第三章 闇からの宣告 2
「アイーシャは、城の中で待機ね。ふふっ、私の作り出した天界へと続いていく、雲の中を彷徨っているのでしょうね。ねえ、ルブル。そろそろ、時間じゃないかしら。イゾルダは、すでに準備を終えている。緑の悪魔は、もう飛んでいってしまった」
メアリーは、静かに大きな鉈を研いでいた。
鉈は何も無い暗闇から浮かび上がり、瞬時に消え失せていく。
それが、彼女の力である『マルトリート』という能力だった。
ルブルは死体を好きなようにデザイン出来る。
ルブルの力の名は、『カラプト』と言う。
二人は、ドーンへと戦いを挑もうと考えていた。
二人がいる場所は、塔の上だった。
空には、満月が浮かんでいる。
とてつもない静謐に包まれた、美しい夜だった。
塔の上には、ルブルが用意した二人乗りの乗り物が置かれていた。
それは、皮膚も肉も内臓も無い、翼を持った白骨の竜だった。
ルブルが最初にその怪物に跨る。
続いて、メアリーも、その怪物の上に乗る。
これから、アサイラムを襲撃しよう。
とてつもない高揚感が、二人を支配していた。
†
彼女は、炎の翼を広げながら、一人の男の胸倉を掴んで、大海原を渡っていた。
緑の悪魔は、イロードという男をひきずりながら、この地へと訪れた。
そこは、アサイラムという場所だった。
砂浜によって覆われている。
所々に島がある。
どさっ、と彼女は捕まえてきた男を地面へと投げ捨てる。
イロードは、ハンターの一人だった。
グリーン・ドレスは、彼を捕まえて、この場所へと案内させた。
何名もいたハンターの中の一人が彼だった。
何でも、アサイラムから派遣されてきた者らしい。
グリーン・ドレスは、余りにも簡単に彼の仲間を焼き殺してしまった。
彼女は、イロードを用済みだと判断して、適当に投げ捨てた後、砂浜を徘徊していた。
遠くには、確かに建造物が見える。
取り敢えず、そこに行けばいいのだろうか。
風を切り裂く音が聞こえた。
刀を持った、精悍な顔の男が、彼女を見据えていた。
「あなたはなあに?」
「俺の名前はレウケーだ。『グラウンド・ゼロ』という力を使える」
グリーン・ドレスは、気付くと、一面が小さな山によって囲まれている場所にいる事に気付いた。
爆撃が走っていく。
グリーン・ドレスは、それを受けて笑っていた。
「なあに? それ」
レウケーは認識する。
どうやら、この女は、レウケーの攻撃を飲み込んだ、という事に。
「私の肉体は、炎を吸収するのよ。覚えておく事ね」
レウケーは、焦りながらも、次の戦略を練る事にした。
この辺り一帯は、岩山に囲まれている。
そこで、岩石を削り取って、彼女にぶち当てる事だった。
レウケーは爆撃を繰り返しながら、砕いた岩の雨を、グリーン・ドレス目掛けて、降り注いでいく。
女は笑っていた。
嘲笑っていた。
全て、背中から拭き出す炎の翼で、弾き飛ばされてしまう。
気付くと、レウケーの前に、女が立って、彼を見下ろしていた。
「弱いのよ。自己陶酔野郎。自分が強いと思い込んで、マス掻いていろよ。つまらないのよ、弱くて、弱くて、どうしようもないのだから」
ぺちゃっ、と、女は、彼の顔に唾を吐く。
屈辱を感じるよりも先に気付いたのは、吐かれた唾が、レウケーの頬で燃え始めている事だった。
彼は、必死で、それを拭う。
気付くと、女は、翼を広げて、何処かへと向かっていこうとしていた。
緑の悪魔は、何処へと飛び立っていってしまった。
後には、レウケーが一人、取り残されてしまっていた。
彼は悔しさの余り、地面を何度も、叩き続けていた。
†
ケルベロスは、東棟の辺りを歩いていた。
周囲には、清掃夫の囚人や散歩で何気なく歩いていた囚人達が何名もいた。
確かに、警備機械からの情報によると、何者かが侵入していると聞かされている。ただ、闇雲に行動に移すのはよくない事も分かっていた。
