第四章 鏡が映し出す空虚な世界 3
宣戦布告の後、積極的に動いたのは、イゾルダとグリーン・ドレスの二人だった。
イゾルダは、自身の生体兵器を次々とバラ撒いていった。
そして、グリーン・ドレスは、あらゆる国を焼き滅ぼして、勝利の軍旗を国の中央部に突き刺していった。
レウケーと、マディスが二人を追っていた。
しかし、悉く彼らは後手に回って、何も出来ずに煩悶していた。
どうしても、相手の戦力を殺ぐ事が出来ない。
それはとても単純明快な理由だった。
…………強過ぎるのだ。
余りにも、彼らの強さに対して、どう行動すればいいか分からずにいるのだ。
†
「マディス。女、子供というものは守らなければならない存在だな」
ケルベロスは彼に告げる。
マディスは、いつも彼とトレーニングを行っていた。古今東西の武道も教わっていた。しかし、実践では、それ程には役に立たない。何故、そんな事をするのかと、ケルベロスに問うた事がある。
「当然だが、能力者というものは、人間の限界を超える。完全なまでに逸脱していく。奇妙な統計があるのだが、女の能力者や、中性的な容姿の男の能力者に限って、筋骨逞しい身体付きの能力者よりも、異常なまでの力を発する使い手が多いと聞く。これは、ある種、興味深い統計だろうな。完全なまでに逆転しているのかもしれない。獣は武器として、牙や爪、毒などを持ったな。人は自身の弱さを補う為に、武器などを発達させた。主に、狩りは男の役割だった。しかし何なのだろうな、能力者というものは。人の理さえも、超え出ようとする存在なのだろうな」
ケルベロスは、ぷかぷかと、自身の書斎で煙草を吸い続けていた。
マディスは、自身の筋力を増加させるだけの力しか持ち合わせていない。逆に言えば、それ程に彼は弱い能力者でしかないのだ。
しかし、囚人の中でも、特に彼はケルベロスから気に入られていた。
実際、武道などのトレーニングに付き合ってくれるというのも大きいのだろう。
マディスは、その有り余る筋力によって、色々な人間を殴り殺したり、強盗や、強姦なども犯した事がある。それはどうしようもない程に、醜い自分自身から逃れられなかったからだと言える。
だが、アサイラムに入って、とても良かったと思っている。
他人という存在の大切さが分かった。
罪を償う事を証明する事は出来ないが、自分の力によって、建築物の作る為の材木や鉄骨などを人よりも何倍も、軽々と運べる。それはとても良い事だった。
人類の為に、貢献したいとさえ思う。
人類とは、とてつもなく脆いものだ。戦争や天災や飢餓や貧困で、簡単に死んでいってしまう。この世界は能力者ばかりじゃなく、マトモで普通の人間が大多数の存在として生活しているのだ。
しかし、そんなものを軽々と壊そうとする輩が後を絶たない。
特に、上位ランクの賞金首の能力者が暴れる事によって、簡単に無残な大量殺戮が行われてしまう。人々は能力者の存在を煙たがっている。だから、平凡を生きる者達は、能力者など、みな、隔離か死を望んでいる。
だからこそ、マディスは示したい。
犯罪者である、自分は正しさを伝える事が出来るのだと……。
†
「マディス、俺はケルベロスとは違う」
そう、レウケーは告げた。
そこは、雨の街と呼ばれている場所だった。
聞く所によると、イゾルダは何か思い入れがある場所の一つであるらしい。
イゾルダは、街に入り込んできた二人に、挑発めかした言葉を放っていた。
雨の街は、上部区域と下部区域に分かれていて、年中、雨が降り続けている。そして、住民の大半は下部区域に住んでいる。
此処には、大きな苔生した山があった。
イゾルダは、そこに自身の生体兵器の種を撒いていた。
それは、巨大な無数の首を持った、イソギンチャクの化け物だった。触手の一つ一つの先には、蛇やウツボなどの頭がある為に、神話のヒュドラのようにも見える。
イゾルダは、黒いコートを羽織ながら、二人が山頂付近に訪れるのを待っているみたいだった。
「マディス。俺は性悪説だ。ケルベロスとは相容れない」
彼はそれだけ言って、敵の懐に飛び込もうとしていた。
彼は怪物の付近に近付くと、地面に刀を突き立てていた。
『グラウンド・ゼロ』。
それが、彼の能力だった。辺り一帯に、核エネルギーの攻撃を発生させていく。
森の木々も、岩も、全てを粉々にして、吹き飛ばしていく。
亡きハーデスとは、奇しくも似たような能力だ。ハーデスは、核攻撃を生める能力者であったらしい。自分はそれに追随しているという事になるのだろうか。
しかし、自分はやはり、ハーデスとは立場が違うのだ。その断絶を埋める事など出来はしないのだろう。
レウケーは、ひたすらに、敵を殺して終わらせる事に執心してきた。
結局の処、異常者を矯正する事など出来はしない。
