11
ミラファルカに侵入した賊の人数は合計八名だった。迎撃に出たユーノスは停泊している三艘の船から降りてくる人影に対して、刹那の速さで攻撃し、愚かな狼藉者を仕留めたのだが、その数は合計六名。一艘に二人の賊が乗っていたのは間違いない。
ユーノスは宵闇の中、妖しく光る石竹色の髪を神秘的に靡かせて、軽やかに相手を熨していった。仕留めそこなった者はいないと考え、縛り上げた盗賊の長らしき人物に尋問をした結果、実は島の反対側からもう一艘の船が侵入していた事実を吐露した。
慌てて屋敷に戻ったユーノスが見たのは、すでに縛り上げられている盗賊の少年の二人だった。
「セドリック! イオン! 怪我はないか?」
開口一番に、ユーノスは慌てふためいたようにそう言ってきた。その取り乱し方は少々大げさではないかと思うほどでイオンは、まるで怯えたような眼をして飛び込んできたユーノスに、逆に驚いた。
「傷ひとつございません」
セドリックがやんわりと、笑顔を向けてお辞儀をしたのを確認し、ユーノスは少しだけその乱れた心を落ち着かせた。
ほっと一息つくその姿は、イオンにはとても印象的に見えた。
(本当に……怖がっていたんだ。私たちに、何かあったかもしれないって)
「イオン、お前も無事なんだな」
「はい。少し腰を打ち付けましたけど、大したことはありません」
「済まなかった。伏兵が潜んでいたとは、油断をしていたな」
ユーノスがイオンの身体に傷がないかを確かめるように、冷たい指先でそぅっと顔を撫でた。
「ユーノス様こそ、お怪我は?」
「ああ、脚を射られたが、もう癒えた」
そう言うと、ユーノスは穴の開いたズボンをイオンに見せた。そこには白い肌が顔を出している。矢が服と肉を裂いただろうが、もうユーノスの肉体は修復されていたのだ。
「……痛みは、ないのですか?」
「痛み? ……あぁ、ええと。たぶん」
イオンが心配するように、上目遣いでユーノスを覗いたが、ユーノスは曖昧な、惚けた回答をした。
イオンがそれを見て、更に心配する顔をしたので、ユーノスが気にするなと安心させる様に、穏やかな声で言う。
「痛みは恐らくあったのかもしれんが、分からないのだ。慣れてしまった。だから、イオンがそんな顔をしなくていい」
これまでも似たようなことで幾度となく怪我をしたが、その都度、肉体は修復される。いつしか、自分の身体を大事なものだと認識しなくなった。そうすると、痛覚すらもどうでもいいと思えるようになったのだと、ユーノスは言った。
「痛みに、慣れるなんて、良くないことです」
鈍感さは、自分だけでなく相手をも傷つける。イオンはそんな教えをキザシから受けていた。己の痛みを知り、苦しむからこそ、相手を思いやれるのだと。
もし、ユーノスがその痛みに対して、曖昧な感覚しかもっていないのだったら、それは悲しむべきことだろう。
「……」
ユーノスは、イオンの声に、少ししゅんとした。まるで叱られた子供のようだった。そうして、視線を眠りこけている二人の盗賊少年に移動させる。
「海岸の木に、こいつらの仲間を縛り上げている。明日、騎士たちに連行させよう」
「あの、ユーノス様が退治した盗賊たちも、このくらいの少年たちでしたか?」
「いいや、大人だ。おそらく、どこかの村の荒くれたちだろう、食い扶持に困り、ここを襲撃しようと企てた様子だった」
「やはり……」
まだまだ世の中には、生活に苦しむ人々がいるのだろう。
それがイオンのやるせなさを強くさせる。
「ユーノス様、襲撃者たちを騎士に引き渡す前に、少しお話をさせていただけませんか?」
「盗賊たちと何を話すというのだ」
