第九章 赤い空と、果てしなく黒い色彩の中で 1
何故だか、とても暗くて寂しい夢だった。
螺旋を描くように、深い夢は続いていく。
ウォーター・ハウスは、確かに優しかった。
もっともっと、彼の事を、仕草などを思い出したいとも思っている。
グリーン・ドレス。
それは、彼が彼女に対して名付けた名前だった気がする。
“瘴気を纏う者”。
そう、名乗るように言われたように覚えている。
彼女は、柔らかな夢を見続けていたいと思った。
ウォーター・ハウスは、確かに、この地上全てを手中に収めたかったのだ。それだけは、確かだ。彼は切実なまでに、この地上を手に入れたいと願っていた。その理由は、大きな檻のようなものが見えていて、それを破壊してしまいたい、という情念からだと言った。
緑の悪魔は、彼の横顔を思い出す。
どうしようもないくらいに、強く、そして恐ろしい。
暴君という名前は伊達では無いのだろう。
色々な事を教えて貰った。
戦い方だとか、強くなる事だとか。
きっと、この世界の中で、自分は悪以外の何物でも無い。それでも、自分自身を肯定し続けようと。その為の意志を教えられたのだろう。
†
「ねえ、グリーン・ドレス」
「何よ」
二人は、ゴースト・タウンとなった街にいた。
その街は、彼女達が破壊した街で、比較的、元々の形状を保っている場所だった。
しばらくは、此処に潜伏していようと考えていた。
「私は、メアリーの呪縛から解き放たれたのかしら? やはり、分からない」
グリーン・ドレスは、マニュキアを両手と両足の爪に塗った後、ソファーに横になりながら、乾かしていた。
それにしても、此処は蒸し暑かった。
熱帯夜が続いていた。
冷風を、全身に当てていく。
ルブルの城は、ひんやりと冷たかったから、その温度差が気になって仕方無いのだろう。逆に言うと、気温などに敏感に反応している自分は、人間に戻れているような気もしてならない。
アイーシャは、ふうっ、と、溜め息を付く。
底知れない程に、毎日がとてつもなく怖い。
この部屋も、この空間も、気付けば、まだルブルの城の中で、自分は外に出られないまま夢を見ているんじゃないかと、そしていつか夢から醒めてしまうんじゃないかと思ってしまう。
何か、物音がする。
アイーシャは不安に思っていた。
ルブルとメアリーを、必ず倒さなくてはならない。
運命を捻じ曲げてしまいたい。
かつての自分には戻れない。
けれども、メアリーに怯えて過ごす自分も、もういない、と思いたい。
だからこれは、成長の為の戦いなのだ。
自分が自由を勝ち取る為の戦いなのだ。
未だ、全身を重い鎖のようなもので縛られているような気がしてならない。だからこそ、此処から、解放されなければならないのだ。何処に向かえば、本当の自由が見つかるのかまだ、分からずにいる。だからこそ、きっと見つけなければならないのだろう。
今は、何処を歩いているのだろうか?
今は、何を戦っているのだろうか?
かつて、騎士だった頃の自分は、何と戦っていたのだろうか?
