第十二章 聖なる竜と金色の環 5
イゾルダが残した生体兵器に食い潰された都市。
そこは、海底へと沈みゆく大神殿が設置されている場所だった。
空が果てしない程に、蒼穹だ。
突き出した二つの瓦礫の足場に、それぞれ、金色の髪をした漆黒のドレスの女と、白金の髪をした白い法衣の男が佇んでいた。
メビウスと、エア。
二人は、お互いを吟味していた。
光が照らし出され、そよ風が吹いている。
「お前はランキングには入っていないが。私がいつか抹殺する為の対象には入っていた。お前はこの世界にとっての混沌そのものだ。お前には生きていて貰っては困るんだ」
「成る程、そうか。俺がお前に興味を持つ遥か前から、お前は俺に興味を抱いていたってわけか。それはとても嬉しい事だな」
彼は少しだけ、苦笑する。
エアは、自身の力である『ホーリー・ドラゴン』の光の柱を、辺り一帯へと撒き散らしていく。
メビウスは、異にも介さない。
光の柱や、光の輪に包まれてもなお、彼女は無傷で佇んでいた。
全長が数キロ程はあろう、巨大なウツボの怪物が、海原から這い上がり、エアを飲み込もうと口を広げる。
エアの光の輪が、その大海蛇のごとき姿をした怪物の全身を滅していく。
イゾルダの生んだ、生体兵器達の肉体が光の中へと消されていく。それらは、エアの能力によって、悪しきものと認識されて、滅されていったのだろう。
「成る程、俺の力がまるで通じない」
「そうだ。お前は私に大人しく始末されろ」
まるで、この世界の理を受け入れろ、とでも言うように、メビウスは超然とエアに対して、その存在を否定する。
「しかし、お前を倒す方法は幾らでも思い付く」
エアは人差し指を掲げる。
大神殿の柱の一つが、光の帯の中に包まれていく。そして、まるで巨大な光の巨人でもいるかのように、柱がへし折られ、持ち上げられて、メビウスの下へと投げ飛ばされていく。
メビウスは微動だにしなかった。
柱は空中で静止する。
そのしばらく後、柱は螺旋状に捩れていき、そのままエアのいる方角へと突き飛ばされていく。エアは、後ろへと高く上昇して飛び上がる。
自分の攻撃が、まるで通じない事に対して、彼はこれといって意に介していなかった。むしろ、彼の心臓の鼓動は高鳴っていた。
「会いたかった。メビウス・リング、ドーンの中枢にして、動く球体関節人形」
エアはただただ、高笑いを浮かべていた。
きっと、今、人生において幸福なひとときなのだろう。
エアは記憶を掘り起こす。
何故、自分は汚らわしいものを嫌うのだろうか。
彼は、強い信仰心を持って生きてきた。貞節であれ、プラトニックであれ。そのような感情の下、生きてきたのだ。
だから、性的なものだとかは、きっと清らかなもののみが存在するべきだし。この世界に、不条理な暴力など存在してはならないのだろうと考えていた。
悪は裁かれる。
醜悪なものは、いつか滅せられる。
だから、自分は信仰を大切にしよう。そう考えて、生き続けてきた。
全てが無情に見て、全てが救われないように感じる。
あるいは、自分が何よりも救われないのだろう。
「在りのままに、この世界を愛せたならば、きっとずっと幸せだった」
エアは酷薄な笑みを浮かべる。
彼の背後から、光の輪が花火のように打ち上げられては、消えていく。彼は、何処か、何かに陶酔しているかのようだった。
エアの背後から、大きな海蛇が口を広げて彼を飲み込もうとしていた。
彼は、いつしか涙を流していた。光が渦となり、それは一つの音楽の螺旋を描いているかのようだった。実際、音のようなものが辺り一面へと響き渡っていた。
エアは口笛で、メロディーを口ずさんでいた。
海蛇は、光の渦へと飲み込まれ、消し飛ばされていく。邪悪なるものと認定されたからなのだろう。
「俺にとって、醜いものは、この世界にはいらない。存在してはいけない。分かるか?」
メビウスは、無言だった。
無言のまま、自身のウロボロスで、彼を始末しようとしていた。
回転の攻撃が、彼を襲う。
しかし、光の奔流によって、回転の軌道が読まれていた。
エアは、メビウスの攻撃を見切れると考えていた。
彼は永遠に自由で在りたい。この世の生に束縛されたくない。しかし、決してアンデッドのような、汚れた生なんかじゃない。彼は神々の住む世界に向かいたかった。
この世界全体が汚れているから。
全てを浄化してもなお、新たに汚れが生まれてきそうで怖い。
だから、彼はこの世界全体を否定している。
