第八章 映し鏡のセルジュ 4
内臓の損傷。喉の損傷。
それから、いつの間にか、全身に出来てしまった擦り傷など。
血も沢山、流れた。
生体兵器の寝床の中で、彼は植物のようなものから、治療を受けていた。
複数の枝のようなものが、彼の肉体にオペを施している。
彼は、これから自分はどんどん人では無くなっていくのかなあ、とか思った。
メアリーのように、肉体をゾンビ化させているわけではない。
しかし、今の自分は、アンデッドみたいなものなのだろうか、と思った。
魔女の森に辿り着くまでには、半日以上必要だろう。
それまでに、メアリーの様子が改善していると良いなあと思った。
†
森の中に戻ると、どうやら、ルブルが孔を掘って地下の家を作り上げたみたいだった。
中に入ると、ルブルが微笑んでいた。
見ると、メアリーが上半身まで復元していた。
どうやら、死の暗闇の中から戻ってきたらしい。
ルブルは、酷く安堵しているみたいだった。
メアリーは、セルジュに笑い掛ける。
「あら、おかえり。私、どのくらいの間、死んでいたのかしら?」
魔女の城のメイドは、にこりと笑みを浮かべる。
セルジュは、自慢するように、全身から刃物を生やしていく。
メアリーは、驚いていた。
「ケルベロスの能力を奪ってきてやったぜ、俺はもう、無力じゃねぇんだ。身体能力だって、以前よりも、ずっと上昇している。俺はきっと役に立つぜ」
そう、彼は自慢げに言う。
「愛している、メアリー」
「私も愛しているわ、セルジュ」
そう言いながら、二人は抱き締めあう。
ルブルは、二人のそのやり取りを見ながら微笑み、自らも旅支度をする、と二人に告げる。セルジュは、お前がいない間は、俺がメアリーを守る、と言う。彼女は頼もしいわね、と返す。
ルブルが家の外へと出る。
「じゃあ、私は一人である場所へと向かうわ。二人共、私の森を守っていてくれないかしら?」
ルブルは、真っ黒な長髪をはためかせながら、新たに作り出した、白骨ドラゴンに乗り込もうとしている処だった。
†
ルブルは暗黒の地という場所を歩いていた。
この場所は何なのか分からない。
もしかすると、魔界と呼ばれる場所なのかもしれない。
とにかく、彼女はそこを歩いていた。
空には、月一つ無い。深淵だ。
しかし、草陰の所々から、蛍ような光が煌いた為に、道を歩くのには、まるで困らなかった。
遠くには、骸骨で積み上げられた大きな山があった。
生い茂る森には、死体達が踊るように歩いている。
沼地に近付くと、そこにはぼろ舟が浮かんでおり、一人の布切れを纏った女が座っていた。しばらくすると、沼地から腕達が生え出して、女へと掴みかかる。
すると、女の首が外れて、腕達の主達を舟の上まで引き摺り出して、首だけで喰らい尽くしていく。
ルブルには、この空間が、とてつもなく心地が良かった。
どうしようもない程に、自分の故郷であるかのように思えた。
愛しい。
そして、温かい。
もしかすると、ルブルは、こんな場所で生まれたのかもしれない。
だから、此処がとても居心地が良いのだろう。
彼女は、峠を歩き続けた後に、生い茂る樹木の下に、その場所を見つける。
『黒い森の魔女』という看板が付けられた店だった。
ルブルは、その中へと入る。
ぎぃぃぃっ、と不気味な音が響く。
店の中は、収集した人体などが飾られていた。
人を殺した刀剣などが、飾られていた。
「お久しぶりね、デス・ウィング。数十年ぶりかしら?」
「おや、貴方は…………」
「私はルブル、魔女。確か、かつてとても冷たい地で会ったわね」
「そうですね。お久しぶりです。
「何を読んでいるのかしら?」
「ええ、リュシアン・ルバテの『ふたつの旗』という本が手に入りまして。それを読んでいるのです。何でも、ルバテの著作は、フランスのファシスト作家であり、ナチスの幹部が帯を書いた事があるらしいですよ。このふたつの旗、という本は、ルバテが投獄された時に獄中で書いた恋愛小説みたいですね。とてつもない耽美文の中に、時折、卑猥な表現がスパイスのように入り込んでいるのが素晴らしい」