「……幸い、私たちの被害は大したものではないですし……、その……事情が事情なら、赦してもいいのでは……」
「甘いな」
ぴしゃりとユーノスは言葉を斬った。今度はイオンがしゅんとする番だった。
「罪は、罪。このような者に容赦を与えれば、調子に乗って強奪を繰り返すぞ」
「そうかもしれません。でも……それは生活に苦しんでしまう状況のせいではないでしょうか」
「それはそうだろうが……」
「ですから、お話をしてみたいのです。本当に、この盗賊たちが、根っからの悪人なのか。少なくとも、私を襲ったこの二人は……私には極悪人のように思えませんでした」
イオンは穏やかな寝顔を見せる少年を見下ろして、ユーノスに嘆願した。彼ら二人は、イオンを襲いはしたが、命までは奪おうとしなかったし、巨漢のスタウトは「ごめん」とこちらに謝って来た。事情があって、こうするしかなかったのかもしれないと、イオンは考えたのだ。
「……まるで、物語の中の英雄みたいなこと言う」
「ユーノス様の、真似です」
「私はそんなに優しくない。詩人たちが脚色しただけだろう」
弱きを助ける英雄ユーノスの伝承は、海のように深い優しさを持っていたと謳っている。己に剣を向けてきた悪漢すら、優しさを説き、赦し、心を入れ替えさせた、と。
イオンはその姿に強いあこがれをもった。素晴らしい人物だと、慕ったのだ。だから、『痛み』に慣れてきたユーノスに、純粋な希望を向けた。
「話をするだけだぞ」
イオンの瞳に根負けしたか、ユーノスは軽く息を吐き出して、短く告げた。イオンは、ユーノスに感謝を述べてお辞儀をした。
雷駆が月明りに照らされて、神々しく輝いて見えたのが妙に目に焼き付いたユーノスだった。
――海岸付近までユーノスとイオンがやってきた。セドリックには屋敷で少年盗賊二人を見張ってもらっていた。
海岸には小さなボロ船が三艘と、木に括られる盗賊らが並んでいた。
数名は意識を失っている様子だったが、三名ほどは意識を取り戻して仏頂面をしていた。髭が蓄えられた長らしき男がギロリとユーノスに目を向ける。着ている服装もボロで、上半身はほとんどはだけている。
「お宝が隠してある島って来て見りゃ、こんなみょうちくりん野郎が居るとは思わなかったぜ」
ユーノスの髪を見て言う盗賊長は盗人猛々しく、唾を吐き捨てた。
「たしかに、矢が刺さったのに、足止めにもならなかった……一体なにもんだっ?」
長の横に括りつけられているひょろひょろとした男性が、ユーノスを不気味そうに見ていた。確かに矢を撃ち込んだはずの脚は、服が破れているだけで皮膚は無傷だったのが相当奇妙に思えたらしい。
「お前たちとは、場数が違うのだ」
ユーノスは冷ややかにそう言い、凄味を見せると、ひょろひょろの男は小さく悲鳴を上げて黙り込む。紅い瞳と、潮風にそよぐ石竹の長髪は、人間離れした雰囲気を更に強く演出した。
「殺す気か?」
長が低く唸った。
「頼む、殺すなら俺だけにしてくれ。他の奴らは俺が無理やり連れてきたようなもんなんだ」
髭面を歪め、盗賊長はユーノスに縋るような目を向けた。先ほどまでの太々しさはもう、見えなかった。
イオンが下げている剣を見て想像したのだろう。斬り捨てられるかもしれない、と。
「……イオン」
「はい」
ユーノスが声をかけ、イオンは静かに前に出た。
「なぜ、こんなことをしたのですか?」
「……俺たちゃ、レブレの村の生き残りだ。戦争で村を破壊され、暮らすための家や畑をなくした。それから何十年と村の復興のために必死に泥水啜って生きてきた」
イオンは捕らえている男たちの手をみて思った。たくさんのタコができている不細工な手は、これまでの苦労がそのまま形になっているようだ、
