第一章 幸せの意味も、不幸の意味も分からずに 3
コード203。
座標軸は75鋭角度。
目標は、67トロン先。
隣にいる、ルソッドは意味不明な暗号文を垂れ流し続ける男を見ながら、一体、彼が何をやっているのかという事に対して疑問に思ったのだが。余り、細かく考える事は無かった。どうやら、頭の中で、彼独自の式を組み立てているみたいだった。意味不明な言語を、彼は呟き続ける。
ルソッドにとっては、この男が、何をしていようが、関係が無かった。
とにかく、目標を始末出来れば、それで良かった。
ルソッドは、『ドーン』のサイトをアクセスして印刷した文章をまじまじと眺めていた。
自分には、Cのクリミナル・ランクが付けられており、642万もの賞金が付けられている。後ろの全身を装甲で覆った半分、機械の男は、Bランクの-下くらいの強さで、確か、1023万くらいの賞金が付けられていた筈だ。
ルソッドは、ドーンというシステムを憎んでいた。
そして、自分を付け狙うハンター達を呪っていた。
ルソッドは、口元から、ぐっぐっ、と、溶解液を吐き続ける。
これは、数種類の毒素を混合させて作ったものだ。
今、彼は狙われているのだ。
どうにも、正体不明の能力を使ってくるのだが、有名なハンターらしい。
『インソムニア』という能力者だ。
そいつは、女の能力者だ。一般的に、女は非力な存在なのだが、女の姿をしている能力者に限っては、性質の悪いのが多い。それが、この異質な力を有する者達の間での、一般常識みたいなものだった。
そのインソムニアという女は、何名もの、賞金首を殺して、味方になる者を何名も死へと追いやっていると言われている。通称、死神と呼ばれている。その名前が意味するのは、実際に、それ以外の名称は在り得ない、とされるような存在だからだと聞く。
夜の路地だ。
工場跡地が続いている。廃墟だ。
二人は、この辺りをねぐらにしていた。
相棒の名前は、コンドル・フードとかいう名前らしいのだが、本名なのか、コード・ネームなのか何なのか分からない。とにかく、改造人間である事には変わりは無かった。
彼とは、つい三日前に出会って、味方になって貰ったばかりだ。
ルソッドは、インソムニアから追われていた。
そいつは、両手を掲げて、真っ黒なエネルギーを放ってくる。彼女は、べらべらと、力の概要を話していたのだが、どうやら人間は感情というものを、周辺に撒き散らして生きている存在らしい。彼女は、怒りや悲しみや苦痛などの、ネガティブな感情を拾い集める事が出来るらしい。そして、それを弾丸のようにして、放り投げる事が出来るのだと。
ルソッドは、苛々しながら、腰元に抱えた振動ナイフを手にしていた。
昔、企業の暗殺者をやっていた頃の名残だ。これで、雇われ主と敵対する何名もの重役などを死へと追いやっていった。
振動ナイフを喰らえば、切り付けた箇所が、粉微塵に砕け散っていく。
それと、ルソッドは、更に毒液を飛ばす事によって相手を死へと追いやる事が可能だ。
インソムニアという能力者が、どれ程、強かったとしても、彼はそれ程、怖いとは思わなかった。
工場跡地の中には、錆びたクレーンや、タンク、消火器やトラックなどが置かれていた。ボンベやスパナの残骸なども置かれている。
隠れる場所は、幾つもあった。
インソムニアからは、数日前から追われている。
仲間になってくれた、コンドル・フードに動きを封じさせてから、彼自身が止めを入れる算段でいた。
工場内へと、一人の人影が、ゆらりと入り込んでくる。
その女は、まだ十代くらいの少女で、黒を基調にした、パンキッシュな服装をしていた。右耳の幾つものピアスをごりごりっ、と弄りながら、耳に出来た瘡蓋を指で弾いていた。
「つまんねぇーから、出てこいよ。楽しい、殺し合いをするんだろう?」
女は、首をこきり、こきりと鳴らしていた。
座標軸、コード、そんな単語をルソッドの隣の男は、ひたすらに口で唱和していく。完全に壊れた機械だ。
そして、彼は全身が発光したかと思うと、肉体が変形していって、銃口が次々と飛び出していく。
その銃口は、次々と、工場内へと入ってきた少女を蜂の巣へとしていく。
硝煙が上がっていった。
ルソッドは、冷や汗をかき続けていた。
まるで、効いていない……。
少女は、全身、孔だらけになりながら、肉や骨を削がれながら、内臓を食み出しながらも、立ち上がって、へらへらと笑っていた。
不死身の能力者だ、それがインソムニア。眠りを殺した者だ。
「さあてと、今から、お前らには死の舞踏を踊って貰うんだが」
彼女は、いつの間にか、禍々しいデザインの大鎌を担いでいた。
そして、つかつかと自分の血や肉を撒き散らしながら、工場の奥深くへと歩いていく。
そして、彼女は仰け反るように、一回転して、すっ転んでいた。
ルソッドは完全に呆けた顔になる。
何と、彼女は、自分自身の垂れ流した血液によって、物の見事に脚を滑らせたみたいだった。
少女は頭を抱えながら、ひぃひぃと呻いていた。どうやら、頭の瘤の方が、全身に受けた骨や内蔵の損傷よりも、辛いみたいだった。
†
城の中では、よくお茶会をしていた。
メアリーは、ベルガモットの紅茶のポットに、バームクーヘンや林檎のケーキなどを用意してくれた。彼女は、この城のメイドなのだ。だから、あらゆる雑事をこなす事が出来た。
セルジュは、食客のようなものだった。
この城の主は、魔女ルブルであり、メイドはメアリーだった。
他の者達は、ある意味で言えば、客人のようなものだった。
イゾルダもたまに、料理をするのだが、メアリーが明らかに狼狽しながら止めるように言った。イゾルダの作り出す料理は、明らかに不気味な怪物の肉や繊維などを使っていたからだった。とても普通の人間が食べられそうには思えない。メアリーはそんな事を頻繁に言って、止めていた。
そんな様子を見て、主人であるルブルは、くすくすと笑みを浮かべるだけだった。
そして、ルブルだけは、イゾルダの料理を口に入れていた。味の感想としては、獣の肉なのか、果物を食べているのか、タコやイカを口にしているのか分からない。とにかく、ひたすらに不味い、彼女は大柄の男にそう告げた。
この城は、普通の世界からは、さかしまのように反転していた。
あらゆるものが狂っていて、その狂っている事こそが、とても楽しかった。
セルジュは、自分なんて、小さな狂人でしかないのだろう、と思った。だから、楽だった。これまでの人生から、楽になったように思えた。
自分の人生は、とても小さなものだった。決まりきったルールの中に、ずっと縛られていたような気がする。他の者達もそうであるように、恋愛だとか安定した職に付く事ばかりが、彼らの物語だった。セルジュは内向的で、友人が酷く少なかったが、そのレールを進もうと思った。そして、ひたすらに勉学の世界に没頭していった。コミュニケーション能力など、まともに積み上げる事が出来なかった。結果として、そんなセルジュをダリアは拒んだ。
セルジュは、何かある度に、ダリアの事がちら付いて離れなかった。彼は、それをメアリーに告げた。すると、メアリーは、別にそんなの一向に構わないじゃない? そう返してくれたのだった。
メアリー&ルブル
挿絵・どりむきゅ様