「ねえ、デス・ウィング。貴方が一番、お好きな御本って何かしら?」
「そうですね。……やはり、シェイクスピアの四大悲劇ですかね。勿論、シェイクスピア全般は好きですよ。私はみなの人生と人生の繋がりは、劇のように思えて仕方が無い。だから、私はとてつもない悲劇が見たいのです。それくらいしか、私の人生の楽しみはありませんからね」
「あらそう。処で、私はダートという組織を結成して、世界の侵略を始めている。ねえ、デス・ウィング、私に戦力を貸してくれないかしら? 正直、かなり拙い事態になっているのよ」
「ふふっ、私は耳が良いですから。貴方達の行動はある程度、知っていますよ。そうそう、少し前に、黒尽くめの球体関節人形が、私の処にやってきました。彼女の力を引き出す為の肉体の部品をお売りしましたよ。私はあくまで、中立でいるつもりです。ルブル、貴方にも、贈り物をしようとは思っています。勿論、相応の報酬は頂きますが」
ルブルは笑った。
慇懃無礼な口調は、以前会った時には無かったものだが、本質的な邪悪さは何も変わってはいない。むしろ、いっそ、彼女をダートのメンバーに加えたいくらいだった。
だが、デス・ウィングはまず動かないだろう。
それだけは、ルブルは分かっている。
「そういえば、『武器商人』が、貴方達の戦いに参戦したがっていました。彼はランキングには無いですが、ドーンを壊したがっている。金儲けがしたいとおっしゃっていましたからね」
そう言いながら、彼女は謎のカードを広げていった。
†
コッペリアは、ヘアバンドを外して、汗を拭う。
継ぎ接ぎだらけのような服は、汗でびっしょりだった。
もう何日も、工房の外へと出ていない。
先ほど、彼の主人が入っていって置いていったものがある。
メビウスが、デス・ウィングから購入したものは、欠損した手足だけでは無かった。
それは、黄色い宝玉だった。
どうやら、この宝石を使って、所謂、“残留思念”の残滓のようなものを読み取れるらしい。
コッペリアは、メビウスから、破壊された肉体の部品の一部を渡されていた。どうやら、敵に破壊された時に回収したものらしい。砕け散った手足の部品が、包み紙の中に入れられていた。これは、かつてコッペリアが創り上げた肉体だった。しかし、メビウスが言う処によると、彼女のウロボロスの能力が沁み込んでいると言っていた。
だから、断片的にでも、読み取れるのではないのか、と彼女は彼に告げたのだった。
まず、コッペリアは宝玉に触れる。そして、その次に、メビウスの手足の部品へと触れた。すると、宝玉が光り輝き出して、コッペリアの意識は別世界へと飛ばされていく。
まるで、上昇と落下を同時に、繰り返しているような感覚に陥っていた。
彼の中に、記憶の奔流のようなものが入り込んでくる。
コッペリアは自分では、自分は能力者では無いと思っている。しかし、自分の作り出すものは、ある種の能力者めいたものがあるのは確かだ。
切実なまでに、彼は主人が買ったものに触れて、その意思を読もうとする。
最初は、断片だったが、徐々に濁流のように頭の中へと広がっていく。
メビウスの部品から読み取れるもの。
それは、世界を支配したい、とでも言いたげな感情だった。
メビウスは自らを創造した者に関する記憶が無いと言う。興味も殆ど無く、ただ、彼女は自分はおそらくは、崇高な何かの目的の為に生み落とされて、自動的に動いているのだろうと述べている。
彼女は、秩序を重んじようとする。
だから、秩序を破壊しようとする者達をコントロールしようと考えているのだ。
だが、彼女の肉体の創造者。
黄色い宝玉から放たれているもの。
おそらく、この宝玉は、元々はメビウスの部品の一部で作られている可能性がある。
どうしようもない思念が、濁流となって、渦となって、彼へと入り込んできた。
そう。
それは、もはや察そう、この世界全体に対する悪意であり、敵意であり、果てしない欲望以外の何物でも無かった。
しかも、コッペリアが読み取った彼女の創造者の意志はむしろ、この世界全体をメビウスがもっとも嫌う、混沌の渦へと引きずり込んでいこうと願うもののように思えた。
