12
夜、自分の部屋の寝室の戸が静かなノックを響かせたことに、イオンは素早く動いた。
扉を開くとそこには、品のいい初老の男性、セドリックが神妙な顔をして立っている。
「イオンさま。ミラファルカ島に、船が向かっております」
「……!」
イオンは緊張を走らせた。いつかはこんな時も来るだろうと、考えていたが、ついにやってきたのだ。
主不在の屋敷に忍び寄る強盗――。イオンはユーノスが居ないこの屋敷を守り通すと、誓いを立てていた。ユーノスが島を離れておよそ一月が流れたが、まだユーノスは戻ってこない。
一度便りを受け取った際、こんなことが書いてあった。
ユーノスはかつて邪神討伐の折、協力してくれたエルフに、レブレ村の疫病を回復できる秘薬の精製を頼みに行ったのだそうだ。そして、エルフに古代魔法が描かれた秘宝を渡すことで協力をしてもらい、屋敷を襲撃した村の男たちと共に、レブレの復興に当たることとなったらしい。
レブレ村の住人達は、最初はユーノスのことを怪しんでいたが、エルフが協力を申し出てくれたことで、ユーノスを『ユーノスの血筋を受け継いだ子孫』と認めたらしいのだ。
そこからは、村を復興する傍らで、『ユーノス』という存在を神聖化させた教えを村人たちに説いて回っているのだという。
つまり、ユーノスは自ら、宣教師となって、『ユーノス』の慈悲を伝え、暮らしに苦しむ人々に、支援を行っていっている、というのだ。
ユーノスは滑稽な話だと笑うだろうか、と書いていたが、イオンはその文字をそっと指先でなぞり、ゆっくりと首を横に振った。
最後に、屋敷の留守を任せてしまって申し訳ない。暫くは戻れないが、無理をせずに健やかにいてくれ、と書いてあった。
イオンは、村の復興や、ユーノス教の第一歩を喜んだものの、彼の『飢え』はきちんと満たされているのかが、心配だった。だから、毎日、朝、昼、晩、イオンはユーノスに想いを送り届けようと祈ったものだ。
そして、ユーノスが安心して活動できるように、屋敷も守って見せようと、雷駆にも誓いを立てた。
暫くは特に何事もなく、セドリックとの穏やかな生活が続いていたというのに、ついに、やってきたのだ。
島に侵入しようとする賊が――。
「船の数は?」
「一艘です。イオン様、もしや……」
「はい。私が迎え撃ちます。セドリックさんは、しっかりと屋敷を警備してください」
「しかし……」
「大丈夫です。一艘だけなら私でも対応できます。それに稽古も欠かしていません。安心してください」
そう告げて、台座から雷駆を掴むと、イオンは支度を整えて屋敷から駆け出した。
必ず、護って見せる。誇りを胸に、イオンは海岸へと走った。あの日の夜とそっくりな月が空に浮かび、青白い光を降り注いでいた。
屋敷に続く道から、海岸を見渡せるところまで辿り着き、イオンは様子を窺った。確かに、船が一艘停泊していた。
人影を探して、周囲を警戒するイオンは、風に漂う気配を感じ取り、そちらに向けて威嚇の声を上げた。
「そこにいるのは誰ですか!」
雷駆を抜き、切っ先を気配の潜む木陰に向けた。
間違いなく、そこに何かがいる気配があった。イオンはこちらの声にいつまで経っても反応をしないその気配に、仕方ないと覚悟をしてから、歩み寄っていく。
すると、そこにはつい今しがた、誰かがうずくまっていたかのような足跡があった。
やはり、誰かがここに居たのだと、イオンが、ハッとした時、自分の背後に気配を感じ取り素早く雷駆を振って――。
「おっと……」
相手がおどけた声を上げて、少し身を引いた。
「え……」
イオンはその声と、気配のシルエットに、堪らない懐かしさを抱いた。
