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人と魔の混在する世界。生存権をかけた血なまぐさい戦争から五十年あまりが経過していた。
魔族との戦争に、人類は辛くも勝利することができたのではあるが、各地の戦の傷跡は今も生々しく遺っている。
劣勢にあった人類が勝利を掴んだのには一人の男の力によるものが大きい。知略と武力を併せ持ったその男は、魔族との戦争に於て一騎当千の活躍をし、魔族の王を単身で討ち果たしたのである。
その者の名をユーノスと云った。
ユーノスは魔族討伐の旅から凱旋し、伝説となった。その伝説となった彼の行方は誰も知らない。
その後の彼がどのような人生を歩んだのかすら――。
※※※※※
ジャヌルア大陸を統治する王国アウスラル。古代の人間は、この王国では時の流れが逆に進むと評した。年末年始の頃には非常に暑い夏の季節が訪れ、年の半ばでは雪が降り積もる冬がやってくる。季節感が逆転していることから他国の旅人がそのように広めたのであろう。
アウスラル王国の中でも辺境に位置するユーノシア領は、かつての英雄ユーノスが生まれた土地であり、今もその家系が統治している大陸東端の領土である。漁業が活発で港ではいつも騒がしい船乗りたちが怒号にも似た声で仕事をしている。
五十年前の魔族との戦争の傷跡はまだ遺っているが、そこに生きる人々は今、生命力に満ち満ちて生活をしていた。
「えっ、船が出ていないんですか?」
イオンは思わず聞き返してしまった。
アッシュブロンドの髪がさらりと揺れ、垢抜けないボブカットの少女は驚いていた。
「あの島は国から許可が下りなくちゃ船を出せないんだよ」
ジャヌルア大陸の傍に浮かぶ孤島ミラファルカ島。そこへ向かうために港町までやってきたというのに、渡船場の受付から、その島へは船を出さないと言われてしまい、イオンは途方に暮れる思いだった。
亡くなった祖父の遺言が記された手紙には、ミラファルカ島にいる知人を訪ねなさいとあったので、従ったのであるが、まさかその島が国の許可が下りなくては立ち入れないような場所であるとは想像もしていなかった。
(おじい様の友人が住んでらっしゃると手紙にはあったのに……。おじい様の友人って何者?)
イオンが受付前で困った様な顔をしていると、受付の男性が慰めるように言った。
「国に申請を出してもそれが通るのは一か月後……。そもそも、あの島への舟渡の許可が下りたことは無いんだ。諦めたほうがいいね」
「……そう、ですか……」
「しかしあの島に何の用事だい、お嬢ちゃんみたいな娘が行く場所じゃないと思うが」
「あの島に、祖父の知人が住んでいるんだそうで……訪ねようと思っていたんです」
イオンの言葉に、受付は眉をひそめた。
「ふぅむ……。確かにあの島には、御邸が建っていて何やら大層な方が住まわれているらしいが……。本当に、お嬢ちゃんの知人なのかい?」
イオンを値踏みするように覗き込んでくる男性に、イオンは少しばかり表情を強張らせた。
イオンとて、祖父の友人という人物がどういう人物なのかは知らない。国の許可が下りなくては立ち入れないような場所に住まう人物ということはかなりの位にある人物ではないだろうか。祖父は確かに戦争の時代、名を馳せた武人であったが、そんな祖父の友人とはどういう存在なのだろう。
祖父は首都から遠く離れた田舎で暮らし、イオンもその田舎で祖父と共に育った。両親はイオンが生まれて間もなく亡くなったので、イオンにとっては祖父は唯一の家族だった。
だがそんな祖父も天命を全うしその生涯に幕を下ろした。イオンは天涯孤独の身となったのだ。幸いにも、祖父からの蓄えはそれなりにあった。そして、代々受け継がれる剣が、イオンと家族たちを繋いでくれている。
イオンは旅姿に腰に家宝の剣を差している。しかし、彼女はまだ齢十五の少女と呼ばれる年頃に過ぎず、その剣はあまりにも不釣り合いに見えた。田舎で育ったイオンの身なりも、どうにも垢抜けなくて、とても重要な人物が住まうであろう島へ足を踏み入れるだけの拍がある人物には見えない。
「わ、私というか……祖父の友人なので……」