かつて、彼が戦ってきた敵は、みなそうだった。どいつもこいつも、狂っていて、深淵の奥底を覗き見せられるような敵ばかりだった。
このイゾルダだって、そうだ。
アサイラムに入れる事なんて、出来はしない。
殺して倒すしかない敵でしかないのだ。それだけは、必ず、ケルベロスにも理解して貰う必要がある。
…………彼の能力によって、爆炎が周囲に撒き散っていった。
まるで、爪痕のように、周囲を喰らうかのように、その痕跡は残っている。
イゾルダは、何処へと消え失せていた。
代わりに、彼の残した生体兵器とやらが、破壊された箇所を再生させながら、レウケーとマディスの目前へと迫っていった。
レウケーに向かって、ナイフのように尖った触手が振り下ろされていく。
マディスは、咄嗟に、それを拳で掴んで、引き千切っていた。
触手は、千切れた後も、しばらくの間、トカゲの尻尾のようにのた打ち回っていた。
†
鬱蒼とした、森の奥の物陰に、彼はいた。
イゾルダは、やってきた男達をまじまじと観察していた。
彼らは、強い野心さえある。
自分達の力を誇示しようと思っている。
それらは、ダートのメンバーと大して代わりはしない。
イゾルダは、人というものが、どうしても好きになれない。
人間というものは、思考というものを持ってしまい、精神を持ってしまってから、不幸になったのではないのかと彼は思う。
だから、全ての者達から精神を奪ってしまえば、きっと幸福になるんじゃないのかと彼は思うのだ。思えば、精神があるからこそ、苦痛も存在し、あるいは裏切りというものも存在するのだろう。イゾルダはずっと、人間に対しての裏切りに苛まれながら、生きてきた。
彼は、種を落としていく。
それが、土壌に落ちて、怪物を生んでいく。
念入りに改良した生体兵器達だ。
それらは、ヒュドラのように、頭を伸ばしていく。
まるで、イソギンチャクとタコと、それから植物の蔓が混ざったような怪物だ。
彼の力ならば、あらゆる遺伝子を合成させられる。
不可能なのは、人間だけだ。ルブルが人間の死体を冒涜出来るが、イゾルダには人間の肉体を冒涜する事が出来ない。それは、人という種族自体が彼にとって、進化に値しない存在だと考えているからだ。生命の坩堝の中において、絶対に淘汰されなければならない存在。それこそが、人という生き物なのだと。
刀を持った男が、何度も、爆撃のエネルギーを、彼の創り出した怪物に与え続けていた。その度に、一度、怪物は焼け爛れていくのだが。どうやら、根まで焼き尽くす事は出来ないみたいだった。特に、此処の土壌は、より生体兵器が生き延びやすく、生長し易い場所となっている。彼らは、明らかに不利だ。
彼らはおそらく、ドーンのハンターの中では強い部類なのだろう。
しかし、それでも、イゾルダの力には及ばないのだろう。
イゾルダは、ある意味で言えば、この世界に蔓延る悪夢そのものを背負って生きている。
炎の渦が立ち上る度に、イゾルダは再び、種を大地に落として、肥料となるエキスも同時に、撒いていった。
ルブルの城にて、じっくりと、兵器の開発には勤しんでいた。
決して、人間共の力では及ばないように。
どうやっても、人の意志ではどうにもならない悪夢を生み出す為に。彼は、念入りに、自身の作り出す子供達に、この世界を破壊する為の力を注ぎ続けたのだった。
†
完全な敗走だった。
三時間弱、戦っていたが。レウケーもマディスも、雨の街に巣食う化け物を根絶やしにして、倒す事など出来はしなかった。
化け物は、燃やそうが、千切ろうが、再生を繰り返してしまう。結果として、二人共、憔悴し切ってしまい、止む無く戦いの続行が難しくなって、逃げてきてしまった。
イゾルダはきっと、違う都市に行って、新たに種を植え付けているのだろう。
そう思うと、やり切れなさばかりに襲われる。
イゾルダという敵は強過ぎる。
そいつ単体で、人類にとっての脅威そのものだった。
ダートという連中は、そういう者達ばかりの集まりなのだ。
一介のドーンのハンターが、そもそもどうにか出来るような相手では無いのかもしれない。ただ、分かっているのは、この災厄だけでも止める為には、根元であるイゾルダを始末する事、それ以外に他ならなかった。
「俺、戦線離脱した方がいいんですかね?」
マディスは、やり切れなさそうな顔をする。
レウケーも項垂れていた。
グリーン・ドレスにも、イゾルダにも、手も足も出なかった。
ルブルもメアリーも控えている。
ドーンは明らかに押されていて、危機的な状況に陥ってしまっている。
どうにもならない現実ばかりが、目の前に広がっているのだ。
信念だとか、意志だけでは、どうにもならない現実。
それが、膨大なまでの暴力なのだ。
†