長身で、白く抜けるような肌。女性と見間違うかんばせ。長いまつ毛と、長い髪。整った細い眉。それらは、不思議で妖しい石竹色で月明りに照らされてサラサラと煌めいている。
こんな人物は、この世のどこを探しても一人しかない。
「後ろを取って脅かそうと思ったが、よく気が付いたものだな。腕を磨いたというところか」
「ユーノス、さま……!」
「ただいま、イオン。元気そうでなによりだ」
悪戯な微笑を浮かばせて、死人英雄は、帰還した。
※※※※※
その日は夜遅くながら、ささやかなお茶会を開くことになった。
夜の音色が彩を添える、リビングでのお茶会は、ユーノスの代わりに植物園を世話していたイオンが摘んだハーブで淹れた甘いお茶と、セドリックが焼いたクッキーで主人を迎えた。
尤も、ユーノスはもう口に物を運んでも味覚がないので、その味を楽しむことはできないだろうが、それでも彼は「美味しい」と言った。
きっと、二人の愛情が込められたことを感じて、彼の『味覚』に触れたのだろう。
「セドリックさん、もしかして分かって私を行かせましたね!」
「イオン様が、早とちりをされただけですよ。私は賊が来たとは一言も」
「もうっ」
危うくユーノスに斬りかかるかもしれなかったじゃないかとイオンは膨れたが、その場に漂う幸福な空気がまるで彼女の抗議には不適切で、周囲は笑顔になった。
「ユーノス様も、お手紙を送って下さったら、きちんとお出迎えの準備をしてお待ちできたのに」
「驚かせたかった、と言っただろう?」
「意地が悪いですね!」
「セドリック、イオン。本当にありがとう」
改まってユーノスは礼を述べた。セドリックは深く頭を垂れ、イオンも恥ずかしげにお辞儀を返した。こっちの気も知らないで、どれほど心配したと思っているのだ、と考えていたはずだったが、イオンはどうしようもなく嬉しくて、もう抗議なんかどうでも良かった。
「それで、レブレ村の件はどうなったのですか?」
「ああ、村の疫病は無事に払われた。これからは、農業を中心に村も復興していくだろう。それから、教会を立ててもらった。ユーノス教のな」
「本当に……ユーノス様を神聖化させることができたのですね」
「いいや。あくまで日頃の感謝を祈る教会を作っただけに過ぎない。今回のレブレ村の支援はユーノス所縁の『私』からのものであることは伝えてきたが、『ユーノス』への感謝がこの先育っていくのかは、分からないな」
ユーノスは客観的な視点からの、冷静な声でそんなこと言ったが、イオンはそれでもこれは大きな一歩だと考えた。
世界各地にはまだ多くの困っている人々がいる。そう言った人々に支援を行い、『ユーノス』の慈悲を広めるために、教会を立てていく。多くの人々が、またユーノスへの感謝を思い出し、それでユーノスの呪いが払拭されれば、万々歳といえるだろう。
「長い間、湯につかっていなかった。身体を洗いたいから、湯を張ってくれないか」
「はい、畏まりました」
ユーノスの声に、セドリックは素早く反応し、バスルームへと向かった。
「イオン。ハーブの世話に、屋敷のこと。セドリックの体調など、色々と済まなかったな」
「そんな。私がやりたいと申し出た事ですし。少しでもユーノス様のお力になれたなら、本望ですよ」
「そうか……。また暫くしたら、今回と同様に、苦しむ人々のところで向かい、手を差し伸べてみようと考えているのだ」
「それは素晴らしいことですね」
「……ありがとう」
ユーノスの素晴らしい行為に、イオンは素直に感想を述べたが、ユーノスは繊細な表情を曇らせた。何かあったのだろうか、とイオンは気になった。
ソファに身を委ねているユーノスに、イオンは寄り添うに顔色を窺った。
「ユーノス様、もしやお疲れなのですか」
「疲労ではない、な。イオン……」
がばっ――。
「!?」