その思念は、告げていた。
コッペリアに対して、直接、宣言しているかのようだった。
人間は必要なく、人形や機械が。コンピューターやアンドロイドだけが住まう世界を作ってしまいたい。そんな意志の断片さえ読み取れてしまう。
コッペリアは、メビウスの肉体の一つ一つから、そんな事が読み取れた。
善と悪という概念の中で比較するならば、明らかにそれは、悪なる意志を持つ者だった。
まるで、プログラムのように、メビウスは、ウロボロスは創られているのだった。
彼女を創ったのは、何者なのか分からない。
コッペリアは、その正体を知らなければならない。
メビウスは、何故、執拗なまでに秩序とは何かを知ろうとするのか。彼女にとっては、ドーンもアサイラムも、ある種の自分自身の根源を求める為の旅のようなものでしかないんじゃないのかと思えてしまう。
秩序の対極にあるものは、彼女は混沌としている。
その混沌なるものを、彼女を創造した者は、強く願っているみたいだった。
そう。
そもそも、メビウスのウロボロスは、世界を掌握し、破壊する力なのだ。
彼女は、一度、ある能力者の手によって以前の肉体を破壊されて、コッペリアが彼女の肉体を復元した。以前よりも、大幅にメビウスは弱体化してしまったが、それでもメビウス自身は満足していた。
ウロボロスという力を最大限まで、あるいは限界を超えてまで引き出さなければならない。それが、コッペリアに与えられた、メビウスからの指令だ。
そして、彼女を作った人形作家を超えなければならない。
いつか、自分は、届くのだろうか。
その力を、超える力に…………。
彼は期待で胸が潰れそうだった。
過大で過剰な評価に、どうしようもない程の安心と自己嫌悪を覚えてしまう。
†
「貴方の心の奥底に私の想いを語り掛けたい」
メアリーは冷たく笑う。
そして、その冷たさは、ある種の狂気を帯びた優しさでもあるのだ。
暗黒の中から、メアリーは瞳孔が開いたような眼で、微笑を浮かべながらセルジュを眺めている。
「ダリアって子、とってもタイプだったんだけれども。精神は私好みじゃなかった、何日か前から、私もあの子を追いかけていた。私が買い物に行くルートでよく会う子だったから。だから、ダリアは私も欲しかった。でも、セルジュ、これは褒め言葉なんだけど、貴方の精神の方は私は好きだった。だから、身体はあの子で、心は貴方なら、とっても私好みの女の子が出来上がるんじゃないかって思って…………」
メアリーは、セルジュの心の奥底に、直接、語り掛けてくるかのように言う。
結局の処、メアリーは自分自身のエゴイズムを満たす為に、セルジュのエゴイズムを満たしたのだ。
メアリーは、全力でセルジュの負の部分を促進、肥大化させていった。
セルジュは、自分の闇が深まっていくのが、とても心地が良かった。
セルジュは、今、自分は誰なのだろか、と思う。
もはや、そんな事など瑣末な事でしかないのかもしれないのだが。
「アイーシャ、とっても可愛かったんだけれどもね。お痛がとても過ぎた。あの子も私のタイプだった。愛しいくらいに、私に怨嗟を向け続けた」
アイーシャと、グリーン・ドレスは、彼女達を裏切った。
その事実があるだけだ。
「今、ヴェルゼという新たにダートに入った男が、あの二人を追跡している。城を焼かれた際も、ルブルが持っていたアイーシャの体内に入れた発信機を感知する通信機は、生き残っていたから。きっと、ヴェルゼが始末してくれる筈。ルブルが言うには、その男は、それくらいに恐ろしい力を持っているというのだから」
セルジュは、何だか苦笑する。
ルブルも、メアリーも、何処か必死さが込み上げていた。
何が何でも、緑の悪魔とアイーシャを倒さなければならない。
その為になら、信頼が置けるかどうか分からない、ヴェルゼとかいう男に縋っているように見える。
緑の悪魔も、アイーシャも、俺一人で殺してやるよ、とセルジュは言おうと思ったが、流石に、それは見っとも無い口上だけになってしまうので、止める事にした。