「メビウス・リング、お前は素晴らしいな。こうして、逢いまみれる事を夢に見ていた。お前は気高く、何者にも汚されないんだろうな。それはそうなんだろう、人では無いのだからな。俺はお前のような存在が羨ましい」
厳かな聖堂の中で、澄み渡った歌を聴いているかのようだった。
空は、やはり、何処まで青空だ。
それはそうだ。
メビウスがウロボロスで。
エアがホーリー・ドラゴンで。
此処に来る時に浮かんでいた曇り空を、全て吹き飛ばして消し去ってしまったのだから。
だから、今、世界はとてつもなく澄み渡っている。
「まあ、私からしてみれば、お前は“可能性の否定”だ。お前の力は、やがて全世界全てを飲み込もうとするのかもしれんな。お前は自分では、自分が悪だと考えた事は?」
エアは、腹を抱えて笑った。
彼は、自らの白金の髪を撫でる。
「はっ、何を言い出す事やら」
彼はふと、少しだけ、冷徹な顔になる。
「俺は悪だ。とてつもなく、どうしようもない程の邪悪だ。そうなんだろ? この世界にとっては、だが、俺は生きたい。俺にとって醜いと感じる、この世界を破壊したい。人間はどうしようもない程に、醜い、人間の感性も醜い。あるいは、生命というもの、それ自体が醜いかもしれんな?」
彼は法衣から伸びる両手から、幾つも、幾つも、光の刃や、光の槍を生み出していく。
そして、彼の背後から、巨大な光の翼が生えていた。
「なあ、おい。メビウス。多分、俺はお前に瑕一つ与えられないだろうが。俺は今、お前に倒されてやるつもりは無い。だが、お前と会えて良かった。今、人生で一番、最高の日なのかもしれないのだからな」
ふいに。
エアは飛び跳ねて、メビウスの下へと接近する。
その足場は、絶壁状になっていて、丁度、メビウスが高みからエアを見下ろせる位置にいた。
そして、エアは自分でも思いも寄らない事を口にしていた。
しかし、それは本音から出たものだった。
「貴方の下へ付きたかった」
メビウスは、嘲弄するかのような眼で彼を見る。
「私はお前を始末する対象としか捉えていない」
メビウスはそう、断言する。
「ふふ、ははっ、お前は俺を殺す事でしか解決出来ない。俺の心の悲鳴を聞き取ろうとはしない。なあ、分かるか? 俺は見ていた。母親が、父親以外の男と性行為をする事を。それからなぁ、臭い路地裏で何人もの男達に犯される少女をな。全員、粛清してやった。俺の光の柱の中へと放り込んでやった。俺は間違っているか?」
「さあな。だが、お前の精神は、きっとこの世界と相容れないのだろう。私は私自身でさえも、どのような方針で指定しているのかさえ。それこそ、私は神の力を有しているだけで、神そのものでは無いのかもしれないからな」
そう言いながら、メビウスのウロボロスの渦巻きが、エアの周辺を捻じ曲げ続けていた。
エアは自嘲する。
「お前は独裁者か? それこそ、暴君か? なあ、俺はこの世界を赦せない。みな、死ねばいいとさえ思う。全ては汚れている。ははっ、俺の力は、お前を汚濁と指定出来ない。けれども、お前は俺を一方的に始末出来る。だが…………」
エアは翼を広げて、回転の渦へと自ら入り込む。
彼の身体は、捻じ曲げられていく。
彼は、自身の光の渦を使って、無理やり、捻られていく回転の隙間を探して、ようやく、ウロボロスの渦巻きから逃れる。
エアは冷や汗を流しながら、ウロボロスの攻撃が行き届いていない場所へと飛んでいく。
まだ、無傷だった。
彼は、自身の力に余裕が在る事を理解する。
“力自体は、五分だ”。その意味する事は…………。
「俺はもう、行く。まだ、ルブルに会っていない処だしな」
メビウスは、彼の真意を測りかねていた。
「ふむ? お前は何がしたいのだ? 私と戦いたかったわけではないのか? 勝てそうにないから逃げたいのか? それとも……」
「いや、お前の手で、殺されたい、とも考えた事はある。けれども、俺は生きたくなった」
エアは笑っていた。
何かを掴んだかのようだった。
あるいは、何かを一つ、悟ったのか。
「お前は素晴らしい。お前や、そうだな、デス・ウィングみたいな存在がいるからこそ、俺はこの世界でまだ自殺せずに生きていける。会えてよかった。お前には、まるで理解出来ないだろうが。俺は“清らかなもの”を探している。美しい女性を探している。決して、汚れる事の無い、永遠無垢なるものをな。それはきっと、象徴のようなものなんだろうな。俺が、この世界に生きるに値する象徴なんだ」
彼は狂的に言葉を紡いでいく。