途端――、ユーノスがイオンをソファに押し込む様にして、圧し掛かった。驚いたイオンは声も出せずに、目の前に来たユーノスのシャツから覗く、鎖骨を凝視することになった。逞しい胸筋がすぐ傍まで迫っていて、ユーノスの香りと、冷たい体温が感じられる。少しでも視線を上に向けたら、その瞳を確認できただろうが、イオンはなぜだか、その時、相手の顔を見るのができなかった。
「イオン……」
吐き出される吐息は冷たいのに、なぜだか自分の名を呼ぶその声は、熱かった。
「ゆ、ユーノス様?」
「一か月――。たかが一か月だぞ……。私は永遠の時間を死んだ身体で過ごすことになったというのに。多くの友が先に逝くのを見ながら、生きて来たのに……」
「……ユーノス……」
逞しい男性の広い胸が、震えていた。声が、揺れている。
「この一月が……信じられないほど、長かった」
イオンは、自分を押し倒して、強く圧し掛かってくる男性の重みをクッションみたいに自分の身体で受け止めようと、身体を開き、腕を彼の腰に回した。自然と彼の顔が見えた。
「なぜ、こんなにもお前を求めているのか――」
ユーノスは心苦しそうに、表情を歪めていた。あんなに美しい顔なのに、そんな表情はもったいない。先ほどのように、笑顔を見せていて欲しい。だからイオンは、そんな切なさに、冷たい彼の身体に自分の体温を分けたくて、優しく抱くのだ。
「村で教会を建て、人々から感謝の念を受け、私は空腹を満たされた。ああ、これなら確かに『呪い』に苦しまずに済むと思っていたのだ」
ユーノスの手が、イオンの頭を撫でるように抱く姿勢になった。それで、身体をまた押し付けてきたユーノスの胸にイオンの顔は埋まり、彼の顔を見れなくなる。きっと、今の自分の顔を見てほしくないのだとイオンは察した。
「だが、人々からの情を受けるたび、私は贅沢にも『物足りなさ』を感じていた」
「……」
「お前の味が、忘れられない……。イオン。お前が傍にいると、私は自分を保てなくなる」
「そ、そんなユーノス様……」
まるで禁忌の薬物に染まってしまった中毒者のように、ユーノスは、イオンの『愛』を忘れられなくなってしまったと言うのだ。
どうして自分なんかの『愛』にそこまで彼が夢中になるのか、分からない。確かにイオンのユーノスへの忠誠心は高いものだが、それでもそんなに『特別』なものを持っているような自覚はなかった。
「イオン。今夜……君の部屋に行く」
「えっ……」
「自分を抑えようとすればするほど、狂いそうになるのだ……。お前と離れて一か月、私は別の『飢え』を感じていた」
強く抱擁され、イオンの耳元に、彼の唇が近づいた。擦れて揺れる男の声は、艶めかしいほど、濡れて聞こえた。
「これが、邪神の呪いなら、私は屈服してしまいそうだ」
「気を強く、もって、くださ……んっ……」
ぺろり、と耳朶を舐められた。
「もう我慢できない」
ユーノスの舌が、ぴちゃりと音を立て、イオンを震わせた。
「今宵は、加減ができそうにない、イオン」
熱い吐息にイオンは思考が纏まらない。どう答えたらいいのか分からなかった。
「覚悟をして、まっていろ」
そう言って身を引き、立ち上がるユーノスは、片腕で自分の顔を隠す様にして、背を向けた。
そしてリビングから去っていくのを、イオンはソファに沈んだまま、ぼんやりと見送るばかりだった。
体が、異常な程に熱くなって、胸が脈打っているのを感じた。
いつまでも、彼の舌の動く音色が耳から離れてくれそうにない。
夜は、長くなるだろう。
次回、ちょっとやりすぎないように注意しないとR18にしないといけないかも……。
もしくはR18用に別に上げたほうがいいでしょうか。
読者様からの助言や感想、求めます……。