まるで、それが思い出せない。けれども、きっと信念だとか、何だとか。そういったものを手にして、戦っていたのだろうという事だけは確かに、覚えている。
†
一階と二階へと続く階段の辺りだ。
そこが、ぴしりぃ、ぴしりぃ、と凍り始めていた。
グリーン・ドレスは、右手を掲げて、炎の弾丸をその場所へと撃ち込む。
煙の中から、虫の翅のようなものを生やした男が、翅を羽ばたかせながら空を飛んでいた。薄汚れた緑の髪をして、淀んだオレンジの瞳をした、拘束衣のようなガーゼシャツに身を包んだ男だった。
「お前の名前は何だ?」
アイーシャは訊ねる。
その狼藉者は、不敵に笑っていた。
「僕ぅ? 僕はヴェルゼ。力の名前は『ディアブロ』。宜しく、ルブル達から君達を始末するように言われているんだ。しっかり、殺してやれってさぁああああぁあああぁっ」
彼は、何処かから取り出した棒付きの大きな丸いキャンディをぼりぼりと噛み砕いていた。棒ごと噛み砕いて、腹の中へと入れていく。
アイーシャは、左腕を変形さえて、大きな刃へと変える。
「どうして、私達が此処にいる事が分かった?」
「さあぁ? ねぇ、君、メアリーという人から、何かされていない? たとえば、身体の中に何かあるんじゃないの?」
そう言いながら、ヴェルゼは、レーダーのようなものを取り出す。
アイーシャは、怒りに打ち震えていた。
「殺してやるっ、バラバラの細切れにしてやるっ!」
アイーシャは、左腕を勢いよく振った。
すると、左腕が分解されいき、通された中のワイヤーが鞭のように飛んでいき、ヴェルゼの胸元の辺りを切り裂いていく。
ヴェルゼの持っていたレーダーは、彼女の攻撃によって破壊される。
ヴェルゼは、胸元から流れる血を舐めながら楽しそうに笑っていた。
「歌が聴こえるよ。とっても素敵な歌声なんだ。うふふふっ、あはっ、あはあはっ、歌が聴こえるんだよ。僕に歌えって言っている」
そいつは大口を開けて、だらだらと涎を垂らしながら、此方を舐め回すように見ていた。
「あなた、覗き魔が、何処から入ってきたんだよ。南京虫か何かなのか?」
そいつは、虫の翅のようなものを生やして飛んでいた。
見る見るうちに。
中二階一面が、凍り付いていく。
グリーン・ドレスは、アイーシャを部屋の奥へ戻るように指で合図する。
「私一人で倒すわ。その方が戦いやすいし。ねえ、アイーシャ。あなたは大好きなアニメの続きでも見ているといいの。ふふっ、……あらあらぁ? そんなに激しく迫ってきちゃって、本当に下劣なクサレゴキブリ野朗がっ!」
緑の悪魔は、有無を言わさず、ヴェルゼの背中を蹴り飛ばす。
彼女の右脚は、半ば凍り付いていた。しかし、彼女はそれを気にする事なく全身から、熱を発し続けて、凍った箇所を戻していく。
ヴェルゼは、十数メートル先の道路へと勢いよく墜落していく。
口から大量の煙を吐きながら。
グリーン・ドレスは、路地へと着陸していく。
そして、首を横に、こきりこきりと鳴らす。
そして、中指を立てながら、両肘と両膝から、刃のような形の炎を噴出させていく。
襲撃者は立ち上がる。
ヴェルゼは、両眼をくるくると回していた。
そして、懐から飴玉を取り出して、ぺろぺろと舐め始める。
緑の悪魔はそれを見て、不快そうな顔をする。
彼女は、全身を捻らせて、ヴェルゼの顔面へと勢いよく蹴りを叩き付けた。足元が凍るのもおかまいなしに、ヴェルゼは数百メートル先まで吹き飛んで、無人のビルへと激突する。
緑の悪魔は、心の中で舌打ちしていた。
大して、ダメージを与えられていない……。
それ程までに、敵は強靭な肉体を有しているみたいだった。
彼女は、どうやって攻撃を撃ち込もうと考えている矢先だった。
ころころっ、と、近くで、幾つかの飴玉が転がっていた。
グリーン・ドレスは、腹に激痛を覚えていた。
背後から、彼女を撃ち抜いたものを、ヴェルゼは手で掴み取って、口の中へと放り込む。