「ひもじい生活をしながら、毎日を過ごしてきたが、今度は疫病が村を襲った。女子供は、今も村で病に苦しんでる。俺たちゃ国に救助を頼んだ。でも、すぐにゃ動けねぇと突っぱねられたんだ」
「そん時、国が管理してるこの島にお宝をしまい込んでるって話を聞いた。金がありゃ国はダメでも医者は呼べる。俺たちは、一刻も早く救助が必要だったんだよ」
長の言葉に呼応して、今まで黙っていた筋肉質な男が続けた。その目は、救助に応えなかった国に対する怒りに滲んでいた。
「それで、ここを襲撃しようと思った。国なんか自分らの周囲だけが守られてりゃそれでいいって考えばっかりだ。俺たちみてえなツマハジキは相手にしちゃくれねえ」
「そんなこと、ありません!」
「知った様な口利くなよ、小娘!」
イオンの声に、筋肉質な男がいよいよ怒号を上げた。抑え込んでいた感情がぶちまけられた。彼らは今も苦しむ家族のために、何もできない自分を、殴りつけたいほどだったのだろう。
ギリリ、と奥歯をかみ砕くのではないかというほどに、歯切りをたてる男は、長が「黙ってろ」と言うと、そのまま押し黙った。
「頼む。俺が計画して、こいつらは俺に無理やり盗賊をやらされただけだ。助けてやってくれ」
「お前は死んでもいいというのか」
「ああ、俺の命で許されるなら、いくらでも殺されてやる」
長の言葉に、ユーノスは紅い瞳をそっと閉じた。
「皆さんの苦しみや焦りは、私には到底理解できないかもしれません。……でも、国があなたたちを無視したわけではないと思います。今は、どこも人手不足で苦しんでいるんです」
「……」
イオンの言葉は、拙いものではあったが、長は頷いた。本当はそんなことは分かっていた。自分たちよりも大変な状況に陥っている場所もある。
ただ、長は、村の家族を助けたいあまりに、焦ったのだ。
「そんな人手不足の時代だ。お前の命とて、失うのは惜しい」
ユーノスはそう言って、朧月を見上げた。揺らめく月光を浴びるユーノスのその顔は、月下美人と呼ぶにふさわしい、人知を超える麗しさを放つようだ。
「あんた……何者なんだ?」
「もはや何者でもない。……そう思っていたのだが」
ユーノスは男に返すというよりは、まるでその月に向かって語っている様子だった。
「レブレの村と言ったな。疫病の被害はいつからだ」
「もう三か月になる」
「分かった。すぐにでも往こう」
「な、なに?」
茫然とした男に、ユーノスはその美貌に満ちた顔を向けた。それはもう男性だとか女性だとか性別すら超える、神秘なるかんばせを魅せた。
「英雄ユーノス所縁の、この私最初の支援事業はレブレにしよう」
ユーノスはそんな風に言って、慈悲深く笑った。
イオンは、思わず見惚れた。ユーノスのその微笑は、まさに神像が携えたような、聖なる雰囲気に満ち満ちていた――。
その後――、ユーノスは屋敷にあるいくつかの調度品を持ち、支度を整えると、盗賊たちを引き連れて、島の外へと旅立っていった。
イオンとセドリックは、島に残され、ユーノスの帰りを待った。
それから一月、イオンは屋敷でセドリックから屋敷の仕事の手ほどきを受けながら暮らしていた。
セドリックは、イオンが居てくれて楽になったと言ってくれたのが嬉しかった。セドリックとの一月あまりの暮らしは、まるで祖父と暮らしていた時のことを思い出させてくれるイオンにとっても安らかな時であった。
急に旅立ったユーノスのことは、あれから一日たりとて思わない日がなかった。
毎日、ユーノスへの祈りを送り、彼がひもじい想いをしないように、愛と感謝を月に向けて祈った。
――そして、島にユーノスが帰って来たのは、やはりあの日のような朧月の浮かぶ、夜であった――。