警報機が鳴っている。
何者かが、近付いてきていた。
それは、さながら、飛来する隕石のようだった。
どうしても、人がやってきたとは思えなかった。
隕石のようなものが、次々と、アサイラムの強化ガラスを破っていく。
それは、炎の弾だった。
見事なまでに、鉄甲弾さえ安々と防ぐガラスが刳り貫かれていく。
外を見ると、背中から、炎の翼を噴出させた女が浮かんでいた。
「あらあら、あらあら、どうしたのかしら? ねえ、そこの醜悪な体型の変な動物。私が知る限り、写真で見たのだけれども、あなたって、此処を統治している醜い変な生き物に似ているんだけれど、当たっている?」
「ああっ、……俺の事か?」
ケルベロスは、思わず、声が裏返る。
「私の名前はグリーン・ドレス。“瘴気を撒く者”。さてと」
彼女は、赤にオレンジが混ざるロングボブの髪を撫でていく。
「内臓、地面に撒き散らしてやるよ」
そう言いながら、彼女は、強化ガラスを叩き割って、中へと進入する。
「はあーい、足蹴にして踏み付ける価値も無い豚共、お前らは肉料理の材料にする価値も無い。全員、真っ黒なシミへと変わっていけよ」
清掃夫をしていた囚人が、彼女を見つけて走って逃げる。
彼女は、指先から何かを飛ばすと、その囚人の上顎から上は、何処かへと吹っ飛んで消え失せていた。どうやら、壊した強化ガラスを投げ付けた、という事を、周りの者達は理解する。
そして、彼女は、両腕の肘から炎を噴出させながら、ケルベロスへと襲い掛かる。
纏っている羽飾りのようなものが、炎へと形を変えていき。更に、ククリナイフのような鋭さへと変わりながら、彼女が左腕の羽飾りを叩き付けた壁が、鋭利に切り裂かれていく。
ケルベロスは落ち着き払った顔で、身を翻すと。
一瞬にして、距離を縮めて。
グリーン・ドレスの腹の辺りに、掌を撃ちこんでいた。
彼女は、ぐるっ、と一回転しながら、壁に叩き付けられる。
そして、鼻血を拭きながら、こめかみをひく付かせて立ち上がる。
「ああっ? ふざけやがって、弱い分際で。よくもよくも、この私を。挽肉のバーベキューにしてやるよ。ゲロ臭いタンカスがっ!」
グリーン・ドレスの全身から、ぶすぶすっ、と煙が吹き上がっていく。
ケルベロスの背が押される。
「どいてろっ!」
現れた彼女は、右腕を掲げていた。
「いくぜっ! 『キルリアン・ストリーム』ッ!」
漆黒に血のような赤の模様を垂らしたTシャツに、同じような柄のアーム・ウォーマーとレッグ・ウォーマーを身に付けて、両耳にナイフや十字架のピアスを大量に付けている少女だった。髪の毛はオレンジ色に、薄いパープルを混ぜている。
その女は、右手の先から、漆黒の光を集めていた。
そして、次の瞬間。
グリーン・ドレスの全身に、インソムニアが放った負の光弾が撃ち込まれていく。
緑の悪魔はそのまま、割った強化ガラスの穴から放出されて、空高く舞い上がって、遠くへと飛ばされていった。
†
メビウス・リングは、アサイラムの中にいた。
彼女は、普段、あらゆる場所を彷徨っている。
ドーンを守るのは、アサイラムを守る行為だけではないからだ。
しかし、今はアサイラムを明確に襲撃する、というメッセージが送られてきている。それは、確かなものなのだろう。
彼女は、アサイラムの施設の中にあるテラスにいた。
此処には庭園があって、囚人達がラグビーやバスケなどに興じている光景も見える。
そして、青空をひたすら眺めている。
空を見ていると、何かがおかしかった。
それが、光の屈折の仕方だとか、雲の流れだとか。
明らかに、在りえない何かが起こっている。
メビウスは、しばらく様子を見ようと思っていた。
あるいは、此処に近付いてくる者達は、自分をこそ第一の客の一人として、招きたいのかもしれないのだから。
†