第十七章 そして、舞台は回転する。 3
散らかった部屋の中に、彼女はいた。
先ほどまで、延々と、テレビ画面を見続けていたのだった。
菓子パンの食べカスなどが無造作に転がっている。
汚れたパソコンやゲーム機が置かれ、脱ぎ捨てられた服が堆積物のように積み上げられていた。
インソムニアは、セルジュの宣戦布告の放送を見ていた。
マシーナリーという場所も調べていた。
彼女は、どう動こうか考えていた。
……面白くねぇ。グリーン・ドレスは死んだし、アイーシャはもう、私と戦うつもり無いだろうな。
あのアイーシャという女に、一泡吹かせてやりたかった。
けれども、相手はもう敵対する理由が何も無いのだろう。
彼女はただ、楽しみたいだけだった。だから、ドーンの中では浮いていたのかもしれない。
胸がざわめいている。
拍子抜けするような態度に腹が立ってしまっているのか。
………………。
……………………。
インソムニアは立ち上がって、部屋の外へと出て行く。
いつまでも、引き篭もってばかりはいられない。自分が臆病風に吹かれたわけではない事を示してやる。彼女は、そんな事を考えるのだった。
†
アサイラムを出てから、数日後の事だった。
ケルベロスは、マシーナリーのハイウェイをジープで進んでいた。
そして、人影を見つけてエンジンを止める。
そして、彼はジープから降りる。
「お前らは何だ?」
迎え撃ってくるであろう敵は何名、何体もいる筈だ。
だから、これは予定の範囲内ではあった。
「ラザー・ホーン」
「ガンギャ…………」
ひたり、ひたりと歩いてきたのは。
全身がぐしゃぐしゃにひき潰された大男と。
首半分が切れた、風を纏った男だった。
「……まだ使える、って、再利用された…………」
「いっそ、石になったり、蒸発してしまった方がよかったなぁああぁ」
ゾンビだ。
おそらくは、討伐隊達の成れの果てだろう。
「お前ら、まだ意識があるのか? …………」
ケルベロスは明らかに、迎撃に躊躇を示す。
「おま、お前、殺したら。楽にしてくれるって」
「ああ、ううぅあああっ」
「そうか」
ケルベロスは両手を合わせる。
「今、楽にしてやる。お前達に神の慈悲があるといいな」
彼は、両腕から刃を生やす。
「まあ、待てよ」
ケルベロスは、新たに現れた男の姿を見る。
その男は無造作にショット・ガンを構えながら、高級ブランドの黒いスーツに、白いシャツを着崩していた。
「お前は…………?」
ケルベロスは思わず構えの姿勢を取る。
男はポケットから何気なしに、葉巻を取り出して火を付ける。
そして、煙を吸いながら空ろな顔をする。
「よう、お前、ケルベロスだろ。なあ、お前も吸うか?」
「何だ、それは」
「いい草だよ。マリファナだ。不純物が無く、良い農地で栽培した奴だ。まあ、場所によっては破格の値段で手に入るけどな」
「そうか。俺はマルボロしか吸わない」
男は、はっ、と、鼻で笑った。
「ケルベロス、お前の事は知っている。お前はアサイラムの暫定的な所長をしている偽善者なんだってな? 俺はお前のような奴に、結構な好感を持っているぜ?」
「処で、お前は何だ?」
ケルベロスは首を捻る。
「俺か。俺は武器商人。裏の世界ではそれなりに名が通っている。知らなかったか? 能力者じゃないから、ドーンやアサイラムは俺の事はノー・マークか? 普通の警察組織には目の仇にされてるけどな。もっとも、地域によっては警察連中にブツを垂れ流して、よろしくやっているけどな。一応、名はミソギと言う」
ケルベロスは、一瞬、驚愕の表情になる。
……無防備過ぎるぞ? 今の今まで、正体が掴めなかったのに……。以前のアサイラムも、ミソギという男の尻尾を掴むのには、執心していた筈だ。
ミソギはマリファナの煙を吸い続けながら、うっとりとした顔になる。
無造作だ。
持っているショット・ガンも普通の物にしか見えない。
もし、ケルベロスがその気になれば、簡単に首を落とす事くらい出来てしまいそうだ。
彼の前にいるゾンビ二人は、うろたえているみたいだった。
「とにかく、俺、達はぁ、がががっ、ああああっ、ル、ルブ、ルに、これからくる奴をぉ、ころ、殺すように、言われている。邪魔するなよぉ」
「ああ、見ていてやるよ」
ガンギャと名乗った男は、顎が砕けていく。
彼は切断され掛かった首の傷に、風を集めていた。
そして。
真空波を、ケルベロスへと飛ばしていく。
ケルベロスは、難なく、それを避けていた。
ラザー・ホーンと名乗った男は、頭から二つの角を生やす。そして、ケルベロスへ向かって突撃してくる。
……敵じゃないな。
ケルベロスは、そんな事を考えていた。
武器商人と名乗った男は、マリファナを吸いながら此方の様子を伺っているみたいだった。ゾンビ二人を使って、ケルベロスの戦いを観察したいのだろうか?