「理解する必要なんて無い、俺の狂った思想によって出した結論なんてな」
光の輪が、竜巻のように渦巻いていく。
「逃がすつもりは無いが?」
メビウスは、全身を浮遊させると、彼を追おうとする。
ウロボロスの回転の攻撃を、全力で放っていた。
辺り一面が、捻じ曲がっていく。
「なあ、神様? お前は、何で、こんなにも汚らしい世界を肯定出来るんだ? ドーンはお前が生んだ。そして、お前はハンティングされている能力者達も気に入っているんだろう? 理解出来ないなぁ。だが、俺はお前をきっと、尊敬しているんだろうぜ」
彼は、笑いながら、光の翼を広げて逃げ続ける。
そして、次第に、光に等しい速度へと変わり、彼はどうやっても、メビウスが追い付けない速度で逃げ続けていた。
†
エアは、処女崇拝を持っている。
汚れ無き女性を探している。
そして、自分の性欲を強く憎んでいる。それから、自分の肉体もだ。
そんなどうしようもない狂気の中で、彼は生きて、歪んだ見識で世界を眺めているのだ。
デス・ウィングは、彼のそんな狂気が美しいと感じて、仕方が無い。
そのどうしようもない歪さこそが、彼の魅力なのだろうと、彼女は考えているからだ。あるいは、何処かで、彼と似たような部分を共有しているからかもしれない。
性欲、暴力衝動。人間が持つ、どうしようもないもの。
エアが憎悪しているものは、それらの存在だ。
エアはきっと、メビウスを崇敬しているに違いない。
少なくとも、彼は自分ではそう思っている。
決して、凌辱されない存在、それが彼女なのだと思い込んでいる。
「……人間の性衝動や暴力衝動に対して、強い嫌悪感を抱く男。彼の理想の世界は、どんな姿をしているんだろうなあ?」
デス・ウィングは、クリスタルを覗き込んでいた。
透明で煌びやかな、それには何も映っていない。
彼女は、狂気の只中にいる者達を、どうしようもなく愛しく思う。それは、自分自身が間違いなく狂っているからに他ならなくて、あるいは、正常な人間というものは本質的に存在しなくて、全ては欺瞞の上に成り立っていると思っているからなのかもしれない。
†
メビウスと、エア。
二人は、絶句していた。
それは、まるで唐突に空から舞い降りてきた。
「何だ? おい、おいおいおい、俺様も混ぜろよ。お前らはとても強いんだろう? ほんの少しは楽しませてくれるのか?」
その両手からは、細長い十本の爪が伸びていた。
背中からは、暗黒色の翼が、何対も生えている。
しゅぱんっ、と、辺り一帯が、暗闇へと包まれていく。
「何だ? お前は?」
メビウスはどう解釈すればいいか、分からなかった。
エアは、かなり困惑していた。
「ああ? 俺様はニーズヘッグ。ルブルから呼ばれた、一応、ダートのメンバーって事になっている。お前らは何だ? ドーンか? ダートか? なあ、もしかして、俺様一人で、全部、ルブルの目的って奴をこなせばいいのかよ?」
エアは、ふうっ、と溜め息を吐いた。
そして、彼にとって大切な時間を邪魔されて、少しだけ苛立っているみたいだった。
この邂逅と、別離は、誰にも邪魔されたく無かったのだから。
「メビウス。また、会いましょう。俺は“貴方”と会えてよかった。やはり、お前……貴方は美しかった。きっと、貴方の美しさに、俺はまた魅了される」
エアは、光の柱の中へと入り込んでいく。
「ニーズヘッグとか言ったか…………」
彼は、少し詰まらなそうな顔をする。
メビウスも無表情だが、おそらくは、彼と似たような考えを持っているのだろう。
「お前を倒す事は出来ないが、お前から逃れる事は出来そうだ」
メビウスは、そう告げる。
ニーズヘッグは、少しだけ腹立たしそうに二人を見ていた。
「そうかよ? 俺様のアビス・ゲートは、一帯を深淵へと飲み込んでいくぜ。それに、俺様は何処までも強大な力を有している」
「直観で間違っていたら申し訳ないが。俺はお前の力は、何かしらの“ルール”があるように思うがな」
エアは、既に、殆ど光の柱の中へと入り込んでいた。
そして。
ニーズヘッグの横を、圧倒的なスピードで、彼は光となって飛び抜けていった。
「おい、ちょっと待て」
彼は苛立つ。
振り向くと。
メビウスの姿も無い。
気付けば、まるで、霧のように何処かへと消えてしまっている。
「おい、おい、おいふざけるな。俺は最強なんだ。お前ら虫ケラ共は大人しく、俺の力で塵へと変えればいいってのに。ああっ、何処に行きやがった?」
彼は、アビス・ゲートの口を、一帯に、広げていく。
