狐の嫁入り.3
女に湯浴みを手伝われ、薄衣一枚という心許ない姿に身をやつしたお絹扮する梅は、蝋燭の火が一本だけ灯された部屋の中でぼーっと正座をしていた。
目前には丁寧に敷かれた真っ白な寝床が何故か一つ。
弟共の言葉が蘇る。
(流れに身を任せるべし……だっけか?えーとあとは、)
鳴くことを忘れるべからず。と。
鳴く、とは一体何のことだろう。鳥の鳴き真似でもして見せればよいのだろうか。梅は首をかしげた。
そもそも梅は、弟共からただ大人しくしていろとの指示を受けただけで、こればかりは何の説明も受けていないのだ。
「……すみません。お待ちしたでしょう?」
室内の戸が静かに開かれたのと、柔らかい声が降ってきたのはほぼ同時であった。
「い、いえいえ!さほどは……」
びくりと肩を揺らした梅は、慌てて取り繕った笑みを浮かべ、そこに現れた勘兵衛を見上げた。
勘兵衛の方も湯浴みを済ませたのか、濡れ羽色の髪はしっとりと水気を帯び、頰も心なしか上気しているかのようだ。
それがぼんやりとした灯火によって照らし出されことによって、否応もなく見せ付けられた色気に、梅は胸にある心臓が一度だけ大きな音を立てたかのような錯覚を覚えた。
「やれ、これからは妻ある身で、恥じるような行いをしてはならないだとか、ますます精進を重ねるべきであるとか、散々言われておりましてね」
苦笑いをしながら、勘兵衛は梅の目前に腰を下ろす。
一方の梅は、それに「は、はぁ」と曖昧な頷きを返した。
涼しげでどこかひやりとしたものさえ感じさせる容貌の割には、やけに饒舌である。
宴の席で随分と酒を飲まされてきたせいだろうか。にわかに漂ってきたのは、確かに酒の匂いであった。
(よくあんな不味いもんを飲めるなぁ……)
妙な匂いを発する上に、飲むと必ず喉の方がひりひりと焼け付く。
弟らはそれが大の好物であるが、梅にとっては不味いとしか言いようのない代物だ。
「お絹どの」
「は、はい?」
呼ばれたので返事をすると、いつのまにやら勘兵衛の身体が随分と近くなっていることに気付いた。そして酒の匂いに混じって微かに香る、不思議な甘い匂いにも。
「旦那さま?」
思わず大きく息を吸い込んで嗅ぎたくなるような香りに、視界がくらくらと軽い目眩を起こす。これも酒のせいだろうかと考えているうちに、すっと勘兵衛の指先が梅の頬に伸びた。
「どうか私のことは勘兵衛、と名でお呼びください。折角こうして夫婦となれたのですから」
そのまま指先は頬の輪郭を撫でろように辿り始め、梅は顔が赤くなっていやしないか、この不規則に鳴り始めた胸の鼓動が相手に聞こえてしまうのではないかと、平常心を装うのに必死になっていた。
今ひとつ把握してはいないというのに、こんな役目を押し付けた弟共が実にうらめしい。
(でも、ここでばれたらきっとあいつらに馬鹿にされる)
いけないいけないと何とか気を持ち直した梅は、笑みを添えながら言われた通りに口を開いた。
「はい、勘兵衛さま」
「お絹どの……」
とうとう鼻先が触れ合う寸前まで勘兵衛の顔が近付き、不意にとん、と肩を軽く押される。
対して力など感じなかったのに、梅の身体はいとも簡単に敷かれた布団の上に横たわることとなった。
頭の横に勘兵衛の手が置かれ、両足の間にはその男の片足が置かれている。
これでは身動きが、と悠長な事を考えている隙はとうになくなっていた。
(ど、ど、どうしたらいいのー!?)
ぐるぐると思考が頭の中を駆け巡る。
もはや先程の威勢の良さはない。
冷や汗が背中から湧き出るような感覚さえ覚えてきたそんなとき、微かな音色が耳の中に滑り込んできた。