ミソギはおもむろに、ショット・ガンをくるくると回すと。
引き金を引いて、ガンギャの頭を吹っ飛ばしていた。
首無し死体となったゾンビは、よろめきながら全身から旋風を放ち続けていた。
「ははあ、凄いな。あんなんなっても、まだ動いているのか。ルブルは酷い奴だな」
彼は、いつの間にか、手榴弾を手にしていた。
そして、ラザー・ホーンへと投げ付ける。輪っかのようになって、何本も吊り下げられていた。
手榴弾が爆発し、ラザー・ホーンの肉体が粉微塵になっていく。
それは余りにも、無慈悲に行われていた。
ケルベロスは、露骨に不快そうな顔で、ミソギを見据えていた。
「お前はダートなんだろう?」
「そうだな。ルブルは十三名まで集めるとか言っていた。目的のよく分からない構成員の一人、って事になっている。まあ、それはいい。俺はルブルのお陰で、随分、儲けさせて貰ったからな」
「何だと?」
ケルベロスはいぶかしむ。
「ああ、核や細菌兵器を買いたがる国が異様に増えた。開発に勤しむ国もな。全て、ルブル達の侵略のお陰だ。お陰で俺の懐には金が沢山、転がり込んできている。俺は複数の会社の社長の顔も持っているからな。兵器が売れる、ってのは良い事だ。企業を大きく出来るからな。俺の会社は今や世界中へと侵攻している、ってわけだ」
ミソギは葉巻をがりがりと齧っていた。
「それはとても聞き捨てならないな」
「そうか。なあ、アサイラムの資源にも興味があるんだけどな。犯罪者共が有能なんだろう? コンピューターや電化製品、建築物、食品、その他もろもろに相当な力を入れているそうじゃないか。俺は興味深いんだけどなあ」
「まあ、みな有能な奴らばかりだからな。人間の未来に貢献しているさ」
「そうか。しかし、ケルベロス。俺がお前の前に現れた理由は、もうそろそろ察してもいいんじゃないのか?」
ミソギは唇を歪めた。
ケルベロスは眉を顰める。
「俺は鈍感だから分からん。はっきり言え」
ミソギはわざとらしく溜め息を吐く。
「利益の分け合いをしないか? 俺はお前らのとこの武力が欲しい。特に、通信機や建築物には興味がある。金がまた産めそうだ。なあ、ケルベロス。お前のアサイラムは、外敵から身を守る為の武力は不足していないか? 何なら…………」
ケルベロスは。
問答無用で、ミソギの喉元に、手首の第二関節から生やした刃を突き立てていた。
「それ以上、言うな。黙れ。お前の話は不愉快だ」
「そうか、とても残念なんだけどな?」
ミソギは、ケルベロスの刃を素手で掴んでどかす。
そして、まるで隙だらけのまま、踵を返して道路を歩き出す。
「この先には、ルブルの新たな居城があるぜ。なあ、俺はそこで待っている。ルブルのお守りをしようと思っているからな。そこで話をまた付けようか。よく考えていてくれよ?」
未だ、首の無いガンギャが辺りに、突風を撒き続けていた。
ケルベロスは唾を飲む。
「武器商人……ミソギ、なあ? どうやら、お前は倒すしか無いような気がするな。色々な悪党を見てきたが、お前からは本物のゲスの臭いしかしない…………」
ミソギは振り返らずに、ケルベロスの呟きに答えるように右手を振っていた。
ケルベロスはやるせなさと、怒りの混じった感情を押し殺していた。
今の男の眼を見て分かった。
この男は、本当に性根が腐り切っていて、改心の余地が何も無いタイプの人間なのだろうと。おそらくは、家庭環境なども酷かったのだろう。皮肉な事に、そういう人間程、取り返しの付かない悪人になってしまう事が多い事を、ケルベロスは知っていた。
かつて、ケルベロスはマフィアの構成員の子供として生まれた。
つねに自問自答するのだ。自分は何が違っていたのだろう、か、と。
殺す事を覚えさせられたし、裏切る事も教えられた。そして流血の後で口角を吊り上げて、当たり前のように笑える事も強いられた。彼にとって、少年時代、大人達は欺瞞ばかりだった。そして、マフィア達は警察と癒着する。
組織を離れて、あるいはただただ孤独に犯罪を行う者こそが、ある意味で言えば真の正義ではないかとさえ思った。異常な観念に取り憑かれた。
あの時期の考えが、今も根付いているのだろうか?
何が、今の自分を創っているのだろう?
ミソギの眼は分かる。
見てきたから。
本当に腐った人間は治らない。それはその者が自身の全存在を賭けて、まともな感情を否定しているからだ。
ケルベロスは有らん限りに、咆哮してしまいたかった。もし、此処が敵地でなければそうしていただろう。
すぐに、ミソギを追わなかった。追えなかった。何が自分の心を立ち止まらせているのだろうか? モーター音がして、その音が遠ざかっていく。今すぐ、襲撃すればミソギをすぐにでも倒す事が出来た筈なのだ。
しかし、彼は何故だか、どうしようもない倦怠感を伴いながら、その場でしばらくの間、ずっと立ち尽くしたままだった。
……病み上がりだからだと思いたい。
†
メビウス・リングは、度々の失敗に、深く悔いていた。
本来ならば、自分が率先して、ドーンを守る筈だった。しかし、手足を失い、更に、今度はエアという男を取り逃し、ニーズヘッグという者を排除する事が出来なかった。
失態を重ねるわけにはいかない。
だが……。
……私が完全ならば、少なくとも、幾つかの敵の処理は出来た筈なのだ。
彼女は感情というものを持っていない。
けれども、憤っているのだろう。
何に対して憤っているのか?
敵に対してなのか? 自分自身に対してなのか?
分からない。
†




