呪いが膨れ上がり、女を求めてしまう闇が蠢く瞬間があるのを自覚していたからだ。

 なのに、セドリックはそれで苦しむユーノスに、イオンを差し出して来た。


 おそらく、だが――。


(おそらくだが……、セドリックはもう自覚しているのだろうな……。自分がもう、ここで使用人として働けることが長くないと)


 ユーノスは、小さな椅子に腰かけて、心地よい風に、髪をなびかせた。

 だが、その風はなぜか虚しさを運んできたようにも思える。


(セドリックは、よく尽くしてくれた。私のことは放っておいていいと言ったのに、己の人生をなげうって私に感謝と喜びを伝えてくれていた)


 もし、彼がここを辞めたいと言ってきた時は、ユーノスは頷くつもりだった。

 だが、セドリックは決してそんなことは口にしない。

 そんな彼がイオンを連れてきて、この屋敷での働き方、生き方を教えているのは……おそらく自分の代わりになって欲しいという思いの表れなのだろう。


 ――私は、また一人、友をなくすのだな。


 ユーノスは目を眇め、崩れそうなほどに儚い表情で、風の中に吐息を漏らしてしまう。


「ユーノス様っ」


 突如聞こえたイオンの声に、ユーノスは瞳を開いて、立ち上がった。


「ユーノス様!」


 イオンが慌てた様子で、こちらに向かって駆けて来ていた。

 その慌てぶりは、初めて見る程に狼狽えていて、イオンが冷静ではないとすぐに分かった。ユーノスはイオンに駆け寄り、「どうした」とできる限り、冷静に静かに聞いた。


「セ、セドリックさんが……!」

「――何かあったのか!」


 イオンの言葉を聞くのももどかしく、ユーノスは、屋敷に向かって走り出した。

 イオンはユーノスの後ろにつきながら、せっぱ詰まった様子で、説明した。


「突然、倒れて……! 顔色が悪くて……!」

「無理はするなと、いつも言っていたのにッ」


 全力で走り、屋敷まで辿り着いたユーノスとイオンは、リビングのソファで横たわっているセドリックに駆け寄った。


「ああ、すみません。ユーノス様……少し、体調が優れず……。すぐに良くなると思いますので、ご安心を」


 弱弱しい声で、セドリックは笑顔を作ろうとしたが、その顔は苦しげで、見ていられなくなるものがあった。


「私、お医者様を連れてきます!」

「すまない、頼めるか」

「はいっ、急いで行ってきます」


 イオンはそう言うと、支度を済ませて素早く出て行った。ミラファルカ島には当然医者はいない。今から船で港まで行き、そこで医者を呼ばなくてはならない。


「申し訳ございません」

「しゃべるな、何も考えず、安静にしろ。欲しいものはあるか?」


 セドリックは、何もいらないと首を横に振った。そうやって首を振ることすら、辛そうに見えたユーノスは、精髄まで凍り付くような想いだった。

 セドリックが、動けなくなる――。その恐怖が、膨れ上がり、怯えた。


「寝室まで運ぼう。おぶされるか?」

「……すみません。お願いします」


 ユーノスが背を預け、セドリックはそこに身を被せた。

 驚く程、体重が軽く感じられた。

 まるで、もう、残り僅かな、酒樽のように、セドリックは軽かった。あまりにも存在感が薄らいで感じられる。


「苦しくないか」

「大丈夫ですよ」


 しわがれた力のない声が、だが静かに、響いた。

 セドリックを背負い、ユーノスは彼の寝室である屋根裏まで運んだ。


「食欲はあるか。何か作るぞ」

「ははは……、ユーノス様が料理など……」

「バカにするな、食べたいものがあるなら、遠慮なく言え」

「大丈夫ですよ」


 ――大丈夫ですよ、という言葉が、ユーノスをどうしようもなく締め付けた。


「……セドリック」

「ご安心ください」


 いつしか、ユーノスが震えていた。病人を前に、気丈としていないとならないと思っているのに、ユーノスはセドリックの弱った顔を見て、震えていたのだ。


「イオン様がいらっしゃいます」

「バカを言うな。お前とイオンは違う。お前は、お前だ。セドリック、幼い頃、一緒にイチゴ狩りをしただろう」

「はい」

「楽しかった。お前は私の初めての友人だ。お前の代わりはいないのだ」

「もったいないお言葉です」

「今は、ゆっくりと休め。欲しいものがあれば言うんだ。絶対だぞ」


 ユーノスの言葉に、セドリックはにっこりと笑みを返した。

 それからユーノスは屋根裏部屋から片時も離れなかった。セドリックが安らかな寝息を立てるまで傍に居続け、彼が起きた時の為に、消化に良いものを作ろうと慣れないキッチンに立った。

 育てているハーブの中に、滋養作用があるものもあったはずだと、ハーブを摘んで来てはお茶を淹れたりと、動き回った。

 とにかく、できる限りはセドリックの傍にいた。


 その間、ユーノスはセドリックから伝わる、暖かい感謝の念を受け止めていた。

 そうして思っていた。


(感謝などするな、セドリック――。私は、お前の人生を奪ったようなものなのだ。恨まれてもおかしくないのだから)


 彼から伝わる情の、なんと安らかなことだろう。それが、ユーノスには嫌というほど伝わり、申し訳なくなる。


(感謝など、するな……)


 セドリックは、その一生を、ユーノスのために費やしてくれた。家庭を持たず、ずっとこの島で二人で生活をしてきた。

 ユーノスの、たった一人の家族なのだ。

 自分が、こんな身体でなかったら、セドリックはもっと違う生き方をしていたはずだ。


 なんとしても、彼を助けたい。尽くしてくれたセドリックに、何かをしたい。返したいものが多くある。

 彼が望むことならば、なんでも聞いてやるつもりだ。


「セドリック……逝かないでくれ」


 怯えきった子供が、親を求めるように、ユーノスは祈った。

 溢れた感情が言葉となって、屋根裏部屋の空間に散った。

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