「まあ、どちらにしてもあの島への船は出てないよ。例外はあるけどな」
「例外……?」
「時折、買い出しに来るんだよ。あっちからね。その船に頼みこめば、話くらいは聞いてくれるんじゃないかな」
なるほど、離島で暮らすにしても、何かしらの物資は必要になるだろう。そういう時に、この港へミラファルカ島から調達にやってくる船があるということか。
その船の持ち主に、話でもできれば遥々ここまで来た甲斐もあることだろう。
「ありがとうございます。その船を捜してみます」
ぺこりと頭を下げるイオンに、受付は掌をふらふらと振って見せた。あんまり期待はするなよ、と目が告げていたが、イオンとしては、話ができるだけでも十分だと思った。
船着き場まで移動すると、心地よい潮風が肌を撫ぜていく。今日は天気もいいし、波も穏やかだ。物資の調達にやってくるのならば丁度いい日取りではないだろうか。
「あの島、か」
海の向こうに見える離島を眺め、イオンはぽつりと零していた。
く、と腰の剣の柄を握った。この形見が、イオンのイオンである証明にもなる何よりも大切な剣。かつて剣豪と呼ばれた祖父キザシが戦で振るった命。
これからはイオンは一人で生きていかなくてはならない。
これはそのための第一歩。イオンにとっては、人生という戦場へと向かうための儀式のようにも思えていた。
――船乗りたちから聞き込みをすれば、例の島からやってくる船の特徴はすぐに分かると目印を教えてもらった。
小さな渡り船ではあるが、樹木を象った文様が彫り込まれているらしく、特に目を引くはずとのことである。
ぼんやりと船着き場で船を待っているのも寂しいので、イオンはこの街を少しばかり観光してみようと考えた。
なにせこの街は、かの英雄ユーノスの故郷なのだ。
ユーノスの英雄譚はイオンも好きだった。かつて一度吟遊詩人が詠ってくれた英雄譚は、幼かったイオンを夢中にさせて、女だてらに剣の稽古を祖父にねだったものだ。田舎町での暇つぶしなど数えるほどしかないし、イオンの祖父が名剣豪であったこともあり、イオンは幼少からそれなりの剣の技を磨いて来た。
この剣の技術でなにかしら仕事ができないだろうかとも考えているが、いかんせんイオンはまだ十五の小娘と言われても仕方ない。そんな少女の剣術を買ってくれるような場所はまずないだろう。
まだ蓄えはあるとはいえ、流石に何もせずに生きていくようなことはできない。なんとかして、自分で食い扶持を稼げるようにならなくてはならない。
祖父からの手紙には、天涯孤独になってしまうイオンを心配してか、かつての友人を訪ねるようにと書かれていたものの、イオンは祖父の友人にお世話になるつもりはなかったのだ。
自立し、生きていこうという責任感が強かったイオンは、いくら祖父の友人とは言え、まったく馴染みのない自分の面倒をみてほしいなどと頼めるはずもない。
今回、態々この港町に足を運んだのは、その祖父の友人に世話になるためではなく、祖父の友人に、祖父が鬼籍に入ったことを伝えるためにやってきたに過ぎない。手紙でも良かったかとも思うが、イオンもまだ若く、旅に憧れたので、田舎町を飛び出してこの活気ある港町で働いて行こうという目算もあった。
「何か私にもできるような仕事があれば……」
港町をふらふらと歩いて回れば、宿や酒場、賭場や自警団など、色々な場所が目についた。奥のほうまで行けば造船場もあるようで、仕事はいくらでも探せば見つかりそうだったので、イオンは目を輝かせながら、自分に合う仕事を捜して回っていた。
若い女性でも働ける仕事……。ふと目についた『若い女性求む』の張り紙を確認すると、それは娼婦の仕事でありイオンは思わず目を背けた。
(流石にそういうのはできない)
次に目を引くのは農場での仕事だ。だがイオンはこれも目を背けた。
(これだったら、故郷の田舎でも働き口があるし……)
せっかく活気ある港町まで来たのだから、華やいだ仕事をしてみたいものだ。
例えば……お屋敷の庭師なんてどうだろう。美しい花壇や果樹を世話して、高貴なる方々にお仕えするのは心惹かれるものがある。
最も、そんな仕事に自分が就いているというのは空想だけでしかできず、実際にそうなることは無理な話だろう。