巨大な口が、幾つも、辺り一面を飲み干していく。
山も、海も、彼の深淵の中へと引きずり込まれていく。
しかし、逃げてしまった二人は、やはり遥か遠くへと行ってしまったみたいだった。
ニーズヘッグは、半狂乱に為りながら、周辺へと自身の攻撃の波動をひたすらに、撒き散らしていった。
†
「何だ? あれは?」
エアが黒い魔女にやってきた時、店の主はとっくに、そいつの存在を知っていた。
デス・ウィングは、絶対に、エアを店の中に入れないように警戒しながら、『黒い森の魔女』の付近で、草原の辺りに腰を下ろして、全身から光の輪を放ち続ける法衣の男を睨み付けていた。
「それよりも、お前、ホーリー・ドラゴンを消せ。私の能力で寸刻みにするぞ?」
エアは、ふうっ、と、首をこきりこきりと鳴らしながら、自身の能力を消していく。
「此処は不浄だ。汚らわしい、出来れば、俺が一掃したいんだがな」
そう言いながら、エアは暗黒の地、全体に対して嫌そうな顔をしていた。
「そういうわけにもいかないだろう。此処は人々の悪夢が形になった場所だ。永遠に消える事は無いよ。人間が亡びない限りはね」
デス・ウィングは、とても愉快そうな顔をする。
「しかし、あれは何だ?」
「あれは、“神の世界”の化け物だ。ニーズヘッグと言うらしいな。何でも、国や都市を一瞬にして消滅させ、その気になれば。星や、いや、この大宇宙さえもかき消す事が出来るらしい。もっとも、色々と面倒な制限があるらしいがな」
ふんっ、と。エアは鼻を鳴らす。
「制限か。しかし、どうやら、御大層な強さを有しているみたいだが。俺とメビウスを捕らえる事さえも出来なかったみたいだがな」
「そうだな、…………」
デス・ウィングは、少し説明に困っているみたいだった。
「上手く言えないが、“認識”に依存しているんだ、奴は。他者が必要となる。奴の力を引き出す為のな。この惑星全体を滅する力が在ったとしても、それを見届ける相手がいなければ、使いこなせないんじゃないのかな。国を幾つか、消したらしいが。多分、認識の媒体はルブルなんじゃないかな」
「はん、面倒臭そうな力だな」
「もっとも、適度な破壊くらいなら、彼を認識する他者がいなくても、可能みたいだがな」
デス・ウィングは、本当に楽しそうだった。
「それにしても、この俺は、まだルブルとかいう奴に会っていない。俺はお前を通して、もうダートとかいう組織に入っているみたいだが。気に入らないな。連中は、俺からすれば、駆逐するべき対象以外の何物でも無いように思うがな」
「おや、気が変わったのか? 参戦したいと元々、言ったのはお前だぞ?」
「メビウスに会えた。それで、俺の目的は果たせた。そうだな」
エアは色々と考えているみたいだった。
「俺は暴れたい。俺のホーリー・ドラゴンを解き放ちたい。ドーンが何であれ、ダートが何であれ。俺は俺の意志で、この世界を破壊する」
彼は自らの髪をかき上げる。
その両眼は、少しだけ血走っていた。
まるで、何かに取り憑かれているかのようだった。
「占いでもしようか? 今後の未来を占う為の」
そう言いながら、デス・ウィングは何処からか、タロット・カードのデッキを引っ張り出してくる。そして、ルーン・ストーンの入った小さな袋も見せた。
「やめろ。お前の占いは因果律を捻じ曲げそうだ……。お前の占いは不幸を呼ぶ。それは、実証済みなんだろ?」
「ははっ。そんな大層なもんじゃない」
エアは白金の髪を掻き毟っていた。
「まあいい。俺はルブルに会う。敵か味方か区別する。じゃあ、行くぞ」
そう言いながら、彼の背中から、光の翼が生えてくる。
彼の人間という形態は変化していき、彼は一頭の白い竜へと変わっていった。そして、光の波紋を周囲に撒き散らしながら、何処へと飛んでいく。
近くにいた歩く腐乱死体や、腐肉を喰らう獣達が、彼の光の波動に巻き込まれて消滅していく。デス・ウィングは、咄嗟に、手にしていた占い道具を隠して、彼の力に巻き込まれないようにする。
「私も参戦しようかな? ドーン側に付くか。ダート側に付くか。どちらにせよ、面白そうだ。ははっ、私も宣戦布告でもしようかな? ルブルは私をメンバーに入れてくれるかな? 私が本気を出せば、メビウスは私に敵意を向けずにいられるのかな? 奴らの行く末は、とても見ものだな」
そう言いながら、彼女は懐から丸い水晶を取り出す。
エアはまた、彼女の悪い癖が始まったなあ、と思ったのだった。




