第十九章 終幕へと…… 4
ラジュリは震えながら項垂れていた。
ミソギからの連絡が途絶えている。
これから、ケルベロスとの戦いに挑むのだと言っていた。
けれども、一抹の不安が彼の中には過ぎっていた。彼はミソギの弱さを知っている。知っているからこそ、勘付いたものがあったのだから。
「あれっ、もしかして。ミソギさま、あたしを置いていかれた……?」
ラジュリは通信機を取り落とす。
涙がぽろぽろと溢れ続ける。
とても頼もしい男だった。けれども、もうラジュリに何もしてくれないのだ。
かつり、かつりと、地下のアジトにやってくる足音が聞こえる。
「ふん、もういい加減にしたらどうだ? お前はミソギの右腕だろ? お前が死ねば、奴の組織はかなり弱体化し、無力化する事が出来る。そういう事だ」
ホビドーは冷たい眼で、散々、追い詰めた男の顔を見下げていた。
「もうお前は終わっているんだよ。俺の『アシッド・フィールド』に喰われるだけだ」
一切の慈悲も灯らない処刑人の眼。
それを強く、ホビドーは宿していた。
ラジュリは、目の前にいる男を空ろに見ていた。
どうやら、この男は追跡に掛けては、かなりの手腕を持っているらしかった。だから、少ない痕跡からでも、散々、ラジュリは彼との鬼ごっこに付き合わされていた。
けれども、今や完全に追い詰めた。
「ほら、もう離さねぇよ。言われたかった言葉だろ?」
ホビドーの周りを飛んでいるものが、今やはっきりと見える。
それは、スズメバチの大群だった。
蜂の群れが、パワード・スーツを破り、酸性の霧のように舞いながら、敵を喰い尽しているのだ。
ラジュリは、わなわなと震えていた。
ミソギは、ケルベロスの手によって敗北した。そして、おそらくはもうこの世界にはいない。彼のいない世界になんて、どれ程、意味があるのだろうか。
ゴミのような人生に光が刺し込んだような気がした。
何よりも、ラジュリ自身、金が好きだった。それによって手にする貴金属類なども好きだった。そして、それらを楽しそうに手にするミソギの顔を見るのが好きだった。
「スズメバチだが、何だか知らないけれども……やってやるわ……」
ラジュリは、いつの間にか、左手に何本かの小瓶を手にしていた。
そして、それを床に取り落とす。
「こうなったら、あなたも道連れよ。ウイルスの生物兵器のサンプルは手にしていた。抗体も何も無いわ。ペスト菌だって、殺すのに、早くて数日かかるけれども、これは……」
ラジュリの皮膚が紫色に染まっていく。
ホビドーは無言のまま、彼を見ていた。
蜂達が、ぼとり、ぼとりと、ウイルスに感染して地面へと落ちていく。
ホビドーは、むうっ、と唸った。彼の全身もまた、紫色に染まっていく。
全身に悪寒が走り出す。
どうしようもないくらいの、眩暈もしてくる。
「その薬品の中身、何とか、全て押収しなければならないな、ふん」
ホビドーは首を鳴らしながら、何とか眩暈感を振り払おうとしていた。
ラジュリは自らの散布したウイルスで絶命していく。
一方……。
ホビドーは、蜂に自らの肉体を刺させていた。彼の肌から、紫色の斑点が消えていく。
「俺自身なら彼らは治療する事が出来るんだ。俺は有害物質汚染地域の派遣員をやっていた。イゾルダの生体兵器の処理も任されたのは、それも理由だったんだよ。下らない事をするもんだな」
この街には、麻薬カルテルが巣食っている。
かなり、危険な区域だったが、反面、多くの住民は長閑な生活を送っていた。
やがて、ラジュリが撒いたウイルスが広がっていくだろう。
しばらくは、此処も危険区域になる筈だ。
どうしたものか、と、ホビドーは頭を抱えたものだった。
しかし……、何とか彼らの組織を追い詰める事は可能だった。
この組織を封じ込めれば、……大量破壊兵器の流出を防ぐ事が出来る筈だ。
ホビドーはどの国にも所属していない。その事にも意味があった。
戦争を防げる国が、幾つもある筈なのだ。とにかく、自分が出来る事をやるしかなかった。
アジトの外には、灰色の雨が降り注いでいた。この雨がいつも、抗争によって撒かれていく血を洗い流しているのだろう……。




