狐の嫁入り.2
「あーはっはっはっ!ふつー飲み干すかねえ?」
「かねえ?」
「何なのよあんた達っ!知っていたんなら教えてくれれば良かったじゃないの!」
だってなぁ?なぁー?と声を揃え、顔を見合わせて言う二人の弟に、無人を見計らって縁側に腰掛けていた十五、六程の平凡な顔立ちをした女は、頭を抱えていた。
ぴっちりと着付けられた白無垢の花嫁衣装などもはや着崩し、胡座をかいて座る様はこの屋敷の人間が見れば、間違いなく目をひそめる光景だろう。
聞けばあれは、“三三九度の盃”と呼ばれ、通常は夫となる者と交互に三回ずつ、飲まなければいけないもので、最初に飲み干してはいけなかったものらしい。
知らなかったとはいえ、全くの大恥である。
「人間の間だと常識だぞ、あれは。知らなかった梅姉が悪いじゃろ」
「悪いじゃろ、悪いじゃろー」
腰に手を当て偉そうに物を言うのと、ぴょんぴょんと軒先の庭で飛び跳ねているのは、四つか五つ程の金の目をした二人の幼子である。
竜胆色の着物を見に纏った彼らは、眉、顔形、背丈、と一寸の狂いもなく瓜二つの容姿をしており、姉である女でさえ、見分けることは難しい。
ただ喋り方には相違があるようで、口を開きさえすれば見分けることは容易だ。
ちなみによく喋る方がたけ丸、その語尾を真似て繰り返すだけなのがちく丸という。
梅姉、と呼ばれた女は膨れ面をしながら、ぼそりと呟いた。
「失敗、したと思う?」
んん?と首を傾げわ口を開いたのは無論たけ丸である。
「さぁ、どうじゃろうな。じゃが、あのぼんぼんが取り成してくれたおかげで、問題はなさそうじゃったが……のう、ちく丸?」
「じゃった、じゃった」
ぼんぼん、というのはまず間違いなく梅の隣にいた男のことを指している。
ここらで名を知らぬ者はいないという、豪商銭屋の跡取り息子ーー勘兵衛。
確かに彼女の失敗を除けば、あのあと男が朗らかな笑みを浮かべて、提下から盃に酒を注ぎ、自らも何故か一息に飲み干してくれたおかげで、あれから祝言の儀はつつがなく終わり、晴れて梅は勘兵衛と夫婦の契りを交わすことが出来たのだ。
初々しい娘が緊張のあまりしでかしてしまったこと、とでも思ってくれたのだろうか。あの場にいた各々らに、不信の芽を抱かせることはなかったようなので、幸いだった。
ふぅ、と梅は息を吐いて空を仰ぐ。
空はすっかり宵に染まって、雲一つない、良い月見日和である。
「さてと、もう一仕事かなあ」
小さくぼやくと、性根の悪い弟二人がにたりと同時に笑みを浮かべた。
「粗相をするでないぞ、梅姉?」
「するでないぞー」
全く小煩い弟共である。
梅はつい向きになって、言い返すべく口を開いた。
「分かってるわよっ!あんた達の方こそーー」
「ーーお絹さま、お絹さま。こちらにいらしたのですか」
余計なことはしないでよ、そう言の葉を次ごうとした梅は、はたりと口を閉ざした。
お絹さま……?あ、あたしのことだっけ。
そういえばここでは偽名を使っているのだったと思い出した。
やってきたのは女中、であった。
すでに、先に人の気配を機敏に感じ取った弟共の姿は庭にはなく、梅は知らず胸を撫で下ろす。
まぁ、小煩い上に逃げ足も速いのでそんな心配は無用であるのだが。
よもや先程の会話を聞かれていたのではないかと、傍に現れた老齢の女中の顔色をこっそりと伺うも、どうやらここには今しがたやってきたばかりであったらしく、梅の様子に、女中はお絹さま?と首を傾げているだけであった。
「あ、ああ。ごめんなさい。それより、どうしたの?」
「いえ。宴の最中に一人、出て行かれてしまわれたので……旦那さまがもしや酔い気にあてられたのでは、とご心配をしておりましたよ」
「そ、そうなの。ちょっと疲れたから、こちらで少し休んでいたところだったの」
「まぁ、そうでごさいましたか。私どもめに言って下されば良かったのに。何もかも初めてのことばかりでしょう?」
初めて、という言葉に梅はうっと言葉に詰まる。
もしや盃のことか。と咄嗟に考えた梅は、誤魔化すように笑みを浮かべることにした。
「そ、そうね。初めてだったから。それはそうと、ここにいたら幾らか気分が良くなったみたいだわ、あはは」
それはようございました、と女中。
「あとで旦那さまにはそうお伝えいたしましょう。ささ、お絹さま、そろそろご支度をしに参りましょう?」