彼女の腹を貫通させたものは、ただの飴玉だった。
何らかの攻撃によって、ヴェルゼは飴玉を弾丸のように飛ばしたのだった。
「あなたは、何をやっているっ? 凍らせるだけが、能力の全貌じゃないんでしょう?」
「あはっ、あはははっ、何だろうねえぇ?」
ぼりぽりっ、と、彼は飴玉を食べ続ける。
いつの間にか、彼はもう持ってきた飴玉を食べ終えたのか、地面の転がった石ころを口に入れ始めていた。
グリーン・ドレスは、不気味に思いながら、一気に勝負を決める事にする。
彼女は、少し距離を置く。
近くには、無人のガソリン・スタンドがあった。
そこに駐車してあった、一台の車を持ち上げる。
そして、勢いよく、車をヴェルゼに向けて放り投げた。
彼女は、給油機を破壊して、全身にガソリンを浴び続ける。
その後、口から、緑色をしたガスを大量に辺り一帯へと吐き出し続けた。
そして、ぱしっ、と軽く指先で火を付けた。
辺り一面が炎に包まれていくと共に、彼女の全身が燃え上がり、彼女の力がパワー・アップしていく。
「一気に、炭へと変えてやるわよ。そうすれば、その失敗した顔面、もう見ずにすむから」
ヴェルゼは、自分を押し潰していた車を押し返す。
彼は、車の部品などを口に入れて食べ始めていた。
緑の悪魔は、その光景を見て、嫌そうな顔になる。
グリーン・ドレスは、炎の剣を作っていく。
彼女が、イグニート・ソードと呼んでいる攻撃だ。
炎の剣を手にして、彼女は、蝿の怪物を切り伏せようとする。
ヴェルゼは、周辺を凍らせ始める。
グリーン・ドレスは、炎の剣を彼に振り下ろすフリをして。
車のエンジンへと撃ち込んでいく。
それが、トリガーとなった。
「『エクスプロージョン・バースト』ッ!」
彼女が、先ほど撒いていた自己生成したガスが一帯を覆って、それらを起点にして、周辺にある火薬燃料などが同時多発的に爆裂していく。
この辺り一帯が、吹き飛んでいく。
それは、さながら、小さなミサイルが都心に爆発したかのようだった。
地面に大穴が開き、周辺の建物が瓦礫へと変わっていた。
グリーン・ドレスは首を鳴らしながら、敵の姿を探す。
ふと、視界が反転する。
また、何をされたのか分からなかった。
まるで、身体に紐を付けられて、弾き飛ばされるように。
グリーン・ドレスの肉体は、ビルへと勢いよく叩き付けられていた。
能力の全貌が、まだ分からない。
なので、相手から聞き出すしか無かった。
彼女はしばしの間、思考して、立ち上がる。
ウォーター・ハウスは言っていた。正体不明の能力を使う敵の能力を知りたいならば、相手の性格を、相手の思想を、相手の望みを、相手の過去のトラウマなど、あらゆる情報を探っていけと。
「あなた、何が楽しくて生きているの?」
それは挑発にも聞こえたが、何か本質へと問い掛けるかのような言い方だった。
「僕はお空を飛びたい。高く、高く飛びたいんだ。ずっと、高くね」
緑の悪魔は考える。
空の向こう、空の上、そこには何があるのか。
「ずっと、狭い檻の中に入っていたから。自由になりたかったよ。鳥よりも、高く遠く飛びたかったんだよ。ふふっ、うふふふふ、あははっははっ」
ヴェルゼは、懐から、携帯型のスクリーン付きの通信機を取り出す。
そして、彼はそれのスイッチを入れる。どうやら、ビデオ機能が付いているみたいだった。彼は流れている映像を、緑の悪魔が見えるように、まじまじと見せる。
それは、暴君の破壊の映像だった。
何処かから拾ってきた動画なのだろう。もしかすると、アサイラムに保管されていたデータなのかもしれない。
「ふざけるな、私のあの人を汚すな」
「そう? 僕の信じている人でもあるんだよ。暴君は君だけのモノじゃあない。彼は僕にずっと、語り続けてきてくれた。とっても素敵な事も教えてくれた」
ヴェルゼは、べろべろっと、通信機を舐め始めていた。