天涯孤独の自分を貴族社会が受け入れるはずがない。彼らは家柄と名声がなくてはお近づきにすらなれない存在である。
「現実的に見れば……酒場のウェイトレスかな」
くう、と腹の虫が鳴いた。そう言えば今日は朝から何も食べていない。そろそろどこかで食事を摂ってみるのもいいだろう。
丁度、酒場のウェイトレスという発想があったからか、イオンは漁港から離れた位置にある食事処に足を運びだした。そこでは海産物を新鮮なまま提供する居酒屋が立ち並び、ウェイトレスが注文を取っている姿も目に映る。
どういう仕事なのかを把握することもできるだろうし、そこで食事を摂るのは一石二鳥と言えた。
――新鮮な魚介に満足したイオンは、ぐるりと街を散策してから再度港の船着き場まで戻って来た。
すると、そこには船体に樹木の文様を盛り込んでいる渡し船が停泊しているのを見付けられた。あの文様は恐らく伝承に伝わる『生命の樹』をモチーフにしているのだろう。この港町では至る所で見ることができる文様で、この領のシンボルらしい。
「あれだ!」
思わず船に駆け寄ったイオンは、その船に誰も乗っていないことを確認し、船の持ち主が戻って来るまでを待った。
やがて日が沈み始める頃、一人の老人が荷車を携えてこちらへと向かってくるのを見付けた。
年の頃は六十ほどだろうか。亡くなった祖父と近しい年齢だとイオンは思った。ひょっとすると彼こそが、祖父の友人なのかもしれない。
「すみません。初めまして。私、イオン・コンチネンタルと申します」
礼儀正しく挨拶をして、イオンは頭を下げる。すると、老人は少々驚いたような表情で眉を吊り上げたが、物腰柔らかな態度で返事をした。
「これはこれは、わたくし、セドリック・ソルスティスでございます。失礼ながら、初対面とお見受けいたしますが……」
「は、はい。突然のご挨拶、ご無礼をお許しください。実は、祖父のキザシによりますと、あちらの島に祖父の友人が住んでいらっしゃるとうかがいました。それで、そのご友人の方に祖父のことをお伝えしようと……」
「は、ご友人、とな……。なんと……」
イオンの言葉に、相手のセドリックと名乗った老人は今度こそ、驚愕の表情を露にしていた。そして、イオンをしげしげと観察するように視線を這わせると、腰の剣に着目した。
「もしや、その剣……『雷駆』では!?」
「は、はい。ご存じなのですか? では、もしかして、セドリック様が祖父のご友人……」
「な、何をおっしゃいます! わたくしはただの使用人。キザシ殿とは聖剣キザシ殿のことでございましょう!?」
セドリックの高揚した声に、今度はイオンが逆に驚きの表情を浮かべることになってしまう。確かに祖父キザシはかなりの剣豪であったと聞かされていたのだが、『聖剣キザシ』というのはどういうことなのだろう。
「そ、それでキザシ殿はご健在でいらっしゃるのでしょうか」
「あ、その……祖父は亡くなりました。そのことをお伝えしようと、やってきたのですが……」
「そうでしたか……ご冥福をお祈りいたします」
セドリックは、痛みを堪えるように胸に手を当て、頭を垂れた。
そして、暫しイオンの顔を見つめ、なにやら考え込む様に、視線を落として黙り込んだ。
イオンがもしや迷惑だっただろうかと、身を引こうとしたときだ。セドリックはニコリと笑みを作り、イオンを促すように手を差し伸べた。
「キザシ殿の御令孫とあれば、主人も喜びましょう。どうぞ、船へお乗りください。お屋敷へとご案内いたしましょう」
「あ、ありがとうございます……」
何やら話が大きくなってきたように思いながら、イオンはセドリックに促され、樹木の文様で飾られた船に乗り込むことになった。
夕方の海の風は冷たく、向かう島の影はどこか不気味にも見えた。
祖父の話を『友人』へ伝えることは、そこまで大きな話ではないと考えていたイオン。彼女にとっては、この後、自分の人生の身の振り方を考える事に頭を使っていたのだ。
だが、それが大きな間違いであることを、その後知ることになる。
その『友人』がとんでもない人物であると共に、己の人生を塗り変えてしまう『運命』を握っていたとは思いもよらなかった――。