「あなたは知っているの? あの人の笑った時の仕草だとか。ヨーグルト・サラダを作っている時や、焼き上げてくれたココナッツ・パイの味だとか。あなたは何も知らないでしょう? 訳知り顔で語るな。ふざけるなっ!」
ヴェルゼは、困ったような顔をした。
「暴君は、僕の救世主であればそれだけでいい。そうだね、君は邪魔だね。暴君は僕にとっての純粋悪で正義の味方であればそれでいい。だから、君のようなのは、そのつまりね、異物なんだよ」
グリーン・ドレスは、怒りで顔を赤らめていく。
体内の漆黒の骨格が、明滅していく。
「気持ち悪いんだよ、ホモ野郎。あなたの立っているソレ切り落として、自分の後ろの穴にでも突っ込んでいろよっ!」
グリーン・ドレスは親指を下に向けて、嫌悪の感情を向ける。
口上以上に、心の底から敵に対して、醜悪なイメージを想起してしまう。
次に受けている攻撃を理解して、彼女は敵の能力を、だんだん理解し始めていた。
息苦しくなっている。
呼吸する事がとてつもなく困難だ。
喉や肺にダメージは通っていない筈だ。それなのに、何なのだろうか、この息苦しさは……。
「宇宙空間を操っている……?」
閃いた。
それも、きっと、彼にとっての“空想の宇宙空間”だ。
凍らせる、という現象は、宇宙空間は絶対零度だとSF小説などに書かれていたりする。実際は、それはフィクションではないかと言われている。また、こいつはきっと重力、引力なども操作している。
おそらく、科学的な知識はまともに無い。
だが、イメージの力だけで、彼の夢想する宇宙空間というフィールドを創造しているのだろう。
呼吸が異常なまでに出来ずにいる。
グリーン・ドレスが、炎は征服の象徴だと認識しているように。
こいつは、宇宙に対する空想こそが、自由の象徴なのだと認識しているのだ。
自然現象を操作しているわけではなく、こいつは、イメージを具現化するタイプの能力者だ。そのタイプの場合、イメージの強さが強ければ強い程に、より凶悪で悪質な能力へと変化を遂げていく。
なら、此方も、相手の攻撃を予測しなければならない。
次にやってくるであろう攻撃も、段々と読めてきた。
「ブラック・ホールの生成か、太陽の召喚か?」
太陽の攻撃ならば、吸収出来る。相手は、当然、知っている。
なら、当然…………。
ヴェルゼの背後に、空間の裂け目のようなものが出来ていた。
それは、丸い球体のようなものだった。
緑の悪魔が、それへと引き摺られそうになる。
ヴェルゼが作り出したブラック・ホールが、彼女の肉体を重力の磁場によって、引き潰そうと迫っていた。
グリーン・ドレスは、この磁場の空間から離れようと飛び跳ねる。
迂闊だった。
それは、空から降ってきた。
あるいは、異空間の何処かから、降り注いできたものなのかもしれない。
それは、岩の塊だった。
燃え盛っている。
隕石だった。
それが飛来して、彼女の後頭部や背中へと次々と、激突していく。
グリーン・ドレスは、地面へと叩き付けられる。
肩や肋骨の辺りに強い痛みが走る。
防御し損ねた。
確実に、頭蓋や背骨、肋骨などにダメージが入ってしまっただろう。
彼女の強化された肉体は、体内を巡る骨が支えている。
だから、骨へと通ってしまったダメージは、かなり大きい。
ヴェルゼは、ぼりぼりっ、とクッキーやスナック菓子でも食べるかのように、車の部品を食べ続けていた。そして、途中で、嘔吐して吐寫物を周囲に撒き散らしては、ゲラゲラを彼女を見ながら、笑っていた。
「…………畜生、私はてめぇのような、ゲロ野郎に負けるつもりは無い」
全身が、暗黒の磁場へと引き摺られていく。
宙にあらゆる物体が舞い上がっていく。
やるしか無かった。
この攻撃を使えって、しくじれば、後が無い可能性もある。
けれども、使うしか無かった。
「『ドラゴン・タイラント』」
グリーン・ドレスの周辺に、炎が集まっていく。
火の粉は、次第に、小さな渦巻きへと変わっていく。
†




